
「全てオタクになればいい」老舗和菓子屋4代目が語る、継承と創業で見つけた成功の法則
「全てオタクになればいいんですよ」——。
100年続く老舗和菓子店「株式会社菓匠禄兵衛」の4代目でありながら、音響・照明・映像を手がける「匠sound株式会社」も経営する居川信彦氏の言葉には、継承と創業という二つの異なる立場を経験してきた経営者ならではの深い洞察が込められています。24歳で突然の事業承継を経験し、その後ゼロから音響事業を立ち上げた居川氏。一見まったく異なる2つの事業を通じて辿り着いた成功の法則と、「お客様の笑顔」への飽くなき探究心に迫ります。
24歳、突然の事業承継。お菓子が崩れた瞬間に始まった4代目の挑戦
運命が大きく変わったのは、ある夏のお盆の夜のことでした。当時24歳だった居川氏は、人生を変えたその瞬間を静かに振り返ります。
「お盆の時に、父親が実家に帰って兄弟で酒を飲む恒例の集まりがあったんです。その時に『ちゃんと干菓子を作っとけよ』と言われて、和菓子を作らされていました」
夕方、酒席から戻った父親に手作りの和菓子を差し出した瞬間——それはホロッと崩れ落ちてしまいました。
「『なんやこれは?俺がちゃんと教えたじゃないか』と怒鳴られて、作ったお菓子を全部壊されました」
売り言葉に買い言葉の激しい口論。ついに父親から「お前がこの店をやれ」と言われた居川氏は、咄嗟に「やったるわ」と言い返してしまいました。翌日から父親は店に姿を現さなくなり、突然の事業承継が始まったのです。
「父親はもうグランドゴルフに夢中になって、たまに『グランドゴルフで優勝したんや』みたいな話をしてくる程度でした」と、居川氏は苦笑いを浮かべます。
しかし現実は厳しいものでした。レシピも帳簿の付け方も何一つ教わっていない状態で、年商1300万円、従業員ゼロの店を一人で守らなければならなくなったのです。
「お客さんから『味が変わった』『まずくなった』と言われて、史上最低売上を記録しました」
絶望的な状況の中で、居川氏は独自の成長戦略を編み出します。それが「1年に1品ずつ、このお菓子を極める」という手法でした。
「作っては失敗して、作っては失敗してを繰り返しました。なんとなくこんな感じかなと自分なりに作り上げて、それをしっかりとレシピ化する。そうやって続けていくうちに、お客さんから『美味しくなったな』と言われるようになったんです」
この苦しい経験こそが、後の居川氏の経営哲学の根幹を形成することになります。
「世界一のまち」から「従業員の笑顔」へ。経営理念を変えて見えてきたもの
事業が軌道に乗り始めると、居川氏は従業員を雇うようになりました。しかし、当初掲げていた経営理念に深刻な違和感を抱くようになります。
「以前の経営理念は、すごく外向きなものでした。『世界中に自慢できるまちづくり』みたいなことを会社でも掲げていたんです」
居川氏は困った表情で続けます。
「でも経営判断をする時に、街への貢献も考慮すると判断がブレるんですよ。『これは町のためだからやらなきゃ』と思うと、結果的にマイナスになることが多かった」
そこで居川氏は、経営理念を根本から見直すことを決意しました。
「従業員が本当に笑顔で働ける楽しい職場を一緒に作りましょう。そのためには、まずビジネスをしっかりしなければいけない——そんな理念に変えたんです」
理念の転換は、居川氏自身の行動変化から始まりました。最も劇的だったのは、月次の業績発表での変化です。
「以前は業績発表をしても『はい、ありがとうございます』で終わりでした」
しかし、新しい理念のもとでは全く違うアプローチを取りました。
「全力で称賛してあげようと決めたんです。前年比と目標を達成した時は『おめでとうございます!』と言って、みんなで思いっきり拍手する。最初は戸惑っていた従業員も、だんだん表情が変わってきました」
居川氏は嬉しそうに振り返ります。
「達成した人がチラチラこちらを見て『褒められてる』という表情をするんです。今では毎月ほぼ全員が目標達成するようになって、逆に達成できない月があると悔しがるようになりました」
この「称賛の文化」は、組織全体のモチベーション向上と業績改善を同時に実現しています。

ゼロから始めた音響事業。「自分でやるよ」が生んだもう一つの匠の道
音響事業との出会いは、地元滋賀でのまちづくりイベントがきっかけでした。居川氏は商売をしている同級生たちと一緒に、町を活性化させるイベントを毎月開催していました。
「毎回音響業者に依頼するコストが重荷だったんです。予算が10〜15万円の中で、音響だけで5万円かかると、他に何もできなくなってしまう」
そんな時、居川氏は重要な決断を下します。
「『俺がやるよ』って言ったんです」
しかし、音響の世界は全くの未知の領域でした。基本的な機材の仕組みすら理解していない状態からのスタートでしたが、居川氏は持ち前の探究心で少しずつ学んでいきました。
さらに実践的な経験を積むため、自主イベント「イカロック」を企画しました。
「他人の現場じゃなくて自分の現場で学ぶと、全然違いますよ」
地元での経験を積み重ね、2003年頃から本格的に音響事業としてスタート。そして2019年に東京で法人化しましたが、直後にコロナ禍に見舞われます。
「法人化していきなりコロナでした。和菓子屋もイベント業も『これはやばい』という状況でした」
この危機を乗り越えるきっかけとなったのが、とある経営者交流会でした。
「とにかく暇だったので、みんなに貢献しようと思ったんです。自分の人脈を全面的に開放して、1〜2年間ひたすら他の人のために動きました」
その献身的な貢献が、後に大きな成果として返ってきます。
「今受けている仕事の半分以上は、そのとある経営者交流会経由でいただいているものです」
継承と創業、2つの立場で学んだ「責任」の重みと「自由」の価値
全く異なる2つの事業を経営することで、居川氏は継承と創業それぞれの特徴を身をもって理解するようになりました。
和菓子事業について語る居川氏の表情は、責任の重さを物語っています。
「当初は『四代目として暖簾を守る』という使命感でした。でも今は創業100周年を迎えるにあたり、従業員の生活を守ることに、より強い責任を感じています」
一方、音響事業では全く異なる種類のやりがいを感じています。
「自分のスキルと経験を活かして、お客様に喜んでもらえることが何より嬉しいです。一人で運営できる自由さがある反面、それに伴う責任の重さも痛感しています」
興味深いのは、「好きなことを仕事にする」ことに対する居川氏の率直な見解です。
「和菓子屋は、最初から『好き』で始めたわけではないんです」
この発言の背景を、居川氏は丁寧に説明します。
「でも守らなければいけないものがある。先代から続いてきた暖簾をどう継承していくか——それをしっかり考えてやってきたのが和菓子屋です」
対照的に音響事業では、「昔からDJや音楽、バンドが好きで、基本的に機材マニアなんですよ。それが仕事になって、お金をもらえるというのは本当に嬉しいこと」だと語ります。
しかし、好きなことを仕事にすることの落とし穴も指摘します。
「好きだから『この機材を買ってもいいかな』と趣味と混同してしまい、結局儲かっていないということになりがちです」
重要なのは、どちらのアプローチでもビジネスの視点を忘れないことだと強調します。
「自分がこれだけやってきた、これだけのサービスを提供しているから、これだけの対価をいただく——そういう自己承認ができないと、ビジネスとして成り立ちません」

「1年に1個ずつ極める」探究心が生む、和菓子と音響の共通点
一見全く異なる2つの事業ですが、居川氏の中には一貫した軸があります。
「職人として決して妥協することなく、本当に良いものを作り上げる——これがどちらの事業にも共通する信念です」
この姿勢は、音響機材へのこだわりに如実に表れています。居川氏は機材の話になると、表情が生き生きとしてきます。
「良い機材を揃えると、最初は腕が上がったような気がしました。安い機材だとイコライザー(音響の音質を調整する機器)を何度も調整しなければ良い音にならないけれど、良い機材なら何も触らなくても素晴らしい音が出る。道具って本当に大切だなと実感しました」
和菓子作りでも同様の探究心を発揮しています。
「15年ほど前から現場は従業員に任せていますが、常に『どうやったらもっと美味しくなるだろう』と考えています。『普通』と思った時点で成長は止まる。もっと良い方法があるはずだという研究心を大切にしています」
情報収集にも独自の哲学があります。
「何事にも関心を持つことが重要です。例えば欲しい車があると、その車ばかり目につくようになりますよね。それと同じで、あることに興味を持つと、普通にデパートでお菓子を見ているのとは全く違う情報が入ってくるようになるんです」
この「情報のフィルターを変える」という考え方は、事業運営全般に活かされています。
居川氏の成長戦略の根幹にあるのは、和菓子事業で身につけた「1年に1品ずつ極める」というアプローチです。これを音響事業でも実践しています。
「今年はムービングライトを自分のものにするという目標を立てています。和菓子を1品ずつ攻略していったのと全く同じ手法ですね」
集中と継続——このシンプルだが強力な戦略が、居川氏の成功を支えています。
貢献から始まる信頼。コロナ禍を乗り越えた「ギブファースト」の精神
居川氏の人生を一貫して貫く特徴があります。それは「人に貢献すること」への強い志向です。
「自分の利益や喜びよりも、他人を喜ばせることの方が楽しいんです。自分が儲からなくても、この人が儲かって喜んでくれればいいな——昔からそういう気質でした」
この姿勢は、まちづくりイベントを始めた動機にも表れています。
「商店街がどんどん衰退していく中で、誰かがやらなければと思ったんです。自分たちが動いて町に貢献することで、商店街に活気が戻ってくればと考えました」
しかし、居川氏は貢献と自己犠牲のバランスについて重要な学びを得ました。
「以前の経営理念があまりに外向きだったせいで、経営判断がブレていました。街への貢献を考えすぎると、かえってマイナスになることが多かった」
この経験から、「溢れた部分を提供する」という考え方に到達しました。
「自分が幸せでないと人を幸せにできません。まずは従業員が笑顔で働ける職場を作る——それが先決だと気づいたんです」
東京での経営者交流会での活動は、この学びを活かした貢献でした。
「コロナで時間ができたので、とにかく皆さんに貢献しようと決めました。自分の人脈を全面開放して、1〜2年間ひたすら他の人のために動きました」
その結果、確固たる信頼関係が築かれました。
世界へ、そして10万人フェスへ。2つの事業が描く未来のビジョン
居川氏の視線は、常に大きな未来に向けられています。
和菓子事業では、壮大な夢があります。
「世界中の人に愛される和菓子を作りたい——それが最大の目標です」
現在、渋谷ヒカリエで展開している「福みたらし」ブランドは、その重要な一歩です。
「従来の菓匠禄兵衛のブランドとは違って、新しいデザイナーを起用しました。みたらしの可能性を最大限に引き出す——みたらしオンリーで何ができるかを探求するブランドです」
平野紫耀さんのYouTube番組で紹介されて大きくバズり、「首の皮一枚繋がった」状況から新たな可能性が見えてきています。
音響事業では、さらにスケールの大きな夢が待っています。
「地元長浜で10万人規模の音楽フェスを開催したい——これが究極の目標です」
実際にコロナ前には、本格的な準備を進めていました。
「ケツメイシのメンバーなど、有名アーティストを呼んでフェスを企画していたんです。台風で中止になりましたが、必ずやり遂げたいと思っています」
現在は事業拡大のフェーズにあります。
「まずは和菓子屋の売上を音響事業で超えることが目標です。一人で自由にやってきましたが、人を雇って組織として成長させる時期だと考えています」
しかし、どちらの事業も根底に流れるのは変わらない信念です。
「提供するものは違っても、『お客様の笑顔のために仕事をする』——この姿勢だけは、どちらの事業でも絶対に変わりません」
居川氏の目に宿る強い光は、その言葉が決して建前ではないことを物語っています。

コントリからのメッセージ
居川信彦氏へのインタビューで最も印象的だったのは、継承と創業という相反する立場を経験することで得られた、経営に対する深い洞察でした。100年の暖簾を守る重責と、ゼロから事業を立ち上げる自由さ。その両方を知る居川氏だからこそ語れる「探究心」と「匠の心」の重要性は、あらゆる業種の経営者にとって普遍的な学びとなるでしょう。
「全てオタクになればいい」という言葉は、単なる比喩ではありません。どんな分野でも深く追求し、お客様の笑顔のために決して妥協しない姿勢。それこそが、業種を問わず成功につながる不変の法則なのです。
事業承継に悩む後継者も、新規事業に挑戦する起業家も、きっと居川氏の等身大の体験から多くのヒントを得られるはずです。失敗を恐れず、常に探究心を持ち続ける。困難な時こそ他者への貢献を忘れない。そんな居川氏の生き方に、多くの経営者が「会ってみたい」と感じることでしょう。
100周年を迎える老舗和菓子店と、最新技術を駆使する音響事業。一見相反する2つの事業を通じて、居川氏は今日も「お客様の笑顔」を追求し続けています。
ギャラリー












プロフィール
株式会社菓匠禄兵衛
匠sound株式会社
代表取締役
居川 信彦
滋賀県長浜市の老舗和菓子店「株式会社菓匠禄兵衛」の4代目代表取締役である。大正15年創業の家業を継承後、「福みたらし」などのヒット商品で全国の百貨店からオファーが来るブランドに成長させた。24歳で事業を引き継ぎ、伝統を守りながらデザイン性やパッケージに革新を取り入れることで若い顧客層にもアピールしている。また、2020年に設立した「匠sound株式会社」の代表取締役も兼任し、音響・LED・配信事業も展開する多角経営者。
会社概要
株式会社菓匠禄兵衛
創業 | 1926年 |
設立 | 2006年4月4日 |
資本金 | 1,000万円 |
所在地 | 滋賀県長浜市木之本町木之本1087 |
従業員数 | 45人 |
事業内容 | 和菓子製造販売 |
HP | https://www.rokube.co.jp/ |
匠sound株式会社
創業 | 2003年 |
設立 | 2020年12月25日 |
資本金 | 50万円 |
所在地 | 東京都中央区銀座7丁目13番6号サガミビル2階 |
従業員数 | 0人 |
事業内容 | イベント音響・照明・映像業務 |
HP | https://www.takumisound.net/ |