「温故革新」を掲げた二代目社長が挑む不動産業界の変革~駄目営業から3年で12人採用へ~

「7件連続失注……これは、自分で打ち立てた社内ワースト記録なんです」

そう苦笑いしながら語るのは、株式会社東京中央建物 代表取締役・三田正明氏。 営業時代の不名誉なエピソードを包み隠さず語るその姿からは、失敗を糧に成長を重ねてきた、経営者としての器の大きさがにじみ出ています。

銀座2丁目にある同社のオフィス。 そのエントランスに掲げられた額縁には、力強く「温故革新」の四文字が刻まれています。 その言葉の通り、平均年齢49歳という組織の危機に直面しながらも、「企業ブランディング」と「覚悟と敬意」という二つの軸で道を切り拓いてきた、奇跡のような変革ストーリーがここにはあります。

新築マンションの販売代理を主軸とする、社員数32名の中小企業が── なぜわずか3年で、12人もの若手人材を惹きつけることができたのか。 そして今、10年後の自社ブランドによるデベロッパー事業参入という壮大なビジョンを掲げる二代目社長の、真の覚悟とは──。

額縁に込めた想い「変わらないもの」と「変わるもの」の調和

銀座2丁目にある東京中央建物のオフィスビル。 エレベーターを上がり、扉が開くと──そこには、セルリアンブルーで統一された洗練空間が広がります。 そして、正面に掲げられているのが、額縁に収められた四文字。

「温故革新」。

その下には、こんな言葉が添えられています。 「これこそが、『あらゆる変化』に強い企業として必要なことである」

この言葉に込めた思いについて、三田社長は穏やかな表情で語ります。

「『温故革新』は、”温故知新”と”経営革新”を組み合わせた、僕自身の造語なんです。 先代の築いてきた経営を大切にしながら、現代にアップデートしていく。 『過去』と『未来』、両方の視点をもって経営に取り組むことが、自分の使命だと思ったんです」

しかし、そう語る表情には、少し苦笑いも混じります。

「……でも、経営って、やっぱりそんなに簡単じゃないですね。 理想だけでは乗り越えられない、いろいろな壁や難しさがありました」

ワースト記録が刻んだ屈辱「ご子息様」への複雑な想い

時は遡って1997年。 父である現会長が創業した株式会社東京中央建物は、大手デベロッパーでの営業部長としての経験を活かし、新築マンションの販売代理を主軸にスタートしました。

その創業から2年後、1999年。 三田正明氏は新卒で、父の会社に入社します。

「入社の理由は大きく2つありました。 ひとつは、まさに”就職氷河期”と呼ばれる厳しい時代だったこと。 就職活動は非常に難しくて、なかなか内定が出ない時代でした。 そしてもう一つは……”父親の圧力”です。 『他で修行するくらいなら、うちでやれ』みたいな(笑)」

そう語る三田社長の表情には、少し照れが混じっています。

「正直、”楽して入社できそうだな”って思ってました。 創業間もない会社だから、のんびりしてるんじゃないかって。 今思えば、かなり不純な動機でしたね」

しかし現実は、そんなに甘くありませんでした。

入社してみると、そこには”イケイケどんどん”の営業会社が待っていました。

「僕が入社したときには、すでに30人以上の社員がいて。 前職から父が引き抜いてきた”営業の先鋭部隊”が出来上がっていたんです。 完全にプロ集団の中に、放り込まれたようなものでした」

そこで三田氏は、およそ10年にわたり営業の現場を経験します。 しかし、その結果は思わしくありませんでした。

「本当に”ダメ営業”でした。 臆病で、クロージングが苦手で…… 『これを言ったらお客様が引いてしまうかもしれない』と考えすぎてしまって。 押すべきときに、押せなかったんです」

そんな三田氏の”営業人生”を象徴するのが、7件連続契約前キャンセルという、社内でも異例の失注記録。

「これは、いまでも社内のワースト記録です。 契約が決まらないと、『また今回もダメなんじゃないか』という不安が膨らんで、 それが態度に出て、お客様にも伝わってしまうんですよね」

さらに彼を苦しめたのは、”社長の息子”という立場への視線でした。

「契約書に父の名前が載っているのを見たお客様に、 『あれ、三田さんって……社長のご子息ですよね?』と聞かれることがよくあって。 それがものすごくコンプレックスでした。 “社長の息子”なのにこの成績って……何をやってるんだろうって、情けなくなりました」

一時は営業主任に昇格するも、成績不振により再び平社員へ降格。 文字通り、挫折と苦悩の連続だったのです

「逃げ道」が開いた扉、数字が教えてくれた経営の本質

転機が訪れたのは、2011年のことでした。 当時、先代が前職から絶大な信頼を寄せていた経理担当者が、引き継ぎもないまま突然の退職。 会社は思いもよらぬ緊急事態に陥ります。

「経理全般を一手に担っていた担当者が、ある日突然辞めてしまって。 『誰がやる?』という話になったとき、 僕は思い切って『じゃあ僕がやってみましょうか』と手を挙げたんです。 経理の経験なんて、まったくなかったんですけどね」

そう語る三田社長の言葉の裏には、複雑な心境がありました。

「親族である自分のほうが任せやすいだろう、という思いもありました。 でも正直、10年経っても”ただの営業マン”という立場が、ずっとコンプレックスだったんです。 経理に移れば、会社全体を俯瞰できる立場になれる── そこに、新しい道が開けるかもしれないという期待も、どこかにありました」

一見”逃げ道”のように見えた経理への異動が、実は三田氏にとって人生を変える大きな転機となっていきます。

実際に経理を担当してみると、意外にもその業務はシンプルでした。

「当時のうちは在庫を持たず、売上のほとんどが手数料収入。 月に何件契約が決まれば売上はいくら、そこから経費がどれくらい出ていく…… 非常に分かりやすい構造だったので、お金の流れがすっと頭に入ってきたんです。 経理って、面白いなと思いましたね」

数字を通して会社を”客観視”することで、経営の構造が見えるようになっていった三田氏。 中でも、特に大きな学びとなったのは、金融機関への報告資料の作成と、事業計画の説明力でした。

「銀行向けの資料をタイムリーにまとめたり、 事業計画を”数字と言葉”で説明できるようになったことは、今の自分にとって本当に大きな財産です。 これがなかったら、今の経営はできていなかったと思います」

その後、社長に就任してからも、三田社長は自ら数字の管理を続けています。 現場のリアルな感覚と、経営全体の視点を行き来できるバランス感覚── それは、10年前の”経理担当”としての日々が育んだものでした。

「逃げ道」が導いた場所は、経営者としての”核”となる場所だったのです。

緊急事態宣言が炙り出した世代間ギャップという現実

経理を通じて、経営の視点とスキルを着実に磨いていた三田社長。 しかし、会社全体に目を向けると、見過ごせない課題が浮かび上がってきました。

それは──

  • 売上至上主義に基づくトップダウン体制
  • 若手が定着しない組織構造
  • そして何より深刻だったのが、組織の高齢化でした。

「僕が45歳になった頃、ちょうどコロナが始まった時期だったんですが、 ふと平均年齢を計算してみたら……なんと49歳だったんです。 これはもう、”いよいよまずい”と感じました」

三田社長の言葉には、明らかな危機感がにじんでいます。

「このまま何も対策を打たなければ、平均年齢はあっという間に50歳を超える。 本気で、”このままでは未来がない”と思ったんです」

そんな中、組織の真の課題をあぶり出したのが、コロナ禍によるリモートワークの導入でした。

「ZoomやWeb会議が当たり前になった一方で、 経営陣の多くは”出勤すること=仕事”という価値観のままでした。 オフィスに行かないと仕事をした気にならない。 リモートになると、”何をどうすればいいのか分からない”という状態になってしまったんです」

一方で三田社長自身は、経理業務で培ってきたITリテラシーを武器に、柔軟に対応していきます。

「僕はリモート中もひとり出勤して、 必要な資料をスキャンしてPDF化し、社内にメールで共有したりしていました。 すると社内から『三田さん、すごいですね』と声をかけられるようになって…… 正直、”あれ?今、自分の時代が来たのかも?”と思った瞬間でした」

こうした状況を通して、三田社長はある”本質”に気づきます。

「”若い人を採用しよう”という声は前からありました。 でも、あるときふと思ったんです。 若い人を採るには、若い人が採用活動に関わらないと意味がないんじゃないかって。 年齢の近い人が社内にいない会社に、若手が入りたいと思うわけがないんですよね」

つまり、採用する側の世代が変わらなければ、若手は集まらない。 若返りを本気で進めるには、まずリーダー自身が変わる覚悟が必要なのだと。

その気づきこそが、のちに三田氏が社長就任を決断する原点となっていくのです。

勇気ある社長就任宣言──「今、自分がやるしかない」

転換点となったのは、ある幹部会議での出来事でした。 その場では、幹部一人ひとりに”会社への意見”を述べる機会が与えられていました。

「僕は、そのとき意を決してこう言ったんです。 『――自分が社長になります!』って」

その瞬間、三田氏の中で長年くすぶっていた「覚悟」が言葉になり、空気が一変しました。

「父は、まるで”その言葉を待っていた”かのような表情で受け止めてくれました。 ただ一方で、当時の古参役員の中には、自分が次期社長になると思っていた方もいて…… その反応は正直、複雑でした。 でも、その他の幹部からは拍手喝采が起こったんです」

会議室には、一瞬緊張が走り、そしてすぐに新しい時代の空気が静かに立ち上がっていきました。

「当時は、ちょうど緊急事態宣言の真っ只中。 “このままでは会社の未来が危ない”という強烈な危機感がありました。 正直、あの瞬間が、僕にとって初めて── 『この会社で、自分が本気で期待を背負った』と感じた瞬間だったと思います」

父への事前相談は一切なし。 それでも堂々と宣言した”社長就任の決意”には、こうした思いがありました。

「誰かがやらなきゃいけない。 そして、今このタイミングでそれをやるのは、自分しかいない。 そう強く思ったんです」

そして2021年。 三田正明氏は、正式に株式会社東京中央建物の代表取締役に就任。 ここから、”第2創業”と呼ばれる新たな時代の幕が、静かに、しかし確かに切って落とされたのです。

セルリアンブルーに託した想い、3年で12人を惹きつけた戦略

社長就任後、三田社長がまず着手したのは「組織改革」でした。 その理由は、きわめて明確です。

「第2創業を進めるうえで、乗り越えるべき課題は2つありました。 ひとつは、従業員満足度の低さ。 トップダウン体制のもと、社員の成長意欲は下がり、 人事評価制度や研修制度も、ほとんど整備されていなかったんです」

そこで三田社長は、企業ブランディングと組織改革の”2軸戦略”を打ち出します。

「組織改革では、人事制度の整備とワン・オン・ワン面談の導入を進めました。 企業ブランディングでは、会社そのものの”印象”を一新することに注力しました」

その象徴となったのが、コーポレートカラー「セルリアンブルー」を軸に据えたCI(コーポレート・アイデンティティ)戦略です。

「ブルーは”信頼”や”安心感”を象徴する色。 当社では、オフィス内の各所にセルリアンブルーを取り入れ、 ブランドとしての統一感と洗練された印象を持ってもらえるようにしました」

もう一つの大きな変革が、業界では珍しい「メディア型Webマガジン」による情報発信です。

「不動産業界って、情報発信があまり得意じゃないんです。 仲介や営業に特化しすぎて、外部への発信には消極的な会社が多い。 でも僕は、社員一人ひとりを紹介すること自体が立派な発信だと思っています。 動画コンテンツも積極的に取り入れています」

三田社長は、にこやかにこう語ります。

「現在のホームページも、”メディア型Webマガジン”のコンセプトで作りました。 単なる情報提供ではなく、『情報発信に前向きな会社』という印象を、求職者に届けたかったんです」

この一連の戦略的な取り組みは、確かな成果として実を結びました。

「社長就任からの3年間で、12名の若手採用に成功しました。 組織の若返りという目標が、ようやく”カタチ”になったと実感しています」

ここにきて、”第2創業期”は本格的に動き出したのです。

成功の裏に潜む罠──「反面教師」がもたらした組織の亀裂

しかし──。 華々しい成果の裏側に、誰もが見落としがちな”影”が潜んでいました。

「12人採用したんですが……実は、何人かはすぐに辞めてしまったんです」

三田社長は、そのときの胸の内を静かに振り返ります。

「若手の離職理由はさまざまですが、根本的には”期待と現実のギャップ”があったと感じています。 外から見るうちは、スタイリッシュで革新的な会社に映る。 でも、いざ入社してみると、その”新しさ”が、現場にはまだ浸透していなかったんです」

洗練されたWebサイト、統一感のあるオフィス、魅力的な情報発信によって、”選ばれる会社”というブランドは確立できていた。

しかし、その”見た目”とは裏腹に、現場の実態は、かつての延長線上にあったのです。

「営業の現場では、いまだに昭和型のスタイルが色濃く残っていました。 外からは変化して見えても、中で働くと『こんなはずじゃなかった』と感じる。 それは仕方のないことだったと思います」

三田社長は、この”ギャップ”の本質を、自らのスタンスに見出します。

「正直、僕自身が”父を反面教師にしすぎた”ことが原因だったと思っています。 『父の時代のやり方じゃ通用しない。自分が変えなきゃ』という気持ちが強すぎて、 知らず知らずのうちに、過去そのものを否定するような言動になっていたかもしれません」

変革への意志が強かったがゆえに、それは次第に「否定の色」を帯びはじめ、やがて長年会社を支えてきたベテラン社員たちとの間に、目に見えない溝を生んでいったのです。

「彼らにしてみれば、 『これまで自分たちが築いてきたものを否定された』と感じたのかもしれません。 それが、組織全体の方向性を揃えられなくなった大きな原因だったと思います」

「原点回帰」から始まった、価値観の転換

2024年末。 社内の若手離職、ベテランとの溝、そして理想と現実のギャップ──。 三田社長は、次第に組織がひとつにまとまらなくなっている現実に直面していました。

そんな中、彼は「自分自身が変わる」ための行動に踏み出します。 それが、中小企業同友会の「経営指針成文化セミナー」への参加でした。 4ヶ月間のプログラムが、経営者としての根本的な価値観を揺さぶっていきます。

セミナー開始から間もなく、サポーターから投げかけられた言葉が心に残りました。

「あなたは、先代に感謝していますか?」

三田社長はその問いに、言葉が出ませんでした。 気づけば、父への感謝の気持ちが、自分の中で薄れていたのです。

「”社員が育たない”という悩みを相談したら、 サポーターから『本当の問題はそこじゃない』と返されて── 結局、自分自身が”父から受け継ぐべき価値や理念”を見過ごしていたことに気づかされました」

父の経営スタイルを”反面教師”とし、あえて真逆を進もうとしていたこれまでの自分。 けれど、その姿勢こそが、組織の芯を曖昧にし、ベテラン社員との信頼を損なっていたことに気づきます。

「会社の原点をきちんと理解してこそ、未来は描ける。 そう実感したとき、まるで肩の荷が下りたような、心が解放される感覚がありました」

“過去を否定する”のではなく、”敬意と感謝をもって受け継ぐ”という考え方へ。 その内面の変化こそが、三田社長の経営観を根本から変えた瞬間でした。

この大きな価値観の変化は、いまや講演の場で堂々と語られています。 講演タイトルは、なんと「突き抜けた”変態”」

「たった10ヶ月でこれだけ考え方が変われたのは、 自分の”素直さ”と”柔軟性”があったから。 人の助言を素直に受け入れ、自分の思考を変えることに抵抗がない。 そのスピード感こそが”変態”なんですよ(笑)」

冗談めかしながらも、そこには変化を恐れないリーダーの姿がありました。 “原点への敬意”と”未来への覚悟”を胸に刻んだ第二創業の旅は、ここからさらに加速していきます。

羽が生えた瞬間「覚悟と敬意」で描くTCTレジデンスの未来

経営指針成文化セミナーを経て、社長・三田正明の中に生まれたのは、 “反発”から”敬意”へと至る価値観の大きな転換でした。

その変化の先に見えてきたのが、現在の経営哲学── 「温故革新」からさらに進化した、 「覚悟」と「敬意」という二つの軸。

「事業承継において、僕が何より重視してきたのは”覚悟”でした。 そして最近になってようやく、父が築いてきた会社の歴史や、 積み重ねてきた実績の重みを実感するようになったんです。 “覚悟”と”敬意”。 この2つを両輪にして、これからの経営を前に進めていきたいと思っています」

その経営思想を具現化する新プロジェクトが、 東京中央建物の未来を担う「TCTレジデンス構想」です。

住まいの価値を提供する事業から、 唯一無二の”住まい”を創造するデベロッパー事業へ。 それは「売る」から「創る」への大胆な進化でした。

「ただ物件を販売するのではなく、 “どんな暮らしがそこに生まれるか”までを設計する── それが、僕たちが目指すレジデンス事業の本質です」

三田社長が手がけるTCTレジデンスには、 過去の失敗も、学びも、価値観の転換も、すべてが詰まっています。

「”住まい”は、ただ住む場所ではない。 人生の節目を支える”器”であり、未来を預ける”拠点”です。 だからこそ、心から選ばれる空間でありたい。 一棟ごとに、ストーリーと想いを込めています」

それは、単なる不動産開発ではなく、 「暮らしと心をつなぐ」クリエイティブな挑戦でもあるのです。

「過去を否定せず、未来に臆せず、仲間とともに飛ぶ」

そんな企業文化を実現するために、三田社長は今日も言葉と行動で示し続けます。

「ようやく、自分にも”羽が生えた”気がします。 父の築いてくれた歴史に、ようやく”心から感謝できるようになった”から。 そして、社員たちと未来を語れるようになったからです」

この「羽」が、東京中央建物を次なるステージへと運んでいく── “覚悟と敬意”を翼に乗せて、三田正明とTCTの挑戦は、まだまだ終わりません。

コントリからのメッセージ

三田正明社長の物語は、事業承継の本質を教えてくれます。それは先代を否定することではなく、その価値を深く理解した上で新しい価値を創造することです。

「駄目営業」から始まった挫折の経験、経理での地道なスキル習得、コロナ禍での覚悟の決断、ブランディング改革での成功と挫折、そして「覚悟と敬意」の両輪経営への到達。この一連の体験は、多くの二代目経営者が直面する普遍的な課題と成長の軌跡を示しています。

特に印象的なのは、三田社長の素直さと柔軟性です。「言われた通りやってるだけ」「素直で柔軟なんですよ」という言葉からは、学び続ける姿勢と変化を恐れない勇気が伝わってきます。現代のリーダーシップに求められるのは、完璧を装うことではなく、等身大で成長し続ける姿なのかもしれません。

オフィス入口の「温故革新」の額縁は、単なる装飾ではありません。それは、伝統への敬意と未来への覚悟を表明する、三田社長の経営哲学そのものなのです。10年後、TCTレジデンスが銀座の街に新たな価値を創造している姿を、私たちは楽しみに見守りたいと思います。

ギャラリー

プロフィール

株式会社東京中央建物
代表取締役
三田 正明

横浜出身。1999年に大学卒業後、就職氷河期の中、創業者である父・三田冨美雄氏の勧めで同社に入社。営業職などを経て、2021年に代表取締役に就任。「温故革新」を経営理念に掲げ、銀座に本社を構える1997年創業の不動産会社の伝統を守りながら、常に新しい挑戦を続ける。事業承継を大きな転換点と捉え、ブランディングを軸とした大胆な改革を推進。顧客満足と社員の幸福を両立させる経営を実践する。

会社概要

設立1997年10月16日
資本金4,500万円
所在地東京都中央区銀座2-13-19 銀座アルカビル 4F
従業員数32人
事業内容不動産販売代理事業
不動産売買事業
不動産仲介事業
不動産コンサルティング事業
不動産管理業
不動産競売代行業
リフォーム事業
HPhttps://www.t-c-t.co.jp/

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