デザインで拓く鉄の可能性!植木鋼材株式会社のmaasaブランド戦略

現代の日本において、「ものづくり企業」の輝きは少し霞んでしまっているように感じられるかもしれません。しかし、そのような中でも輝く企業が栃木県宇都宮市にあります。その企業は植木鋼材株式会社。創業以来、一貫して「鉄」に関わる事業を行ってきました。

同社の3代目である植木揚子社長は、創業以来の伝統は守りつつ、時代に合わせた価値を世の中に提供していくというチャレンジを続けている方です。今急速に人気を博している自社ブランドmaasaのストーリーは、伝統と革新がどのように共存し、そして如何にして新たな価値を生み出すかを示してくれています。

ぜひ今回の記事をご覧いただき、植木社長の想いに触れてみて下さい。

植木鋼材株式会社の事業について

コントリ編集部
コントリ編集部

まずは御社の事業について教えていただけますでしょうか?

植木鋼材株式会社は、昭和37年に設立して以来、ずっと鋼材の加工・販売事業を行ってまいりました。大型のレーザー加工機をはじめとする栃木県でも有数の加工機を保有し、お客様のニーズに合わせた鋼材をスピーディーに提供しています。
また、鹿沼組子をモチーフとし、鉄で作った商品を販売する自社ブランド「maasa」も展開しています。

コントリ編集部
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昭和37年から長い間、事業を続けられているのですね。

自社ブランドのmaasaの製品というのは、こちらのショールームに展示されているものなのでしょうか?

こちらのショールームにある製品がmaasaブランドのものになります。この背面にある屏風もそうですし、灯篭やコースターなども作っています。私が着けているピアスもmaasaブランドの製品です。

コントリ編集部
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とても素敵ですね!!

事業承継のエピソードについて

コントリ編集部
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植木さんは植木鋼材株式会社の3代目の社長ということだと思いますが、創業者のお父様から植木さんが社長になられるまでの事業承継のエピソードを教えていただけますでしょうか?

植木鋼材は私の父が創業した会社で、父としては3人姉妹の長女だった私にお婿さんをもらって会社を継いでもらいたいと思っていました。ただ、私はやりたくなかったんですね。ずっと逃げ回っていて(笑)

コントリ編集部
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そうだったのですね。別に何かやりたいことがあったのでしょうか?

学校の先生になりたかったんです。大学を出て、教員免許をいただいたのですが、採用試験に落ちてしまいまして。。そこからまた人生が変わっていきました。結果的には、幼稚園の先生になりました。

コントリ編集部
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最終的には幼稚園の先生になられたのですね!
そこからどのようにして事業を継ぐという方向に向いていったのでしょうか?

両親のすすめでお見合いで結婚することになりまして、その時の夫が鋼材の営業マンでした。ただ、好きだったわけではなかったので、ちょっとしたことから別れることになってしまいました。

その時にはすでに長男が生まれていましたので、ひとまず実家に戻りました。ただ、子連れだったので就職先探しも難しかったので、植木鋼材に入社して経理の仕事をすることになりました。これが平成2年のことです。

コントリ編集部
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そのような経緯で植木鋼材に入社することになったのですね。

その後、どうなっていったのか気になります。

植木鋼材に入社できたのは良かったのですが、それよりも「自分はなぜ離婚をしてしまったのだろう?みんな結婚してうまくやっているのに・・・」という気持ちがものすごく強く、自分探しのために色々な勉強会に行ったりしていました。その後10年くらい経ってから倫理法人会がきっかけで現在の主人と出会うことになりました。

主人は2,3人でやっている植木屋を経営しておりまして、経営能力もあるし、人柄も良いということで植木鋼材に入社してもらうことにしました。専務を経て、社長になったのですが、主人が社長になってからは、私も悩みに悩みました。

コントリ編集部
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どんなことに悩まれたのでしょうか?

私自身は継ぐ気はなかったのですが、ずっと父の姿を見てきてたので、主人のやり方に対して不平不満が出てきてしまいました。

主人の考えとしては、「もっとこれからの時代を生きていくためには、同じ仕事をしていて良いのだろうか?」というようなものでした。これを具現化するために、15年前くらいに葬儀屋や野菜屋といったような事業をスタートし、植木鋼材を舞台にしてグループ会社を作りたいというような構想を練っていました。そのような野望に私自身がついていけませんでした。

コントリ編集部
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お父様が作り上げた植木鋼材という会社が変わっていってしまうような感じがしたのですね・・・

父も順風満帆でここまで来たわけでありませんでした。祖父やおじたちと始めて、兄弟の仲もうまくいかない時期もあったのですが、その中でもこの会社だけはなんとかやってきた、その想いを他のものに変えていくことが父が望むことだったのか?会社を大きくすることよりも盤石な地域に根付いた会社を作りたいと考え、私が代表になる決意をしました。

コントリ編集部
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苦難をご自身で作られてしまったわけですね・・・(笑)

そうなんです。それから私は「父のやってきたことをしっかりと継いでいくんだ」という想いで会社経営を始めることになりました。

きっとこの姿勢でやれば社員からも認めてもらえると思いました。ただ、現実はそうはいきませんでした。社員さんとの関係もうまくいきませんでした。私の想いとしては、植木鋼材を父が目指した会社を伸ばそうと思って代表になったのに、なかなかうまくいかない日々を過ごしました。

コントリ編集部
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ご自身の想いと社員さんの反応が真逆だったのです。それは辛いですよね。

その後、どのようにして風向きが変わったのでしょうか?

きっかけは弊社の社員さんからの一言でした。

「若い社員さんもいるのに、この会社の将来をすぼめていってしまっていいんですか?単なる無借金経営でいいんですか?もっとチャレンジしていった方が良くないですか?」

こんな言葉を社員さんからいただきました。私は「そうだよな」と思い、2億円の借金をしたんですね。

コントリ編集部
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2億円という大きな借金をされたのですね!
いきなり思い切られましたね!!

2億円の借金は大きいですよね。こんな借金を私が返せるのか?とも思いましたが、そのように覚悟を決めたし、代表という立場からも逃げられない、やるしかない。父の仕事を継ぐと決めたのは私自身。そこからスイッチが入りましたね。

それから、父が作り上げてくれた「良い商品を短納期でスピーディーにお届けする」という植木鋼材の基盤をさらにブラッシュアップさせるということを覚悟を決めて進めていきました。そうすると、社員さんと気持ちが通い合うようになり、今は植木鋼材絶好調です!

コントリ編集部
コントリ編集部

絶好調!素晴らしいですね!
社員さんも積極的に動いてくれるようになったのでしょうか?

積極的に動いてくれる社員さんがたくさんいます。新しい事業部を作った際にも私がトップに立って指揮をとるのではなく、それを社員に任せるようにしました。その方が自分で工夫するようになるし、絶対伸びると思っているので社員さんにお任せしています。

コントリ編集部
コントリ編集部

積極的に動いてくれる社員さんがいらっしゃるというのは本当に心強いですね!
今後の植木鋼材さんの発展が本当に楽しみです。

自社ブランド「maasa」について

コントリ編集部
コントリ編集部

御社の自社ブランド「maasa」についてお伺いしてもよろしいでしょうか?

弊社の自社ブランドは、江戸時代からスタートした鹿沼組子という木工細工をひとつのモチーフとして「EDO style」というコンセプトでブランドを立ち上げました。そのブランド名が「maasa(マーサ)」です。

maasaでは、様々な芸術家の先生やクリエイターさんなどの作品を鉄で作るということをしております。具体的には屏風、灯篭、コースターやアクセサリーなどを作っています。

コントリ編集部
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実際に製品を見せていただきましたが、本当に繊細で美しい製品ばかりですね!
ちなみに、maasaというブランド名の由来は何なのでしょうか?

私の父が「政行(まさゆき)」という名前なのですが、そこから来ています。
植木鋼材という昭和な感じがする名前は、歴史も感じますし分かりやすくて良いのですが、もう少し柔らかくて繊細なイメージにしたかったので「maasa」というブランド名にしました。

コントリ編集部
コントリ編集部

maasaブランドを立ち上げることになったきっかけについて教えていただけますでしょうか?

ある社員さん(現在はmaasa事業部の責任者)から「普通の鋼材だけでなく、鉄を使った他の事業展開をしていきたい」というような話をいただきました。実は、その第一弾は土木事業だったのですが、新型コロナウィルスの流行とタイミングがかぶってしまい、新規開拓をするにもなかなかできない状況でした。その中で1年間ほど考えた結果、弊社が保有しているレーザー加工機をうまく活用できないかと考えました。

私は父から「鉄」の仕事を継いだので「鉄一筋」でやっていきたいなと思っていました。ただ、私の中で「もっと一般の方にも鉄を知ってもらいたい、触れていただきたい」という気持ちがありました。これがブランドを立ち上げようと思ったきっかけでした。そのようなタイミングで鹿沼組子と出会い、この出会いがその後の展開を大きく変えていきました。

コントリ編集部
コントリ編集部

鹿沼組子との出会いがmaasaブランドのターニングポイントだったのですね。
ちなみに、鹿沼組子とはどのようにして出会ったのでしょうか?

たまたま、弊社の会長の知り合いの方から「こういうものもあるよ」と言って見せていただいたのが鹿沼組子でした。そして、これは鉄でもできるんじゃないの?ということを言っていただいたことがきっかけで実際にやってみることにしました。

コントリ編集部
コントリ編集部

maasaブランド躍進のためのヒントは意外と近くにあったのですね!

経営をされる上で大切にしている価値観について

コントリ編集部
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植木さんが経営をされる上で大切にしている価値観について教えていただけますでしょうか?

倫理法人会で学ぶことの中に「本を忘れず」ということがあります。この考え方をとても大切にしています。植木鋼材は62年前に私の祖父と叔父たちが4人で作った会社です。その歴史の中では兄弟の仲がうまくいかない時期もありました。でも、その方々のおかげで今がある。そう考えると本当に感謝の気持ちでいっぱいになります。

父は「積小為大」という考え方をとても大切にしてきました。コツコツと積み上げていくということですね。毎月20万円のお客様を1,000社、つまり月に2億円の売上をあげようというのが父の目標でした。実際にはその目標は達成できていないのですが、父が積み上げてきてくれたもののおかげで、新しい事業にもチャレンジできていると思っています。
そのような考えを私も引き継ぎ、コツコツとやっていくのが良いのかなと思っています。
あとは、植木鋼材は「真面目」で「正直」です。社員さん達も本当に真面目に働いてくれています。

コントリ編集部
コントリ編集部

「コツコツ」は本当に大切な考え方ですね!
実際に工場を回らせていただきましたが、お会いさせていただいた社員さんはみんな目がイキイキとしていました。

8月に入社したばかりの社員さんも本当に真面目にイキイキと働いてくれていますよ。

コントリ編集部
コントリ編集部

素晴らしいです!!

今後のビジョンについて

コントリ編集部
コントリ編集部

最後になりますが、今後のビジョンについて教えていただけますでしょうか?

一般の方にも「鉄」に触れていただきたいと思っていまして、そのために、いかにしてデザイナーさんと協力してやっていけるか?というのが今後の課題になってくると思っています。

現在は、鉄を切ったり塗装したりすることで製品を作っているのですが、今後はガラスや陶器など鉄以外の素材とのコラボレーションも実現させ、もっと自社の製品をPRしていければと思っております。

昨年、東京ビックサイトで行われた展示会に出展したのですが、その際に弊社の展示に対して学生さんにすごく興味を持っていただけました。これがきっかけで、私たちがやっていることは一般の方々にも興味を持ってもらえるものだと確信しました。
その中で、海外の方が需要があるのではないかというような話もいただき、色々な方々との繋がりのおかげで2024年の1月にパリの展示会に出展することが決まりました。

コントリ編集部
コントリ編集部

パリの展示会への出展はインパクトのあるトピックですね!!
ぜひ帰国されたらまたお話を聞かせていただければと思います。
デザインを強化するということが今後の御社のビジョン実現のためには必要かと思いますが、そのために何か考えていることはあるのでしょうか?

昨年、デザイン系の専門学校から2名の新卒デザイナーを採用しました。鋼材屋さんがデザイナーを採用するって珍しいですよね(笑)

デザイナーの存在は、今後の弊社のビジョンを実現する上ではとても重要です。どんどん新しいことにチャレンジして弊社の商品をもっとたくさんの方に知っていただけるようにしていきたいと思っております。

コントリ編集部
コントリ編集部

ありがとうございました!今後の御社のさらなる発展を非常に楽しみにしております!!

コントリ編集部からひとこと

植木鋼材株式会社の風景を描き出すこの記事は、植木さんの温かくも力強い経営者としての旅を優しく照らし出しています。幼稚園の先生の夢から家族の鋼材事業への道を選んだ彼女の物語は、家族の絆と起業家精神の美しい融合を示しています。

昭和37年の創業以来、植木鋼材株式会社は時代とともに成長し、その伝統と革新が自社ブランド「maasa」を通じて表現されています。このブランドは、植木さんの父、政行(まさゆき)さんの名を冠し、江戸時代の鹿沼組子の技術を現代に息づかせています。これは、植木さんの「鉄」への深い愛と尊敬が結実した形と言えるでしょう。

植木さんの経営の透明さと誠実さは、社員への信頼と新しい挑戦への恐れない姿勢から明らかであり、それは会社の未来に対する明るくも堅実な展望を提供しています。デザインに焦点を当てることで、植木鋼材株式会社はさらなる拡大と革新を目指し、その果敢な挑戦は多くの可能性を秘めています。

何よりも心温まるのは、植木さんが家族と共に歩んできた道と、その経験がどのように彼女の経営哲学に影響を与えているかを感じることができる点です。植木さんの話からは、家族の愛情と支持が如何に重要で、そしてそれが如何にしてビジネスの成功へと繋がっているのかを優しく学ぶことができます。

ギャラリー

植木 揚子 様 プロフィール

栃木県宇都宮市で生まれ育った後、大学を卒業して幼稚園教諭を務めた経験を持つ植木鋼材株式会社の3代目社長。柔軟な思考力と並外れた行動力で事業を急成長させる。父の教えである「積小為大」の精神を心に刻みながら、自社ブランドmaasaの立ち上げにも成功。2024年にはパリの展示会への出展を実現し、今後の活動にも注目が集まっている。

【会社概要】株式会社植木鋼材

設立昭和37年7月
資本金2,400万円
所在地栃木県宇都宮市川田町804
従業員数33人
事業内容一般鋼材、非鉄金属及び自社加工を主力とする鉄鋼販売業
URLコーポレートサイト
maasaブランドサイト

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