土地を愛し、人を愛する。全国の賃貸住宅を支える創業社長の足跡を辿る|ハートリビングサポート株式会社
私たちの生活に当たり前にある「家」、そしてガスや水道などのライフライン。これらの裏側を全国規模で支えているのが、今回ご紹介するハートリビングサポート株式会社です。同社代表の中川雅文様が、関西から全国へ営業所を拡大した道のりには、教科書的な営業技術とは一線を画す地道で誠実な日々が連なっていました。時代を見据え人と向き合い、会社や自身の在り方を今なお変革し続ける中川代表の想いに迫ります。
賃貸住宅事業の頼もしい裏方、ハートリビングサポートの事業
本日はよろしくお願いします。
早速ですが、御社の事業内容について教えてください。
賃貸住宅における住宅設備機器全般の取り替えやメンテナンスを主軸に、全国の管理会社様や賃貸オーナー様を対象とした事業を展開しています。自社のコールセンターで全国のサポートが可能なことや、住宅設備機器のリース事業を推進している点も、当社の特徴です。街の賃貸会社様にとっての「究極の黒子」として頼れる存在を目指しており、ありがたいことに多くの企業様からの信頼を得ることができています。
札幌から沖縄までの13拠点で、広域のお客様に同じ品質で対応できることが、当社の強みです。地域を問わず、同じ品質で対応できるように20年間やってきたということで、お付き合いの長い会社も増えてきました。
管理会社にとっての「黒子」。それは心強いですね。
賃貸の管理会社の方は、繁忙期は特に苦労されているお話を聞きます。
以前記事にしていただいた、弊社常務の池田が代表を務める株式会社Realizeの事業になりますが、特に入居前点検業務は管理会社様にとって最も手間のかかる仕事なのです。業界としてもアウトソーシングしていこうという動向があり、その流れにうまく乗れました。部屋の点検をきちっとすることで、入居後のクレームをなくすことは業界の命題です。しかし退去・入居は突然発生することもありますから、現状回復工事を急いで行うと、繁忙期には量も多すぎて細かいところまで行き届かないことも少なくありません。本来我々が90分前後かけて行う点検業務を、10分そこそこの目視で終わらせるしかない、なんてことも業界としてはありました。雑にやっているわけではなく、繁忙期には件数が多すぎて、「どうしても細部まで目が行き届かない」ということです。明らかな汚損ではなく、細かい水漏れなどは退去時にはかなり多いです。しかし、それに気付かず点検を終えてご案内してしまったら、入居者は当然怒りますよね。部屋を借りて、ワクワクして来られた気持ちも台無しです。
この現場のリソース不足を当社およびRealizeが解決できます。この点を多くの方に評価していただいています。入居者の気持ちに応えることはもちろん、管理会社の雇用や労務環境の安定にも寄与します。希望に満ちて入社された方が、入社直後の4~5月の閑散期のペースに慣れた頃に、怒涛の繁忙期がやってきます。土日の休みも取る余裕がなくエンドレスで業務がある上に、お客様からのクレームも増え、「こんなつもりではなかった」と辞めていってしまうケースが少なくないのです。彼ら彼女らには点検業務以外の仕事もたくさんあります。それなら点検は専門家に任せて、自分たちは本業に集中するというふうに分業できる方が良いですよね。弊社と提携する管理会社様からは「3月の繁忙期でも、休めました!」と喜ばれることがとても多いです。
人が生活をする限りなくならない仕事の、かゆいところに手が届く事業となったわけですね。
他にも、時代が求めるSDGsの中で、高効率給湯器など環境に配慮した商品のニーズが高まっているのも追い風となっています。国が185億円の補助金を出して給湯器などの賃貸住宅設備の更新を推進しています(賃貸集合給湯省エネ2024事業)。ここは当社の最も得意なところです。早速専門チームを作って、小難しい手続きのお手伝いも含めサポートできる体制を作っています。2024年の3月末から申請期間が始まりましたが、規制もいろいろあるため予算185億円のうち進捗がほとんどない状態です。
ここからのポテンシャルがかなりある分野ということですね。
ありますね。我々の支援体制も会議を重ねて、より良いものになってきました。こういった部分にも今後貢献できるかなと思います。
業界規模の課題は他にもあり、LPガスの業界などがそうです。賃貸住宅では、ガスの配管や給湯器、エアコン設備は無償提供という形の契約を長らくしてきました。ここに法律のメスが入り、今後は無償対応ができなくなります。もちろん元々発生していたコストではありますが、「これまで取っていなかった料金を取るようになる」という変化には、人は抵抗感があります。オーナーからしても売れにくくなりますし、ガス会社からいきなり「値上がりします」と言われても、もめるわけです。そこで、私たちに応援依頼が来ています。
応援依頼ですか。
どのようなご相談でしょうか。
法改正にあたり、「今すごく不安です」という相談をいただきます。「もめますよね?」と聞かれれば、当然もめます。そりゃそうです。これまでタダでやっていたものをいきなり支払ってくださいと伝えれば、当然反感を買います。
そこで、私たちが同行して説明させていただきます、とお伝えしています。こういうのは、当事者以外の第三者が行くのが良いと思っています。なにせ相手は法律です。どうしようもないことです。「法律で規制されました、申し訳ございません」と伝えれば終わります。。そしてそれをまず伝えた上で、急にお金を出せない場合には、例えばローンや、当社が提供する設備のリースなどを提案します。これは経費で処理もできるし、保守やメンテナンスもついてますよ、と。このような選択肢がありますが、いかがでしょうかとお伝えすれば、オーナーの方も溜飲が下がりやすいものです。
こういったケースは長い社会人生活で私も経験しています。まず、伝え方を統一してくださいと管理会社の方にアドバイスします。営業所の中で1番できるという方をチームリーダーに抜擢してもらい、私たちはその人たちと一緒に回ります。説得の難しそうなところには一緒に行きますとお伝えすると、とても安心していただけます。
人間誰しも、どれだけ文句を言いたくても、「大変なんですよ」と説明してくれる第三者がいたら、気勢が緩和するものです。これは私が60歳になって、最近勉強したことです。年の功ですね(笑)。
急な法律の変化とユーザーの板挟みになっている事業者の方にとって、誰より頼りになる存在ですね。
本当に、事業者の方にしてみれば困った話だと思いますよ。真面目にやっておられますから、法令は絶対ですし、でも風当たりが強くなるのは自分たちですからね。
私たちもリース事業をやり始めたときは同じような難しさにぶつかりました。ちゃんと法令に則ってやっているのに、20年前の当時は設備リースなんて誰もやっていませんでしたから、「聞いたこともない!怪しい奴らだ!」ってね。必死に説明してこれまでやってきました。結果未開拓のリース事業が専売特許になり、今でも武器になっています。そういった経験が、賃貸住宅だけではなく、こういうガス業界などにもお力添えできるものとなりました。
元々、ガス給湯器を専門に事業を始められたとのこと。
巡り巡ってさらに拡大されたのは素敵なご縁ですね。
ガスから始まり、お取引相手のニーズに応えながら展開してきました。設備機器の交換、そして賃貸のサポート。ついに、念願のエンドユーザーにまで事業が届き始めてきています。晩年は高齢者に向けた仕事をしたいとずっと思っていました。ようやく今、そうできそうな環境になってきました。
これからそちらに特化するために、現在の業務は徐々に役員たちに任せつつあります。一部の権限は2年前から専務と常務に委任しているので、私の決裁権は会社の中ではほとんどありません。ようやく時間ができてきましたね。
会社の発展と共に「自分と向き合った」熟成期
少しずつ業務を委任する中で、ご自身の心境面で変わってきたことはありますか。
家族をはじめ、人とじっくり関わる時間が取れるようになりました。
息子が高校1年になるのですが、中3の11月頃に不登校になってしまった時期がありました。彼なりに色々思うことがあったのでしょう。単身赴任続きだった私は、それまで中々長く腰を据えて話せる機会もなかったのですが、2月に会社の仕事をちょっと置いて、はじめて一緒に宮古島に旅行に行きました。2月なのに気温が30度近くあって、海に入れました。日焼けをして、バーベキューをして。お互い感じていたこと、悩んでいたことをそこで発散することができました。それから病院を探し、悩みをじっくり聞いてくれる素敵な先生にも巡り会うことができました。半年たった今、息子は別人のようにイキイキと過ごしています。
時間や成果に追われて自分も周りも追い込んでいたような日々でしたから、そこから解き放たれて、見えていなかったものに気づけるようになりました。
仕事の面でも、そのような気付きがあったのですね。
ええ。元々、会社も私も、どちらかというとパワハラ気質でした。自分自身営業をやってきていて、転勤族で、古い体質の「営業たるものは!」というような気持ちがあったんでしょうね。営業は転勤してなんぼだと思っていましたが、時代はもう変わりました。全国展開をしていく中で、会社のルールも変え、現在は本人の希望を基本に、原則として地元で働いてもらっています。転勤に関しては、希望されるときだけ手を挙げてくださいという方針に切り替えているところです。
制度を変えたのには何かきっかけがありますか。時代のニーズでしょうか。
それもありますし、やはり息子のことが大きかったです。自分も反省しました。もっと傍にいてあげたら変わっていたのにって、悔いるわけです。ちょうどその時に、社員のひとりが家庭の事情で相談をしてきて、お子さんが小さくて奥さんも大変な時期で話を聞いて。それなら辞めるのではなく、もう1回戻ってきてもらうことにしました。
妻にも言われました。「あなたは好きでやってるけど、社員さんは違う。社員のためにと言うけれど、そもそもはあなたの勝手をやっている。私が嫌だと話しても、あなたはずっと単身赴任でやっていた。それがわかっていて生まれ変わったら、絶対結婚しないよ。」ってね(笑)。娘は冗談だよとフォローしてくれていましたが、負担をかけていたのは事実でしょう。仕事を楽しく明るく元気で、自分を主役でやってねと社員にも言っていましたが、そうできていなかったのかもしれないと、最近では思っています。みんなについてきてもらっているのに、結局私が主役でやってしまっていたんだなと。自分がしゃしゃり出て、主役が社員の皆さんではなかった。「自分が悪かったな」と感じています。
失礼な言い方になるかもしれませんが、それを認めることに抵抗はなかったですか。
この歳になると、中々認められないものですね。プライドだってあります。でもそうではなく、認めた時に「すまんかったな」と言えば良いのです。実際、全社員の前で本当にそう伝えました。これからはしっかりとバックアップしつつ、皆さんが主役になってほしいと。並行して、評価制度や勤怠管理もきちんとデジタル化して導入し始めました。
先ほどの法令もそうですが、システムを変えることに難色を示す方も多いかと思いますが、その点いかがでしたか。
勤怠や仕事のやり方については、古参の社員にはあらかじめ根回しというか、意図をより詳しく個別に伝えました。元々は設備・リフォームのプロですから、ザ・職人という気質の方が多く、そういう方ほど「今更そんなところを変えなくてもいいのでは」と思われることもあります。穴だらけだった働き方の部分に、外部のアドバイザーの方にも入っていただき大変革の最中ですが、「皆さんのやってきたことの否定ではなく、単純に早く帰れた方がいいですよね」と、誤解のないように伝えるよう心がけています。一斉通知でドン!と聞いたら嫌だなと感じることでも、きちんと話せば皆さん理解してくださいます。
在宅勤務も推進しており、特に女性の働き方の選択肢が増えて良い方向に進んでいると思います。会社に入社してすぐの5月に妊娠がわかった従業員がいて、その方は「すみません」なんて言うのですが、何も悪いことなんてありません。在宅に切り替えて、体調や状況をみながら、できる範囲でこれだけやってね、という形にするのが本人も最も働きやすいでしょうし、会社としても助かります。極端な話、フレックスの9時半出社を予定していたけれど、子守りやバイオリズムの変化でどうしても起きれなくて11時出社になったなら、それでもいいじゃないですか。そこで申請しなおしてもらえれば、それで良いです。それなら働きやすいですよね。
Realize様の時にも、女性が働きやすい会社だということを強く感じました。
お子さんのいる方が働きやすい環境は、全ての人にとって働きやすい環境だと思います。
もうすぐ定年になる方もいるので、そういう方も基本は定時に帰れるよう進めています。自分がガンガンやるのではなくて、部下や若い人の育成に注力してほしいと伝えています。ベテランの皆さんにはノウハウがあります。だから仕事はさくっと進めて早く帰ってもらって、その分何かあったら若手の相談に乗ってもらう。そんなチームにできれば良いですね。実際に東京の創業メンバーにどうしたいか聞いてみると「今後も働きたいけれど、半分は在宅がいい」など希望が出てきます。それを「わかった、そうしよう」と個別に調整していきます。
そういったフレキシブルな働き方は、社内で一律のルールを敷いてるわけではなく、個別に対応しておれるのですか。
今は個別対応です。
一律にしてしまうと、その方の希望があっても結局会社側の規定に当てはめると希望が通らなくて何も変わらない、なんてことになってしまうかもしれません。
働き方改善に加え、ノウハウを伝承していくことも同時に進めておられるのですね。どちらも課題に感じている経営者の方は多いと思いますので、とても興味深いお話です。その柔軟性は、やはり社員の方との信頼関係で成り立っているのでしょうか。
そうですね。ありがたい縁です。元々、創業時はずっとそうやってました。 それが急に人が増えてくると、制度化する必要が出てきたり、個々に目が行き届きにくくなったりで、できなくなるわけです。それがまた戻ってきたような手応えです。
コロナ禍もあって、しばらくできていなかった慰安旅行も、去年から行けるようになってきました。全国の皆が一斉にというのは難しいので、10~20人程度の地域ごとに行っているのですが、そうなると私や専務や常務は毎週全国のどこかに行っていましたね。淡路島のロッジはもう3回も行っていて、常連です。行き先は若いスタッフに決めてもらっています。大所帯で行くとメンバーが固まりますし、ゆっくりは喋れないので、分散して実施しています。無礼講ではないですが、宴会をしているとだんだんみんな私に対して気安くなってくれます。そこでようやく何気ない話もできます。「誰々が頑張っているんですよ」といういい話も聞くことができました。
社長のお人柄を拝見していて、打ち解けていく様子がイメージできます。
インタビューの前に人が好きだという風におっしゃっていましたが、従業員の方も働きやすいだろうなと感じます。
自らの足で踏破した全国展開
営業所を全国に展開される中での、戦略やエピソードがあれば教えてください。
まずは、その土地で一緒にやろうと言ってくれる協力者を探すところからです。そのときに大切なことは、自分がその土地を好きになること。土地を好きになれば、絶対迎え入れてくれます。それだけです。失敗する人は、東京がいいとか大阪がいいとか、こんなところは嫌だって言う人です。言った瞬間にすべての可能性は終わります。初めはしっくりこないなという場所でも、どうやったら好きになれるかなと考えれば良いんです。
そのためにも、営業所を出す際は、その土地に「住む」ようにしていました。出張とは違って、住まないとわからないことがたくさんあります。
営業時代から、私は新規開拓が得意で好きでした。理由は簡単で、新規開拓は元々がゼロスタートゆえに怒られないからです。それに新しい事業で出会いに行けば、相手の社長にとっては私が第1番目の人間になります。1番目の人が、最も覚えられます。ちょっとずるいのですが、そういうやり方で、私は大体どこに行っても歓迎してもらえました。
方法としては、従業員に行かせる選択肢もあると思うのですが、それをやらずご自身で開拓されたのにはどのような理由がありますか。
私自身が営業マンだったので、誰かに行かせて失敗したら、その人のせいにしてしまうと思ったからです。そうなるとしんどいじゃないですか。私も前職時代に上司からあれこれ言われて嫌でしたからね。「しんどいところだけ下に任せてごちゃごちゃ言うなら、じゃあ自分で行けよ」と思っていたので、私は自分で行くようにしています。
うまくいったときだけ現場に出てくる上司なんて嫌でしょう。自分で行くなら、自分で結果に納得もできます。
結果的に今は人にも恵まれ、広島と札幌のエリアは専務に託しています。
専務が社長の開拓する姿をずっと見ておられたから、信頼して一任できるのですね。
確かに、彼は私を見て育っていると思います。すぐやる、という姿勢は受け継いでくれているようで、彼がいつも話のネタにします。「たまたま社長と行った飛び込み先で、『担当は本社の者です』と言われた時に、『それは誰ですか』って尋ねて、次の瞬間には電話をしてその日の夕方には本社まで行っていた」って。懐かしいエピソードです。関西進出時の必死でどうしようもない時には、アポが取れない方を3時間待ち伏せして、ばったり偶然を装って声をかけるなんてこともしていました。そこで話して、とりあえず見積もりを出してみろと言われてすぐに持っていき、そこから商談に繋がりました。
それから、他社のもめごとの気配を察したら、そこに絶対に行っていました。もめごとなんて、こちらからしたら大チャンスですからね。大手企業の担当のトップが変わったときもチャンスです。根本の方針やコンセプトはブレなくても、人が変わるということは絶対に「何か変えたい」と動くときですから、一番外からアプローチしやすいわけです。
そうして縁を作っていけば、いずれ何かあったときには必ず仕事を持ってきてくださいます。仕事がない時でも、絶対に繋がりは持っておかねばなりません。
地道で、しかし何より大切な努力であり、ノウハウですね。
記事にしてしまって大丈夫ですか?(笑)
全然いいですよ。技術もそうですが、私はノウハウなんていくらでも外に出していいと思っています。当社の従業員からも「社長、言いすぎですよ。マネされます」なんて言われますが、構いません。コピーは結局コピーで、絶対に大事なところが抜けます。流れは知っているからと同じことをやろうとしても、絶対に違う物になります。
提案ひとつとっても、実際に先陣切ってやってみて山ほどの失敗を積んでいるからできるわけです。「これはできません」ではなく、「本来はできないけれども、こういう方法ならできる」。それは経験値でしか語れません。「私たちはその経験値を持っているからできる。コピーされたところで、単純にマネできるものではない。」と話しています。
おっしゃる通りです。
表向きだけコピーしても、本質を理解できていなかったら同じ結果は出せませんからね。
それに、1社でやっていたら業界は滅びます。だからマネしてもらってよいのです。
どんな人も、これと決めていても他に移り気になることがありますよね。ここのラーメンが一番と思っていても、よその店の味見をしたくなる日もあるでしょう。そう考えた方が営業も楽です。私たちも「変えられる」と思ったらよいのです。何も悪くなくても、違う方に行きたくなるときもある。そんなとき、こっちが10%減っても別で20%アップしたら良いと考える方が苦しくありません。悩んで反省するのもいいけれど、楽しい方がもっといいです。1日悩んでも、明日は笑ってる方がいいのです。
社長がそういう風に言ってくれると、従業員さんもそこをストレスに感じずに済み、思いっきり働けますね。
営業自体は大変ですけどね。やった結果うまくいかないのは仕方ないですが、やっていないのはだめですから。でも今は、苦手な子に苦手なことをやれと言うのもやめるという次のステップに入っています。
あなたは何がやりたい?何が楽しい?と聞くようにしています。営業の中でも、新規は苦手だけどルートは得意という方もいます。私は新規の方が昨対などの細々したことを気にしなくて良いから好きですが、すでに繋がりがある人との話の方が得意だという方もいます。
従業員さんの特性や得意を活かす経営を進めておられるということですね。
ヒアリング以外に、何かマッチングのための仕組みはありますか。
仕組みよりも、行動を見ていたら一発でわかると思います。これはやるけど、これは気が重くて進まない。指摘すると謝るけれど、でもやらない。そうなったらもうその仕事が嫌いなんだな、やりたくないんだなと理解して変えてあげればいいじゃないですか。「なんでできないのか?」なんて問い詰めたところで、結局「それが嫌で苦手だから」なのです。絶対そうです。
そうなったときに、別に会社という組織なのですから、その仕事を誰がやったっていいじゃないですか。そこをうまく調整して、やりやすい環境を作ってあげたら、その人が少し楽になる。それで良いと思っています。おとなしい子もいるし、前にガンガン出る子もいます。一見後者が目立ちますが、それだけでどちらが良いかなんてわかりません。最近は特に、そのような部分をしっかり見ようと心がけています。
中川社長が従業員さんに徹底しておられる「オーダーメイドのコミュニケーション」、その方のポテンシャルを引き出して、その方が活躍していくこれからが見えてきました。
そういった取り組みや心がけの先に、今後描かれる、御社のビジョンを教えてください。
明確なのは、100億円企業になることです。これがまず1つ。中小企業として100億円を達成しつつ、福利厚生や待遇は上場企業並みにやりたいと展望しています。その過程でも、今のようにオープンにやっていきたいとも思っています。
そして、あくまで100億円というのは通過点で、その後は次の誰かがやってくれると信じています。社長が天井を決めると、それ以上に会社が大きくなることはありません。ですから、「今の私の目標」が100億円という話で、そこまではそんなにかからないと思います。数年でできる可能性があります。
現在グループでざっくりと60億円規模までは来ているので、ここから100億までの間は黒子に徹しようと考えています。途中でも触れましたが、自分が先陣切ってここまで来ましたが、後半戦は社員の皆さんを主役に走りたいです。
もちろん、社長として私の存在が必要な部分には出て行きますが、基本はみんなが主役で、「100億の企業に、自分たちが成し遂げたんだ」とみんなが思ってくれる未来が来たら幸せですね。
それから、私たちみたいな高齢者が後輩に食わしてもらうのではなく、私たちは私たちで自分の力でこれからも食っていけるように、そういう仕事づくりをしていくつもりです。ひとりでやってきたところから、次の時代にバトンタッチして、まだまだ当社は変わってくると思います。
その時にはもう自分は引退して沖縄にでも住んで、zoomでたまに顔を出して、みんな疲れたなら出張がてら沖縄に来いよ、と誘います。息抜きに来いよってね。そういう人生が理想です。
会社の未来もプライベートのこれからも、楽しみですね。本日はありがとうございました。
「これから住む良い物件候補を探している」と、全国を渡り歩いて縁を繋いでこられた社長ならではのユーモアあふれる『家探し』のエピソードも交えながら、朗らかに幕を閉じたインタビュー。今の成功も、泥臭い挑戦も、反省も、展望も、赤裸々に話してくださる中川社長のお人柄に、多くの人が共に歩まれた理由がひしと伝わってくる時間でした。
コントリ編集部からひとこと
中川社長のこれまでのお取り組みの中で、根底にあるのは“人との縁を大切にする”という価値観でした。
多くの人との出会いを大切にし、それらが今に繋がっていると語られていました。
特に印象深かったのは、中川社長が人とのコミュニケーションを通じてどのように信頼関係を築き、成功に繋がっていったかを具体的に語ってくださった点です。開拓のため全国各地、その土地にご自身がお住まいになったという実行力には大変驚かされました。
その理由を伺うと、事業の成功には人との繋がりが不可欠であること、その繋がりを大切にする姿勢が事業の拡大に大きく貢献していることが実感できるエピソードでした。中川社長の熱意と人間味あふれる人柄が、記事のお言葉から感じ取れるのではないでしょうか。
今後は社員に任せていきたい、と仰る中川社長。一歩引いた場所から、社員の方々を温かくサポートする様子が浮かびます。中川社長のお人柄を感じられ、なんてハートフルな会社なんだ、と思わせていただいたインタビューでした。この度はありがとうございました。
インタビュアー 小牧 秀美
ギャラリー
プロフィール
ハートリビングサポート株式会社
代表取締役
中川 雅文 氏
大学卒業後、株式会社パロマに入社し、神戸営業所責任者や新規開拓特販部を経て、2002年に独立しハートリビングサポートを設立。顧客の信頼を得るために自ら行動し、全国展開を推進。現在では全国12拠点を持ち、24時間365日のサポート体制を整備。真心をもって顧客や取引先と共に成長することを理念とし、特にクイックレスポンスを重視。趣味は「人と会うこと」と「旅行」。座右の銘は「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」。
会社概要
社名 | ハートリビングサポート株式会社 |
設立 | 2002年5月 |
資本金 | 1,000万円 |
所在地 | 東京都大田区南蒲田2-16-2 テクノポート大樹生命ビル1F |
従業員数 | 110人 |
事業内容 | 住宅設備機器の販売・施工 防犯機器の販売・施工 住宅設備機器リース取次業 ホームリメイク事業 |
HP | https://hls2002.jp |