株式会社真面目が心を尽くして創る「人生を変える1日」|株式会社真面目
映像制作会社として旗を上げた株式会社真面目は、今では映像を軸に多くの企業のイベントやセレモニーの場で、心に迫るコミュニケーションを創り出している唯一無二の会社へと大きく翼を広げました。同社代表である平川アズサ様の考える「心配り」とは何なのか。インタビューの中で紐解かれるその神髄は、経営者にも、自分の人生の中で今まさに迷いを持ちながら働くあなたにも、強く優しく響いてくることでしょう。
目次
株式会社真面目の事業とその変遷
まず、御社の事業内容について教えてください。
クリエイティブエージェンシーとして、映像を軸にしたクリエイティブ事業やコミュニケーション設計をメインに行っています。また、それらを起点に、企業のイベントブランディングも行っています。社員総会や年間アワードなどのインナーコミュニケーションに特化したイベントのプロデュースとディレクションなどを担っています。
もともとは映像制作の会社として起業されたとのこと。制作からディレクションのお仕事につながったきっかけを教えてください。
現在もお付き合いのあるクライアント様のチャレンジ精神に触発されたのことがきっかけです。5、6年前、そのクライアント様からは映像制作のみをご依頼いただいていました。
ある納品の際、ご担当の方が非常にお忙しそうだったため、お話を伺ったところ、「全体のディレクションをお願いしている企業からの連絡が遅く、なかなか対応してもらえない」というお話を聞きました。そこで、「映像の納品後に煩雑なやり取りやりとりがあるようなら、私たちからディレクション会社様に直接納品データをお渡しし、最終の映像チェックもしてもらいましょうか」とお手伝いを申し出ました。もちろんそこに費用はいただかなかったのですが、映像制作周辺に至るサポート体制についても、クライアント様には業務推進の点で非常に助かると感じていただいたようでした。
その結果、当時ただの映像制作会社だった私たちにクライアント様から、「映像制作だけでなく、来年のイベント全体のプロデュースに関する企画コンペがあるのだけれど、参加しますか?」とお声がけいただきました。
コンペ参加のオファーとはすごいですね。
実際に参加されたのですか。
お声がけいただいた際は、「いやいや、私たちは映像制作しか経験がなく、イベントは作ったことがありません。感嘆しながら見る側なので、難しいのでは?」と驚き萎縮しました。しかし、クライアント様からのせっかくのご提案だったこともあり、翌年のコンペに参加させていただくことにしました。
そこでなんと、私たちの企画提案が通るという驚きの結果になりました。イベント制作をメインとする企業が多数参加する中で、私たちが選ばれたのです。このコンペを機に、ディレクション事業がスタートしました。意図的に新事業を開拓したというよりも、いただいたチャンスを死に物狂いで掴み取った、というのが正直なところです。
困ってらっしゃる様子を見て、お客様の満足度を上げるために取り組んだことが、結果として実を結んだわけですね。
そうです。とはいえ、イベントに関わった経験はその時点では一切ありませんでしたので、経験や知見がない私たちはとにかく顧客目線でのプレゼンをしました。提示された課題が「年間のアワードイベントをプロデュースする」というテーマだったので、実際に自分たちが受賞者だった場合、どのように祝われたいかという視点に焦点を絞って考えました。
私たちの構想では、壇上に立つ方々は芸能人などではなく一般の方々ですので、あまり派手すぎる演出は不適切かもしれませんが、それでも華やかに祝われることは喜ばれるはずです。また、チーム単位での営業であれば、自組織から誰かが選ばれることはチーム全体にとっても喜ばしいことであると考えました。こうした視点から、参加者が「来年は自分もステージに立ちたい!」という気持ちになってもらえるようなイベントに重点を置きました。
その後、何年か一緒に仕事をしていく中で、当時採用してくださったクライアント様に「あの時はなぜ私たちを選んでいただいたのですか」と尋ねる機会がありました。すると、「他社はみんな無難な提案だったけれど、真面目さんだけは攻めの提案だった」と言っていただきました。情熱を持って攻めの提案をしたことが、その企業の社風にフィットしたのだと思います。お客様に喜んでいただけるか、お客様の視点に立っているかを重視した結果、映像制作を中心としたクリエイティブエージェンシーへと事業が拡大していきました。
過去のインタビューで「ソーシャルフレンドリー」という言葉を出されているのが印象に残っています。平川様は、とても「人」がお好きな方なのだろうなと感じました。
私もそう自認していました。ただ、厳密に言えば、「自分が関わることで、人が喜んだり驚いたり、人生が変わったりする瞬間を提供できること」が好きなのだろうと思います。若手メンバーからそのような言葉を言われたことをきっかけに、納得しました。
配信しておられる動画の中でも、ただ映像を作るのではなく、作った映像がどんな人の手にわたって、どんな思いで見て、その日の1日の気分が変わっていくのかといった「サービスの先」への想いを強く感じました。
平川様の深いホスピタリティの起源はどこにあるのでしょうか。
20代の頃、モデルとして活動していた経験から、自分という商品に対する価値観が形成されたように感じます。お金を支払ってくださる方には、提供する価値が支払った金額に見合うものでなければならないと考えていました。たとえば、1万円を支払って1万円分の価値しか提供できない場合、相手は「損をした」と感じるでしょう。その結果、次回以降の取引にも影響が出てしまう可能性があります。私は常に、支払われた金額以上の価値を提供することを心がけてきました。この姿勢が、後に習慣化されていったのだと思います。
ビジネスが成長するにつれて、取引金額も大きくなっていきます。たとえば、1,000万円の契約を獲得した場合、その金額に見合う成果物を提供しなければなりません。顧客が「1,000万円を支払ってこれだけしか提供されなかった」と感じれば、次回の取引には選んでもらえません。そのためには、契約上で明文化されていない細やかな心配りや、顧客に寄り添った進行方法など、付加価値を提供することが重要だと学びました。
23歳までモデルのお仕事をされ、その後女優業もしておられた平川様。20代は一般的にはまだまだモデルとして仕事をする選択もある年齢かと思いますが、キャリアチェンジされたのはなぜでしょう。
元々、背の高さをコンプレックスに感じていた私は、それを優位性に変えられると考えてモデルを始めました。岩手県出身で、学生時代から地元と東京を往復していましたが、都内の仕事で周りを見ると、細さや背の高さ、美しさにおいても、自分は勝てないと感じました。事務所に行くたびに「体重計に乗れ」と言われたことなど、ストレスも多く、楽しくありませんでした。撮影の際にどれだけ褒められても、虚しさを感じていき、潔く見切りをつけました。
もしその当時、別の事務所に所属していたら、違った経験をしたかもしれません。もし社風が「個性を大切にする」というものだったなら、モデルの仕事がもっと楽しかったと思います。しかし、当時は「赤文字系モデル(※好感度やモテを意識した女性らしいデザイン、シルエットのファッション着るモデルのこと)のように、とにかく痩せろ」という圧力が強かった事務所が多かったのも事実です。ただ、逆に別の事務所だったら、私が今いる真面目という会社には辿り着かなかったかもしれません。
20代に経験した挫折や葛藤が、今の環境に至った理由だと感じます。金銭的には20代も充実していましたし、華やかな職種でもありましたが、精神的な充足は今の方がよほど感じています。
周りから見る職種のイメージと、ご自身の中に抱えるものは乖離が大きいですよね。
その後、25歳で自主制作の映画を作られたことが、今のこの事業内容に繋がってこられたとうかがいました。
そうです。モデル業の傍ら、2年半をかけて脚本を書き、実際に制作するのに1年かかりました。周囲の協力を得て編集し、渋谷の単館映画館で上映するまで、その間は本当に充実した時間でした。まだ誰からも必要とされていない中で、生きている実感を強く感じる日々でした。積極的に人を巻き込んで300万円の出資を集め、機材を借りて、撮影時の食事などに充てました。その一つ一つの瞬間で、自分が自ら行動し、創造している姿を誇りに思いました。その積み重ねが、完成・納品したときに、これを生涯のビジネスにしていきたいという確信へとつながりました。
もちろん、今では守るべきものが増えたため、作ることにいろんな戸惑いや忖度、躊躇がうまれ、あの時のような熱量で動けるかは自信がないです。フェーズごとにできることは変わってきましたが、25歳のときに成し遂げたことが大きな後押しとなりました。同時に、そのときにできなかったことも明確になりました。私は編集ができないと気づき、制作会社に入社しました。女優やモデルのトップにはなれないかもしれませんが、このコンテンツの監督としてのトップにはなれるという手応えも感じました。
トップになれないことで落ち込むのではなく、抜きん出るためにどうすれば良いかと考えるというのが平川様の強さですね。
自分の立ち位置を客観的に見ることはできますが、社会や周囲との比較をせずに育ったかもしれません。田舎の学校で過ごし、小中学校から公立高校に進学し、高校受験も推薦入学で済ませました。その間、競争や争いとは無縁の生活でした。人生で初めて競争の場となったのはオーディションでした。
もし今、20代だったら、もっと悲観的になっていたかもしれません。現代の若者は、社会に出る前からSNSで他者と自分を比較せざるを得ない環境にあり、大変だと感じることでしょう。
駆け抜けた創業期と、新たな事業
制作会社に入社された後、起業までの経緯を教えてください。
30歳のときに起業しました。そのきっかけは、親友の女性経営者からの刺激でした。彼女は私より5年も早く起業しており、彼女の存在が私を突き動かしました。
忘れられない出来事があります。五反田の焼き鳥屋で、私は彼女に、「今の映像ディレクターの仕事は好きだけれど、社会貢献に繋がっていないし、継続することに限界を感じているんだ」と相談しました。彼女からの答えは一つだけでした。「あなたなら、会社をやった方がいい」と言われました。会社をどう立ち上げるかもわからないし、自分にそんな能力があるとも思っていなかったので、その言葉には驚きました。
すぐさま彼女は、「行政書士を紹介するから、24万円を支払って登記し、会社名を決め、実印を作れば、あっという間に会社ができる」と話しました。起業をすること自体が想定外だった私も、「それなら、私も自分でもできるのでは?」と思うようになりました。そして、特別な日に登記することを決め、父の誕生日である2月5日に会社を登記しました。
ものすごいスピード感ですね。
普通はもっと悩んだり、相談を重ねたり、万全を期して会社を作る方が多いのではないでしょうか。
そうですね。当時は、何も守るものも失うものもないという自由さから、恐れることはありませんでした。私の場合、時間をかけすぎるほうが実現できなかったでしょう。できないことや、やらなければならないことに囚われ、そのノイズのせいで足が止まったはずです。
「真面目」という会社名もインパクトがあります。
命名にはどのような経緯があったのでしょう。
日本語で、かつ、自分らしさが表現されている屋号がいいなと考えました。昔、当時付き合っていた彼に贈るためにマフラーを編んでいる私の写真をSNSに投稿したところ、普段のギャルっぽい私とは違うイメージに驚かれ、「いいね」がたくさんつきました。その経験から、「自分を表現しているけれど、ギャップもある」という言葉を探しました。ぴったりと感じたのが「真面目」でした。知り合いのクリエイティブディレクターにも好評をいただき、ためらうことなく「真面目」を選びました。
これで12年も経営していると、社名を説明するシーンがありますが、メンバーたちが苦労していますね(笑)。でも、「名は体を表す」と言いますし、言葉には力があります。そのため、真面目という会社名は、お客様が聞いたときに印象だけではなく、真面目に取り組んでくれると期待されるのです。
30歳で起業されて12年目。
10年を超えて、新たな事業展開などはありましたか。
10年だから何か新しいことをしようと考えていなかったのですが、10期目に、ちょうど娘が産まれたことで、社会への関わり方や自分の経済的な価値観を大きく見直すきっかけになりました。それが新規事業に繋がっているという形になっています。
正直に言うと、妊娠中から乳児期の2年間は、私の人生の中で暗黒の時代でした。これほど陽気でポジティブな私が暗黒期になるなんて、社会への大きな損失じゃないですか(笑)。
そして、妊娠した女性は、ホルモンバランスが変わり、起きたいのに動けない、眠りたいのに眠れない、寝ても寝ても眠い。体が思うように動かない方が多い印象です。その時に、働く女性が1日でも早く、心身ともに健康で戻ることができる社会を作らないと、社会損失が大きすぎると痛感しました。
その実感が繋がっていった、新しい事業はどのようなものだったのでしょう。
最終的な事業の形態は変わりましたが、産後ケア施設の拡充を模索しました。日本には産後ケアの文化がほとんどないのが現状です。お隣の韓国や中国では標準的なサポートですが、日本ではそのような施設が不足しています。そのため、私はそうした施設を設立したいと考えました。ちょうどコロナ禍の時期で、ホテルの空室率も社会問題化していました。この状況を受け、ホテルの空きスペースを活用して産後ケア施設を立ち上げることを検討しました。
企画書を3週間ほどでまとめ、以前から繋がりのあった宿泊業の社長に持ち込みました。その結果、「社内では出てこない素晴らしいプランだ」と評価されました。自信に繋がった私は、次は自らM&Aを進め、未利用のホテルをリノベーションし、病院と連携させるアイデアを進めました。
しかし、後にこの事業は「違った」と違和感に気付きました。日本産婦人科学会の方に相談した際、「とても良いアイデアだと思いますが、産後うつなどで思い詰めて亡くなる方たちの多くは、1泊5万円で10日間から1カ月間も滞在する施設は使えない印象です。そんな施設に入れる人たちは、そもそも十分な環境が金銭的にも周りにある人たちであって、平川さんが救いたいと思っている人たちにはこの事業は届かないですよ」と指摘されました。
その言葉を聞いて、頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けました。私はなんて安直に、やりたいことと社会課題を結び付けてしまっていたんだと気付いたのです。
そこで再び考え直し、産後ケアについては中長期的な目標として置いておき、利益を出す足がかりとしてホテル関連事業で何ができるかを検討しました。その時にちょうど娘が生まれ、インターナショナルスクールを探し始めました。すると、岩手県に日本初のハロウインターナショナルスクールができたことを知りました。調べると、年間学費が1000万円であり、高額を払って滞在したい富裕層がいるにも関わらず、現地には彼らを受け入れる宿泊施設が不足していました。そこで、富裕層が滞在するエリアでホテル事業を展開することを考え、2年前に新規事業の検証フェーズをスタートさせました。多くの試行錯誤を経て、つい先日の2024年春にチームが形成され、2026年の4月に事業を開始することを決定しました。
妊娠・出産を経験して女性は様々な考えを持つと思いますが、女性ならではの視点にとどまるのではなく、社会課題に繋げる意識や、それをすぐに企画書にして持っていく行動力がさすがです。産後ケアに限らず、日本は出産や子育てのサポートについては今なお遅れを取っていますが、引き続き問題意識はお持ちと言うことでしょうか。
はい。日本産婦人科学会ですら、男性社会です。今では国が不妊治療に多少の助成をしていますが、これも所得制限があります。所得に余裕のない方を支えることはもちろん大切ですが、所得に余裕がある女性の方が子供を持たない傾向もあります。そこに所得制限をかけてどうするんだ、という声も聞きます。
社会が変化するには時間がかかるかもしれませんが、ただ変えられないことを嘆くよりも、自分たちで変えられる範囲で少しずつ変えていければいいなと思っています。
日本は産後すぐに働かねばならなかったりと、どうしても「その子の可能性を広げること」にまで時間とお金が回らないケースが増えている印象です。しかし、少子化で子供が少ない中で、より良い人材を育成していかないと、日本の未来はありません。産後ケアを所得関係なく誰もが受けられて、お母さんのメンタルが安定した状態でより良い形で子育てをできるベースが社会に必要です。
子育てに関する当事者の意識は時代を経てだいぶ変わってきました。
転換の時期に入ってきたということですね。
昔とは違う時代だからこそ、楽しみにも思いますね。共働きが当たり前の世界になってきていますし、働くお母さんのかっこいい姿を子どもに見せることもできます。
私も、連れて行ける現場には全て子どもを連れて行きます。抱っこ紐の中にいる頃からです。今は3歳で会話もできるので、イベントの前日などはノベルティを並べるお手伝いもしてくれます。本当に丁寧で、「赤と青は交互だよ」と伝えると「わかった」と元気に返事をしてその通りに準備してくれます。社員が間違えているのを「ここは赤だよ」と指摘していることまであります。制作の子は制作というか、血筋を感じますね。イベント後の撤収作業でも、ごみ袋を持って回収するのが楽しいようで、お手伝いに走りまわっています。シッターさんと児童館に行くだけでは体験できないものが現場にはあります。
小さいながら自主性がありますし、人の役に立っている・お母さんの役に立っているという自尊心の成長、ここにいる人たちと一緒に何かやってるという帰属意識は、3歳の子はなかなか学ぶ機会すらありません。
先日は、新事業のための土地を買い付けに行く商談にも、同席していました。「大人と話すから、1時間静かにしてなきゃいけないよ」と伝えても「静かにできる」と言って隣に座っているんです。実際、土地の購入者と話をしている間、たまに携帯を見ながらですが45分しっかり黙って座っていました。
一般的に、育児支援では育児休暇を取って親が子と家にいられるようにするということにフォーカスする企業が多いですが、だんだん時代も変わってきています。子供を会社に連れていき、幼い頃から現場・世界を見させることも素敵だと思います。
人のためを思う、真っすぐな視線を追って
社員が生き生き楽しく働くために心がけていらっしゃることは何ですか。
私は会社で働いた経験が1年しかないので、他の職場と比較することはできませんが、自己開示は積極的に行っています。風通しの良さは文化として根付いており、週2回開催される「真面目食堂」という名の食事会では、全員で食事をしながら仕事の進捗や日常の雑談を楽しんでいます。
まるで昭和の家族経営のような職場ですね。相談しやすい環境も整っています。ただ、従業員の数が増え、キャリア採用も増えてくると、線引きが必要な部分が増えてきました。以前は個々の判断で進めていたこともありましたが、人数が増えるとそれがストレスの原因になることもあります。今は改めてルールの見直しを行う時期だと感じています。
しかし、企業を硬直させるわけではありません。柔軟性を保ちつつ、必要な部分は適宜調整していこうと考えています。
次の20年目、30年目を見据えて、計画しておられることはありますか。
3つあります。自分たちが誇りを持てるブランドを築くこと。転職が一般的になり、どこでも働ける時代においても、自らがこの会社で働きたいと思う人々を増やしていくこと。そして、私たちが社会から必要とされる会社であり続けること。これらが私たちの目標です。
今はまだ小さな旗ですが、大きな旗になると信じて共に歩んでくれる仲間を最高に幸せにしたいです。
社員の子供が入社したくなる会社作り、という風にも過去のインタビューでおっしゃっておられました。
素敵な視点ですね。
弊社のスタッフはまだ20代が多いので、中長期的な話です。私が考える「我が子を入れたい会社」とは、「自分の家族に誇れる会社」であることを意味します。私の妹もフルリモートで働いてくれていますし、新卒で入社した女性のお母さんもパートとしてSNSの採用支援を手伝っています。こうした取り組みを通じて、「私の子どもも入れたい」という声が届く会社でありたいと考えています。
ワクワクしますね。何世代も繋がる、いろんな人と一緒にワンチームでやっていく絆の強い組織として拡大していく様子が浮かびました。
社内SNSには、社員の家族も参加できるようになっています。地方に住む家族が、自分の子供がどんな仕事をしているのかをリアルタイムで見ることはなかなか難しいものです。地元に帰省した際に話を聞くだけでなく、生の現場をSNSのタイムラインで見ることができるのは、これほどの親孝行はないと思います。社内SNSにお一人招待するのに月額1,000円程度かかっても、私にとっては小さな社会貢献であり、親孝行の一形態です。自分が育てた大切な子供が社会で必要とされていることを知ることは、お金を送る以上に親にとって価値のあることだと思うんです。1日だけの授業参観のような形ではなく、日常の様子を長期間見続けることができるのは、弊社だけかもしれません。
聞いたことがありませんね。クライアント相手のお仕事におかれてもそうですが、社員のバックグラウンドまで俯瞰して見ておられるからこそ浮かぶアイデアだと思います。
そんな御社の社風の中で、採用において重視しておられる点はありますか。
「陽気であること」は大切だと思っています。「陽キャであること」ではありませんよ。ここまでポップに話しましたが、実際の業務は非常に厳しく、泥臭くて細かいものです。発注や調査、企画や編集、そして撮影など、陽気にやらないと乗り越えられない難しさがあると思います。そういった状況でネガティブなメンバーがいると、その雰囲気に巻き込まれてしまうことがありますよね。逆に、陽気な人がいれば、その人の明るさに助けられて、前向きな気持ちになれます。この点は、採用の基準としてはスキルマッチよりもカルチャーマッチを重視しています。
自分自身がまだ会社を立ち上げたばかりの3~4年目に、プライベートでの不安定さを抱えたまま出社したことがありました。その時に、周りに悪い雰囲気を与えてしまったことを反省しました。だから何があっても、会社のメンバーには影響を与えないようにすることは大切にしています。共鳴するというか、雰囲気は誰にでも伝わっていくものですから、自分の状況を把握し、コントロールし、他者を萎縮させないようにすることが重要です。それが心配りだと思います。そうした意識を常に持っていることは、大切なことですね。
最後に、この記事を見る方に向けたメッセージをお願いします。
経営者の方々に向けては、表面的な視点ではなく、より深いレベルで「女性の働きやすさ」を考えることを願っています。具体的な施策例として、子供が生まれたときの出産インセンティブを単なる給与に追加で振り込むだけでなく、里帰りの交通費としてお渡しするなんて素敵ですよね。会社が何を考えて自分に払ってくれたかが伝わることが重要だと考えています。気持ちが伝わる支援であれば、金額の大小に関わらず、人々の心は変わるでしょう。私は社員たちにこの価値観を伝えていますし、共感いただける企業が増えることを願っています。私はコンサル業を行うつもりはありませんが、性別を問わず、ここで働くことを誇りに思える企業を作るために、私にできることがあればお手伝いしたいと考えています。いくらでも相談に乗ります。
それから、転職や就職を検討している方々には、オンラインでは得られない情報をどれだけ収集できるかが、人生をより豊かにする上で重要だと伝えたいです。企業の本社を実際に訪れたり、そこで働いている人と交流したり、自分の目で見て手で触れた一次情報に基づいて判断できるようになると、企業と人のミスマッチが減るはずです。
確かに、入社式の場も御社でディレクションされておられますから、就職する方や会社の様子はどこよりも多く見ておられますね。
組織のエンゲージメント向上に取り組んでいますが、その鍵は入社の段階にあると考えています。新入社員がこの会社に入ってよかったと感じることが、組織のエンゲージメントを高める最初の一歩だと思います。私たちはその過程をサポートし、1年かけて100社の背中を押して、組織活性の第一人者の会社でありたいという目標も掲げています。先ほど述べた3つの目標の一環でもありますが、転職が容易でどこでも働ける時代において、自らの意志でこの会社で働きたいと思う人を増やすこともここに繋がっていますね。
なるほど。その視点が、一般的なプロデュース会社と御社との違いなのかもしれません。イベントの形を作るのではなく、イベントを通して参加する人の人生をより良く変える、ということですね。
はい!私たちは、人の人生を変えるような1日を作るために費用をいただいています。
イベントで優れた人たちを表彰するだけでも、その場にいる誰かの人生を変える可能性があります。入社式や内定式など、よりワクワクさせられる機会はたくさんありますし、まだまだ変えることができる場所があると感じています。
また、セレモニーは、人の気持ちにスイッチを入れる場所です。たとえば、お葬式。きちんと誠実に行えば、亡くなった方を思ってずっと苦しむのではなく、心の整理がつきます。映像の仕事もこれからもやりたいので、ペットのセレモニー事業もやりたいですね。天国に旅立ったペットの映像にナレーションをつけて飼い主さんに届ける。それを見ることで、ペットロスのような悲しみではなく、笑顔で日々を思い出せるような心の変化を作っていきたいです。
当社には、心のあるメンバーしかいません。仲間と共に、”この1本で誰かの人生を変えていく。”というミッションを掲げ、これからも事業を拡大し、社会に貢献していきます。
ありがとうございました。様々な事業の構想はもちろん、そこに一貫する目の前の人を思う熱量が、御社の、そして平川様の何よりの魅力で、そこに魅かれる方達の気持ちがよくわかりました。時代や働き方が変わってもそこに人がいる限り、心の繋がりは不可欠です。御社がこれから生み出していかれるものを、心より楽しみにしています。
コントリ編集部からひとこと
今回のインタビューを行うに際し、事前情報として平川社長が「元モデル」であることを聞いていたため、普段モデルさんとは接点がない私(代表の飯塚)は自然と緊張していました。しかし、実際にお会いしてお話を伺うと、そのイメージは一瞬で払拭されました。平川社長はとても明るく気さくな方で、仕事のことはもちろん、プライベートなことまで包み隠さずお話しくださいました。
さらに、株式会社真面目で働くスタッフの皆さんとも少し話す機会がありましたが、皆さん本当に良い雰囲気でイキイキと働かれていました。まさに「ファミリー」という言葉がぴったりで、この雰囲気の良さとチームワークの素晴らしさは、平川社長が作り出しているのだと強く感じました。
今回のインタビューを通して、「誰と働くか?」の重要性を改めて教えていただいた気がします。ここで働くスタッフの皆さんは、本当に幸せだと思います。今後も、より魅力的な映像はもちろん、素晴らしいイベントなどをどんどん世の中に発信していっていただけたらと思います。これからの展開を楽しみにしています!
コントリ株式会社
代表取締役
飯塚昭博
ギャラリー
プロフィール
株式会社真面目
代表取締役社長
平川 アズサ 氏
1982年4月19日生まれ、岩手県盛岡市出身。外国語学系を卒業後、23歳までモデルの仕事をする。フジテレビ系ドラマ「アテンションプリーズ」にも出演。その中で「カワイイ」「キレイ」と言われることに違和感を持つ。ある撮影の際、私の前で真剣な表情でモニターをチェックしているクリエーターの方たちを見て、「こんなにかっこいい人になりたい」と思う。
この経験をきっかけに、25歳で自主制作映画「向日葵〜君に焦がれる物語〜」を制作。26歳の時に映像制作会社に入社。その後、「ただ作るのではなく自分の持っているものすべてを出して社会貢献をしたい」という思いから、30歳で株式会社真面目を立ち上げる。人脈も交友関係も広くない私が起業しても、1か月の仕事はゼロ。小さい仕事でも一生懸命こなしていくうちに、今では10年目を迎える。2024年には11周年を迎える。プライベートでは1児の母。
座右の銘は「ライフイズコンテンツ」。趣味は長距離ドライブ。特技は即寝。
【会社概要】株式会社真面目
設立 | 2013年2月 |
資本金 | 300万円 |
所在地 | 東京都渋谷区神南1丁目14-7 ワイズ神南ビル2階 |
従業員数 | 15人 |
事業内容 | 映像を基軸に、新たな体験を創出するクリエイティブエージェンシー 企画・コンセプト立案・制作プロデュース・演出・デザインまで、 プロジェクトに合わせてチームを有機的に構成し対応。 広告映像からアーティスト案件まで、オーダーメイドなコミュニケーションを提案 |
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