一人一人の自由をみつける、オーダーメイド電動車いす|株式会社コボリン

自分の体や生活にフィットしたものを身にまとう。私たちは快適な暮らしを求める中でそういった経験をしたことがあるはずです。服、靴、家具、学生時代の部活道具…。身長や体型、必要とする機能にあわせて選び調整したオリジナルのアイテムは心を前向きにし、日々を自由に過ごす支えとなったことでしょう。

株式会社コボリンが作る電動車いすも同じです。身体に不自由があり自力での移動が困難な方にとって、実現したい自由に連れて行ってくれる車いすの「理想」はひとりひとり異なります。技術のためではない、「ひと」のための物作りについて、同社代表の浅見一志様にお話をうかがいました。

株式会社コボリンの事業について

コントリ編集部
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はじめに、事業を始めようと思ったきっかけを教えてください。

元々アルバイトでヘルパーをしており、そこから車いす屋に会社員として勤務、その後独立という流れで今に至ります。

ヘルパー時代は、まだ厳密なヘルパーの制度も整っておらず、ボランティアのような形で身体に障がいを抱える人の生活サポートをしていました。自分の中で、普通に生活していたら出会わないいろいろな人に出会いたいというキャンペーンを当時していて、保育園でスタッフをしたり、日雇いのアルバイトに登録してあちこちで働いたりしていました。その中で、それまで障がいのある方にも関わったことがないなと考え、ヘルパー職にも携わりました。その際に電動車いすに乗った方と過ごしたのが、車いすとの出会いですね。

その後、障害者自立生活センターでもアルバイトをしていたのですが、バイクが好きで設計しているんですと話した私に、そこの代表からそれなら車いす屋になりなさいと紹介されたのが独立前の工房です。そこで6~7年働いたのですが、ある利用者さんのお父様と話す機会があり、それが障がい者福祉関連業界に明るい方で、「あなたの仕事は世の中で一番大切な仕事のひとつです」と言ってくださったんです。そういう風に言ってくれる方がいるならこの仕事を続けようと、そのときに思いました。

事業所と実際にサポートする方のお宅の距離が離れていてロスタイムが大きかったため、支える方のより近くで働けるようにしようと独立を決意しました。

コントリ編集部
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大変なお仕事だと拝察しますが、辞めずに続けていこうというモチベーションになっていることや、大事にしておられる想いはなんでしょうか。

この仕事は決まった製品を作って渡して終わり、というものではなく、いろいろなお客様がいてそれぞれのニーズに合わせた多様な納品があります。人生が変わったと、心から感謝してくれる方もいます。

大それたことをやっているわけではありません。私自身は勉強もろくにしてきていませんし、人によっては大物になって社会制度を変えたり、学者になって新しい技術を生んだりというやり方もあるでしょうが、私のような人間には「目の前の人に役立つ」というのが一番ぴったりきます。

「自由」の形を探すオーダーメイド設計

コントリ編集部
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車いすを制作されるにあたり、利用者本人の想いを聞き出してそれを形にしている浅見さん。
本人の想いを聞き出すために、どのような工夫をしておられますか。

無理やり引き出せるものではないですし、一番難しい部分です。

今ちょうど関わっている女の子は未成年なのですが、親御さんは車体のイメージができているけれど、本人が「そんな大げさなものに乗りたくない」と言っています。ですので、私たちは「本人が乗りたくないものは作れないですよ」と親御さんに伝えています。本人が望んでいなければ、たとえ120%のクオリティのものを作ったとしても納品を受け入れてもらえません。逆に、信頼関係が築けていて乗りたいと思ってもらえていたら、技術的には完璧な仕上がりでない場合でもしっくりきていただけます。

「引き出す」といったエデュケーショナルな立場ではなく、私たちは事実を伝えているだけです。たとえば、車いすになるとこんなことができない、これをしちゃいけない…と思い込んでいる方が多いのですが、そんなことないですよ、こういう風にすることができますよと可能性を一緒に探す感じですね。

コントリ編集部
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なるほど。話している中で少しずつみつけていくんですね。

そうです。時間をかけて話していると、実はだれだれのコンサートに行きたい…とぽろっと漏らしてくれる。じゃあ、それに向けてその会場に行ける車いすをつくろう!と動き出す。

一般的には、あなたの体はこういう状態だからこういう車いすが必要ですね、という先生のような立場になることが多いでしょう。私は、どの瞬間に一番幸せを感じるのかということを話しながら、目の前のこの人に必要なものが何かを探っていくのが面白いところだと感じています。

コントリ編集部
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確かに、医療的には体の状態のことから考えがちですね。

もちろん医療・社会システムはそうなっています。その上で、その前段として、誰とどこに行きたいんだという想いを一緒に探して、たとえばフジロックにいきたい!という想いから、それならオフロードを走れる車いすがいいね、と話す。そうして初めて、利用者の方も前向きに楽しんで自分の車いすと向き合えます。補装具は法律上は体の一部ですが、同時に心の一部です。使う方の想いやニーズをしっかり見極めて向かわなければならないのが難しいところです。

コントリ編集部
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一人一人のエピソードがあって作られる車いす。
コボリンの車いすが個性豊かな理由がわかりました。

同業者が見たらなんでこんな形にしたんだ?と思われるようなものも作りましたよ。

車いすにリクライニング機能を付けるときは、倒れてしまわないように車軸を後ろに持って行く必要があります。そうすると、体を起こしたときも車輪の位置が変わるため自分では漕げないのが普通です。でも、ある子は自分はいつか障がいが治って、自分でハンドリングの輪っかを漕ぐんだ!と強く想ってくれている。だから、リクライニングと手動ハンドル付きの車いすを作りました。構造的には矛盾していたとしても、そこにハンドルがあることが本人の希望になる理想の形なら、その車いすを作ります。

そうやって想いを形にしながら、作り上げていくのですが、難病の人などはそもそも自分と同じ症状の人と出会える確率も少なく、誰かと気持ちが分かち合えないため、どうしたいという希望がなかなか出てこないこともあります。筋肉が生まれたときからずっと弱っていく病気や、体が骨化していく方。いろいろな障がいの種類に加え、生まれついた性格や成長段階での二次障がい、それに資金が使える人か否かといった違いもあります。同じ仕事は2つとないので、毎回毎回終わりがなく悩みます。だから飽きないし、辞められませんね。

コントリ編集部
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浅見さんとお話しする中で、自分の考えが整理されていく方もおられるのでは。

そういう力にもなれたらとは思っています。

何年か前に、障がいが発症したばかりで、これからどうしていこうと悩んでおられる方がいました。私は、「困っていることややりたいことをどんどんと周りに言ってください。いつか助けてくれる人と出会います」と、無責任ですがお伝えしました。そうしたら、実際その方はそういう風に行動してみてうまくいったと後日お礼の声をくださいました。

人間って捨てたものではなくて、手伝ってくれる人もいれば、自分では解決できなくても人を繋げて助けてくれる誰かがいる。人を巻き込む勇気が、重い障がいを持っても豊かに暮らすポイント。断られてもめげないで次にアタックすればいいですしね。頼ることって誰にとっても大事だと思います。

コントリ編集部
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打ち合わせは利用者さんのお宅に伺うのではなく、コボリンに来てもらう形とのこと。
珍しいやり方ではないですか?

打ち合わせで生地はこれに、ノブの重さはこのぐらい、全部採寸して…としても、試作して持って行くと「ここはもっとこうして」となることが多いんです。そこから持って帰ってきてまた直してと効率悪く繰り返すよりも、ここに来てもらって相談して、隣の部屋で溶接して、もっと低くしてほしいと言われればすぐ直せるというやりとりの方が良いですよね。

それに、作る過程で楽しめる仕掛けというか、来てもらえば内勤のスタッフとも話せますし、利用者さん同士で話せたり、イベントに参加できたり。交流の場にもなっています。そういうこともしたくて、車いすトイレとリフト、ベッドが用意できる場所に移転してきました。

コボリンの車いすには共通のシールを貼っているので、ユーザーさん同士がそれを見て話しかけて仲良くなった例もありますし、コアなアーティストのファンの方がおられて、ライブ現場でいつも会うんですといった話も聞きます。イベントもですが、コミュニティは大事だなと思っています。

コントリ編集部
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イベントはどんなものを実施しておられますか。

車いすのメーカーさんを呼んで試乗会をしました。多くの試乗会では屋内の平らなフロアで体験するんですが、それだと凹凸もないし、リアルな使用感はわかりません。だから、道路でやれる方が価値があるとお客さんは言ってくれています。

来年は近所の小学校でやる一般の子ども向けのお祭りで、コースを作って小学生たちに電動車いすで走ってもらうイベントを企画しています。そこで、アクティブでトークが得意なユーザーさんに話にきてもらいます。子どもたちは障がいのある人と話したことがない子がほとんどですが、そうやって触れたことがあると障がいを持った人たちが「知らない人」から「話したことがある人」になりますよね。

子供のうちに接点をつくっておけば、街で困っている人をみかけたときに、どうやって声をかけたらいいのか勇気が出るはず。そう思えば私たちのイベントひとつひとつにも意味があって…自己満足と言えばそうなのですが、費用対効果だけを追い求めるのではない、今のところ私たちにしかできない取り組みになっていると思っています。

コントリ編集部
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車いすのことをSNSでたくさん発信されてるのも、そういった繋がりを作るためでしょうか。

日本のどこにいる人にでも「こんな車いすがあるんだ」と知ってもらいたかったのがスタートです。

東京では高額で多機能な車いすが必要な方に支給されやすいのですが、他府県ではそうならないなど、国内で対応がばらばらだったんです。法律なので地域格差を出してはいけないのですが、実際そうなっていました。

だから、東京で支給された福祉機器の事例をたくさん出していけば、こういうのにも乗れるんだ、どうやって乗ったらいいんだろう、と考えるきっかけになるかなと思いました。メーカーと違って車いす屋はあまり表に出ない仕事ですが、あえて積極的に情報発信をしています。ユーザーさんからも反応をいただきますし、こうした取材にも繋がっていますね。

車いす製造の技術

コントリ編集部
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製作の技術はどのように学ぶのでしょうか。決まった型がない事業ですよね。

広く浅くなんでもできる必要があります。木も金属も加工する、縫製もするし、制度の仕組みを理解して見積もりを書くことも、障がいの理解や基礎運動学など体のことを理解することも必要です。全てをマスターして習熟するというのはとてつもない時間がかかると思います。

今はある程度分業していて、縫製だけの担当スタッフもいます。全てできる者となると、私も含めてまだまだです。起業して3年ぐらいは自分1人でやっていましたのでやってできないことはないですが、たとえば縫製だけなら、今専門でやっているスタッフの方がずっとうまいです。

コントリ編集部
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開発はすべて自社で行っているのですか。

大半は自社でやっていますし、やろうと思えば自社内で全部やれますが、スピードを出すためにも外注しています。それに、今はネットで難しい部品を早く安くオーダーできるようになっています。

3Dプリンターはもう7年前には導入していました。我々がやっているのは大量生産ではないので、金型をいちいち作るのではなく、複雑な形を作るなら3Dプリンターが活躍します。

コントリ編集部
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冒頭、バイクの設計をしていたというお話に触れましたが、物作りには元々興味があったんですね。

目覚めたのはそれこそ幼稚園時代。小学2年生の頃にはかまぼこ板にモーターをつけて車にしていました。時代的に、ラジオやブラウン管テレビなんかが街中に捨てられていて、それを分解して遊んだりもしていました。中のスピーカーについている強力な磁石が欲しかったんです。近所の工場裏のごみ置き場からも試作品の残骸をこっそり持って帰ってきてはしょっちゅう分解していました。

その後は高校で溶接の免許を取ったり、専門学校で学んだり。車いすの設計については、ほぼ素人の状態から前職で学びました。

コントリ編集部
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会社を始めた当時、現在の姿はイメージしていましたか?

起業して5年目くらいに作った事業計画書は、手探りながら5年後にぴったり一致しました。車いすのリフトを準備して、接客用の部屋を作って、というのも元々の目標にしていたのですがそれを達成して、今は続くビジョンを模索中です。

会社理念を「もっと自由に、自分らしい生活を。」と変えたので、より自由を追求していきたいです。自由というのは、こうしたいと思ったときにできない不自由があるから、その対岸に存在するもの。移動の自由と姿勢の自由を提供していくこと、そしてそのために必要な制度が作られるように持って行くのが目標です。

コントリ編集部
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制度とはどういったものでしょうか。

今は車いすに乗るルールに「自分で交通ルールを守れる人」という基準があります。だから、信号のルールがわからない方はそもそも車いすに乗るという選択ができません。ですが、たとえば知的障害があり交通ルールを理解できない人がいて、その人たちは不自由な選択しかできないのに、2〜3歳の子供だって親の監督・責任の元で道を歩くじゃないですか。

どんなに障がいが重くても、自分が行きたいところに行くことは権利ですし、自分で動くことが発達に繋がり知覚情報も増える情操教育になります。今はそれが制度上認められていないので、その辺りは解決していきたいです。単独で業界を変えてはいけなくても、自分の周りの人を変えていければ、どこかでオセロゲームのように盤面が変わる瞬間はくると思っています。

今後のビジョン

コントリ編集部
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オーダーメイドのほか、レンタル業務も開始されたそうですね。

はい、介護保険の指定事業者になり、レンタルも始めました。オーダーメイドで作るのと既製品を貸し出すというのは全然違うのでこれまではやっていませんでしたが、特定疾病の方は介護保険じゃないと車いすに乗れないという制度の隙間があり、そもそも電動のレンタルが少なかったため、2023年からスタートしました。

お客さんの層も全く違いますし、これまでうちが強みにしていた改造・製造という部分ではないところで勝負しなくてはならないのが難しく楽しいですね。ゆくゆくはうちが作っているオリジナルの車体を介護保険対象機種として登録するのが直近の目標です。

コントリ編集部
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今後、車いすにはどんな新しい未来があるのでしょう。

一般的な電動車いすはスイッチのリモコンでベッドを動かすもので、その第2段階がスイッチの数を減らして軽い力で押せるようにするなどの工夫がされているもの。次の段階がスイッチは1つだけで押し方の変化で動かせるようなものです。スイッチを眉間につけて表情で動かすとか、小さな光に触れる触れないで動かす仕組みなどですね。

さらに次の段階として、現在視線での入力で操作できる車いすも開発済みです。これは目が開いて眼球を動かせる人が対象になりますので、その先に脳波や筋電を検知して動かすものや、表情を読み取って姿勢を変えるようなものが物理的には可能でしょう。話せなくても、具体的な意思判断ができなくても、表情が豊かな方もいます。しんどそうな表情を読み取って活動的な姿勢から安楽の姿勢に切り替える、そんな車いすも実現可能ですね。私自身に要素技術があるわけではないのですが、優秀な人たちの持っている技術や考えたことを繋げていくのはうまいのかなと思っています。技術があるとどうしても技術を完成させることに偏ってしまいがちですが、うちにそういった技術がありすぎないからこそ、真にその人に必要なものを繋ぎ合わせることに注力できるんだと思います。

コントリ編集部
コントリ編集部

普段生活していると知らない世界のお話しをたくさん聞かせていただきました。

車いすは設計から納品まで全て自分でやれる特殊な分野です。たとえば家だと設計者には利用者からの感謝の声もクレームも届かずそれらは全て不動産屋に行きますが、そのフィードバックがダイレクトにくる近さが車いす作りの醍醐味だなと思います。障がいのある方にとっては日常的に使う、「着替えのできない毎日着る服」のようなものですから、そういうものを任せていただいているということを大切にしていきたいですね。

コントリ編集部からひとこと

「ものづくりにはドラマがある」
浅見社長の話をうかがっているとこんな言葉が思い浮かんできます。製作されている車いす一台一台にそれぞれのドラマがあり、唯一無二の価値がある。浅見社長と出会ったことで人生が変わった人がどれだけいるだろうか?そう考えると、株式会社コボリンの事業の価値というものは計り知れません。ただ、国の仕組みがまだ完全ではないがゆえに必要な方に電動車いすを届けることができていないことも知りました。この状況を変えるためには、たくさんの人が声を上げることだと思っています。コントリも微力ながらも声を上げていきたいと思います。
この度は、大変貴重なお話をお聞かせいただき、本当にありがとうございました。

ギャラリー

浅見 一志 様 プロフィール

1975年生まれ、工学院高校及び東京科学電子工業専門学校卒。半導体製造装置の設計後、障がい者ヘルパーを経て2000年有限会社さいとう工房に就職し、車いす製作に従事。2007年には独自の車いす工房「輪」を設立し、2022年には株式会社コボリンを設立。本社を東京都東村山市に構え、電動車いすの販売・修理・メンテナンス及びオリジナル福祉商品開発に注力。福祉関連イベントの積極的な実施など、業界全体の発展にも寄与しており、その動向は今後も注目される。

【会社概要】株式会社コボリン

設立2022年8月
資本金700万円
所在地東京都東村山市野口町2-18-5
従業員数6人
事業内容電動車椅子・座位保持装置、メンテナンス、オリジナル福祉商品開発・販売
HPhttps://koborin.com

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