ユニバーサル・コミュニティ事業で世界を繋ぐ、建築から地域の未来へ|スターホーム株式会社

福祉と経済活動は、ともすると対極にあるものとして捉えられがちです。しかし、真に他者を思う視点と、的確な事業構造を持つことができれば、それらは両立することができます。
今回ご紹介するスターホーム株式会社様の事業は、創業時の建築業を軸に、障がい者福祉の観点、そして地域福祉・活性化にまでコミットする新しい事業モデルです。そこにたどり着くまでの困難や思いを、父である創業社長から事業承継をし挑戦を続ける同社代表 星 武司様にお話しいただきました。

建築業から新事業「ユニバーサル・コミュニティ」へ拡大の歩み

コントリ編集部
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まず、創業当初から現在までの事業の内容について教えてください。

父が大工の修行を積んで創業した、今年55年目になる建築業をメインに、事業承継後、障がい者向けのグループホーム運営などの福祉事業、キャンプ場や民泊などの運営事業という柱で事業体をやっております。

設立50周年を迎えた際に、ユニバーサル・コミュニティ事業というものを今後やっていこうという構想を持ち、その前段階として2018年の2月から福祉の事業をスタートしました。そして翌年、キャンプ場や民泊を展開し、現在も拡充に向けて取り組みを続けているところです。

コントリ編集部
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複合的な事業体ですが、まずお父様がスタートされた建築業について詳しくうかがえますか。

父いわく、スタートはいわゆる大工・職人。当時好景気の新築ブームで次々家が建っていましたので、その中にで「リフォーム業」に注視して、建った家で暮らす中で出てくる生活の困りごとを解決するという切り口で自分の会社を興したと聞いています。

私は子供の頃から父の前向きさや生き生きした様子を見ていましたので、当時から父の会社を継ぎたいという思いがあり、31歳で事業承継をさせていただきました。

コントリ編集部
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建築業から違う事業へと目を向けられたのはなぜでしょうか。

意図は2つあり、1つは時代の変化です。

父の働いた好景気期とは違う熟成期を迎え、良くも悪くも建築業の人間が溢れかえっているような社会になると、自ずと大きな利益は出にくくなります。くだりのエスカレーターを必死に駆け上がることは大変ですし、せっかく社員さんが頑張ってくれていても収益につながらなかったり、たくさんある建築業者の中で差別化することも難しかったりという状況にこれからどんどんなっていくだろうと考えました。また、父の時代は職人である父とお客様に密接な関係性があり、感謝の言葉をいただくような姿を目にしてきていたのですが、時代が進む中で条件提示もメールなどの文面にかわり、値引きの交渉やクレームの連絡も増えてきて、私たちの利益だけを考える事業から、真に困っている人の課題解決ができる事業の在り方に変えていかねばならないという想いもありました。

コントリ編集部
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時代の変化に伴う意識の変化があったのですね。もう1つの理由は何だったのでしょうか。

もう1つは、専務である弟の息子が生まれたときに、障がいが見つかったことです。

それまで私自身は障がいをお持ちの方の生活や、その家族の悩みなどを知らないで生きてきました。そのとき初めて障がいをお持ちで住宅を必要としている方の不便や、働く場所を見つける難しさに気づき、我々ができることはないかと構想し始めたのが私の中での第二創業期です。

あくまで、原点は父の「建築で目の前の人を幸せにする」ということから変わりませんが、そこから広げていった形になります。

福祉・地域貢献・農家との提携、『葉山モデル』を目指す

コントリ編集部
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そうして形にされたのが、葉山社屋でのユニバーサル・コミュニティー事業ということですね。

はい。葉山の敷地を、全ての方が笑顔になれる場所としてのモデルにするべく頑張っているところです。今後、元々レストランだった本社社屋を利用してユニバーサル・コミュニティー事業、障がい者の方が働けるキャンプ場併設のレストランを行う予定です。

地元の農家さんと事業提携して、無農薬野菜を仕入れてメニューにいれたり、葉山はイノシシがたくさんいるのですが、本来なら害獣として駆除されてしまうのをジビエ肉としてメニューに組み込むことで、野山を生きる命をいただくことも学んだり、感じたりできるような場所を想定しています。

コントリ編集部
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福祉面での住まいと雇用、そして自然環境の保護意識の醸成と、大きく舵を切られましたね。
経営的には、どの部分で利益を創り出しておられるのでしょうか。

正直、これまでお話しした部分では利益はほとんどありません。

土地を持て余してしまっている方向けの再利用・活用に関する部分が採算のバランスを取ってくれるように想定しています。関東や近畿の一部には、「生産緑地指定」という制度があります。30年の期限付きで税の減免などが受けられる、農地の保全を目的とした特定自治体の制度です。その指定が30年で基本的には解除されてしまうため、税優遇がなくなった後に、保持している農地をどう活用していくかというのが農家の方の課題になっているんです。

税金の問題と後継者の問題を、現在取られている10年間の回避措置の中で、決めねばならない状況です。

コントリ編集部
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農家の方にとっての、優遇制度の効力が一気に切れる時期が迫っているということですね。

そうです。そのタイミングで、何千坪もある農地を私たちが借り上げて新たに活用するということをしています。農家の方にとっては税金や後継者といった課題がクリアになりますし、私たちは豊かな土地をお貸しすることができます。

葉山モデルは最終的には障がい者福祉・地域貢献・そして農家の悩みを解決することでビジネスを回していこうと想定しており、それをすべて包括してユニバーサル・コミュニティ事業としています。

今年レストランが稼働できると、事業モデルがひとつ葉山で完成します。それを農家さんに見てもらってアパート経営のように土地の提供を検討していただいたり、障がい者のグループホームも私たちが直接建てるのではなく、地主さんの相続対策・節税対策として建てていただいたものを私たちが長期的に借り上げるという形でwin-winを目指せればと思っています。

コントリ編集部
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「生産緑地指定」が適用されるのは関東・近畿の一部地域のみとのことでしたが、その範囲でもある程度の規模感があるということでしょうか。

うちの事業規模で考えれば十分です。

もちろん、制度がない地域も含め、対象地域であっても指定を受けていない農家さんもあります。その場合はたとえば先ほどお伝えした無農薬野菜の栽培をお願いし、その付加価値を地元の方に広める地域活性や、耕作の一部作業を障がいのある方にも一緒にしていただく福祉事業としても発展できると考えています。

ケースにあわせてになりますが、個々の取り組みではなく私たちが事業としてやることで貢献出来たら良いなと思っています。

コントリ編集部
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地域全体を巻き込み活性化させる、わくわくする事業になりそうですね。

葉山って美しい自然と御用邸以外なにもないんですよ。それが良いという人もいますが、自治体としては税収に繋がりませんし、そこに観光やレジャー、福祉といった外から入ってきやすい事業を置きたいですね。私の出身の横須賀市も全国一の流出市で、せっかくの地域の持つ特性を活かし切れていません。

でもそこに葉山モデルのような場所ができればどうでしょうか。実際今キャンプ場に来てくれるお客さんの大多数は、都内や横浜の方が週末にマイクロツーリズム的に来てくださっています。身近に自然を感じていただける場になっていると思います。

それに、私が親族を通して障がい者の生活のことに触れたように、その場で生きて輝く障がいを持つ方の姿や姿勢に触れることで、私たちが日ごろ当たり前に享受していることがどれだけ恵まれた素晴らしいことなのか、そういったことも感じていただけるのではないかと思っています。

事業承継の経緯と立ちはだかった大事故

コントリ編集部
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話は戻りますが、お父様からの事業承継について、一度別会社で経験を積んでからスターホームに戻ってこられたとのことですが、どのような経緯で承継に至りましたか。

ゼネコンに10年勤めてから父の会社に戻り、専務として1年働いたときでした。父から、(承継について)どうするんだ?という確認があり、前々から考えていたことでしたので、継がせてくださいと返したところ、「じゃあ実印を持ってこい」となり、いきなり決まりました。

当時しがないサラリーマンだった私が、有無も言わさずハンコを押すことになった傍ら、父は伊豆に山を買って、1年くらいで自らログハウスを作り、趣味かと思っていたらそこに引っ越してしまいました。

父の覚悟だったと思います。それから正月・GW・お盆と会いに帰った際に決算書を持って行っても全く見てもくれませんでしたね。

コントリ編集部
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完全にバトンタッチされたということでしょうか。
それとも、移籍されてからの1年間で引継ぎがあったのでしょうか。

いえ、本当にいきなりで、専務時代はとにかく見て覚える、目の前にある仕事を誠実にやる。それだけでした。青年期は父とはバチバチやっていた頃もありましたが、業界的にかなり厳しいゼネコンにいましたので、会社の社長・部下という形では完全に従います!という状態だったところから、ある日急に継承した、という状態です。

コントリ編集部
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不安はありませんでしたか。

もちろんありました。ですが、ずっと「お前なら大丈夫だ」と言われていました。正直に言えば事業がうまく進まず眠れない日もありましたが、ここまで信じ切られると大変とかつらいとか、泣き言は言えませんよね。

後程詳しくお話ししますが、39歳の頃に社屋の火災があったんです。深夜に5時間半も燃え続ける大火事で、これはいよいよダメだと思いましたし、父にもひどく怒られるだろうと途方にくれました。

ですが焼け跡を見に来た父は、社員や私の無事を確認したのち、「あとは会社をつぶさずに、ご迷惑をかけた方に謝っていけ」とだけ言いました。人を信じるって覚悟がいることじゃないですか。私がここまで来れたのは私に経営者として力があったとかではなく、そうやって信じてくれた親に迷惑をかけたくないという思いがあったからです。

コントリ編集部
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お父様も、心配はあったかと思いますが、それを伝えるのではなく、信頼をすることで支えてくれたのでしょうね。

それが、火災から4~5年して父に感謝を伝えたら、「お前と一緒にやっていたら喧嘩ばっかりしていただろうから、60歳も近いし辞めただけだ」と言われて肩透かしをくったのを覚えています。照れ隠しもあったんだと思います。

父は創業者らしくそれなりに自由に生きてきたのですが、伊豆に引っ越した後は生活力の全くない父は母の言われるがままになったようで、「お母さんのおかげで楽しく過ごせてるんだよ」「何言ってんのよ!」みたいな父母のやりとりがあって、それが子供である僕にとってはとても幸せなことだと噛みしめました。ぶつかりながらも、良い家族の形で居られていることに感謝しています。

コントリ編集部
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逆に、事業継承後に苦労した点について教えてください。

まず大前提が僕個人の反省なのですが、正直承継後しばらくは金儲けのため、それも自分の生活や着るもの・食べるものを良くしたいというような我欲のために会社を経営していました。

父の時代なら6時には終わっていた仕事が、僕がいると終わらない。平均して10時半とかでしたね。社員がミスなんてしようものなら、その10時半から説教をしたりもしました。

そんなことを繰り返して、強権的に押し切って仕事を詰め込んでやっていれば、一時的には結果が出るんです。でも、結果が出たことに味を占めると、もっと人を締め上げて、お客さんとも喧嘩しましたし、責める・吊るし上げる・罵るといった、超のつくブラック企業にしてしまっていました。

コントリ編集部
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今のご様子からは全くイメージがつきませんが…
そういった状況から変化があったのはなぜですか。

そんなやり方でやっていく中で、先ほどお話しした火災が起きてしまったからです。社員の過失による発火でした。その時に、自分が社員にどれだけの苦しみを与えていたのかを思い知り、それが返ってきたのだと痛感したんです。

中々鎮火しない社屋を見ながら、目に見えるものやお金ではなく、人生で大事なものはなんなのかということを考えました。会社がなくなると私は社長ではなくなり、ただのおじさんになります。権威もお金もなくなります。結局、そういった一瞬で燃えてなくなるようなくだらないものにしがみついていたんだ、経営者たる自分の価値観がこういうことを巻き起こしてしまったんだなと。

本来なら会社という箱がなくても、あの人のおかげで、あの会社のおかげで、と言われるようなものをつくるべきだったのに、今この会社が燃えても誰も困らないことをそこでようやく気付いてしまい、これからは心を入れ替えて世の中のための会社を作るので、どうかこの会社を潰さないで下さいと祈りました。

コントリ編集部
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同時期に、ご自身の精神面の内省にも取り組まれたと伺いました。

そうですね。火災の前から売り上げの悪化などで鬱っぽくなっていたというか、精神的に行き詰まっていて、内観を始めました。自分の内側を覗くと、ひどく澱んでいて、恐れや不安に溢れていて、そりゃこれではだめだと思ったのを覚えています。これじゃあいけないなと心象風景のネガティブで溢れたジャングルを刈り取るべく、イメージの鎌を取り出して、取り除いて、川に流して。そうすると自分の内省で見える景色が光指す草原に変わりました。こういう心で人生を生きなければならないという感覚が得られましたし、そんな美しい世界にあるのに、人間は自分のエゴ・我欲を膨らませるせいで、たとえば鳥や魚ならば感じないような苦しみにあえいでいるのではないか?とも考えるようになりました。

そう感じたことと、火災の一件を経て、自分のためではなく他者のために持てる力を使おうということを信条に会社経営にも取り組むようになりました。

社員が輝き、会社が輝く。そして社会に還元する。

コントリ編集部
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従業員の方がいきいきと働けるよう、社内で工夫しておられることがあれば教えてください。

経営理念に「関わる全ての人に幸せを提供する」ということを掲げていますが、まず社員がいきいきと働かないとその先がないと考えています。

取り組んでいることは大きく3点です。

1つは、社風を作るための基本行動を徹底することです。「なんかこの会社って、いい会社ですよね」と褒めてもらえるような会社・社風でありたいと思っており、そのために挨拶や笑顔・前向きな表現など、ひとりひとりが空気を明るくする基本行動が徹底できていることが重要だと考え、朝礼を工夫するなどしています。

2つ目は、一人一人の強みを活かした組織構築です。個人の目標と会社の目標は重なる部分もそうでない部分も当然あります。会社に全人生を預けるのではなく、個人の目標もあるからこそ、そのすり合わせを行う面談を個人個人半年おきにやっています。その結果、ステップアップとして前向きに巣立つ人もいれば、残ってくれる人もいる。どこで自己実現をするのか主体的に考えられる環境づくりを意識しています。

3つめは、リモートや業務提携などの多様な働き方の実現です。お子さんが小学校低学年くらいまでの方はリモートで働いている方もいますし、個人事業主として社員並みに業務提携で働いてくれている方もいます。そういった方達は、家庭とのバランスで勤務時間のバンドが合いにくいだけで、会社から柔軟性を提供できれば、とても前向きに頼もしく働いてくれます。今もフルリモートの方もいますし、週で半々出勤とリモート、という方もいます。

コントリ編集部
コントリ編集部

最後に、ご自身の経験や現在の事業などを踏まえ、これからのビジョンについて教えてください。

住宅はもう、僕らでなくてはならないというものはそんなにありません。

究極、住宅事業がうちからなくなっても困る人はいません。もちろんこれまでお世話になった方へのアフターケアや家屋の老朽化を見据えて、アフターメンテナンスやリフォームの部署は増やしていますが、今後は福祉や地域貢献事業を大きくし、その関連事業としてユニバーサル・コミュニティ事業関連の受注や建築をしていければと思っています。社会貢献活動と経済活動がリンクするような場所が増えれば嬉しいですね。

コントリ編集部からひとこと

この度は、貴重なお話をお聞かせいただきありがとうございました。本来であれば、スターホーム株式会社様の本社でお話をお伺いできればと思っておりましたが、スケジュールの都合で会議室でのインタビューとなりました。実際に星さんが手がけられているユニバーサル・コミュニティを実際に見たかったのですが、それはまたの機会にお伺いできるのを楽しみにしております。インタビューを通して星さんの人として器の大きさなどを感じさせていただいたのですが、その裏にはとても壮絶な経験があったのだと知りました。人はこのような壁をいくつも乗り越えて大きくなっていくという見本を目の前でみせていただいたような気がしました。
大変お忙しい中、ご対応いただき本当にありがとうございました。引き続き、コントリと関わっていただければ幸いです。

ギャラリー

星 武司様 プロフィール

1968年に神奈川県で生まれ、現在も神奈川県在住。新卒で総合建設会社に就職後、2000年にスターホーム株式会社に入社。2004年に同社の代表取締役に就任。数々の苦難を乗り越え、現在では、自社だけでなく地域社会の発展のためにユニバーサル・コミュニティー事業を推進中。座右の銘は「おもしろき こともなき世をおもしろく すみなしものは 心なりけり」

【会社概要】スターホーム株式会社

設立スターホーム株式会社
資本金2,600万円
所在地神奈川県三浦郡葉山町上山口1431-1
従業員数42人
事業内容輸入住宅設計・工事請負 / リフォームプラン・工事請負
一般住宅設計・工事請負 / アパート事業 / 不動産仲介
グループホーム建築及び運営事業、アウトドア関連事業
HPhttps://star-home.co.jp

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