「誰一人取り残さない」を実現する訪問看護師の起業ストーリー 〜地域を支えるコミュニティ作りと未来への挑戦〜|株式会社すえひろ

「スタッフを護れる会社を創る」——。

株式会社すえひろの渋谷加奈代表の言葉には、訪問看護ステーション経営6年間で培われた深い信念が込められています。2019年11月の設立以来、24時間365日体制で地域を支える同社は、「誰一人取り残さない社会」の理念のもと、困難事例も含めて「断らない」スタンスを貫いています。コロナ禍での急成長、スタッフの人間力向上を目指す独自の組織運営、そして地域全体の訪問看護の質向上を目指すコミュニティリーダーとしての取り組みまで、社会課題解決型経営の実践者として歩み続ける渋谷氏の軌跡をお聞きしました。

商店街で育まれた「人を支える」原点

「私は足立区のとある商店街で育ち、地域の皆さんに支えられて今があります」

穏やかな表情で自身のルーツを振り返る渋谷氏。商店街の人々に支えられて育った経験が、今の「困っている人を助けたい」という気持ちの原点になっています。

高校時代、看護師を目指したきっかけを尋ねると、こんなエピソードを話してくれました。

「本当は世界で困っている人、恵まれない子供たちに何かできないかなっていうのが元々の発端だったんです。でも、まずは身近な人からということで、看護師という道を選びました」

世界を変えたいという大きな夢を持ちながらも、「まずは身近な人から」という現実的な発想。この考え方こそが、現在の地域に根ざした訪問看護事業の出発点となっているのです。

「年収1000万」の広告から始まった起業への道

起業のきっかけは、求人情報誌で見つけた一つの広告でした。

「タウンワークに『訪問看護管理者、年収1000万』って書いてあって、『なんじゃこりゃ』って驚いたんです。看護師で年収1000万なんて、普通ありえないですから」

この広告に衝撃を受けた渋谷氏は、訪問看護について調べ始めました。すると、高齢化で訪問看護師が足りないのに、訪問看護ステーションは経営がうまくいかずに閉鎖するところが多いという矛盾した現実を知ります。

「訪問看護ステーションの管理者は看護師でなければいけないルールがあるんです。だったら、看護師が経営者になった方がうまくいくんじゃないかと思ったんです」

ただ、経営の知識が全くない渋谷氏は不安でした。そんな時、笹川保健財団の看護師起業支援プロジェクトと出会います。

「企画している方から『ぜひ経営者になってください』って背中を押してもらったんです」

このプロジェクトは8ヶ月間、無職で勉強する必要がありました。大きな決断を迫られた渋谷氏が最初に相談したのは、当時高校生だった娘さんでした。

「『節約しなきゃいけないし、もやし生活になるかも』って話したら、娘が『面白そうじゃん、やってみなよ』って言ってくれたんです」

この時の娘さんの反応について、渋谷氏はこう振り返ります。

「自分で決める人生にして欲しくて、何も言わない育て方をしてきました。自分で考えて決断する力を育てた結果、娘が私のチャレンジを応援してくれたんです」

娘さんの後押しで、渋谷氏は起業への道を歩み始めました。

コロナ禍という追い風で急成長を遂げた開業初期

2019年11月に会社を設立し、2020年3月のオープンを予定していた渋谷氏。ところが、開所式の直前にコロナが始まりました。

「3月に開所式を企画して、ご近所の方やお世話になった先生に招待状もお送りしていたんです。でも、コロナで中止になってしまって」

苦笑いを浮かべながら振り返る渋谷氏。しかし、コロナは思わぬ追い風となりました。

「コロナで医師が足りなくなって、家に安否確認に行く人材として訪問看護師が急に注目されたんです」

多くの事業所がコロナ患者の対応を断る中、渋谷氏は「断らない」方針を貫きました。

「ヘルパーさんが入れないところも私たちがカバーしました。直接営業していないのに、すごい営業効果になりました」

この「断らない」姿勢は、開業時からの方針でした。

「最初から『とにかく一件でも受けよう』というスタンスでした。片道40分かかっても受けました」

業界の常識を知らなかったからこそ、「困っている人を助けたい」という純粋な気持ちで行動した結果、地域の信頼を得ることができたのです。

スタッフを守る経営判断 〜唯一断った困難事例〜

「誰一人取り残さない」という理念で、基本的に依頼を断らない姿勢を続けてきた渋谷氏。しかし、6年間でたった1件だけ、断らざるを得ない事例がありました。

表情を曇らせながら、その時のことを話してくれました。

「他の訪問看護ステーションがうまくいかなくなった困難事例でした。利用者さんからスタッフへのひどい暴言があって、担当したスタッフが『もう行きたくない』と言うほど精神的に追い詰められていたんです」

渋谷氏は関係機関と一緒に利用者宅を訪問し、状況を確認しました。しかし、実際に会ってみると想像以上でした。

「どんどん口調がきつくなって、これはうちのスタッフがかわいそうだと思いました。私がずっと行くわけにもいかないので、お引き受けするのは難しいと判断しました」

この時、渋谷氏が判断の基準にしたのは起業時の原点でした。

「『スタッフを護れる会社を創る』という思いがすごく強かったんです。スタッフの安全があって、働きやすい環境があってこそ。そういう会社にしたかったんです」

一緒にいたスタッフの反応を聞くと、

「ずっと黙って引いていました。そんな空気を感じた上で、私が断ったのをスタッフが聞いていてよかったと思います。『守ってくれるんだ』と伝わったと思うので」

この判断によって、スタッフが安心して働ける環境を守ることができました。理念も大切ですが、スタッフを守ることも同じくらい大切だと示した出来事でした。

毎週月曜朝の理念浸透ミーティングが生み出すもの

24時間365日体制で働くスタッフのやる気を保つのは大変な課題です。渋谷氏が6年目で始めた新しい取り組みについて話してくれました。

「大きな決断でした。利用者さんの予定が入っていましたが、お詫びして調整しました。4月から毎週月曜日の朝8時半から9時半の1時間を、全員参加の会社の時間にしたんです」

この1時間は、理念を共有する30分と、お互いを知る30分に分かれています。

「自分が大切にしていることや、仕事への考え方を振り返って、みんなでシェアするんです。すると『こんな考え方で仕事してるんだ』『こんな悩みがあったんだ』『こんな趣味があるんだ』って、同僚でも知らないことがたくさん出てきます」

目を輝かせながら、その効果を説明してくれました。

「相手のことをよく知ると、お互いを認め合えるようになるんです。スタッフ同士の信頼関係が深まって、困った時に助け合う雰囲気ができてきました」

この取り組みの最終的な目標について、渋谷氏はこう話します。

「一人一人が『自分はどんな人生を歩みたいのか』『どんな人間になりたいのか』を考える時間にしたいんです。自分なりの目標や信念があれば、辛い仕事も自分の成長につなげられると思うんです」

最近入社した事務スタッフのエピソードも印象的でした。

「事務の経験はなかったんですが、人柄を見て採用しました。面接で『すえひろで成長したいです』と言ってくれて、とても嬉しかったです」

スタッフが成長のために働きたいと思える会社づくりが、結果的に会社の成長にもつながると渋谷氏は考えています。

地域全体の質向上を目指すコミュニティリーダーとして

渋谷氏の活動は自社だけでなく、業界全体の発展にも広がっています。特に注目されるのが「目からウロコ」という勉強会の開催です。

「看護師が学べる場所や、同じ悩みを持つ人同士で情報交換できる場所があったらいいなと思って、個人的に企画したのが始まりです」

現在では3ヶ月に1回、約50名の看護師が参加する大きな勉強会に成長しています。

「『すごく楽しかった』『勉強になりました』『私だけじゃなかったんですね、悩んでたのは』という声をいただいて。リピートで参加してくれる方も多くて、『私も講義をやりたい』と言ってくれる人も出てきました」

>> 勉強会のレポート記事はこちら

この活動の背景には、業界への危機感がありました。

「訪問看護の世界は看護師が圧倒的に足りません。10年、20年後にはもっと必要になるのに、どうしたら訪問看護師が増えるのか、面白さを伝えられるのかがずっと課題でした」

他の事業所との関係についても、渋谷氏は独特の考えを持っています。

「訪問看護ステーションがたくさんあって競争が激しいと言われますが、私たちは競争というより協力だと思っています。まだまだ高齢者の方が多いのに、私たちのサービスが届いていない現状があります」

「私たちだけで考えるのではなく、地域みんなで考えれば、売上ではなく地域を良くすることを考える人が増えていきます」

この考え方で、ネットワークはどんどん広がっています。

「『もっと訪問看護の質を高めたい』『助け合いたい』という同じ価値観の人たちが、どんどん繋がっています」

競争ではなく協力の発想が、結果的に地域全体のサービス向上と自社の成長を両立させているのです。

そして、渋谷氏には新しいビジョンがあります。

「最近ひらめいたんです」と少し照れながら話してくれたのは、「クオリティーナーシングホーム」構想でした。

「母が最後を過ごす場所を考えた時、安心して預けられる施設の情報がないんです」

「本当に安心できる場所は、人を大切にする人材を育てている会社が作った施設だと思います。そういうものを社会は求めているんじゃないでしょうか」

この構想について、渋谷氏はこう話します。

「そういう場所はすえひろが作ろうと思いました。人材育成で価値を高めて、その価値に共感してくれる方に利用していただく。そうすれば働くスタッフにも適正な給与を払うことができます」

幹部メンバーからも「うちのおばあちゃんも入れたい」という声が上がっているそうです。

まとめ(コントリからのメッセージ)

渋谷加奈氏の6年間の経営者としての歩みは、「誰一人取り残さない」という理念を軸に、一貫した価値観で行動し続けることの力強さを示しています。商店街で育まれた「支え合い」の精神から始まり、偶然の出会いを活かす行動力、そして困難な状況での的確な判断力まで、経営者として必要な資質を実践の中で磨き上げてきた姿勢は、多くの経営者にとって学びの宝庫といえるでしょう。

特に印象的なのは、自社の成長と業界全体の発展、スタッフの幸せと顧客満足を対立させることなく、すべてを両立させようとする統合的な経営哲学です。「競争から協調へ」の発想転換により、結果的により大きな成果を生み出している点は、現代の経営者が参考にすべき重要な示唆を含んでいます。

そして何より、スタッフ一人一人の人間力向上を真剣に考え、そのための時間と労力を惜しまない姿勢は、人を大切にする経営の真髄を体現しています。「すえひろで働くと人間力が上がる」——そんな組織を目指す渋谷氏の挑戦は、まだ始まったばかりです。

地域コミュニティのために、スタッフのために、そして利用者のために。三方良しを超えた「全方良し」の経営を実践する渋谷氏の温かい人柄と強い信念に、きっと多くの経営者が「実際に会ってみたい」と感じることでしょう。私たちコントリも、今後の渋谷氏と株式会社すえひろの発展を心から応援しています。

プロフィール

株式会社すえひろ 代表取締役
すえひろ訪問看護ステーション 代表
渋谷 加奈 – Kana Shibuya –

足立区の商店街で育ち、地域の人々に支えられた経験から「困っている人を助けたい」という想いを育む。看護師として働く中、求人誌で見た「年収1000万円」の訪問看護管理者の募集に衝撃を受け、高齢化社会における訪問看護の重要性と課題を認識。2019年11月に株式会社すえひろを設立し、2020年3月に訪問看護ステーションを開設。

「誰一人取り残さない社会」を理念に掲げ、24時間365日体制で地域を支える。コロナ禍でも「断らない」姿勢を貫き、困難事例も積極的に受け入れながら急成長を遂げる。スタッフの人間力向上を重視し、毎週月曜朝の理念浸透ミーティングなど独自の組織運営を実践。地域全体の訪問看護の質向上を目指し「目からウロコ」勉強会を主催するなど、コミュニティリーダーとしても活動している。

ギャラリー

会社概要

設立2019年11月1日
資本金200万円
所在地東京都足立区足立4-25-13-102
従業員数19名(2025年3月31日時点)
事業内容訪問看護事業、居宅介護支援事業
HPhttps://suehiro-sakura.com/

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