人を守り、会社を守る。事業承継を通して見えた「正しさ」の価値|株式会社日東物流
日常生活では意識することの少ない、社会を支える「物流」という大動脈。
身の回りに物が行き届く「当たり前」を守るその現場は、厳しくハードな環境だとイメージされることも少なくありません。関東近郊の食品輸送を支える株式会社日東物流は、休むこともなくトラックを走らせ続けた昭和期から、コンプライアンスが重視される現代までを、事業承継と共に乗り越えてきた時代の伴走者です。その変化の中にどのような困難があったのか、そしてそれを乗り越えて従業員が健やかに働ける会社を作るために何を変え、何を貫いたのか。同社2代目代表である菅原拓也社長にお話をうかがいました。
株式会社日東物流の事業について
初めに、御社・日東物流の事業内容を教えてください。
私たちのメイン事業は、温度管理が必要な冷凍・チルド帯の食品輸送を中心とした物流事業です。物流・運送と聞いて皆さんがぱっと浮かべるのは「宅配便」じゃないでしょうか。実は個人宅に物を届けるのは、運送業全体の中で5%ほどの割合で、残りの95%は企業間のBtoBの運送が占めているのです。私たちの食品輸送も、「市場からスーパーまで」「倉庫からコンビニに陳列されるまで」など、消費者の皆さんの目に入るまでの企業間の輸配送なので、目に見えにくいBtoBの95%側に入ります。
そんなに比率が偏っているのですね。
そうですね、サービスエリアに止まっているトラックも、大部分が企業間の輸送を担っているものです。物流・運送業は業務範囲が広く、配送だけでなく物を保管することなども含まれますが、私たちは関東近郊の輸配送を主として担っています。配送距離が短くなるようにエリア設定をすることで、労働時間の短縮や、泊まりが必要な移動時に発生する労務管理を削減しています。
運送事業を始めたきっかけはなんでしょうか。
創業社長は菅原様のお父様ですよね。
1978年、当時サラリーマンだった父が転勤を迫られたことで退職し、その後知り合った方から「トラックは稼げる良い仕事だよ」と車を用意してもらったのがきっかけだと聞いています。仕事が増えていく中で法人化し、2017年に2代目として私が事業を承継するまで、父が会社を引っ張っていました。
築地市場から始まった父の運送業ですが、当時はトラックドライバーというと「寅さん」や「トラック野郎」などの銀幕のイメージが強く、ねじり鉢巻きに荒い気性、男気とパワフルさ…など、そんな印象に憧れて仕事を始める人が多かったと思います。今もドライバーとして働く50~60代の方は、そのときのイメージを強く持っておられるのではないでしょうか。
ハードだけれどその分稼げる仕事、といったイメージもあります。
そうですね。当時はまだ今のようにコンプライアンスが重視されているところばかりではありませんでしたから、ほとんど寝ずに働いたり、忙しさを理由に健康診断を受けられなかったりという実態に対して、稼ぎが良いから激務でも仕方がないと受け入れてしまう風潮がありましたし、世間のイメージもそうだったと思います。
問題なのは、そのときのイメージがまだ引きずられているということです。業界の内情は良い方向に変わっていても、外から見たイメージはかつての「ブラック」のままであると感じています。もちろん働く側にとっても、この10年20年というのは社会の変遷にあわせたアップデートが迫られた時期でもあり、私が事業を承継するまでに初代である父とぶつかったのも、まさにその部分でした。
事業承継の壁となった「時代の変化」
事業承継までのエピソードを教えてください。お父様との関係に変化はありましたか?
自分の将来を本格的に考え始めた大学3年時、経営者になりたかった私は、手っ取り早いのは父の会社を継ぐことだと考えて父に相談しました。しかし、初めはばっさりと承継を断られました。「経営者というのはお前が思っているような楽な仕事ではない。相談する相手もいないし、安心してゆっくり眠ることもできない、そういうことをお前にやらせたくない」、と。
父としても嬉しさ半分、本当に辞めておいた方がいいぞという思い半分だったと後に聞きました。常に携帯を手放さず、家族旅行中でも何かあれば24時間すぐ飛んでいく父の姿を私も見ていましたし、言わんとしていることはわかりましたが、何度も話し合った末、物流業界で3年働きその後日東物流に来るからよろしく、という形で押した私に、そこまで言うならと父もようやく首を縦に振ってくれました。
実際に日東物流に入社してみて、いかがでしたか。
それはもう、様々な衝撃がありました。一般的な常識が通用しないことばかりでした。当時の業界がハードだったという話をしましたが、休みなく働くのは当たり前、怪我をした風邪をひいたからといって休みたいとは言いづらいですし、事故など仕事上のミスの損失の一部を社員が負担させられることもありました。今の価値観で考えると信じられないことですが、逆に(業界全体の風潮と比べて)全額負担じゃないのは優しいだなんて評価されていました。
それでも昔は稼げたので良かったのでしょうが、時代が変わり競合も増える中で、悪しき慣習だけが残ってしまっていました。もちろん、日東物流だけではなく物流業界全体がこの問題をはらんでいて、考え方の違いには苦しめられたものです。
それでお父様ともぶつかることが増えたのですね。
私が入社して2カ月後に人身事故が起こってしまったんです。そのときの調査で会社の旧体制のままの部分が指摘され、翌年に一時営業停止処分を受けました。自分たちの仕事が背負う命のリスクを思い知り、大きな衝撃を受けました。そして、事故はどこまで行っても起こりうるのだから、後ろ暗い無茶な労働環境を押し通すのではなく、『胸を張って正しいと言えること』をやらねばならないと考えるようになりました。
結果、それまでのやり方を貫いてきた父と考えがずれ始めました。激動の昭和の時代に一人で会社を立ち上げ軌道に乗せてきた父ですから、綺麗事を言っていては会社が続かないことは身に染みていたでしょうし、大学を出たばかりで現場を良く知らない私に正論を振りかざされ、頭に来たと思います。一方私は、そうは言ってもおかしいものはおかしいと退かない。
ここまで関係性が悪くなるのか、と正直思いました。それでも、時代の変化は確かに起こっていて、会社が変わるべきだという考えはぶれませんでした。
お父様とふたり、それぞれが生きた時代に対して真剣だったからこそですね。
摩擦があった状態から事業承継に至った経緯をうかがえますか。
転換点になったのは、その時期に起こったドライバーさんとの労働争議です。ちょうど私が就業規則や契約書等を刷新していたことで、団体交渉の場で会社が著しく不利な立場になることを避けられました。そのことで父も、事故やトラブルがないから経営が成り立っていたが、有事の際に会社を存続させるためには今までのやり方では難しいということを実感したのだと思います。
そこからは地道な交渉の日々です。状況や体制を劇的に良くする特別なノウハウがあったわけではありません。コスト削減の工夫や、料金の値上げ交渉に奔走するなど、当たり前のことを積み重ねました。そして父に、こういう工夫をして利益を出すから、今までコストカットしていた、たとえば社員を守るための健康診断の項目を増やしてほしい、と持ちかけるわけです。ひとつひとつを積み重ねて利益を上げたことで、体制を徐々に変えることができました。
お互いに納得できるまでお父様と向き合い続けたというのが素晴らしいですね。
商売として何が大事かを見失ってはいけないと強く思っていました。
中小企業がコンプライアンスを守って事業をしては成り立たないような業界ならば、もはやそれは一個人や会社の問題ではなく国の問題でしょう。そこまでやってダメなら、物流というものに諦めもつくなと思い、逆にそこまではやりきろうと思いました。
体制の変化と共に次第に決裁権ももらえるようになり、6年半ほど前に父から私に代表がバトンタッチされました。父はきっと今の経営方針について思うところもあるでしょうが、口を出さずにいてくれています。それはありがたいですし、勇気がいることだなと思います。
勇気ですか。
不眠不休で会社を興してきた人が考えややり方を変える難しさは、私にもわかります。父自身も、会社が変わり始めた頃にこう言ってきたことがありました。「お前が正しいのも時代が変わっているのも、頭ではわかっている。それでも、休憩する暇もなくトラックを洗車するついでに自分の体をホースで洗っていた当時を思えば、今働いている人たちが生ぬるく見える。そういう自分もいる。」と。そして、「だから自分は退くんだ」と。
葛藤があったでしょうし、私も父が走り抜けてきた当時はその働き方が良しとされても仕方ない部分もあったと思います。その上で、今を立て直していかねばなりません。現在は、仕事の話は報告をする程度です。ようやく昔の仲良い親子関係に戻れたかな、と思っています。
事業承継が課題になる他の中小企業にとっても、大変参考になる「時代の転換期」ですね。
うちはたまたま考え方を切り替えねばならないトラブルがあったことが大きいです。それがなければどうだったかわかりません。うまくやり続けていた経営のやり方を崩すのは相当怖いことです。変化することは難しいですし、それまでを越えていこうというのはもっと難しい。その変化に怯まず、いかにこれまでやってきたことを疑って、アップデートさせるか、が肝要です。
従業員の健康への意識と取り組み
体制を整える中で、特に従業員の方がいきいきと働くための工夫に尽力されていると感じます。
健康診断の整備など、実行の秘訣を教えてください。
健康診断をなぜするのかという本質の理解と、そこからのフィードバックに力を入れています。健康状態に問題がある中で運転することには事故のリスクがあります。しかし、健康診断は義務だから、「受けたから良し」と、受診自体が目的になってしまっている実情がありました。
重要なのは受診することではなく、診断の先の改善です。そこでまずは結果に所見があった本人と面談して、自分の健康状態を自覚させるところから始めようと、私が該当者全員と面談をするようにしました。
実施してみた反応や変化はいかがでしたか。
初めは、なんでこんなことを…と文句も言われました。ですが、2年3年と「ここの数値が心配だからこういう食事の工夫をしてみようか」など話を続けていると、実際に血圧が下がるなど健康効果が表れる人が出てきました。社内でも健康に関する会話が増え、「尿酸値が高いなら水をたくさん飲んだ方がいい」とドライバー同士が会話している風景が見れたときは嬉しかったです。
そこまでいけば、次のステップが見えてきました。より専門的な面談ができるよう栄養士の先生を呼び、健康診断項目に無呼吸検査や脳ドッグも取り入れ、オプション検査代やインフルエンザの予防接種の費用を会社で補助・負担する制度を作り…「所見が出れば再検査に行く」というのが少しずつ当たり前になり、健康に対するリテラシーが高まっていきました。
嬉しい変化ですね。
文化が根付くには時間がかかったのではありませんか。
はい。健康意識の土壌ができるのに、10年はかかったと思います。ですが、今は皆病院に行く頻度も高くなり、病気の発見が早くなりました。従業員の健康寿命(健康な心身で活動できる期間)が延びることは、事故防止・長期雇用の実現という意味で企業のリスクも減り、本人・会社双方にとって良いことなんです。
再検査の結果病気が見つかり入院した方もいたのですが、復帰後本人と話した際、「今までいた会社だったら気づけなかった」と感謝の言葉をいただいたことがあります。「前職では結果を気にもしなかったし、本格的に不調が出てから気づくのでは遅かったかもしれない。入社すぐは再検査に行けだのなんだの面倒だなと思っていたけれど、早期発見して手術ができたから1か月で帰ってこれた。家族も感謝しています」と。私たちは、かつて不調の発見が遅れたせいで何人もの仲間を失った経験があります。だからこそ、この言葉が聞けて本当に良かったと噛みしめました。
一般的には、再検査を面倒がる方が多いと思います。
会社から背中を押してもらえるというきっかけが大事なのでしょうね。
所見があれば再検査に行くということが当たり前の風潮になってくれば、面談や検査を疎ましがっていた人の態度もだんだん和らいできます。体調を崩して復帰してきた人が、他のドライバーにここの数値が危ないと気を付けた方がいいよと言ってくれることも。元々文句を言っていた側の人が、自ら健康の価値を実感して若手に啓蒙するような立場になってくれているのが嬉しいとヘルスケアの担当課長も言っています。
そういった健康を守る努力・施策で、健康経営優良法人の認定を受けておられますね。
他の企業でも認定を目指す傾向が昨今広がっていますが、取得することが目的となってしまうところもあるようです。
とにかく箔をつけるために優良法人を取ろう!という風潮は違うなと思います。やはり本質的に「従業員の健康が守られる場」を目指すべきですよね。うちでは健康診断を提携しているクリニックが全データを経年で持ってくれているので、それに基づいて栄養士の先生も指導ができますし、個人受診でもそのクリニックにお世話になっている方が多いです。
そうして長く健康に働いて、いつか退職なさる方が、うちで身に着けた健康習慣でその後も豊かに過ごしていただければ何より嬉しいです。もちろん、そのためにはまだまだやらなければならないことがたくさんあります。
会社、そして業界の今後のビジョン
今後のビジョンについて教えてください。
物流業界は今でも多くの問題を抱えていて、それは一企業だけではなく産業構造全体の問題が複雑に絡み合っています。私たちは正しい働き方をしながら利益を出すことで、運送やトラックの仕事は怖そうだというイメージを払拭し、人生が豊かになる仕事だという魅力を発信していきたいです。安心して誇りを持って仕事ができて、地域に雇用が生まれて、リタイアした後も本人たちの体力に合う形で仕事が継続できる、そんな企業のモデルケースになれればと思っています。
具体的には、どんな新しい魅力を伝えたいとお考えでしょうか。
運送は、好きな時間帯で働くことができる柔軟性があります。また、車に乗っている間は他人とのコミュニケーションに煩わされる業態でもありませんから、自分のペースを大切に働くことができます。昔と違って、重荷を何箱も積み下ろすような仕事はなくなっていますので、女性でも年配の方でも働けるように変わっています。
数ある選択肢の中からトラックドライバーも良いなと思ってもらえるよう、待遇ももっと良くしていきたいと思っています。
自社を変え、業界を変え、社会を変える。物が届くのが当たり前の世界で、目に見えない物流が日々を支えてくれているんだと、一人でも多くの人にイメージしてもらえるよう、自分たちだからこそできることをこれからも追い求めて参ります。
心強いメッセージをありがとうございました。
本質をとらえてぶらさない胆力を感じる菅原様の、心の強さにしびれました。
元々そんなできた人間ではありませんよ。たくさんの壁が、自分たちの仕事が危険の上に成り立っているということを教えてくれ、そして自分が何もできないときに父が大きく構えて背中を見せてくれたおかげです。
物を運ぶことは、極論誰でもできるんです。だからこそ、目的を突き詰めて、くじけずにやり切る必要がある。当社行動指針(ニットーイズム)の1つに、「正直者でいこう」という題目を掲げています。たとえコストがかかっても正しいことを為していきましょう、と。正しさを追い求めて、利益を出し続け、会社を存続させることは難しいと思いますが、それを信じて何とかここまで来れたので、これからも発信し続けていきたい大切なメッセージです。
コントリ編集部からひとこと
日東物流様とは、X(旧Twitter)を通して知り合うことができました。そのご縁で今回のインタビューを行うことになりました。菅原社長の事業成長に対する真摯な経営スタイル、そして、同社広報担当の加藤様の情熱があったからこそ実現した今回のインタビュー。これも一つの「ご縁」だとコントリは考えます。
日東物流様のような「正しさ」を追求する企業が今後の日本にたくさん現れたら、この世の中はどんなに良いものになるでしょうか。コントリ自体もそのような企業になれるように努力していきたいと思いました。
この度は、貴重な機会をありがとうございました。
ギャラリー
菅原 拓也 様 プロフィール
1981年9月に千葉県佐倉市で生まれる。青山学院大学を卒業後、西濃運輸、国分ロジスティクスを経て2008年に日東物流に入社。2017年に同社の2代目社長に就任。「正しいこと」を根気強く続ける経営スタイルで会社を成長させている。自社だけではなく、業界のことも常に視野に入れながら着実に前進し続けている。座右の銘は「この道より我を生かす道なし、この道を歩く」
【会社概要】株式会社日東物流
設立 | 1995年2月 |
資本金 | 1,200万円 |
所在地 | 千葉県四街道市大日572 |
従業員数 | 107人 |
事業内容 | ・一般貨物自動車運送業 ・ 第一種利用運送事業 |
HP | https://www.nittobutsuryu.co.jp/index.html |