60名の精鋭と60年の歴史が創る、精密試作板金の世界に迫る|ツツミ産業株式会社
金属加工の老舗ツツミ産業株式会社は、精密試作板金という特殊な加工分野で日本と世界の技術基盤を支えます。その技術は決して工学研究の権威が生んだものでも、AIプログラムが育てたものでもありません。同社創業者の堤 健児さんが、社員一人ひとりに手づから伝えた経験と技術、そして働いて生きることの面白さ。これらが長い時間の中で重なり合い、唯一無二の事業となるまでの歴史を本インタビューで振り返っていただきました。若手から60代のベテランまで皆を我が子のように語る堤会長の想いは、チームを率いる多くの方の胸に共感と共に響くことでしょう。
精密試作板金という技術
本日はよろしくお願いいたします。
はじめに、御社が手掛けておられる「精密試作板金」がどういうものなのか、教えてください。
初めて耳にする方も多いかと思います。まず、板金というのは、機械の部品となる大小様々な金属板の加工品です。弊社はそれらの「試作」に特化することで、様々なメーカーが開発・大量生産する前段階として試作部品を精密に作成し、提供しています。
金属板加工にはもう1つ「プレス」があり、こちらの方がなじみがあるかもしれません。機械でバン!と圧をかけて型通りに金属板を変形させるものです。私たちが精密板金で作ったものも、最終的な量産段階ではプレス加工を使って生産することになります。
板金とプレスの大きな違いは、板金は正規の型を作らなくてもできるという点にあります。弊社の板金製作では、人の手で創るからこそどんな複雑なものでも実現できます。プレスはあくまでも「型」がないと始まりません。「試作」は大手がそのためだけの型を作る負荷が高いプロセスです。その部分を私たちが請け負っているという仕組みです。
板金でできてプレスではできないことがある一方で、大量生産はプレスにしかできません。そこの棲み分けは重要ですね。
ではその違いが、精密試作板金という業種を選ばれた理由でしょうか。
そうですね。板金の中でも「精密試作」を選んだのは、普通の板金だと工数をかけないと利益にならないからです。また、精密試作板金は普通の板金と違って絞り加工を施すことも可能です。普通の板金だと切って貼って溶接しないと作れないのですが、私たちは精度の高い処理を、切り貼りではなく1枚の板から最初から最後まで作ります。板金屋でも、絞りができるところは非常に少ないですね。
高度な技術を必要とする加工かと思います。
現在、従業員の方が60名程おられるとのことですが、どのように会社を大きくしてこられたのでしょうか。
板金を始めた時は女性3名と私でやっていました。と言っても、その方達はお子さんもいて、幼稚園の送り迎えなどもあって…という方でした。私も前職で設計は学んでいましたが作ることは初めてで、ドリルの研ぎ方から教わりながら、だんだんと実務を覚えていきました。そういう面ではズブの素人だったんです。当然、中々人は集まりませんでした。
当時は時代的に、中学を卒業した田舎の子たちは、続々と東京に出て働くという傾向がありました。とても我々なんかのところに人は来ません。しかし、月日が経つと、その子たちが勤めた企業をやめていくんです。大企業は100人200人と採用しても、残るのは20名ぐらいだったのではないでしょうか。寂しいことですが、田舎から出てきて環境が全く変わる中で、人に使われるのが面白くなかったのでしょうね。中学卒業したての子たちですから、辞めたからといってツテがあるわけでもなく、行くところがなくなり、町の小さい会社に流れていくというのが実態でした。
親元を離れて働きに出たのに、どうすれば良いのかわからない若者たちがたくさんいらっしゃったのですね。
そうです。一人で地方の雪の中から出てきた、そのままの格好の子もいました。大会社も当時は今のように扱いが良いとも限らず、辞めて、どこかの町工場に行って、またその町工場が嫌になって辞めて…。私たちと初めに一緒に働いていたのも、そんな子たちです。
人材募集と言っても新聞折り込みなんてのも当時はありませんでしたから、絵のうまい姉に書いてもらったチラシを銭湯の男湯に貼ってもらっていました。でも一本の電話もない。そこで、チラシの下にもう1枚、「工場はここです」と書いた地図を貼りました。そうすると、それを頼って工場にやってくる人が出てきました。
直接、いきなり工場まで来られたのですか。
電話を持っている人は少なかったんです。私は会社をやっていたから黒電話を持っていましたが、あの当時は、普通の家庭じゃなかなか電話なんて持ってなかったんです。だから、地図を書いて、それを頼って来れたわけです。
私の生まれは川崎なのですが、疎開で熊本に行っていた時期があります。その時の顔なじみが、九州にも働き先に困っている若いのがいっぱいいるから、今度はそっちに連れていってやるよなんて言って、中学を卒業した子を斡旋してくれました。それがまた大変で、まず待ち合わせも今のように簡単ではありません。九州から来た2人は手ぬぐいを右手に巻いて、「東京駅に迎えが来てくれるから、その人にわかるようにしていろ」と言われており、私はその手ぬぐいを目印に彼らを探しました。挨拶をして、名前を聞いて、食堂に連れて行ってラーメンか何かを食べさせました。
その後家に泊めてやることになり、布団を2つ敷いたんです。翌朝部屋に行くと、布団の片方が血だらけになっていたんです。病気か?何があったんだ?と聞いてみたら、「相手の布団の方がちょっと畳の上に来ていたから、殴った」だって。2人で仲良く来ていたのに、そんなことで馬鹿をやる。動物みたいな生活をしていたのを、飯を食わせてやりながら育てていくわけですから、大変でしたね。
そんな子たちが、専門的な技術を身に着けていったのは、本当にすごいことです。
指導はご自身でやられたのでしょうか。それとも、教育のプログラムがあるのでしょうか。
技術は入社した時に全部マンツーマンで私が教えます。ちゃんと私が作った技術を学ぶ手順があって、2週間かけてそれをこなすことが初めの課題です。点数も全部つけてやって、できない人は何回もやり直しますが、やり直しを重ねれば、どんな人でも最後までやることができます。
具体的に、どのような課題があるのですか。
まずは「展開」を教えます。例えば1枚の紙から鶴ができるのと同じように、板金も完成品を展開させたら1枚の板に戻るわけです。こういう図面になっていて、こう開いていくと元に戻る。だから、この工程で曲げていくんだよという練習をします。
それができると次は「伸び」の計算です。材料はぎゅっと圧をかけると伸びるんですよ。100ミリのものを真ん中で90度に折り曲げたら、50ミリずつになるかというと、そうはいかないんです。曲げたところが伸びて、50.5ミリとかになっちゃうわけなんです。そうなると品物にはなりませんし、部品の中にはめこもうとしてもはまりません。だから、最初から伸びを計算して短くしておくんです。
切ってベタっと溶接するのではなく、1枚の板を伸ばして形作るには、特殊な技術が必要で、うちはそれで生き延びているんです。大手が量産するにあたっては、伸びたり歪んだりでいちいち切って直すことはできませんよね。だから、狂いのない試作が事前に必要になります。量産するために必ず1回試作が必要になるという点に目を付けて、量産する大きな会社と協働する位置を確立しました。
なるほど。その技術が、会社の独自性であり強みになっているということですね。
入社後に教えることはそれだけじゃありません。技術的な部分が終わると、会社の歴史や板金の歴史のビデオなんかも見せますよ。そうすると背景の情報がわかりますし、いろいろな話をする機会も生まれます。
「板金をはじめとした金属は、熱を加えてから水の中に入れてとり出すと、きゅっと縮まるから固くなるんだよ。それを焼き入れって言うんだよ」って、そんなことを話します。金属の温度なんて昔の人ははかれないけれど、周りを暗くしておいて、こうやって傾けて見た時にオレンジ色がこの色になったら1400度だっていう知識があって、そのタイミングで水に入れてたんだ、なんてことも。科学の話を面白く感じてもらえるように伝えますね。
そういう風に話してもらえると納得しますし、理解しやすいですね。
それから最後は、これまで学校でも本を読んできていない子たちが多いから、「ここに20冊ぐらい置いてあるからその中で短編を読みなさい」って3冊ぐらい読ませるんです。まずは読んで、読んだら何が書いてあるかを私に報告させます。そして今度は同じ本の感想を話させる。それから書き出させる。そうやって少しずつ字を書くことも教えていきました。
学校教育が整備されていなかった部分も、雇用する立場として背負っておられたんですね。
難しいことまでできる必要はないんですよ。展開する時には計算が必ず必要ですが、+-×÷の四則ができれば十分です。三角関数も関わりますが、今はコンピューターでボタンを押すと計算してくれますからね。工学部とか理系で学んできている子で、数学の知識が豊かな子も出てきましたが、そうでなくても中学2年くらいまでの範囲ができていれば大したもんだよと言っています。易しいところまでで大丈夫だから、ただ、これを間違えちゃダメなんだよと伝えていますね。頭が良いからいいってもんじゃないというか、真剣にやろうという気持ちがある人が最終的には一番できるようになっていますね。
板金事業の始まりと変わらない想い
試作板金の需要について先ほど少し触れていただきましたが、その事業に目を付けたきっかけはありますか。
付加価値のあることをやろうと考えたときに、辿りつきました。
元々は板金に穴を開ける仕事から始めていたんです。先輩に教わって、それならできるなと始めました。でも穴だけ開けていてはいくら一生懸命頑張ってやっても採算が合いません。簡単な作業である分、利益にもなりづらいですし、その日暮らしではいけないなと思うようになりました。そうして考えたとき、専門性を持つ試作なら、作る数が少なくても付加価値があると考えました。どうせならレベルの高い試作をやろうということで、いわゆる板金試作という分野を形にしました。
これだけ苦労するならもっといい道具を買わなきゃいけないと考えていた時にレーザー加工機を初めて見たんです。これはすごい!ということで、日本に入ってきたらうちが1番に買うよとメーカーの担当者に伝えました。
実際に1号機を買って、それを一生懸命工夫して動かすようにしたのが弊社です。それが今、レーザー加工なら日本で一番うまいという自負に繋がっています。
レーザー加工を導入できた影響は大きかったですか。
はい。レーザー加工機を日本で1番に入れた会社ということで脚光を浴びて、仕事の相談も増えました。きっかけはレーザーでも、実際に見に来てくれると、これまで積み重ねてきた技術も伝えられます。複雑な型でも作れるということを知ってもらえました。
ー技術を積み重ねられてきた中で、会長はずっと現役で続けておられます。85歳の今も現役を続けられている秘訣はありますか。
仕事の上での無理はすごくしましたが、健康ではありましたね。特別何かスポーツをしていたということはないですが、ラジオ体操はしていましたし、あとは散歩が好きですね。それ以外は、仕事しかしていません。ラジオ体操ならどこでもできますから、今でも最初から最後まで全部きちんとやります。おかげで、肩が痛いとか腰が痛いとかにはあまりなりませんね。
体の健康はもちろん、お話をうかがっていると、目的達成するまで現役で働いていかれそうな熱意を感じます。原動力は何でしょうか。
一緒に働いている人の存在だと思います。自分で興した事業ですから、最初は多分、なんとか大きくして豊かになろうという気持ちがあったんだろうと思います。ですが、気が付いたらそんなことよりも、ついてきてくれたこの子たち・この人たちが不幸にならないようにしようということが常に頭と心を占めていました。
そういう気持ちでいるのは通じるんでしょうね、うちは全然人が辞めません。会話がとても多いですし、怒るときは怒りますが、信頼の上に慕ってくれていると思っています。
社員にもそれぞれいろんな悩みがあるので、それを聞いてあげることもあります。「なんか今日は調子が悪いね、奥さんと喧嘩でもしたんでしょ」なんて。他にも子供が不登校になってしまったとか、それぞれ仕事の他にも大切なものがあり、悩むことがありますから、そういうときにしっかり話が聞ける関係性でありたいと思っています。
コミュニケーション不足による関係性の悪化や退職というのはどの企業にとっても課題ですが、そこを誠実にクリアしておられますね。
一度退職するとうちへの再就職はできない、とは全員に伝えています。そうしないと一時的な調子の良し悪しで入ったり出たりしてしまう人もるでしょうし、そういう動きは本人にとっても良いものだとは思っていません。もちろん、辞める人もゼロではないですが、多くの人は続けてくれています。就職して初めの2年を乗り越えたら、もう誰も辞めませんね。
関わり方の他、勤め続けたいと従業員の方が思えるポイントは他に何がありますか。
その人自身が「これはできる」と思えることが必要でしょう。
先ほども言ったように、初めから優秀じゃなくても、「これだけはやろう、できるようになろう」というものがあり、実際できることがあると、それが自信になって人は頑張れます。
自分はこれに関しては人に負けないよという強い武器がここで培えれば、辞めようとは思わないんでしょうね。うちも助かってますし、力になっています。
一方で問題もあって、あまりに人が辞めないので、それこそ勤続40年超えのスタッフが60名の社員の中に何人もいます。今年も60過ぎてもまだ頑張ってくれている人が4人もいます。65、67歳とか、それぐらいまで。 その子たちがいるから、技術が逃げないのも間違いないです。若手も10年前から入れていますが、まだまだその層には追いつきません。歴の長いメンバーの持っているものをこれからどんどん受け継いで研鑽してもらわねばなりません。
人を増やせば上が残っていても若手を採用できるのでしょうが、会社を大きくしたからって、それで収入が増えるわけでもありません。60人という規模感がピタッとくるんでしょう。何十年、その人数でやっています。
基本的には未経験者を採用するということを伺いました。その方針にはどのような理由がありますか。
中途で来ることもなくはないですが、同業者は入れませんね。うちが引き抜いたとか、そういうあれこれ噂されるのが嫌ですから。
それともう1つは、うちのやり方が専門性が高いからこそ、他社で癖がついた子が来ると、その癖を取り除くのにお互い時間がかかってしまうからです。色々な経歴の方がいますが、学歴よりも仕事が好きで、不器用でも興味を持てる人の方が伸びますね。
今度辞める67歳の子も、前職はビルの夜警でしたが、自分の意思でこっちに来たいと22歳のときに募集を見てきてくれました。そこから40年、全部私が教え込んで、日本でも1番の上の級にあたる国家資格も持っています。
自身の健康と、それから従業員さんへの幸せを込めておられるというのが、現役でご活躍されている原動力なんですね。
ええ。社員のことは本当に大切にしなくてはなりません。形式的にお金で釣っても、その意識は伝わって見破られます。こちらが大切に思わないと、相手も思ってきません。
うちの会社は、特殊で専門性の高いことをやっていますが、決して優秀な子ばっかりじゃないんですよ。 仕事に来た時点で、精神的に参っちゃってるような人もいます。でも、だからってそれがダメだっていうわけではないじゃないですか。きみはそこは弱いから、じゃあ今はここだけ頑張ってやってくれよって、そう言ってやると、彼らも一生懸命やってくれます。そうやって自信を取り戻して居場所を得られたら、気持ちも癒されていきます。しんどいときにやれやれと言われても疲れてしまいますからね。うちのやり方が優れてるわけでもありません。なんなら、大したことないぐらいです。相手を思ってこれだったらできるよねということを準備することなら、誰でもできますからね。
長く、楽しく、真摯に働く。
長く働きやすい環境を作る上で、どういった意識を持っておられますか。
そもそも、日本の「定年になったらもう会社にはいりません」というような発想や制度が間違っていると思っています。健康寿命が延び、我々が若い頃の60歳とは違いますから、まだまだ働ける年齢なんです。今はもう70歳まで働けないようじゃダメでしょうね。
なんやかんや、真面目に会社に毎日来ていればそんなボケないですよ。そういう意味で先ほども話した健康が大事です。
それからもう1つ、笑いが大切ですね。今はみんな、電話やメールで顔も見ないでコミュニケーションをするじゃないですか。それがうちの子はしょっちゅうみんなで話してます。
例えば、普段は全員とは話さなくても、食堂での食事の時は色々な人と話します。お客さんからお土産をもらったときも必ず全員で分けます。営業が外にいていないなら、銀紙でちゃんと包んで小さい付箋に名前を書いて誰々さん分って机に置いておきます。社長宛に盆暮れに色々来ても全部出して積んで、どこどこからいただきましたって書いておきます。
そういう小さく見えるところをまず平等にできていないと、人間は不信に思ってしまうものです。だから、勉強や仕事ができてもできなくても、そういったことはみんな平等にします。課題があってうまくできない子や喋れない子は、特にそういうことはうんと気遣って対応します。
社員全員に対して、責任を持って預かっているというような想いを会長から感じます。
世間では人間関係で問題が発生することもありますが、それは上の人の管理が悪いと思っています。社員みんなの前で言っていますよ。「会社がいい、会社が悪いなんていうのはないんだよ。会社がいい悪いじゃなくて、社長がいいか悪いかなんだよ」って。お前たちも不満があったらどんどん言ってこいよと伝えています。だからこそ、何か言われる前にこっちがちゃんとやってやろうという気持ちをいつも持っているのかもしれませんね。
「笑い」というのはどんなものをイメージすれば良いでしょうか。
大層なものではないですよ。
この前も何人かと話していて、もう私85なんで、話してて疲れちゃうともう寝ちゃうんですよね。そしたら、「会長、今寝てましたよ。会社に来て寝てていいんですか?」って従業員にケラケラ笑われました。それにこっちも言い返します。「寝ちゃダメなんてルールはどこにもないだろ?ただ、それは85歳になったらな」ってね。そういう冗談をしょっちゅう言って笑ってます。職場が明るいというのは、その仕事をするには大事です。
もちろん、笑ってばかりじゃないですよ。簡単なミスをして、めちゃくちゃ怒鳴ることもあります。
厳しい面も。
だって、その怒鳴られた彼もわかってますからね。やっちゃいけないってことをやったって。チェックの仕組みがあって、複数人でチェックをしてからじゃないと検査をしちゃいけないもので、明らかに一覧で見れるようにしてあるんですよ。人間だからもちろん、ミスを叱ってはいけないけれど、実は半年前に同じことを1回やっているんです。2度やったから、私は怒った。1回目は人間だから仕方ないです。本人も2回目で自覚がありましたから、怒られることはわかっていましたね。相手がいる仕事ですから、そのあたりはちゃんとせねばなりません。
失敗自体を責めるわけではないのですね。
失敗することは人間だから仕方ありません。大事なのはそれからです。みんなを呼び出して、「間違えた」って正直に話します。そうして何とか助けてもらいます。レベルの高い技術で、値段をまけたりしない代わりに、請け負った納期には責任があります。それが守れなかったら大変なことでしょう。だから必死になります。
そういうときこそ団結しますし、誰が間違っただとか、そりゃ多少その場でぼやくことは誰しもありますが、それを引きずるわけでもありません。みんな使命感を持ってやっています。現場が悪かったら、営業が次の仕事を取れないじゃないですか。それは営業に悪い、申し訳ない、と強い団結で乗り切ります。
自分の部署を、自分の仕事を、という風になりがちなのに、他の部署のことまで考えられるのは素晴らしいことです。
最後に、会社の今後の方向性についてビジョンを教えてください。
大きく2つあります。
1つは、海外に向かっていきたいと思っています。会社はここに置いていても、外国で展示会をして、依頼があったところとオンラインでやりとりをして、と進めていけると思っています。今のスタッフを全員海外に連れていくということはできませんが、そういうクイックサービスは今でも可能です。
もう1つのビジョンはなんでしょうか。
現在研究を続けている、ロケットを含む圧力容器(圧力タンク)の完成です。うちはあくまで試作がメインですが、ロケット技術の開発にも近年携わっています。海外進出という意味でも、ロケット技術の方が国を超えていけるんじゃないかと検討しています。
海外では大学発のベンチャーなどロケット分野の研究が活発なのですが、ご承知の通り、日本は打ち上げに非常に苦しんでいます。海外の人工衛星がぽんぽん飛んでいく中、日本で打ち上げるなんて、今だってみんな失敗しています。だから、海外ベンチャーと提携して展開していきたいですね。
JETROに申し込んだら、たまたま全国9社の中に入れていただきました。そこから、ロケット関連事業のコンサルタントを無償で派遣してもらっています。宇宙については町工場ではうちが一歩出てると思っているので、ここから踏み出していきたいですね。望んで、一生懸命努力すれば、いつかは叶いますから。そして何よりうちには試作板金ではかなりの力がありますから、新しい切り口でどこかが一緒にやろうと見出してくれると思っています。
ありがとうございました。最先端の分野で国内の多くの開発の根幹となる「精密試作」を担っておられるツツミ産業様が、ひとりの人として従業員に地道に向き合ってここまで来られたというお話は、きっと日本中の町工場や中小企業の励みになるはずです。人に誠実に、必要とされる付加価値を届ける御社とそこで、生まれた技術の益々の発展を心より願っております!
コントリ編集部からひとこと
世の中に300万社以上の中小企業がある中で、一代で60年近くも経営している経営者がどれほどいるでしょうか。今回取り上させていただいた堤健児会長は85歳で現役の経営者兼エンジニアです。その若々しさは本当に85歳とは思えません。会長の技術に対する深いこだわりは比類なく、それに加えて従業員を大切にする心との絶妙なバランスが非常に印象的でした。また、技術に疎い私たちにも、工場やショールームを丁寧に案内しながら説明してくださいました。このような姿勢が取引先や従業員からの共感を得て、現在のツツミ産業が築かれたのだと確信しました。 これからの海外進出や宇宙事業への挑戦も大変楽しみです。私たちも影ながらですが、応援しております!
ギャラリー
プロフィール
ツツミ産業株式会社
会長
堤 健児
1938年生まれ。1965年にツツミ産業株式会社を設立。学生時代に取得した「プラスチック洗米カップ」の特許を活用してビジネスに乗り出す。時代の変化で洗米カップの需要が減り、金属加工業への転換を決断。金属加工の中でも技術力は必要だが、利益率の高い「精密試作板金」をいう分野に特化しノウハウを蓄積してきた。海外進出やロケット用の部品の製造などにも積極的にチャレンジしている。趣味はハーモニカ演奏。座右の銘は「忍耐」。
【会社概要】ツツミ産業株式会社
設立 | 昭和40年12月1日 |
資本金 | 1,000万円 |
所在地 | 神奈川県相模原市緑区橋本台2-5-30 |
従業員数 | 60名 |
事業内容 | 1. テレビ・ビデオの機器部品の制作 2. 通信機器・計測機器及び事務機の機械部品制作 3. 音響機器の機械部品の制作 4. 上記の金型制作 |
HP | https://www.tsutsumi-s.co.jp |