「一生安泰」を捨てた先に見つけた使命──3度の転機を経て辿り着いた「伴走型広報PR」という生き方

「世の中を良くしようと心意気のある人や企業の挑戦にスポットライトを当てて、その想いを必要な人や場所に届けること——これが私が心から続けたい仕事でした」。

株式会社グラヴィティPR代表取締役の山田佳奈恵氏は、穏やかな笑顔でこう語ります。一生安泰と言われた政府系金融機関を飛び出し、コロナ禍で月数万円の売上まで落ち込み、そして広報PR事業への大転換——。3度の転機を経て辿り着いたのは「伴走型広報PR」というスタイルでした。

「1リモート社員という立ち位置で、二人三脚の伴走型支援を心がけています」。子育て中の女性スタッフで構成され、「夜・土日は絶対に働かない」ルールを徹底しながらも、クライアントの成功を次々と生み出す山田氏に、その軌跡を聞きました。

「一生安泰」のはずが──金融機関を飛び出した20代の決断

「金融機関って女性でもそこそこ給料がいいし、両親が2人とも金融機関の出身だったから、なんかいいかなと思って」

山田氏が農林漁業金融公庫(現:日本政策金融公庫)に入庫したのは、特別な志があったわけではありませんでした。しかし入庫2年目、広報部に配属されたことが、人生を大きく変えます。

情報誌の副編集長、社内報の立ち上げ——20代前半で企画から携わる経験は「なかなかない機会」でした。

「本当に体を壊すところまでちゃんと働いたみたいな」

それほど夢中になれた広報の仕事。しかし、金融機関には定期異動があります。いつかは広報を出なければならない。その現実が、山田氏を苦しめました。

「広報以外に行きたい部署が全くなかった」

さらに、千葉の実家から都内への通勤は遠く、毎日往復4時間。体調も崩してしまいます。結局、後ろ向きな理由で退職することになりました。

一方で、公庫に残った同期たちは着実にキャリアを積んでいきます。役職に就く人も出てきた。その対比が、山田氏を追い詰めていきました。

「逃げるようにして辞めた自分。仲間とどんどん差ができていく感じがすごく嫌だった」

同期会にも行けなくなるほど、自分のキャリアに自信が持てなくなっていました。キャリアの尻つぼみへの恐怖——それが、山田氏を次の決断へと突き動かすことになります。

フリーランスの現実──理想と現実のギャップに直面した30代

「なんで私フリーになりたいんだろうって振り返ったときに、公庫でインタビューさせていただいた数々の女性経営者の方々の姿があった」

山田氏が30歳でフリーライターとして独立を決めた理由——それは、公庫時代に取材した全国各地の女性経営者たちの姿でした。

融資を受けて経営をV字回復させた女性や、0から新規事業を立ち上げて世の中に新しい価値を生み出した女性たち。夫は別の仕事をしていて、自分1人で事業を切り盛りしている人も多くいました。

「皆さんすごく周りに感謝しながら自分の人生を楽しんでる方が多かった。当時の私には皆さん本当に眩しく見えたので、そういう他にはない人生を、ちょっとチャレンジしたいなって思った」

女性でも、自分の力で事業を立ち上げ、楽しく働いている——その姿が、山田氏の背中を押しました。「このまま雇われの人生を送っていく延長線上にキャリアの起死回生はない」。30歳の節目、山田氏はフリーランスに転換します。

しかし、独立後の現実は厳しいものでした。

「細々とライターをやってて、知人に誘われるがままに法人化しちゃって。だから、年商数百万とか、それぐらいでずっとやってきていました」

売上は伸びない。一方で、公庫に残った同期たちは昇進・昇給していく。その対比が、山田氏を苦しめました。

「この頃は毎日、自分の人生を、ずっと恥ずかしく思っていました」

それでも、山田氏は諦めませんでした。町の歯医者さん、整体・整骨院、エステサロン——個人で店を立ち上げた人たちを取材する日々。

「皆さん前向きに、日々お客さまのために頑張ってる方が多くて。こういう頑張っている人たちを、文字で価値を伝えるサポートをして、すごく楽しかった」

頑張っている人を応援する——その「楽しさ」が、この後訪れる最大の危機を乗り越える原動力になっていきます。

コロナ禍、月数万円の売上──廃業届を出す寸前の決断

2020年、新型コロナウイルスが襲いかかります。

「本当に全部の仕事がなくなって、月数万円の売り上げしか上がらない月が3ヶ月ぐらいあって。もうこれはもう駄目だと思って、廃業届を出そうかなみたいな」

月数万円——。出ていく経費の方が多い。子供はまだ小さい。山田氏は本気で廃業を考えました。

しかし、絶望の中で、一筋の光が見えます。

「SNSでよく見かけていた広報の講座を、元々ずっと受けたいと思ってたんです。でも当時はまだ子供が0歳だったりそもそもお金がなかったりで、都内に定期的に講座を受講するのが難しく、断念していました。

ただ、コロナの流れで、その広報の講座が対面からオンライン開催に切り替わっていたんです。これは『チャンスだ!』って心が踊ったことを今でも覚えています。」

ずっと受けたかった広報の講座が、コロナ禍でオンライン化に。今なら、子供がいても自宅から受講できる。

山田氏は決断します。古巣の日本政策金融公庫からコロナ融資を受けて、その資金で講座に飛び込みました。

この決断が、すべてを変えます。

講座を受け始めて1ヶ月後から仕事を獲得。その後も営業の成果が実り毎月1社ずつ顧客を獲得し、月数万円だった売上が一気に100万円台まで拡大していきました。

廃業寸前——「もうダメだ」と思った、その瞬間に。人生最大のチャンスが訪れたのです。

「夫の収入を超える」より大切なこと──事業の本質に気づいた瞬間

広報事業が軌道に乗り始める前、実は山田氏は家族との間でぶつかることが増えていました。

「お金の件で、喧嘩になるような感じのことがたまにあった」

元々2012年にフリーランスになった時、山田氏は、多くの女性起業家と同じように、「夫の収入を超える」ことを目標にしていました。それが、対等な関係の証明。「おままごと起業」じゃないという証——。

しかし、広報PR事業にシフトして売上が伸び始めた時、山田氏はハッと気づきます。

「別に仕事って夫の収入基準でやるものじゃないじゃないですか」

クライアントが求めているのは、メディア露出。認知拡大。信頼力・ブランド力アップ。自社の成功——。

「別に山田さんの夫の収入がどうとかって関係ないよね」

そうだ。夫と比較している時点で、視点がずれている。

「そこを見てる、気にしてる時点で、事業やる資格ないよねって思っちゃう。夫の壁をクリアできてない時点で、クライアントさんの求める目標とか絶対達成できないだろうし、クライアントさんもそういう意識の人に頼みたくないよね、っていう」

追い求めるのは、「夫の収入超え」から「クライアントの真の成功」へ——。

この視点の転換が、山田氏の「伴走型広報PR」という、クライアントに徹底的に寄り添うスタイルの原点になったのです。

「制約がある人ほど強い」──子育て女性チームが高パフォーマンスを発揮する理由

「時間に余裕があればあるほど仕事を後手に回して、結局原稿の締切ギリギリに急いで仕事するような、精神衛生的にもよくない仕事の仕方をしていました」

フリーランスだった頃、山田氏は時間があるのにダラダラ働いていました。しかし、子どもが生まれてから、状況は一変します。

「逆に子供が生まれて『仕事に充てられる1人時間』がほぼなくなった時に、その貴重な時間のパフォーマンスを最大化するために工夫を凝らすことで、逆に仕事の質が上がり、それに比例して収入も右肩上がりになった」

限られた時間しかない。だからこそ、その時間に全力を注ぐ——すると、仕事の質が上がり、収入も増える。

「『ここしか時間がない!』という制約があると、一言『強い!』って感じています」

この経験から、山田氏は会社運営にも明確なルールを設けました。

「うちの会社にいる限り、土日は絶対仕事しないで。夜もね」

現在のスタッフは、みんな小さい子どもがいるお母さんたち。業務時間は9時から5時の間のみ。山田氏自身も、金曜の夜や土日に送るメールは予約配信機能を使い、全て平日の朝に配信されるよう設定しています。

「9時から5時の間に、みんながハイパフォーマンスを出すようになって。ここしか仕事できないから、すごく集中してやってます」

限られた時間だからこそ、集中力が高まる。さらに、タスク管理アプリでスタッフと進捗を共有しています。スタッフがタスクを完了すると通知が届く——そのゲーム感覚が、チーム全体のモチベーションを高めます。

「昨日はスタッフが8個もタスクを終わらせていて。すごいなって思いました」

制約がある人ほど、パフォーマンスは高い——。山田氏のチームは、その新しい働き方の可能性を証明しています。

「二人三脚」の伴走型支援──2年越しの信頼が生んだ日テレ出演

「1人のリモート社員として社内にいるかのような立ち位置で、二人三脚の伴走型支援を心がけています」

山田氏が語る「伴走型支援」——それは、単なる広報の代行業務ではありません。その象徴的な事例が、2年越しで実現したクライアントの日本テレビ出演でした。

「お問い合わせ自体は2年前からあった会社さんで、本社が日本の会社じゃないので、本部との調整がいろいろあって、2年ぐらい保留に」

問い合わせから2年。その間、何度も契約の見直しがありました。本国の経営危機で予算が削られる——それでも、山田氏は諦めず、細々と連絡を取り合い続けました。

そして今年の夏、ついに契約が実現。月1回のミーティング、イベント企画支援、プレスリリース配信——そして、現場への訪問。

「現場に足を運んだ方が、『そういえばうち、こんなネタがあったけどPRになるかな』みたいな、オンラインでは聞けないざっくばらんな雑談がその場で聞けたりする」

さらに、山田氏はクライアントやメディア関係者のSNSを必ずチェックします。

「XとかFacebookとか全部フォローして、プライベートな投稿も見たりするので。この人こういうのが好きなんだとか、この間こんなとこ行ってたなって」

次のミーティングで、さりげなくその話題を出す。「あの写真綺麗でしたね、どこですか」——そんな何気ない会話が、打ち合わせを和やかにし、信頼関係を深めていきます。

こうした地道な積み重ねが、ついに実を結びます。先週、そのクライアント企業が日本テレビの「DayDay.」に取り上げられたのです。

コロナ禍前は頻繁にメディアに出ていたこの会社。しかしコロナを経て、メディア露出がピタリと止まっていました。その会社が、再び地上波に露出した——。

「2、3年のちょっとしたコミュニケーションの積み重ねが、今そこに繋がった感じがあります」

山田氏は、嬉しそうに目を輝かせます。

ちょっとしたこと。でもそのちょっとしたことが、後の大きな信頼につながる。山田氏の「伴走型支援」の本質は、そんな小さな積み重ねの中にあるのです。

これからの広報PR──地域に根差し、挑戦する人を応援し続ける

「来年以降は、新事業の立ち上げもして、事業拡大に向けていければ」

新しいスタッフも加わり、会社の体制はより強固になりました。山田氏が目指すのは、ただの売上拡大ではありません。

「せっかくスタッフも増えて、新たなチャレンジをしたいなって。やっぱチャレンジしてるときって、人生面白いじゃないですか」

具体的な数値目標として、「女性2、3人の会社で、売り上げ5000万ぐらいを目指したい。あと3年ぐらいで」と語ります。しかし、山田氏の真の目標は、数字の先にあります。

「世の中を良くしようと心意気のある人や企業の挑戦にスポットライトを当てて、その想いを必要な人や場所に届けること——これが私が心から続けたい仕事でした」

そのために、クライアントに寄り添う伴走型広報PR支援の強化、自治体や企業向けの広報教育の充実、そして子育て中でも自分らしく働ける女性のチームづくりを進めていきます。

「埋もれてる『いいもの』ってめちゃくちゃありますよね。公庫の取材時代に思ったんですよ。この農家さんが作っている卵がけ醤油めちゃ美味しいじゃんって。でも全然関東で売ってません」

山田氏は、目を輝かせながら語ります。

先日行った広報研修でも、印刷会社が新聞紙をアップサイクルした包装紙を作っていることを知り、興奮したそうです。

「内部にいると当たり前すぎて、みんな気づかなくなっちゃう。『こんなポテンシャルあるんだ』って発見してもらえるだけでも、すごく嬉しいです」

山田氏が広報支援を通じてやりたいのは、そんな「埋もれた価値」を見つけ、世の中に届けること。そして、挑戦する人たちの背中を押すことなのです。

「地域に根ざし、そっと頑張る人の背中を押せる存在であり続けたい——それが、私のビジョンです」

山田氏は、穏やかだけれど力強い口調で、そう締めくくりました。

コントリからのメッセージ

「一生安泰」を捨てる勇気。コロナ禍での月数万円という絶望。夫の収入を基準にしていた視点の転換。子育ての制約の中で磨かれた集中力。そして2年越しの信頼が生んだ日テレ出演——。

山田佳奈恵氏の物語は、単なる「女性起業家の成功ストーリー」ではありません。それは、「本当にやりたいこと」を見つけるまでの試行錯誤の物語であり、「制約の中でこそ輝く」新しい働き方の提案であり、そして何より「誰かの挑戦を応援する喜び」を見出した人生の物語です。

山田氏が公庫時代にインタビューした数十人の女性経営者たち。その眩しい姿が、山田氏の人生を変えました。そして今、山田氏自身が、中小企業やベンチャー企業の経営者たちに「眩しい未来」を見せる存在になっています。

もしあなたが今、「このままでいいのか」と悩んでいるなら。もしあなたが今、制約の中で諦めかけているなら。もしあなたが今、誰かの役に立ちたいと思っているなら——。

転機は、「もうダメだ」と思った瞬間にやってくる。制約は、弱みではなく武器になる。そして、ビジネスの成功とは、誰かの成功を応援することにこそある——。

山田氏の「伴走型広報PR」という生き方は、そんな普遍的な真理を、私たちに教えてくれています。

プロフィール

株式会社グラヴィティPR
代表取締役
山田 佳奈恵

農林漁業金融公庫(現:日本政策金融公庫)広報部での経験を経て、30歳でフリーライターとして独立。コロナ禍で月数万円まで売上が落ち込む中、広報PR講座の受講を機に広報PR事業へ大転換を果たす。現在は「1人のリモート社員」として企業に寄り添う伴走型支援を展開し、2年越しの信頼関係で日本テレビ「DayDay.」出演を実現するなど実績多数。子育て中の女性スタッフで構成されたチームで「夜・土日は働かない」を徹底しながら高パフォーマンスを発揮。「埋もれた価値を発見し、挑戦する人を応援する」を使命に、地域に根差した広報PR支援を展開。

ギャラリー

会社概要

設立2014年3月10日
所在地千葉県千葉市緑区中西町601-18
従業員数3人
事業内容広報PRの企画戦略と代行サポートおよびコンサルティング
各種研修・セミナーの企画運営
HPhttp://gravity-g.com/


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