結婚式に「本物」を取り戻す。日本唯一の婚礼文化研究家・鈴木一彌が42年かけて見つけた答え

「何組やったかは数えていませんし、覚えてもいないんです」——。

穏やかな口調でそう言い切る鈴木一彌(ひとみ)氏は、婚礼のプロデュースと民俗学的研究を融合させた、日本で唯一の婚礼文化研究家です。東京・銀座を拠点とする株式会社GINZA Fioreの代表として40年超のキャリアを積みながら、50代から大学・大学院へと学び直し、今なお「本物とは何か」を問い続けています。会社員プランナーとしての深い違和感から始まった起業、ハワイでの試練、そして婚礼文化の継承へ——鈴木氏の歩みには、ニッチな専門領域を深く耕し続けることの力が凝縮されていました。

「フィオーレ」に込めた哲学——1組の結婚式が、1本の花

社名の「フィオーレ」はイタリア語で「花束」を意味します。なぜこの言葉を選んだのか。鈴木氏は少し微笑みながら話してくれました。

「よく『何組やりましたか』と聞かれるんです。でも私は数えていないし、覚えていない」

件数を競うことへの違和感——そこに、この名前の由来があります。

「1組1組の結婚式が1本1本のお花で、幸せの1本1本が集まったら大きな花束になるよね、というイメージなんです。何件やりたいということじゃなくて」

目の前の1組1組の幸せに向き合い続ける。そのあり方そのものが会社名に宿っています。

では、その花束はもう完成したのでしょうか。そう問いかけると、鈴木氏は迷いなく首を振りました。

「全然。死ぬまでこの仕事も研究も達成することはないと思っています。ずっとやり続けます」

力みも焦りもない、ただ静かな確かさがその言葉にはありました。

「銀座」を会社名に冠したのも、鈴木氏らしいこだわりです。文化の発信地として確立された銀座の地を選ぶことで、起業したての自分に一定の信用を与えると同時に、「一度つけたら動けないじゃないですか。自分で自分を追い込む、という意味もありましたね」と話します。信頼とコミットメントを同時に設計した、経営者としての冷静な判断がそこにありました。

中学生の誓いから42年。「夢の仕事」がもたらした深い違和感

鈴木氏が婚礼の世界に魅せられたのは、中学2年生のとき。イギリス映画で目にした結婚式のシーンがすべての始まりでした。以来、OLをしながら土日に司会業をこなし、やがて念願のウエディングプランナーの職に就きます。

しかし、長年夢見てきたはずの現場は、想像とはかけ離れたものでした。表情を曇らせながら、鈴木氏は当時をこう振り返ります。

「保険会社のように『Aさんの案件は何件、Bさんは何件』『ブライダルフェアで何件取れたか、なぜ取れなかったか』と営業成績ばかり言われる。私が中学から夢見ていた仕事はこれじゃない、と思いました」

強い違和感を覚えたのは、数字への圧力だけではありませんでした。結婚式を終えたお客様がわざわざ報告に訪れても、組織は「次のお客様がいるから」と素通りさせてしまう。その光景が、どうしても受け入れられなかったといいます。

「その方はおばあちゃんが『こう言っていましたよ』と伝えたくて来てくれているわけですよ。それをそんなふうに扱えないですよね」

では、理想の環境を別の会社に探したのかと聞くと、首を横に振りました。

「こういう会社を探したらどこにもなかった。友人のプランナーたちも『みんな同じだよ』と言う。だったら自分で作ればいいじゃん」

鈴木氏にとって、その結論はごく自然なものでした。

幼少期からそんな鈴木氏の背中を押し続けたのが、高度成長期を生きたサラリーマンの父です。高校生のうちから司会を勧め、こう言い聞かせたといいます。

「新参者として初めて行ったところで、人前で進行できるひとは?と言われたら即手を挙げなさい。そうすると全ての情報が入ってくる。登壇する人全員と名刺交換できる。女性でも司会ができますと言えることが強みになるから、喋れるようになれ」

報連相を「新聞の構成で話してごらん」と楽しく教え、娘に「見出し・中見出し・本文」の構造で話させた父。起業を告げたときも、一言こう言って笑ってくれたそうです。

「すごいな、楽しめよ。ただし法には触れるな」

無収入・無計画でハワイへ。それでも前に進めた理由

当時、日本で株式会社を設立するには1,000万円の資本金が必要でした。ホテルとの取引には株式会社という箔が必要だと考えていた鈴木氏は、海外での起業という道を選び、調査の末にハワイへと渡ります。

苦労はなかったのかと聞くと、鈴木氏は笑いながら即答しました。

「絶対ありますよ、苦難は。スムーズにいくわけがないです(笑)」

一回り年下の友人が損得なく同行してくれたその旅は、「一人で成し得る仕事ではない」という価値観を鈴木氏に深く刻みつけました。

現地での体験もまた、鈴木氏の根幹を揺さぶるものでした。本物のキリスト教会を訪問した際、関係者に強く扉を閉められたのです。後から「洗礼を受けたキリスト教徒が挙げる神聖な式に、軽い気持ちの日本人が入ってくるな」という意味だったと知り、素直に「ごめんなさい」という気持ちになったと鈴木氏は静かに語ります。

「人が大事にしている宗教や人生の儀礼を、チャラい気持ちだと思われてしまっていることへの、ある意味での教えをもらいました。『日本の本物とは何か』をより強く考えるようになったきっかけでもあります」

その後も、金銭トラブルや企画の流出を経験します。ある日、自身が提案していた企画がホテルの企画としてブライダル誌に掲載されているのを目にしたこともありました。悔しさに飲み込まれなかったのかと聞くと、鈴木氏は力強く言い切りました。

「人が作った企画は、違う人がやっても大した内容にはならない、とも思えた。企画を持っていくときにはもっとちゃんとした形にしなければいけないことも学んだ。全部学びに変えましたね。それを学びに変えないと、ただの主婦のおばちゃんで終わってしまうので」

逆境をそうやって乗り越えてこられた理由を尋ねると、自分の性分だと笑います。

「止まってモジモジしているとネガティブな言葉ばかりが出てきてしまうので。走っていた方が痛みを忘れるんですよね」

座右の銘「どうしたら出来るか考える」は、まさにそのままの生き方を体現しています。お客様から「空から入場したい」と言われれば「素敵ですね、どうしたら空から降りてこられるか考えましょう」と応じるのが、鈴木氏流のプランナー哲学です。

50代から大学院へ。「研究」が拓いた、日本唯一の専門領域

婚礼の仕事を続けながら、鈴木氏は長年ある問いを抱え続けていました。「三々九度の盃はなぜあの形なのか」「高砂という曲をなぜ結婚式であそこで歌うのか」——現場で積み上げた疑問を解くには、学ぶしかない。そのタイミングが訪れたのは、5〜6人の介護が一段落した50代のことでした。

「ずっと誰かを介護してきたから、『介護することがない人生』というのが初めてだったんです。さあ自分の時間ができた、何をしようか、と」

行き着いたのが京都芸術大学の和の伝統文化コースでした。着物と結婚式、お茶と結婚式、能と結婚式——それらを学ぶうちに、すべての線が1点に集まっていく感覚を得たといいます。

「1000本の線が1点に集まって1つのものができあがるような感覚で『ここだ』と思いました。思いのほか楽しくて」

その後、コロナ禍でブライダルの仕事がほぼ止まります。しかし鈴木氏はその空白を惜しまず活用しました。「だったらもっと勉強できるじゃん」と、今度は國學院大学大学院へ。民俗学の視点から婚礼を研究し、修士を取得した後は国立総合研究大学院大学の研究生として、「勉強」から「研究」へと深化していきました。

ブライダル業界からそこまで進んだ人は他にいるのかと聞くと、鈴木氏は静かに首を振りました。

「1〜2人くらいですかね。お金にならないことをやる人がいない、ということですね」

その歩みを後押ししたのは、先祖・伊能忠敬の存在でもありました。父方の系列に忠敬を持つ鈴木氏は、彼の生き方をこう語ります。

「彼も50過ぎてからやりたいことをやった。日本を良くしようということじゃなくて、地球の大きさを測りたかったというただそれだけの純粋な気持ちで」

その純粋さが、学び直しへの背中を押してくれたといいます。父が亡くなるとき、「じゃあ残りはやりたいことやるよ」と思えたのも、そうした積み重なりがあったからこそでした。

テレビ・映画が頼る監修者になれた「中途半端」という強み

「婚礼文化」「ブライダル専門家」で検索すると、鈴木氏しか出てこないといいます。映画やドラマのスタッフが婚礼シーンの監修者を探した結果、自然と鈴木氏に行き着く——しかもその仕事は、一度も営業をかけたことがないのだそうです。

なぜ自分に依頼が来るのか、鈴木氏自身も最初は不思議だったといいます。

「テレビ監修という仕事が来るようになったのは、ありがたいことなんですが、理由が面白くて」

大学教授に監修を依頼すると、「それは違う」と言われて現場の意図が通らないことがある。一方でプランナーだけでは学術的な根拠を示せない。鈴木氏の立ち位置は、その間を埋めるものでした。自分では弱点だと思っていた部分が、実は強みだったと気づいたときの言葉が印象的です。

「私はデメリットだと思っていたんですが、テレビの人たちから見ると……ブライダル半分・研究半分の中途半端な私を好んでくれるのが監修という仕事だったんでしょうね。『どうぞ。ただし違うけどとは言います』というスタンスが、現場で一緒にやりやすいみたいです」

この「中途半端」という強みは、地道な信頼関係の積み重ねからも生まれています。

「仕事のやり取りだけじゃなく、相手の状況や気持ちに沿うことが必要かなと思っていたので」

「お相手の痛みを分かち合う」こと——それが、仕事上でも人間関係においても鈴木氏が大切にしてきた軸です。

婚礼文化に潜む誤情報と、失われゆく「本物」の意味

婚礼文化研究家として鈴木氏が強い危機感を抱くのが、インターネット上に溢れる「根拠不明の婚礼情報」です。具体的にどんな問題があるのかと問うと、表情を引き締めてこう答えました。

「裏付けのないまま広まっているものや、一部の地域や時代の事例があたかも一般的であるかのように扱われているケースが多くあります」

例えば「お茶は不祝儀のもの」という俗説。しかし地域によっては婚礼において欠かせない存在である場合もあり、一概に判断できるものではないといいます。近年増えているブライダルフォトでも、末広(扇子)の扱いや縁起に関わるポーズが、本来の意味を踏まえずに使われているケースが目立ちます。

では、どうあるべきか。鈴木氏は静かに、しかし力を込めて語ります。

「婚礼で用いられる一つひとつの物や所作には意味があり、それらを理解したうえで現代にどう活かすかが重要だと考えています」

日本の婚礼は時代・身分・地域によって意味や解釈が異なります。一般的に言われるマナーと婚礼における本来の意味が一致しないことも少なくない。「本物とは何か」を問い続けることだけが、文化を守り次世代へとつなぐ唯一の手段だと鈴木氏は信じています。

婚礼文化博物館・婚礼文化学会——知識を未来へつなぐ仕組みづくり

2026年、鈴木氏は「婚礼文化学会」を設立しました。一般的な学会とは逆の仕組みを採用しています。その狙いを、鈴木氏はこう説明します。

「普通の学会は発表する側がお金を払うんですが、逆に知識を受け取る側がお金を払い、発表する人はお金をもらえるシステムにしました」

文化をお金に変えることができる——そのことをブライダル業界の仲間たちに示すことが、鈴木氏の一つの使命でもあります。

さらに鈴木氏が長年温め続けているのが「婚礼文化博物館」の構想です。コロナ禍の助成金で商標登録を済ませ、京都芸術大学在学中に取得した学芸員資格を活かし、今や東京大学や京都芸術大学などと連携したメタバース(バーチャル空間)上での博物館構築プロジェクトへの参加も決まりつつあります。その博物館で実現したいことを、鈴木氏は目を輝かせながら話してくれました。

「西陣織などの本物の伝統文化のものを展示して、世界中から日本の結婚式の文化を知ってもらえるようにしたい。婚礼に関する古い文献の崩し字を現代語に翻訳して図書館のようにしておければ、私がいなくなっても誰かが継承していける」

完成はいつ頃を見込んでいるのかと聞くと、鈴木氏はにこやかに首を振りました。

「私には目標はないんです。オープンしたら、歩き続けるのみ」

そして鈴木氏がこれから最も大切にしたいのは、知識や技術ではなく、「言葉を残せる大人」であることだといいます。かつて授業で出会い、人生を諦めようとした学生が、思いとどまって帰ってきた。今年、鈴木氏はその学生の結婚式を執り行います。「絶対やるからね、と言っていたので」と目を細めて話す鈴木氏の横顔には、経営者でも研究者でもなく、人の人生に寄り添い続けてきた一人の大人の顔がありました。

これからの自分が何を残したいかと尋ねると、静かにこう答えました。

「私が突然いなくなっても迷惑がかからないようにしたい。それよりも、コミュニケーションで残した言葉や態度が、残っていってほしい」

北大路魯山人はかつて「縦軸で生きる人が多い中で、私は横軸で生きていく。横の方が同じ頂点への近道だ」という趣旨の言葉を残したといいます。鈴木氏はその言葉をそのまま体現するように、現場と学術、プロデュースと研究、伝統と現代を横断しながら、誰にも真似できない専門領域を切り開いてきました。

コントリ編集部より

42年間、婚礼の「本物」を問い続けてきた鈴木一彌氏のお話には、経営者として深く考えさせられるメッセージが詰まっていました。「お金にならないことをやる人がいない」という空白地帯にあえて踏み込み、現場と学術研究を融合させた独自のポジションを切り開いた鈴木氏。「中途半端」と見られていた立ち位置が、やがて誰にも代替できない強みへと変わっていく過程は、ニッチな専門性を磨き続ける経営者なら誰もが共感できるはずです。

インタビューの最後、カップルを長年見てきたプロとして「うまくいく夫婦の共通点」を聞くと、こんな言葉が返ってきました。「好きなことが一緒より、嫌いなことが一緒な人の方が大事。嫌いなものは毎日の生活の中でずっと積み重なっていくから」。婚礼だけでなく、仕事のパートナーシップにも通じる深い洞察です。

本物を追い求め、歩み続ける鈴木一彌氏に、ぜひ一度触れてみてください。

プロフィール

株式会社GINZA Fiore
代表取締役
鈴木一彌(すずき ひとみ)

婚礼文化研究家。東京都出身。帝国ホテルブライダルサービス勤務を経て、2003年にハワイにて株式会社GINZA Fioreを創業。婚礼プロデュース・司会・学校講師を経て、映画・ドラマ・舞台における婚礼シーンの監修を手がける。50代より京都芸術大学で伝統文化を学び直し、國學院大学大学院で民俗学修士を取得。国立総合研究大学院大学研究生として婚礼文化の研究を継続。2026年、婚礼文化学会を設立。日本ブライダルスペシャリスト協会(JBSA)代表。

ギャラリー

会社概要

設立2003年9月
所在地東京都中央区銀座6-6-1 風月堂ビル5階
事業内容①映像・メディア監修(映画・ドラマ・舞台・テレビ番組の婚礼シーン・文化考証・所作の監修)
②婚礼文化の研究と継承(JBSA運営・婚礼文化学会設立・運営)
③日本文化体験プロデュース(能・狂言・書・日本舞踊・茶事・武道等の本物の日本文化体験企画)
HPhttps://ginza-fiore.com/

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