てのひらと生活になじむ鉛筆を。老舗・北星鉛筆が描く文具の未来

百貨店での文具博など、文房具を愛する人たちの存在を感じることも多い今日この頃。愛好家はもちろん、私たちの誰もが思い出をもっているのが「鉛筆」です。新しい鉛筆を削るときの高揚感、文具店で色とりどりのデザインから選ぶ楽しさ。短くなった鉛筆をどこまで使い続けられるか競っていたクラスメイトはいませんでしたか?
そんな鉛筆が、今大人になった私たちに何を気付かせてくれるのか、長い歴史の中での事業承継の歩みと共に、北星鉛筆株式会社5代目代表・杉谷龍一様にお話しをうかがいました。

北星鉛筆の文具・エコロジー事業について

コントリ編集部
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御社の事業内容について教えてください。
鉛筆のイメージが強いですが、文房具全般と、エコロジー商品の研究開発がメインでしょうか。

はい、基本は「北星鉛筆」という社名通り鉛筆がメインです。鉛筆の木軸を作る技術を使って、ボールペンやシャープペンシルを作ったり、木製の定規なども作っています。ですので、文房具全般と言っても、プラスチックはほとんど使わず木製の文具が大半を占めています。

コントリ編集部
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工場の外壁にも鉛筆の絵がたくさんあってにぎやかですね。

この場所を作って工場見学をできるようにした時が、ちょうど外壁の塗り替えの時期だったんです。それなら子供たちが来た時に楽しめるようにということで、昔のグレー1色から鉛筆柄にデザインを替えました。
壁をイラストにしたことで、近所の人にも鉛筆を作っている場所なんだなとすぐわかってもらえます。それに、あれを見て「鉛筆が作れるんですか」と問い合わせしてくる人も多く、やって良かったかなと思います。

コントリ編集部
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私たちもこちらに向かってくる時に少し遠くからでも鉛筆が見えて、「あそこだ!」となりました。
親しみのわく素敵な場所ですね。
エコロジー系の商品についても、焦点を当てたきっかけを教えてください。

鉛筆はどうしても、何年もかけて育った木を削って作る商品です。それがもったいないなという思いはずっとありました。そんな折、ここ10~20年ほどで、海外から安い鉛筆がどんどん入ってくるようになりました。安い商品とどう差別化するか、競争していくかと考えたときに、製作の過程で30%ほど捨てている木材のおがくずをリサイクルすることを考えつきました。それが売れた分の利益を鉛筆に還元すれば、今まで通りの品質を保ちつつ、安く鉛筆を作ることができるんじゃないかと。エコ施策というよりは、当時の状況を有効利用して鉛筆のために使うにはどうすれば、と考えていました。その結果として、エコにも繋がったことは良かったと思います。
また、そのまま捨てると産業廃棄物としてお金も取られてしまいますが、リサイクルしてしまえば、ごみ処理にお金を払わず逆に利益が出ます。もちろん、色々設備も入れる必要がありましたし、そう簡単にできたわけではありませんが。

コントリ編集部
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そこから開発を進めて来られたのですね。

まずはおがくずを固めて薪にしましたが、それを燃やす設備がありませんでした。ただ、薪として固めれば場所も取りませんから、その処理自体はずっと続けていました。なかなか商品化は難しかったんです。季節ものですから、冬場は使えても夏場はいらないとか、キャンプ場で使ってもらおうと思ったら、間伐材があるからいらないとか。結局売れなくてやめてしまいました。
実際に商品化が始まったのは、2001年。私は 2000年に入社したのですが、そこから色々と研究開発が始まりました。鉛筆屋に入ったつもりが、初めは鉛筆のことではなく開発ばかりしていました。

コントリ編集部
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社会的にも、その頃は、環境に関しての論調が変わってきた頃でしょうか。

話はありましたが、まだまだ「エコ」を大きく課題視している段階ではなかったと思います。そんな中手探りでやってきて、「乾くと木になるおがくず粘土」の『もくねんさん』が商品化できたのが、23年前です。1番売れた時は、年間40万個ぐらい作っていました。初めは手作業でしたが、1000個の注文が来たときにもう無理だ!と思い、そこからマニュアルができて、機械を作り始めました。既存の機械があれば買うのですが、要件が合う機械がなければ自分で作っていました。

コントリ編集部
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自作とは、なかなか大変だったのではないでしょうか。

機械屋さんには何千万もかかると言われて、じゃあこんな風にしたらどうかと図面を書いたところ、「これだったら自分でできるな」と思って作ることにしました。一般的にリサイクルをするとなると外部にお願いすることが多いのですが、あちこちに資材を運ぶにもガソリンを排出しますよね。その時点でエコじゃないと思ったんです。社内で全部やることが1番いいんじゃないかなと思って、生産技術の部分も含めて内製化しました。
当時、木を粉末にしたいと思い、機械を探していたとき、たまたま工場見学にうかがった日清製粉さんの工場で粉末を取り扱っておられるのを見ました。あの機械がいいなと思い相談して、機械を作ってもらったりもしました。そうして色々と設備を整えて、今に至ります。

自社開発を支える多様な視点

コントリ編集部
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機械を作る部署などがあるのでしょうか。

開発という意味では、機械は2人で作っていました。リサイクルやエコに興味を持ってくださった方がおられ、その方と作り始めました。初めに作ったものは手書きの設計書を元に微調整を重ねながら切り貼りを繰り返し、一応20年以上、今でも動いています。その方は当時もう60歳を過ぎておられましたが、初めは喧嘩しながら作っていました。お互いの「こうしたい」をぶつけあったりしながら、最終的には仲良くやっていました。

今は新しい機材などを開発することも少なくなり、作ったものを売っている状況です。そろそろまた、新たな動きができればと思っていますが、構想段階です。

コントリ編集部
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そうして作られた機械や加工技術を頼ってこられる方が今でも多いのですね。

ありがたいことに、色々とお話をいただきます。この間は、ボーリング場のピンのリサイクルの相談を受けました。ピンは大体1~2年すると塗装がはげてきて、交換しなくてはならないらしく、その捨てる芯部の木を使って何かできないかという相談です。それなら、と木のボールペンにリサイクルする提案をしました。
他にも、「雑木林を切り開いてみたら良い木が出て来たんだけど、捨てにくいし、なんとかなりますか?」なんて相談もありましたね。他で相談したけど断られて、弊社に持ち込んでいただくご相談も結構多く、そうして期待して声をかけてもらったからには断りたくないんですよね。なんとかしようと思います。そうして、できる範囲では…となんでもやってしまうから大変になるんですよ(笑)
設備的に難しいとできないこともありますが、その場合もこれは無理だけれどこうだったらできますよと代替案を出します。

コントリ編集部
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相談される方は心強かったことと思います。その精神は会社として受け継がれているものなのでしょうか。

いえ、多分個人的な部分です。逆に先代である父には、小規模な仕事ばかり受けるなと言われることもあります。ですが、昔は製作ロット数の下限基準などもあったのですが、今はもう無しにしています。
鉛筆としての構造は一緒ですから、大元は同じで周りの部分を少し変えれば、できないことはないんですよ。もちろん機械をセッティングしたのに少ししか作らないのはもったいないというのは事実なのですが、その分の費用をいただければ可能です。そうして小ロットでも個々のニーズが満たせるなら、少し高くても依頼したいと言ってくれる方も多いです。

コントリ編集部
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時代の変化も含め、現会長である先代との考え方の違いはどのような部分で感じましたか。

先代との間に限らず、考え方はみんな違うんじゃないでしょうか。ただ、やっぱり私は先代…父が働いているのを見てきているので、いいところも知っているし、こうした方が良いと思う部分もあります。それが合っているかはわかりませんが、変化はさせつつも、先代もこれなら納得するだろうなという部分は大切にしています。明らかに反対されると思うことはあまりしないようにしています。これまでを牽引してきた方々の思いや今関わってくれる方達の思いを大切にしてこそ、いい方向に向かっていくと考えているからです。

コントリ編集部
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いい方向に向かっていく、というのは具体的にどういうイメージでしょうか。

弊社内の掛け軸にも書かれているのですが、「年寄り笑うな行く道だ、 子供笑うな来た道だ」という言葉があります。親の心を汲んで進めよ、自分の過去である子供の姿も大切にしろよ、という話しなのですが、総じてみんなの思いを汲んで学びなさいよという意味だと受け止め、意識しています。自分にはこう見えているけれど、あの人だったらこう見えているんじゃないか?とか。そう思い巡らせることによって、違う目線を得ることができます。
至近距離で物を見れば、この部分しか見えないけれど、遠くから見ればその周りも見えてくる、というのでしょうか。見え方によってものの捉え方は違うので、重要なことだと思っています。

コントリ編集部
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とても大切な教えだと感じます。

現場でも同じで、作る方はこれが作りやすいけれど、使う方はこうされると使いにくいということもありますからね。実際使う人の立場になって物事を考えるようにすると、より良いものになったりする。
自分自身が鉛筆屋さんだからこそわかるということもあります。たとえば鉛筆削りを作る会社は木の性質についてはあまり考えておられないことがあります。いかに綺麗に削れるかというのは検討しても、どうしたら鉛筆に負担がかかるかという視点は忘れられがちです。それが私たち鉛筆を作る側からすれば、こうしたいということが伝えられます。その情報を届けて、それで削り機屋さんに作ってもらった実績もあります。ものづくりってどうしても、「これができるから、これを作っている」という状況になりがちですよね。でもそうすると、時代に合わないものになってくる。商品づくりにおいても、多様な視点を忘れずにいたいです。

コントリ編集部
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それが人の心をつかむ商品作りの基本に繋がっているんですね。
そういった考え方が身に付いたのはいつ頃でしたか。

仕事を通して経験を積みながら…でしょうか。会社に入った時って、みなさんもそうかなと思うのですが、学生上がりで、あんまり何も考えていないじゃないですか。そこから働き始めて、いろんなことを経験して、乗り越えて。それが後々、あのとき言われていたあれってこういうことなんだ!と繋がってくる。そんな感じで染み込んで行ったんだと思います。

コントリ編集部
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開発には、従業員の方も関わっておられるのでしょうか。

物を作るという意味での開発はほとんど私と会長でやってます。
一方で、職員にもそれぞれの職場でプロになれと言っています。新しく開発をするのは私や会長ですが、それを作りやすい環境を作るのは職員たちです。各々の立ち位置で、こういうものを作るのにはこうした方がいいなどのアイデアが出れば、それをどんどん吸い上げて更新していきたいですし、そういう意味で職員はみんな開発者とも言えると考えています。

コントリ編集部
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アイデアが思いつく時はどんな時ですか。

人と話しているときや、色々なお店を見ているときなど、自分の外側の刺激に触れているときです。誰かと楽しく話したり、たとえば買い物の待ち時間にその辺を見渡していたり、そういう日々の中でアイデアをもらえるんじゃないでしょうか。アイデアは転がっていて、そこに気付けるか、気づけないかだけだと思います。楽しみながら周りを見回せるかどうか、ということも大切ですね。

5代に渡る事業承継の歩み

コントリ編集部
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事業承継の経緯を教えてください。

元々、あんまり考えずに会社に入りましたが、働いて色々と役職につくうちに、責任感も出てきました。そうして20年ぐらいやったところで、先代から「もうそろそろ、いい年だから交代するか」と言われ、そうですね、と普通に受けました。ちょうど令和になった年でして、先代が「天皇も退位したし、俺も退位するか」みたいにも言っていました(笑)。何かに固執したり逆に葛藤したりということもなく、やれと言われたので、では、という感じでした。諸々は、後からついてくると思ったので、とりあえずやってみようかなという一歩でした。

コントリ編集部
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完全に入れ替わりで引き継いだ形でしょうか。

実務はそうですが、現在も会長職として先代も関わっています。事業承継のコツについては冗談半分だとは思いますが「あんまり後継者の頭をよく育てないことが重要」とかって言っていましたね(笑)。出来すぎちゃうと他の道に行ってしまうから、と。
それから、親子での承継ならではでしょうが、家で仕事の悪口を言わないというのは徹底していたようです。昔から、出張に行っていいもん食ってきた、なんて話はしても、仕事の愚痴を聞いた記憶はありません。子供の頃についたイメージは、案外強く残りますからね。仕事に大変なことは当然ありますが、そこばかり刷り込むとうまくいかないだろうな、と父はわかっていたのかもしれません。後付けの話かもしれませんが。

コントリ編集部
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現在、先代はどのように会社にかかわっておられますか。

たまに声をかけられることはありますが、基本的には思った通りにやれという感じです。色々思うところはあると思うのですが、考え方はそれぞれ違いますから、任せてくれているんだと思います。でもその、任せる勇気というのは必要だと思いますし、そこは先代の素晴らしい力だと感じています。おかげさまでやりやすいですし、逆に聞きたいことがあれば聞くこともできます。先代の考えならこうなるんだろうなというところも踏まえつつ、自分の考えを盛り込みつつ、自分の中で折衷案を探すこともあります。

コントリ編集部
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親子ほど言いたくなってしまうこと、本当はあるでしょうね。

そうだと思います。ですが、そこで失敗した事例は結構耳に入りますので、そんな中で良いモデルケースになれればなと思っています。そもそも失敗も、自分が失敗と思わなければ失敗にはなりません。さすがに会社がなくなってしまったら失敗なのかもしれませんが、今はまだ途中段階なので、いかに良い方に進むか考えてやるしかありません。そこで自分が失敗しちゃったと思ったら、失敗で終わってしまいます。そうではなく、いい経験だったなと思って次に進めば良いのだと思っています。
職業体験に来てくれる子供たちにもいつも伝えることがあります。人の足を引っ張ったりとか、人を傷つけたりすることはダメだけれど、それ以外ならとりあえずなんでもやって経験しろって。

コントリ編集部
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学生の時にそういう言葉をもらえるのは、貴重で、勇気の出る体験ですね。

結局、やりたいことを見つけても、やりたくないことが絶対あるんです。やりたくないことでもやっていれば免疫もつくし、なるべく嫌なことでもやった方が、やりたいことがより楽しくもなります。そして嫌なことにも、良い部分が見えてきます。自分自身、育った環境なのか、悪いところばかり見ずに、良いところばかり探しながら生きられているので気楽ですね。商品と向き合うときもそうで、良いところを見つけるのが得意なので、展示会などのイベントでも周りのお店の紹介もよくしていますよ。他者の目だからこそわかることってありますよね。

コントリ編集部
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事業をスタートしたきっかけについて、会社の歴史をうかがえますか。

私で5代目になるのですが、伊勢の方で徳川家に仕えて暮らしていた先祖が明治維新で職を失ってしまったんです。屯田兵になり北海道で書記係を務める中で、これからの時代は筆から鉛筆になると思って、木材で鉛筆を作ろうと考えたのが始まりです。それからずっと鉛筆づくりを生業としていました。

戦後落ち着いてから東京に出てきて、創業は 1951年からになります。曾祖父が初代にあたり、そこから東京に詳しかった祖父に引き継がれました。祖父は丁稚奉公で、渋谷の方であんパンや和菓子を作る会社に勤めていたらしいです。渋谷駅前に犬がいたからあんパンをやったんだよと、ハチ公と同世代だなんて逸話もあったりします。

コントリ編集部
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長い歴史の中でずっと鉛筆と向き合っておられるというのは素晴らしいことですね。

先代の言葉ですが、「我が身を削って人のため」なのが鉛筆で、真ん中に1本芯の通った人間を形成するのに役立つものだから、鉛筆がある限りは家業として続けなさいと言われています。そのバトンをもらってしまっていますから、鉛筆がある限りは続けなきゃいけないですね。

コントリ編集部
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ありがとうございます。
最後に、御社の今後のビジョンや、やりたいことを教えてください。

鉛筆を残していくためにも、子供だけでなく大人にも愛着を持ってもらえる商品を届けていくことが必要だと感じています。鉛筆は大人になると使わない、子供たちの文房具というイメージがありますが、鉛筆の良さがわかるのは大人になってからだと思ってるんです。書き心地や、芯がすり減る感触、木を削る面倒くささを楽しめるようになってくるのは、大人としての経験の先にある部分だと思うんです。
ですから、大人が楽しめる文房具として、一度離れてもまた鉛筆に戻ってきてもらえるようにしたいですね。鉛筆ってどうしても太くなってしまうので、学生はシャーペンの方が勉強しやすいと思いますし、ビジネスシーンはやはりボールペンがいいと思います。でも、趣味で使ったり、 鉛筆の方がいいとまた戻ってきてもらえる、そんなきっかけになるような商品を生み出していければなと思ってます今、第1弾としてジーニアスペンシルという商品を出しました。鉛筆にキャップをつけて胸につけてビジネスシーンでも持ち運べるようにした商品です。今までそんな風にも使ってほしいとは思いながら、良いキャップがなかなかありませんでした。じゃあ作ってしまおうと開発した商品が、先日日本文具大賞をいただいたんです。大人にまた愛してもらえるものを、という気持ちがうまく伝わったのなら嬉しいです。

コントリ編集部
コントリ編集部

大人がまた鉛筆に戻ってくれば、消費量も変わって、鉛筆の未来が守られますね。

そうですね。現在はまだ小学生しか使っていなくて、家に鉛筆削りもない、みたいな状態ですが、それなら鉛筆削りがなくても使える鉛筆を作れば良いです。そんな風に、どんな環境でも使える鉛筆もいいし、従来の鉛筆もまた使ってもらいたいなと思っています。使いたくなるような環境デザインをこれからも私たちが率先して考えて行こうと思っています。

コントリ編集部
コントリ編集部

ありがとうございました。
時代の変化の中で商材を変える選択をする老舗も多い中で、新しいものづくりと、古くから愛される要素や想いを繋いでいるのが、北星鉛筆さんなのだと強く感じることができました。しばらく使っていなかった筆箱の中をまた覗きたくなるような温かさが多くの人に届きますよう、これからも御社の発展をご祈念申し上げます。

コントリ編集部からひとこと

杉谷社長と知り合うきっかけになったのは、実はX(旧Twitter)でした。当初は、オンラインでのインタビューを実施する予定だったのですが、インタビューアーの岩永が実際に現地に行くと勘違いしていたことがきっかけで実際にお会いしてのインタビューとなりました。突然のオファーにも関わらず、快く受け入れていただいた杉谷社長には本当に感謝です。
また、今回のインタビューでは、北星鉛筆様の魅力はもちろんのこと、工場の中も余すことなく見せていただき、鉛筆づくりについてより理解を深めることができました。「鉛筆」というものに対しての愛着が非常に湧いてきました。
帰り際には大人の鉛筆など数点を購入させていたしました。大切に使わせていただきたいと思います。

この度は本当に貴重な機会をいただき本当にありがとうございました。
コントリで関わった経営者様などもご招待して工場見学などをしても面白そうかなと思いました。ぜひ今後ともよろしくお願いたします。

ギャラリー

杉谷 龍一 様 プロフィール

1976年東京都葛飾区生まれ。北星鉛筆株式会社代表取締役社長。敬愛大学経済学部を卒業後、新卒で北星鉛筆株式会社に入社。鉛筆の製造工程での廃材を再利用する再商品化事業部や新商品の開発に従事。2019年に、同社の5代目社長として代表取締役社長に就任。先代からの鉛筆に対する「想い」を引き継ぎ、伝統を守りつつも、時代に合わせた革新を続けている。

【会社概要】北星鉛筆株式会社

設立1951年1月
資本金9000万円
所在地東京都葛飾区四つ木 1-23-11
従業員数28名
事業内容文房具全般・エコロジー商品の研究開発
HPhttp://www.kitaboshi.co.jp

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