「今すぐやる」を決めた日 ── 進行性難病と共に生きる小澤綾子の挑戦哲学

「壁にいちいち落ち込んでいたら、エネルギーが足りなくなってしまう。だから次はどうやって乗り越えようかと、楽しむマインドでいるんです」

2月の袖ケ浦海浜公園。冬の海風が吹き抜ける中、電動車椅子に乗った小澤綾子さんは穏やかな笑顔でそう語りました。進行性の筋ジストロフィーを抱えながら、日本IBMで正社員として働き、全国で講演・音楽活動を展開し、40歳で出産。誰もが驚くような人生を歩む小澤さんの言葉には、壁にぶつかるすべての人へのヒントが詰まっていました。

「やり方は100万通りある」──。この言葉が、小澤さんの人生哲学を象徴しています。制約があるからこそ創造的になれる。できないことが増えていく中で、できることを見つけ続ける。その思考法と行動習慣は、経営者が直面する様々な壁の乗り越え方としても、普遍的な示唆に満ちています。

「やり方は100万通りある」── 壁を楽しむマインドセット

小澤さんは20歳のとき、進行性の難病「筋ジストロフィー」と診断されました。医師から告げられたのは「10年後には車椅子、その先は寝たきり」という宣告。一度は「生きる意味なんてない」と人生のどん底に落ちたといいます。

しかし、小澤さんは決意しました。「死ぬのは怖い、生きるしかない。元気でいられる時間が限られているなら、今を全力で楽しく生きていこう」と。

それから約20年。小澤さんの人生は、まさに「壁との付き合い方」を学び続ける日々でした。当時を振り返りながら、小澤さんは語ります。

「初めは普通に歩いたり走ったりできていました。でも次第に歩けなくなってきて、杖を使わなくてはいけなくなったんです」

使いたくないという気持ちもありました。しかし、転んでしまうと危ない。そう考えて、小澤さんは杖をつくことを受け入れました。

杖への抵抗感を乗り越えたと思ったら、次は車椅子という壁がやってきました。

「車椅子に乗りたくないという気持ちはありました。でも乗るしかない。実際に乗ってみたら、意外と便利だったんです」

小澤さんの表情は明るく、むしろ楽しそうでした。

病気は次々と新しい壁を用意してきます。小澤さんは、その壁との向き合い方を変えました。

「壁にいちいち落ち込んでいたら、エネルギーが足りなくなってしまう。だから、次はどうやって乗り越えようかと考えるんです。わくわくするような気持ちで」

「100万通りのやり方」という言葉は、ある経営者から教わった言葉。

「いろんな乗り越え方があると思うんです。私だったら次はどの方法を選ぶんだろう、とわくわくする。自分にしか乗り越えられない壁だからこそ、誰も前例がないことに立ち向かっていける」

小澤さんのこの思考法は、経営者が直面する様々な制約──人材不足、資金繰り、競合の参入──との向き合い方としても、大きな示唆を与えてくれます。制約を「制約」として嘆くのではなく、「100万通りの選択肢を考える機会」として捉える。この発想の転換が、新しい可能性を開くのです。

松尾英司さんとの別れが教えた「今すぐやる」

小澤さんの人生を大きく変えた出会いがあります。それが、同じ筋ジストロフィーの患者で30年間寝たきりだった松尾英司さんとの出会いでした。

「病気になる前は、何かあるたびに落ち込んでいました。でも病気になってからは、落ち込んでいたらきりがないと気づいたんです」

小澤さんは、アメブロのコミュニティ機能を使って筋ジストロフィーのコミュニティを立ち上げました。リアルでは会うことのない希少難病の患者たちが、インターネット上で100人ほど集まり、そこに参加してくれたのが松尾さんでした。

小澤さんは、松尾さんとの出会いをこう振り返ります。

「30年間寝たきりの方だったので、絶対に絶望しているんだろうと思っていました。でも実際は、めちゃくちゃ生き生きと生きていたんです」

その姿を見て、小澤さんの価値観が大きく変わりました。

「『できないこと=悲しいこと』じゃないんだって気づきました。心が元気であれば、何でもできるし、幸せに生きていけるんだと」

松尾さんは30年間寝たきりでありながら、作詞作曲を続けていました。そして小澤さんに「ぜひ歌ってほしい」とメッセージを送ってくれたのです。

しかし、小澤さんには深い後悔があります。

「松尾さんが生きている間に、歌を届けることができなかったんです」

小澤さんは少し表情を曇らせながらも、力強い口調で続けました。

「メッセージをもらってから2ヶ月後に、松尾さんは亡くなってしまいました。本当は生きている間に聞かせてあげたかった。何をやっていたんだろう、どうして早く行動しなかったんだろうと、後悔でいっぱいでした」

当時、小澤さんはオリジナル曲を歌ったことがなく、「1年ぐらいしたら歌えればいい」と考えていました。CD制作も「2年ぐらいしたら」と、勝手に長いスパンで計画していたといいます。

「でも気づいたんです。全部が松尾さんにとっては『今すぐ』のことだったんだと」

小澤さんは、この後悔から一つの決意を固めました。

「やりたいと思ったことは、今すぐやろう。いつどうなるか、人間にはわからない。それはみんな一緒だから」

この後悔から生まれた「今すぐやる」という哲学は、小澤さんの行動を劇的に変えました。

「やりたいと思ったことを、すぐに実行に移すようになってから、物事が進むスピードが変わりました。自分が考えていた以上のことができるようになって、ステージが変わってきたんです」

実際、この行動変化は仕事でも結果をもたらしました。小澤さんは社長賞を2回受賞し、プロモーションも成功させるなど、目に見える成果を出せるようになったのです。

歌と講演が生み出す「価値提供の連鎖」

松尾さんとの出会いは、小澤さんに「自分が救われた経験を次に渡す」という使命感を与えました。

小澤さんは、松尾さんの遺志を継いで全国で歌と講演の活動を展開しています。年に20回以上のチャリティイベントや講演に出演し、学校、病院、老人ホーム、企業、自治体などで、自分の経験と松尾さんの楽曲を届けています。

「言葉だけでは届かないものが、歌を通すと届くんです」

小澤さんは音楽の力についてこう語ります。

「高揚感が全然違う。歌を聞くことで、気持ちが上がったり、湧き上がったり、頑張ろうって思える。言葉だけよりも、音楽を通した方が伝わるんです」

特に印象的だったのは、寝たきりの重度障害者の病室を訪れたときのことでした。

「ベッドから起き上がることもできない方々のために、一人一人の病室を回って歌ったんです」

ある患者さんは、お喋りもできず、手も動かせず、体も全然動かない状態でした。聞こえているかどうかもわからない。それでも小澤さんは歌いました。

すると──。

「その方が涙を流していたんです」

看護師さんたちも驚いて、「涙が流れている」「すごく心に届いているんだね」と声をかけてくれました。

「本当に嬉しかったです」

小澤さんは、その瞬間を振り返ります。

この経験は、小澤さんにとって「価値提供の連鎖」を実感する瞬間でした。自分が松尾さんから受け取ったものを、次の誰かに渡していく。その連鎖が、また新しい価値を生んでいきます。

小澤さんの活動に憧れる子どもたちも増えてきました。

「小学生や中学生の子たちが『将来そういうふうになりたい』と言ってくれるのが、本当に嬉しいです」

実際に、小澤さんの曲をカバーして歌う子どもたちや、自分で歌を作って歌う子どもたちも現れました。

さらに、小澤さんは2017年に車椅子チャレンジユニット「Beyond Girls」を結成。梅津絵里さん、中嶋涼子さんという2人の仲間とともに、車椅子でもキラキラ輝ける姿を発信しています。

Beyond Girlsのメンバーの一人は、小澤さんとの出会いをきっかけに、大手映画会社を退職。講演活動に専念することを決めました。

「私に会ってから、すぐに会社を辞めて、自分の経験を話す活動を始めたんです」

今では小澤さんを上回るペースで全国を回り、講演活動で大活躍しているといいます。

小澤さんは謙虚に語ります。

「私がやってきたことを、自分の経験として伝えているだけなんです」

しかし、その影響力は計り知れません。一つの行動が誰かの人生を変え、その人がまた誰かに影響を与えていく。この連鎖こそが、小澤さんの活動の最大の価値なのです。

仕事・家庭・社会活動の「3本柱」で倒れない生き方

日本IBMで正社員として働きながら、全国で講演・音楽活動を展開し、2023年には40歳で出産。小澤さんの生活は、まさに「3本柱」で支えられています。

この考え方のきっかけは、IBM社長の言葉でした。入社式でこう語られたといいます。

「人生に3本の柱を持ちましょう。1本の足で立っていると、その足が折れたときに倒れてしまう。でも3本あれば倒れません。趣味でも何でもいいので、3本の柱を持っていきましょう」

小澤さんは、この言葉を自分なりに解釈し、仕事・家庭(子育て)・社会活動(講演・音楽)という3本柱を持つことにしました。

「どれも大切なものです。活動で得たことが仕事にプラスになったり、仕事の経験が活動に返ってきたり、子育てがそれをバックアップしてくれたり」

小澤さんは笑顔で続けます。

「3つあると、すごくいい循環が生まれるんです。いいエネルギーが循環できていると感じています」

しかし、最初からバランスが取れていたわけではありません。小澤さんにも、活動に偏っていた時期がありました。

「活動を始めた頃は、社会活動が楽しくて楽しくて。やればやるほど世界が広がっていく。誰かが変わっていく。それが嬉しくて、家庭をおざなりにしていました」

当時は夫との会話もほとんどなく、毎日深夜12時過ぎの帰宅が当たり前。週末も活動で忙しく、家族の時間はゼロに近かったといいます。

転機となったのは、コロナ禍でした。

「時間ができたことで、夫とよく話すようになったんです。人生の中で何を大事にしたいのか。仕事だけじゃない、家族も大事にしたい。でも私は活動も大事。そこから、バランスを取るようになりました」

では、小澤さんはどうやってバランスを保っているのでしょうか。

「そのときの優先順位を常に考えるようにしています。時間配分を決めて、一つに偏らないようにする」

ポイントは、瞬間瞬間でプライオリティを問い続ける習慣だといいます。

「『今日は仕事がすごく忙しいから、仕事に力を入れよう』とか、『今日は子供の日』とか。その優先順位を常に考えて動いています」

「1日の中で、その瞬間その瞬間で『プライオリティは何?』と自分に聞く習慣ができているんです」

この3本柱の思考は、経営者にとっても重要な示唆を与えてくれます。事業だけに偏ると視野が狭くなりがちですが、家族や趣味、地域活動などの「第2・第3の柱」が、経営に新しい視点をもたらすのです。

「超バリアフリー男」── パートナーの存在

小澤さんの3本柱を支えているのが、夫の存在です。小澤さんは夫のことを「超バリアフリー男」と呼んでいます。

「何でも相談できる存在です。困ったことがあったら、夫に一番に相談します。いつも支えてもらっています」

「超バリアフリー男」という言葉には、深い意味が込められています。

「視点がバランスが良くて、偏っていないんです。何かに悩んでいるときは、そっちに傾いてしまいがち。でも夫は、フラットに戻してくれる。視点を戻してくれる存在なんです」

特に印象的だったのは、夫の次の言葉でした。

「『あなたは病気を持っているかもしれないけど、一番初めに来るのはあなたの名前だよね』と言ってくれました」

小澤さんは続けます。

「『病気を持った小澤綾子』じゃなくて、『小澤綾子という人』。それでたまたま病気がある。そういうフラットな視線で、いつも会話をしてくれるんです」

この視点は、小澤さんにとって大きな支えとなっています。

「経営者の方も孤独になりやすいと思います。難病や障害というレアなケースも、孤独になりやすい。でも夫は寄り添ってくれて、対等な意見をくれる。そういう存在です」

パートナーシップの重要性は、経営者にとっても同じです。ビジネスパートナーだけでなく、人生のパートナーとの対話が、事業を支える基盤となるのです。

これから描く未来 ── バトンを渡す覚悟

インタビューの最後に、小澤さんに未来のビジョンを尋ねました。

「子供がまだ小さいので、無事に成人できるようにするのが、親としての務めだと思っています」

2023年に出産した息子さんは、小澤さんにとって大きな存在です。

「障害があるので、他のお母さんと比べると、できないことがたくさんあります。引け目を感じることもあります」

小澤さんは正直な気持ちを語ります。

「でも、彼にとって母親は一人。私はできることを精一杯して、無事に大きく育てたいと思っています」

同時に、小澤さんには社会的な使命もあります。

「障害があってもなくても、難病があってもなくても、多くの人が自分らしく生きられる世界をつくりたい。そのために、声を上げ続けたい。歌い続けたいし、講演もし続けたい。そういう世界が広がっていくといいなと思います」

しかし、小澤さんには時間の制約があります。進行性の難病だからこそ、「今」できることに全力を注ぐ一方で、「自分がいなくても世界が変わり続ける」仕組みを作りたいと考えています。

「歌ったり講演したりできるのも、期限があると思っています」

小澤さんは率直に語ります。

「だから、ドキュメンタリー映画にしてほしいんです」

映画化への思いを語る小澤さんの表情は真剣でした。

「私がいなくても、世界が変わり続けていくように。次の世代へ残せるものを作りたい。それが映画なのか、何なのかはわかりませんが」

そして、次世代へのバトンについて。

「私の代弁をしてくれる人たちが増えたら、世界がどんどん変わり続けていく。だから、できる限り歌と講演を続けて、未来をつくる子供たちにバトンを渡していきたいんです」

小澤さんの周りには、すでに多くの仲間たちが生まれています。Beyond Girlsのメンバー、小澤さんに憧れて自分で歌を作る子どもたち、講演活動に挑戦する若者たち。バトンは確実に、次の世代へと受け継がれています。

海辺からのメッセージ ── 「今この時を生きる」

インタビューを終え、小澤さんは冬の海を静かに見つめていました。電動車椅子に乗りながらも、その姿勢は常に前を向いています。

「人って、いいときばかりじゃないですよね」

小澤さんは穏やかに語ります。

「会社の経営もそう。でも、どんな状態でも今この瞬間を楽しめる人が増えたらいい。人生は思ったより短いから」

最後に、小澤さんは力強く語りました。

「誰か一人でも、その人のことを信じてくれる人がいれば、絶望せずに済む。そういう繋がりを増やしていけたらいいなと思います」

壁にぶつかったとき、あなたはどうしますか。「やり方は100万通りある」と考えられますか。「今すぐやる」と決断できますか。3本柱でバランスを取り、パートナーと対話できていますか。そして、自分が受け取ったものを次に渡す準備はできていますか。

小澤綾子さんの生き方は、すべての経営者、すべての挑戦者への、力強いメッセージです。

コントリからのメッセージ

小澤綾子さんとのインタビューを通じて、私たちは「制約があるからこそ創造的になれる」という真理を学びました。

進行性の難病という、誰もが想像を絶する制約の中で、小澤さんは「100万通りのやり方」を見つけ続けています。壁を嘆くのではなく、楽しむ。先延ばしにするのではなく、今すぐやる。自分だけで抱え込むのではなく、次の世代にバトンを渡す。

この思考法と行動習慣は、経営者が直面するあらゆる壁──人材不足、資金繰り、競合の参入、事業承継──に対しても、普遍的なヒントを与えてくれます。

特に印象的だったのは、松尾英司さんとの別れから生まれた「今すぐやる」という決意です。「1年後」「2年後」ではなく、「今すぐ」動く。このスピード感が、小澤さんの人生を大きく変え、仕事でも社長賞を2回受賞するという成果につながりました。

そして、3本柱のバランス。仕事・家庭・社会活動という3つの柱が、良い循環を生み出し、持続可能な生き方を支えています。経営者こそ、事業だけに偏らない「第2・第3の柱」を持つことで、視野が広がり、新しい視点が生まれるのではないでしょうか。

小澤さんの言葉を借りれば、「人生は思ったより短い」。だからこそ、今この瞬間を全力で生きる。壁があっても、やり方は100万通りある。あなたはどの方法を選びますか。

小澤さんのように、前を向き続ける経営者が一人でも増えることを、コントリは心から願っています。

プロフィール

小澤 綾子
(おざわ あやこ)

1982年千葉県君津市生まれ。明治大学経営学部卒業後、日本IBMにSEとして入社。20歳で進行性筋ジストロフィーと診断されるも、現在も同社で人事・次世代育成を担当。2017年、車椅子チャレンジユニット「Beyond Girls」をリーダーとして結成。2021年東京パラリンピック閉会式に車椅子ドラム演奏者として出演。2023年、就労障害者特化型ビジネススクール「D-Biz College」をチーフコーチとして開講。同年40歳で出産。シンガーソングライター・社会活動家として全国で講演・音楽活動を展開中。

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