
「貢献は最高の贅沢」——“もったいない”を価値に変える、日本の中小企業の発信を変える挑戦
「貢献って、最高の贅沢なんですよ」——。
穏やかな口調で、しかし確信を持ってそう語るのは、コントリ株式会社の代表・飯塚氏です。かつては自動車大手・ホンダの調達部門で、年間180億円もの設備投資を動かしたバイヤー。その経歴を手放し、2024年、収益の見込みがほぼゼロの状態で独立しました。経営者インタビューメディア「コントリ」を運営しながら、「日本の中小企業の発信を変える」というミッションを掲げる飯塚氏。
この記事では、飯塚氏が語る「貢献」という経営哲学の正体と、それを自己犠牲にしないための仕組み、そしてAIとの向き合い方に迫ります。発信に悩むすべての経営者に届けたいお話を伺いました。ぜひ最後までご覧ください。
年間180億円を動かすバイヤーが見た、「もったいない」会社たち
飯塚氏のキャリアの原点は、自動車メーカー・ホンダの調達部門にあります。2008年、同期1200人とともに入社。研修ではバスが10台以上連なったと、当時を振り返ります。
「研究がやりたくて、『ぶつからない車を作りたい』とずっと思っていたんです。でも配属は全く希望が叶わず、調達——バイヤーの仕事でした」
最初はカーナビやオーディオといった車載部品の調達を担当し、やがて工場設備の調達へと移ります。車を運ぶベルトコンベアのような、数千万円から数億円規模の機械を買う仕事です。担当範囲は埼玉、浜松、三重などホンダの国内工場のほぼ全設備。ピーク時には年間180億円を動かしていました。
「最初は3000万円の見積もりを見てビビっていたのに、だんだん金銭感覚がやばくなって。自分の車を買うときに『安い』と思っちゃうという(笑)」
少し苦笑いしながら、飯塚氏はそう明かしてくれました。しかし、この仕事こそが、今のコントリにつながる原体験を生みます。設備を作ってくれるのは、いわゆる中小企業の社長たち。数億円の取引はシビアでバチバチな交渉になることもありますが、飯塚氏は人とのかかわりを何より大切にしていました。
「社長さんが『うちの会社はこういう思いで作ったんだ』と話してくれるとき、目がすごく輝いているんですよ。特に製造業に多いんですけど、その会社のホームページを見ると、更新が7年前で止まっていたりする。デザインも古いまま動いていない」
声のトーンを少し落として、飯塚氏は続けます。「こんなにいいものを持っているのに、伝わっていない。めちゃくちゃもったいないな、と思ったんです」
ただ、当時の自分には何もできなかったと振り返ります。「コントリを立ち上げる実行力がなくて。『もったいないな』で終わっちゃったんですよね」。この小さな悔いが、心の奥でくすぶり続けることになります。
音響、ホンダ、外資系営業——点が線になった起業前夜
飯塚氏の歩みは、一本道ではありません。栃木県で育ち、青山学院大学の電気電子工学科へ。理系一色の学生生活の傍ら、バンドでドラムを叩き、その延長でライブの音響にのめり込みました。
「音響機器を開発したくなって、ヤマハさんのような業務用音響のメーカーに就職したかったんです。でもエントリーシートは、いまだに返ってきていません(笑)」
軽やかに笑いながら、飯塚氏は当時を語ります。音楽業界への道が閉ざされ、二番目に興味のあった自動車業界、ホンダへ。やがて「いつか独立したい」という思いが芽生えたとき、自分に足りないものに気づきます。
「営業だったんですよ。営業のスキルを身につけたくて」
ちょうどそのタイミングで届いた一本の電話をきっかけに、飯塚氏は外資系の保険会社へ転職します。2020年3月、周囲の反対を押し切っての決断でした。ところが入社直後、世の中はコロナ禍に突入。50件のアポイントが一夜で吹き飛びます。
「周りはみんなゴリゴリの対面営業の人たちで、『オンラインでどうやるの』と。でも僕は技術的なところが得意だったので、逆に追い風だったんです」
まっすぐ前を見つめて、飯塚氏は言い切ります。映像機材で演出し、スライドで講演するようなオンライン商談は、むしろ得意分野でした。社内のオンライン商談コンテストでは、ある部門で1位を獲得しています。
実は、ホンダ時代にもう一つの伏線がありました。副業として作っていたプロ用音響機器の専門サイトが、20万アクセスを集めていたのです。副業禁止の規定で広告を外して放置するうちにサイトは失われましたが、メディア運営の経験は確かに残りました。
「そのノウハウで、今度はインタビューメディアを作ろうと思った。それがコントリの始まりです」
点が線になっていく感覚——けれども飯塚氏は、それを計算だったとは言いません。「戦略は立てるんですけど、戦略通りに行ったためしがなくて。自然の流れに任せてやってきたことが、やっぱりうまくいっているかなと思います」と、肩の力を抜いて笑います。

「軽かったかもしれない」——収益ゼロで独立を選べた理由
2024年、飯塚氏はコントリ株式会社として独立します。収益の見込みは、ほぼゼロ。普通なら一大決心が必要なはずのその選択を、飯塚氏はあっさりと振り返ります。
「軽かったかもしれないですね。辞めるときも、そんなに重く捉えていなかったんです」
この「軽さ」はどこから来るのか。飯塚氏は、自身の気質をこう分析してくれました。
「チャレンジが好きなんですよ。周りに『これやった方がいいよ』と言われれば言われるほど、やりたくなくなる。逆に『やってはいけない』と言われれば言われるほどやってみたくなるタイプで。そこに突破口があったのかもしれません」
それを象徴するエピソードがあります。大学4年で研究テーマを選ぶとき、多くの学生は先輩がやってきた続きの研究テーマを選びます。安全だからです。けれど飯塚氏が選んだのは、教授が買ってきた埃をかぶった中古の機械を修理して動くようにし、他の方が作ったサンプルの評価をできるようにする、という誰も選ばないテーマでした。
「明確な理由はないんです。ただ『これ面白そう』と。思考よりも、自分の心をキャッチするタイプなんだと思います」
両親は、やりたいことをとことんやらせてくれました。中学生の頃には、裏庭に池を作ろうと地面を掘り、水が染み込まないようビニールシートまで敷いて、こっぴどく叱られたこともあるそうです。
「よくも悪くも、思い立って行動してもそれを止められない環境があったかもしれないです」と、飯塚氏は目を細めながら振り返ります。規制されなかったことが、自由に発想する感覚を育てた——その実感が、収益ゼロの独立をも「軽く」させたのです。
「貢献は最高の贅沢」。だが一歩間違えば自己犠牲になる
数多くの経営者にインタビューを重ねる中で、飯塚氏はある共通点に気づいたと言います。それは、ある程度の成功をおさめた経営者ほど「貢献」に行き着く、ということでした。
飯塚氏が例に挙げたのは、通信回線の営業で財を成し、年商90億円を超えるまでに会社を育てた、ある経営者です。その人は今、農園を営み、そこで障害のある人を雇用する事業を立ち上げています。一見、収益化が難しいことを、きちんと成り立たせている。
「ビジネスなのでお金を稼ぐのは大前提ですけど、ある程度やりきった人は、貢献というところにすごく興味を持っていくんです」
そう教えてくれた飯塚氏は、噛みしめるように言葉を選びながら、自身の到達点を口にしました。
「いろんな人をインタビューして、やっとわかったんです。貢献って、最高の贅沢なんだなと。お金で買えるものはたくさんあるけど、最後はやっぱり、貢献して喜んでもらえるのが最高のご褒美なんだ、と」
社名の「コントリ」は、英語のコントリビューション(contribution=貢献)に由来します。「この社名は間違っていなかったんだ、と腑に落ちる感覚がありました」と、飯塚氏は少し誇らしそうに微笑みます。
けれども、その哲学には危うさが潜んでいます。飯塚氏は表情を曇らせながら、こう打ち明けてくれました。
「一歩間違うと、貢献は自己犠牲になるんです。最初のインタビューは、お金をもらわずにやっていました。でもライティングの限界が来て。外部のライターさんに頼むと、報酬をいただいていないのに、1人あたり3万、4万の赤字になる。それを30人、40人とやって、『これはきついな、自分が疲弊してきたな』と」
最高の贅沢であるはずの貢献が、続ければ続けるほど自分をすり減らす自己犠牲に変わっていく——この矛盾こそが、飯塚氏の次の挑戦を生むことになります。
繰り返すことで信頼になる——毎朝、ピラミッドの完成図を見る
「繰り返すことで信頼になる」。飯塚氏が大切にしている言葉です。けれど、ただ繰り返すだけでは、結果が見えずに苦しくなる人も少なくありません。その違いはどこにあるのか。飯塚氏は即座に答えてくれました。
「大事なのは、目的と目標だと思います。それによって、今やっている作業の意味づけが変わってくるんです」
飯塚氏が引き合いに出したのは、ピラミッド建設の有名なたとえでした。同じ石を積む作業でも、「石を運ぶ仕事」としてやっているのか、「私はこの大きなピラミッドを作っている」と完成図を思い描きながらやっているのか。その違いで、仕事の意味はまるで変わると言います。
この実践を、飯塚氏は毎朝欠かしません。自宅から徒歩3分のシェアオフィスへ、朝4時半から5時に向かう。計画立案を含めて1時間半から2時間をかけ、自分の目標をリマインドし、「昨日やったこと、今日やることは、それに貢献しているか」と問い直す。起業以来2年あまり、続けている習慣です。
「アチーブメントの研修を受けていて、それがすごくハマったんです。セルフカウンセリングが日々できている感じですね」と、飯塚氏は穏やかに語ります。
そして、この「続ける力」を裏打ちする成功体験がありました。かつて運営していた音楽メディアは、500記事を書いてもアクセスが出ない時期が続いたといいます。
「でも『回数をこなしたら伸びるよね』という感覚があって。結果、2000記事書いたら、指数関数的に伸びたんです。まさに成功曲線でした」
軽やかに笑いながら、飯塚氏は続けます。「その成功体験があったので、結果が出なくても続けることに、抵抗がなくなったんですよね」。目的という羅針盤と、続ければ伸びるという確信。その両輪が、飯塚氏の「繰り返し」を信頼へと変えていきます。

一番きつかった日々が教えた、「自分1人で生きている」という傲慢
順風満帆に見える飯塚氏にも、人生で一番きつかった時期があります。外資系の保険会社で個人営業をしていた頃、成績の不振と離婚が同時に重なりました。
「関係が悪くなって、業績も悪くなって、というめちゃくちゃ悪いループに入ってしまって」
重い口調で、飯塚氏はその日々を振り返ります。結婚して4年、その前の同棲を含めれば8年連れ添った関係が、静かに、しかし確実に壊れていきました。フルコミッションの仕事で家を空けがちになり、収入も不安定になる。すれ違いが積み重なった末の破綻でした。
何が、飯塚氏を本来の状態へと戻したのか。静かに言葉を選びながら、飯塚氏は答えてくれました。
「そこで気づいたのが、『自分中心だったな』ということなんです。奥さんのことを考えているつもりだったけど、実際は考えられていなかった。自分1人で生きているなんて傲慢な考えで、人の支えがあって生きているんだな、と」
最後は、相手の次の仕事と引っ越し先を探し、当面の生活費を渡して送り出し、円満に離婚したといいます。この経験を経て、飯塚氏が手に入れたのは「俯瞰」と「自己対話」の習慣でした。
「実はホンダ時代に、めちゃくちゃ怒る上司がいて。そのとき『動画を見るように、少し離れたところから自分を見ると冷静になれる』と教わったんです。怒られていても、『冷静な俺』がいる。それが定期的にできるようになったら、メンタルが安定するようになりました」
主観だけで突き進むと、逃げ場がなくなる。けれど、もう一人の自分から眺めれば冷静でいられる——「胸を締め付けられるような感覚は、最近はなくなりましたね」と、飯塚氏はほっとした表情で明かしてくれました。
そして独立は、飯塚氏に思いがけない感覚をもたらします。
「独立して初めて、自分の目標を持った気がしたんです。今までは会社が決めた方針の中で動いているだけで、『自分のもの』という感覚がなかった。今は『俺の目標』に愛着が出るというか。自由と責任って、最強のツールじゃないですか。全部自分の責任で、自分でコントロールできる。そこに喜びを感じています」
AIは「楽するため」に使わない——眠った価値を引き出す発信論
飯塚氏の「貢献」の感覚は、ずっと幼い頃から芽生えていたといいます。祖父に連れられて農協へ行き、売店でお菓子を買ってもらうとき、飯塚少年は必ず姉の分も買ってもらっていました。
「独り占めするのが、なんだか気が引けて。みんなでお菓子を楽しむのが楽しかったんです。自分1人で勝つより、みんなで勝つのが楽しい、という感覚があって」
この日のインタビューで、インタビュアーの桜華純子氏は飯塚氏を「令和のアンパンマン」と評しました。その見立てに、飯塚氏は独自の解釈を加えてくれます。
「アンパンマンは顔を分け与えますけど、あのときしなしなになっちゃうじゃないですか。あれじゃないんですよ。常に、ちょっと差し出せるあんパンをポッケに持っているような状態。あふれるものの中にあんパンがある、という。だから、自分自身がいい状態じゃないと、そうやってできないんです」
まっすぐにそう言い切る飯塚氏は、こう続けます。「自分をちゃんと大切にして、自分への貢献もして、そのうえで相手への貢献をする。その両方が成り立っていないと、これは成立しないんです」。自己犠牲ではない貢献の正体が、ここにあります。
この哲学は、飯塚氏のビジョンへとまっすぐにつながります。経営者インタビューメディア「コントリ」は、これまで動画を含めて150社弱を取材してきましたが、メディアを通して発信できる人には限りがあります。だからこそ、各社が自社の魅力を自分の力で発信できる状態を作りたいと、飯塚氏は語ります。
「日本の中小企業の発信を変える。そのための壁は、はっきり3つあるんです」
飯塚氏が挙げたのは、「ネタがないと思い込んでいること」「それを形にする技術がないこと」「続ける仕組みがないこと」の3つです。
「ネタはいくらでもあるのに、『ネタがない』が経営者さんの口癖で本当に多い。でも、ちょっと会話してみれば、ネタだらけなんですよ。この3つを全部カバーすれば続く。だから『ネタ切れは100%ない』と断言できるんです」
力強くそう言い切る飯塚氏にとって、AIはこの壁を越えるための強力な手段です。ただし、その使い方には明確な哲学があります。
「世の中は、楽をするためにAIを使う風潮がある気がしていて。でも、そのマインドで使うと失敗すると思っているんです。楽するためじゃなくて、仕事のクオリティ、自分がやりたいことのクオリティを上げるために使う。そう使うと、ポジティブな使い方になっていくんですよね」
AIを怖がる人、不安を抱える人に向けて、飯塚氏はこう語りかけます。
「目の前で困っている課題を解決することが、幸せになっていく道じゃないですか。そのためにAIが必要なら使うし、必要ないなら使わなくていい。シンプルなんです。怖い方は、身近な小さいところから。『メールを作るのが苦手で』とか、今日の献立でもいい。その人だけの悩みがないと、自分事にならないんです」
飯塚氏自身、AIで記事制作を効率化したことで、より多くのインタビューができるようになりました。
「記事作成で疲弊している場合じゃなかったんですよ」と、飯塚氏は穏やかに、しかし確信を持った口調で言います。効率化できた分、人にしかできないことを磨く。かつて自己犠牲に傾きかけた貢献は、仕組みとAIによって、続けられる「最高の贅沢」へと姿を変えました。
「聞かれて初めてわかることが、すごくあるんです。実体験が、聞かれるからこそ感情が乗ってくる。これが、中小企業の経営者に眠っている価値を引き出すということなんだな、と。これからは、自分がそれを引き出す役割なので」
そう語る飯塚氏の目には、貢献という名の贅沢を、これからも誰かに差し出し続ける人の、静かな熱がありました。
あわせて読みたい関連コラム
飯塚が語った「眠った価値を引き出す発信」「AIは楽するためでなく価値を引き出すために使う」という考え方を、実践に落とし込んだコラムをご用意しました。あわせてご覧ください。
- 自社の強みの見つけ方|眠った価値を言語化し選ばれる会社になる ― 社内で当たり前になり気づけていない“もったいない”価値を、顧客の声から見つけ、伝わる言葉に変える手順を解説します。
- AIで記事作成する方法|量産でなく価値を伝える手順と注意点 ― AIを「楽するため」でなく自社の価値を引き出す相棒として使う、記事作成の実践ステップと注意点をまとめました。
コントリからのメッセージ
今回のインタビューを通じて、何度も立ち返ったのは「貢献は最高の贅沢」という一言でした。
印象的だったのは、飯塚氏が貢献を決してきれいごとや自己犠牲として語らなかったことです。年間180億円を動かしたバイヤーが見た「もったいない」会社たち。収益ゼロでの独立。一度は自己犠牲に傾きかけた無料インタビュー。そして、自分を満たして初めて差し出せる「ポッケのあんパン」という比喩。そのすべてが、原体験から事業まで一本の筋でつながっていました。
自分を大切にすることと、誰かに貢献すること。その両方が成り立って初めて、発信は続いていく——飯塚氏が放つまっすぐなエネルギーは、その哲学が言葉だけのものではないことを物語っていました。
「ネタがない」「技術がない」「続かない」。発信に悩む経営者にとって、飯塚氏の言葉はきっと突破口になるはずです。自社の魅力をどう伝えればいいか迷っている方は、ぜひ一度、コントリの飯塚氏に話を聞いてみてほしいと思います。
プロフィール

飯塚 昭博(いいつか あきひろ)
コントリ株式会社
代表取締役
栃木県出身。青山学院大学電気電子工学科を卒業後、2008年に本田技研工業株式会社へ入社。調達部門で車載部品から工場設備までを担当し、ピーク時には年間180億円規模の設備投資を手がける。中小企業の経営者と関わる中で「優れた価値が伝わっていない」という課題意識を抱く。その後、外資系保険会社で営業を経験し、2024年にコントリ株式会社を設立。経営者インタビューメディア「コントリ」の運営と、中小企業の発信サポートを2本柱に、「日本の中小企業の発信を変える」ことをミッションに掲げる。座右のテーマは「貢献は最高の贅沢」。
ギャラリー







会社概要
| 会社名 | コントリ株式会社 |
| 設立 | 2024年3月 |
| 代表 | 飯塚 昭博(代表取締役) |
| 事業内容 | 経営者インタビューメディア「コントリ」の運営、中小企業向け発信サポート |
| ミッション | 日本の中小企業の発信を変える |
| ウェブサイト | https://comtri.jp https://hasshin-lab.comtri.jp/ |
[no_toc]

