
年商50億の倒産、そして肺がん。二度の死線をくぐった社長が病室で見つけた「二つの理念」
「不安で生きるのか、理想を求めて生きるのか。その違いだと思うんですよ」——。
穏やかに、しかし一切の迷いなくそう言い切るのは、株式会社アケボノ(埼玉県熊谷市)の代表取締役社長・細田健一氏、55歳です。23歳で起こした会社を年商50億円・社員430名・21店舗まで育てながら、34歳で倒産。再起の道半ばで、今度は肺がんステージ3を宣告されました。二度の死線をくぐり抜けた今、アケボノは5期連続で売上を伸ばし続けています。
かつて規模だけを追っていた経営者は、なぜ「利他」へと舵を切ったのか。その転機は、抗がん剤を打つ病室にありました。今回は、どん底を二度見た細田氏に、捨てたものと、信じ直したものを伺います。
年商50億・社員430名——34歳で迎えた「自転車操業」の果て

細田氏のキャリアは19歳、株式会社リクルートへの就職から始まりました。「営業職を2年半やりました」と、淡々と振り返ります。入社したのは、リクルート事件で世間から厳しく叩かれていた直後。「逆に採用に困っていたんじゃないですかね。じゃなかったら、多分採用されてなかったんじゃないかな」と、少し苦笑いしながら明かしてくれました。
その後、地元・埼玉に戻り、家業の塗装業で営業を手伝います。半年ほどで売れ始めましたが、職人気質の父親とはどうしてもぶつかりました。「正座させられて説教されたりして。言われる言葉が、あまり理にかなっていないなと感じたんです」。この反発が、23歳での独立につながります。
立ち上げた会社で選んだのは、当時上場していた同業大手・ペイントハウスのやり方を真似ることでした。一般住宅を一軒ずつ訪問して外装工事を受注する、訪問販売型のモデルです。事業は破竹の勢いで広がり、店舗は21まで増えました。ところが、その急成長は見かけ倒しだったのです。
「そもそも利益が出ていなかったんですよ。なのに拡大していっちゃった」。声のトーンを落として、細田氏は続けます。「最初は利益が出たんだけど、出店していくうちに利益率がどんどん下がって。売上はあっても利益が残らない、自転車操業ですね」。さらに「同じ業界では2〜3社しか上場できない」と聞いて上場を焦り、資金繰りが一気に悪化。34歳のとき、年商50億円・社員430名のその会社は、民事再生——事実上の倒産に追い込まれました。
「お金儲けの手段だった」——志なき急成長の代償
なぜ、これほどの規模が一瞬で崩れたのか。細田氏の答えは、当時の自分自身に向けられていました。
「あの頃は志がなかったから。仕事はお金儲けの手段だったんですよね」。まっすぐ前を見つめて、言葉を選びます。社長である自分が関わるのは役員やブロック長だけ。一般の社員と顔を合わせることはほとんどなく、日々の中心はベンチャーキャピタル(投資会社)との資金調達の打ち合わせでした。現場に足を運ぶこともなかったといいます。
「お金が回っているときは、そういう人たちが集まるんですよ。でも、それがなくなった瞬間、みんな去っていく。早いんです」。そして、こう言い切りました。「今、当時の人間は1人もいないですからね。それが答えですよ」。
抗がん剤を打つ病室で。生まれた「二つの企業理念」
倒産後、細田氏は2006年に家業のアケボノへ入ります。一営業マンとして再起を期し、持ち前の新規開拓力で下請け依存からの脱却に泥臭く取り組む日々。その積み重ねの先で、2016年に代表取締役へ就任します。第二の経営人生が始まった矢先の2019年、肺がんステージ3が見つかりました。
「超ヘビースモーカーだったんですよ。前の会社のとき、ストレスで一日5箱くらい吸っていて」。原因は、おそらくそのタバコ。約1年にわたる闘病で抗がん剤と免疫治療に耐え、最終的に片方の肺を切除する大手術を受けました。時期はコロナ禍の始まりとも重なります。社長が前線を離れたこともあり、7〜8億円あった売上は約5億円まで急落しました。
追い打ちをかける出来事もありました。自分が手塩にかけて育てた社員が、顧客リストを持ち出していたのです。「『10年間アケボノでやってきて、この度独立しました。アケボノより安くします』と、お客さんに手紙を出したんですよ」。裏切りとも言えるその出来事を、細田氏は重い口調で打ち明けてくれました。病に伏し、売上は落ち、信頼した人までもが去っていく——。
それでも、社長不在の会社を一丸となって支えたのは、ほかでもない社員たちでした。孤独と恐怖の病床にあってなお現場を回し続けてくれた彼らを、細田氏は「命の恩人であり、何があっても守り抜くべき家族」だと、心の底から実感したといいます。
そして、闘病の時間を「ある意味、いい時間だった」とも振り返ります。「暇なんですよ、抗がん剤を打っていると。だから、考えざるを得ない」。病床でふと浮かんだのは、「自分の生きた証も、何も残してないな」という思いでした。ならば、どうすればいいのか。点滴を受けながら言葉にしたのが、二つの柱です。ひとつは、お客さんに貢献すること。もうひとつは、一緒に働いて頑張ってくれる人に貢献すること。
復帰した当初は酸素ボンベを引き、週に一日2〜3時間だけ会社に顔を出すのが精一杯でした。それでも細田氏は、この二つを企業理念として正式に掲げます。お客様への誓いである「塗装、大規模修繕を通じ、安心で快適な改修工事を提供する」。そして社員への誓いである「全従業員の物心両面の幸福を追求する」です。「休みと給与を、しっかり社員に還元したい。その二つを軸に、5〜6年前から徹底して運用しているんです」。
規模を追う「利己」から、生きた証を残す「利他」へ。細田氏の経営観は、この病室で180度切り替わりました。
唱和もカードもしない。それでも「ビジョン浸透86%」の理由
理念を掲げる経営者は多くいます。けれど、それを社員に根づかせるのは難しい——。よく聞くその悩みに対し、細田氏の答えは少し意外なものでした。
「特別な取り組みは、そもそもないんですよ。理念カードを作るとか、朝礼で唱和するとか、やってない」。目を細めながら教えてくれました。代わりに続けているのは、3カ月に一度、社員一人ひとりへ宛てて自分で書く手紙です。そこには理念の話と、業績の中間報告が並びます。「理念だけを唱えてもピンとこない。だから、実際の活動と結びつけて伝えるんです」。
その効果は、数字にも表れています。直近で初めて実施した社員へのエンゲージメント調査(働きがいに関する意識調査)では、「会社のビジョンが浸透している」という項目が86%に達しました。「理念やビジョンには共感してもらえているみたいで」と少し誇らしそうに笑いながらも、細田氏は課題から目をそらしません。同じ調査で、人事評価への納得感の低さも見えてきたからです。評価制度をめぐる社員の声を受け、すぐに「エンゲージメント向上委員会」を立ち上げました。
「批判されるのは慣れているんで」。細田氏は軽やかに笑います。「それも含めて全部受け止めて、改善していく。僕の考えだけがすべてじゃないですからね」。理念を上から配るのではなく、社員との対話のなかで磨き続ける。その姿勢こそが、86%という数字を支えているのかもしれません。
壊さずに生かす——新築を捨て、再生事業に的を絞った決断
闘病は、事業の形そのものも変えました。それまで新築を含めて幅広く手がけていたアケボノは、病気を機に新築から完全に撤退します。
「今は塗装、防水、大規模修繕だけ。新築はやらず、すでにある建物を修繕して再生する事業に絞りました」。穏やかな表情で語ります。塗装と防水を主力に据えれば、その延長で大規模修繕もこなせる。領域を狭めることで、専門性を深く掘り下げる狙いです。
背景には、環境への思いもありました。「マンションは、手入れをしなければ50年くらいで寿命がきます。でも、ちゃんと手入れすれば100年もつ。全然違うんですよ」。建物を壊せば、ゴミも粉じんも出ます。壊さずに生かすほうが、費用の面でも環境の面でも理にかなっている——。「建物を長持ちさせる」という方針は、利他の理念とまっすぐつながっていました。
市場の追い風も読んでいます。「うちが手がける埼玉・群馬・栃木は、合わせて人口が1000万人。外壁や屋根の大規模修繕の市場は1600億円くらいあると見ています。その5%を取れれば80億円。そこを目指しているんです」。新築の価格が高騰している今、建物を生かす再生事業には確かな勝機がある。細田氏はそう見据えています。
膜厚測定という「安心材料」——業界のブラックボックスを壊す
専門特化を掲げるアケボノが、品質の証明として導入しているのが「膜厚測定」です。塗った塗料の厚みを数値で測る取り組みで、塗装業界ではあまり聞かないといいます。
「職人の勘ではなく、ちゃんとデータで確かめるんです」。細田氏は身を乗り出すように説明してくれました。テスト用の鉄板に実際に塗装してもらい、それを持ち帰って塗膜の厚みを測定する。決められた基準を満たしているかを、目ではなく数字で判定する仕組みです。

なぜ、そこまでするのか。理由を聞くと、業界の「ブラックボックス(外から中身が見えない部分)」が浮かび上がってきます。「たとえば水性塗料なら、水を倍に薄めれば材料費は半分で済んでしまう。そういう手抜きをさせないために、規定どおりの量が塗られているかを確認するんです」。やっかいなのは、手抜きが一見わからないこと。「塗りたては、どれもピカピカで見分けがつかない。差が出てくるのは1年後くらいなんですよ」。だからこそ勘に頼らず、大規模修繕では全数を測定しています。
このアイデアの源は、意外なところにありました。「橋をつくる土木の工事でやっていた手法を、建物の修繕に持ってきたんです」。膜厚計は1台20〜30万円。乾いてから鉄板を回収する手間もかかるため、普通の塗装店ではなかなか導入できません。「うちは現場監督がいるので、足場が立っているうちに、点検のついでに回収できるんです」。
ほかにも、工事費を「一式いくら」とまとめず項目ごとに明示し、使った塗料の出荷証明書まで提出する。専門知識のないお客様にも納得してもらえるこの徹底ぶりを、細田氏は「安心材料」と表現しました。
下請け100%からの20年——「利益が出ないと、意味がない」

今でこそ顧客から直接仕事を受ける「元請け」中心のアケボノですが、その体制を築くまでには20年近くかかりました。細田氏が入社した当時は、ほぼ100%が「下請け」——建設会社から仕事を回してもらう立場だったのです。
「下請けは、はっきり利益が出ないんですよ」。重い口調で振り返ります。「当時は社員5人くらい。売上は立つんだけど、利益が出ないから社員に還元できない。年収400万円くらいだったかな。それじゃ、将来がなかなか描けない」。下請けは元請けに単価を抑えられ、同業他社との価格競争にもさらされる。どれだけ汗を流しても報われにくい構造でした。
そこで、入社後まもなく細田氏が武器にしたのが、もともと得意だった新規開拓の営業です。「製造業の工場を狙って営業を始めて、当時5〜6億円だった売上を、1年で1億5000万円くらい上乗せしたんですよ」。そこから元請けの比率を少しずつ高め、同じように営業できる部下を育て、20年近くをかけて、ほぼ100%元請けへと転換しました。
「社長1人なら、2億円くらいは取れると思うんです。でも、人を雇って10億円までもっていくのは、本当に大変。最初は実績がないですからね」。だからこそ、徐々に、徐々に——。何度も口にしたこの言葉に、一夜にして変わったわけではないという実感がにじみます。目先の安定を手放し、誠実な施工と高い生産性で「直接選ばれる会社」へ。その地道な積み上げが、今の経営基盤を支えています。
不安で生きるか、理想を求めて生きるか——「失敗の数」が生んだ覚悟
細田氏には、毎朝のルーティンがあります。5時15分から55分まで、軽い運動をしながらメモ帳を握るのです。「早歩きとストレッチくらいなんですけど、その時間にアイデアがよく出るんですよ」。お腹がすいて頭が冴える朝、思いついたことを書き留める。「このルーティンは、100億円をやり遂げるまで続けようと、自分に課しているんです」と、力強く語ります。
そんな細田氏にも、不安はあります。「僕だって不安なんですよ。『この投資をして、会社が潰れたらどうしよう』とか」。それでも前に進めるのは、自分にひとつの問いを立てているからです。「今、不安がってもしょうがない。結果が出てから考えればいい。要は、不安で生きるのか、理想を求めて生きるのか。その違いなんです」。
この考え方は、数えきれない失敗に裏打ちされています。「10個やったら、9個は失敗するんですよ。それでも、どんどん挑戦して、ダメなものは次の新しいことに切り替えていく」。アイデアは浮かぶのに実行できず止まってしまう人が多い、という話には、即座に答えが返ってきました。「とりあえず、やってみればいい。転んだら立ち上がればいいだけです。転び方を知っているやつは、立ち上がりも早いですから」。倒産と大病という大きな失敗を含め、「細かいものなら何百個も失敗してきた」からこその言葉です。「成功したいなら、成功するまでやればいい。みんな、その前に諦めちゃうから成功しないだけなんですよ」。
採用がすべて。5年後、100億の景色を一緒に
未来をつくる人材について、細田氏の考えは明快です。「成長意欲のある人は、放っておいても自分で成長します。だから一番大切なのは採用なんですよ。どんなにいい発信機があっても、受信機が悪ければ伝わらないのと同じで」。
そのため、最終面接は必ず自分で行います。確かめるのは、スキルよりも「どんな未来になりたいか」という価値観。会社の文化に共感できるかを最優先します。判断は率直です。半年前には、大手ゼネコン出身で経歴は申し分ない人を採用しましたが、周囲のフォローに頼って自分は動こうとせず、早々に退職してもらったといいます。「仕事ができるかどうかより、その会社の文化に合うかどうか。僕は、そっちのほうが大事だと思っています」。
その先に描くのは、壮大な未来図です。5年後に売上100億円、従業員100名。地盤の埼玉・群馬・栃木を固めたうえで、一都六県での多店舗展開を見据えます。各地で営業を現地採用し、工事の品質管理は本部で一括する。デジタル化(DX)を進め、熊谷で磨いた成功のかたちを、そのまま各地へ移していく構想です。「60歳で100億、65歳で300億までいって引退かな、と。そこまでは命を燃やしてやりますよ」。
かつてはIPO(株式上場)と自尊心を原動力にしていた経営者は、今、まったく違う場所に立っています。「いい会社にして、社員に報いたい。ここにいるみんなが幸せでいられる。それが一番なんです」。不安ではなく、理想を選ぶ。二度の死線が、細田氏の問いを、そう作り変えました。
コントリからのメッセージ
「不安で生きるのか、理想を求めて生きるのか」——取材のあいだ、この問いが何度も胸に残りました。
とりわけ印象的だったのは、病床で「自分の生きた証も、何も残してないな」と感じたという述懐です。年商50億円を倒産で失い、肺がんで片肺を失い、信頼した人にも去られた。失えるものをほとんど失った人だからこそ、「転んだら立ち上がればいいだけ」という言葉には、軽さではなく重みが宿っていました。理念カードも唱和もなし。ただ3カ月に一度の手紙で伝え続ける——その実直さもまた、規模ではなく「誰のために生きるか」へと転換した経営者の姿そのものです。
下請け構造や薄利、人材の定着に悩む経営者にとって、細田氏の歩みは「特別な天才でなくても、仕組みと理念があれば再起できる」という確かな希望になるはずです。再生事業や採用に関心のある方は、ぜひ一度、細田氏に話を聞いてみてください。
プロフィール

株式会社アケボノ
代表取締役社長
細田 健一(ほそだ けんいち)
1971年2月11日生まれ、埼玉県熊谷市出身。1990年に株式会社リクルートへ入社し、営業を経験する。家業の曙塗装工業を経て、1994年に株式会社ハウスメイクを創業。一般住宅の外壁・屋根改修で売上約50億円・従業員約430名・21店舗まで拡大させるも、2005年に民事再生を経験する。その後、株式会社アケボノで2016年に代表取締役へ就任し、下請け中心から元請け直販へと事業構造を転換。2019年には肺がんステージ3から生還する。復帰後は「全従業員の物心両面の幸福の追求」を掲げる理念経営で、5期連続の売上成長を実現している。座右の銘は「因果応報」。趣味は散歩。
ギャラリー





会社概要
| 会社名 | 株式会社アケボノ |
| 設立 | 昭和48年(1973年)2月21日 ※創業 昭和46年(1971年)4月 |
| 資本金 | 2,495万円 |
| 代表者 | 細田 健一(代表取締役社長) |
| 本社所在地 | 〒360-0015 埼玉県熊谷市肥塚1410 |
| 従業員数 | 55名 |
| 事業内容 | 建設・塗装・防水・大規模修繕全般(外壁/屋根/屋上防水/鉄部/塗床/内装/舗装改修)。新築は行わず、ビル・工場・倉庫・マンション・公共施設など既存建物の改修・再生・長寿命化に特化。 |
| コーポレートサイト | https://www.akebonos.co.jp/ |

