
「感謝は、最後ではなく最初に」——創業111年の旅館を率いる“歌う女将”柏木由香さんの経営哲学
「あのアンケートは、クレームじゃなくて、ラブレターだったんだな、と」——。
穏やかな表情でそう振り返るのは、埼玉県飯能市・名栗温泉「大松閣」の女将、柏木由香さんです。創業111年、全19室、従業員60名。仲居として現場に入って13年、2024年4月に女将となりました。前職はミュージカル女優兼シンガーソングライター。今も週に一度、土曜のラウンジコンサートで自ら歌う「歌う女将」として知られています。
お伝えしたいのは、その経歴の珍しさではありません。クレームも、怒鳴り声も、名前の重さも——降りかかるものすべてを資産に変えてきた、ひとりの経営者の思考法です。
「ディズニーランドより大松閣がいい」——観光地ではなく“ふるさと”になった宿

大松閣には、少し不思議な現象が起きています。同じお客様が、1ヶ月に一度、2ヶ月に一度と、1年に何度も訪れるのです。10年以上その理由を探し続けた柏木さんは、最近ひとつの答えにたどり着きました。
「ここは観光地ではなくて、ふるさとなのかなと思ったんですよね。実家って、別に飽きないじゃないですか」
13年のあいだに、かつて小さかったお子さんが結婚し、今度は自分の赤ちゃんを抱いて帰ってくる——そんなご家族も現れました。あるご家族では、お子さんが「誕生日プレゼントは、ディズニーランドと大松閣、どっちがいい?」と聞かれ、大松閣と答えたそうです。
「ミッキーマウスは、加奈子ちゃんっていう子のことを知らないじゃないですか。名前も呼ばないじゃないですか。でも、私たちは『加奈子ちゃん、待ってたよ』って言える。ディズニーでは“その他大勢”だけれど、ここは『あなたが来てくれて嬉しい』を、ちゃんと感じてもらえる」
ただし偶然ではありません。「私達の代で変えた物は、子供さんから選ばれる宿にした事。キッズルームを充実させて、赤ちゃんもお子様もウェルカムの宿になった」と柏木さんは言います。名前を呼ぶ姿勢の手前に、設備という土台があったのです。
建物にも思想があります。館内は5階建て。「5階以上つくってしまうと、山以上になってしまうので。大自然の中に、お邪魔するように建てたんです」。名栗にある旅館は、大松閣ただ一軒です。

人見知りの少女を変えた、ひとつの笑い声。すべてはそこから始まった
今の柏木さんからは想像しにくいのですが、小学生の頃は筋金入りの人見知りでした。克服したくて中学で演劇部へ。動機は「親友の子が入るから」という軽いものです。
転機は、稽古中の罰ゲームでした。負けた柏木さんは、思い切って「変なおじさん」を演じます。
「もうみんな大爆笑してくれて。自分がやったことで、こんなに人が喜んでくれるのが嬉しくて。その笑い声を、今でも覚えているんですよ」
人に喜んでもらう喜び。それが、後の歌にも、おもてなしにもつながっていきます。

歌が、人を見る目を変えたこともあります。代表曲「ありがとうママ」を母の故郷・大阪で歌う前、母の幼い日の話を聞かされました。父親を亡くしたことを理解できず、毎日「お父さん、今日帰ってこないの?」と聞き続けていた——と。歌い始めた柏木さんは、初めて声が出なくなります。
「お母さんではなくて、一人の人として、初めて見られたっていうか。お母さんにも、お母さんがいなかったんだな、と」

「僕には値段が決められない」——最悪の一日を最高に変えた、深夜の電話
人生のパートナーとの出会いを運んできたのも、やはり歌でした。現在の社長である夫と出会ったのは、歌の仕事の打ち上げです。
関係が変わったのは、仕事の依頼主から雑な扱いを受け、自分の価値がわからなくなった一日でした。その夜、ノートの右にいいこと、左に嫌なことを書き出すと、左側ばかりが埋まっていきます。なんとか右側を埋めたいと粘るうち、時計は23時半。そこへ、後に夫となる彼から電話が入りました。
「『ゆかちゃん、どこどこに紹介したいと思うんだけど。ギャラいくらぐらいかな。すっごい価値の高い歌だと思うから、僕じゃ決められないんだよね』って」
「私が左側に書いた嫌な気持ちを、全部覆すような言葉だらけだったんですよね。それで、『あれ、今日、最高の一日だった』と」
この夜を境に、何かが反転します。最後にいいことが起きるとわかってしまえば、嫌なことは「最高の一日にするための材料」にしか見えなくなったのです。
結婚の決め手も、その延長線上にありました。「大恋愛で、あなたが好きでたまらない、ということではなくて。一生、人生を歩む中で、本当にいてほしい方だなって思ったのが、決め手だったのかもしれない」
二人の「届けたいこと」も一致していました。「目の前の人を元気にしたい。ありがとうであふれる空間をつくりたい」。その言葉は、13年経った今も変わっていません。

女将には4種類いた。「私らしい女将でいい」と気づいた日
とはいえ、葛藤はありました。「女将、大変そう、いじめられそう」。ドラマで見た女将像が、頭から離れなかったのです。
ここで夫が取った行動が、柏木さんの人生を動かしました。「やれ」とも「やめろ」とも言わない代わりに、全国の女将・若女将のもとへ、たくさんの旅行に連れ出したのです。
「今思えば、旦那さんの戦略だったんですけど。そしたら、4種類いたんです。女将さんって」
人前に立つ「看板」型。相撲部屋の女将のようにスタッフを支える型。経理や人事をがっちり握る頭脳型。そして、家庭を守り夫を支える型。
「ドラマの枠の中にいる人は、1人しかいなかったんですよね。皆さん、自分らしく輝いていて。だったら、歌も続けつつ、私らしくオリジナルの女将をつくればいいのかなと」
決定的なスイッチは、ある有名旅館の女将が、会って間もなく突然泣き出したことでした。「いつも言わなかったけど、お風呂の中で泣いてんだよ」と。普通なら怯むところですが、柏木さんは正反対でした。
「かっこいい、と思ったんですよ。涙を流すぐらい、本気で、母親も仕事もやってるんだなと思って。この人って、本気で生きてんだな、って」
なぜそう受け取れたのか。答えは前職にありました。「ああいう業界って、嘘をやると、人は感動できないんです」。本気で生きている人が選ばれる世界を、柏木さんは知っていたのです。

「あんな挨拶なら、ない方がいい」。そのアンケートは、ラブレターだった
入社後1〜2年、柏木さんはスタッフと同じ制服を着て、仲居として現場に入りました。会長も社長も、細かな指導は一切しません。「何も言ってこない、自由なんですよ」。
そこで誰に言われるでもなく着物を着て、客室へ挨拶に回り始めます。ところが、返ってきたのはアンケート用紙の一文でした。
「『若女将が部屋に挨拶に来ましたが、あんな挨拶なら、ない方がいい』って」
当時はまだ、ピンチをピンチとしか受け取れない時期です。誰に頼まれた仕事でもない。やめてしまえば済む。堂々巡りの末、ある日ひらめきます。
「『ミッキーになればいいんだ』と思った。ピカーンって光ったんですよ」
会えた瞬間に、相手が幸せになれる存在。自分がそれになればいい。柏木さんは行為そのものを設計し直し、「ご挨拶回り」をやめて「ありがたい」という気持ちだけを届けて回ることにしました。結果は、アンケートに表れます。「『わざわざ来てくれてありがたい』『幸せ』『楽しかった』とか。ガラッと内容が変わって」。
「あのアンケートは、クレームじゃなくて、ラブレターだったんだな、と。ありがとう、じゃないですか。それのおかげで、私がミッキーになったわけだから」
前向きに受け止めた、という話ではありません。指摘を受けて、やること自体を作り直した。だから結果が変わったのです。その探究の先にあるのが、現在の自己紹介です——「会うだけで幸せになるパワースポット女将」。

怒れるお客様に、歌でお詫びする。3.11の体育館が教えてくれた確信
どうしても収まらず、「社長を出せ」と呼び出される場面があります。まず、心から精一杯のお詫びをする。それを当たり前の前提だと念を押したうえで、柏木さんはこう切り出すことがあるそうです。
「『よろしければ、歌ってもいいですか?』って言うんですよ」
相手は面食らいます。けれど歌い終わる頃には、空気が変わっている。「怒りに支配されたところが、なんか軽くなっていって。むしろ『こういうことがあってよかったね』とか言ってくださるんですね」
無謀にも思えるこの一手を出せる根拠は、旅館に入る前の経験にありました。
「絶対大丈夫って自信があるのは、3.11——東日本大震災のときです。何百回っていう回数で、被災地に行って歌っていたんですよ」
体育館に段ボールが敷き詰められ、明日がどうなるかもわからない場所です。「絶対に歌っちゃいけない」と思った。それでも、勇気を出して歌いました。
「涙を流す人だったり、『ありがとう』って叫んでくれる人とか、笑顔になってくれる人とか、もういっぱいいたんですよ。明日生きる希望もないような悲しみの場所でも、心が変わっていく瞬間をいっぱい見て」
その体験が、旅館での確信になりました。ただし、柏木さんは万能を主張しません。「歌わないで、どうしようもなかったなという時は、もちろんあります。でも、その後にまたできることがあるので。手紙を書いて、とか」

ピンチさん、苦難さん、違和感ちゃん。問題に「さん」を付ける理由
インタビュー中、耳慣れない言葉が何度も飛び出しました。「ピンチさん」「苦難さん」、そして「違和感ちゃん」です。
「違和感は、まだ“ちゃん”ぐらいなんです。ちょっとまだ昇格前ですね」
笑いながらそう言いますが、この擬人化は言葉遊びではありません。問題を“敵”ではなく“来客”として迎えるための、認知の設計です。
柏木さんには、自ら「私なりの名言」と呼ぶ考え方があります。ピンチ、チャンス、感動、そして感謝。この順番の最後に感謝が来るはずでした。ところが——。
「結局、最初にしちゃった方がいいってことに気づいたんですね。ピンチが来たときに、まず『ありがとうございます、また成長させてもらえる』と。先に感謝すると、アイデアが浮かぶんですよ」
この「先に」は、一日の始まりから徹底されています。朝、起きてすぐ、すでに亡くなった方々の名前を一人ずつ呼んで「今日もありがとうございます」と伝え、続けて自分のポリシーを声に出すのだそうです。
「それになりきるのが女優だなって思うんです。ここが舞台だと思って。最初はそう思えなくても、だんだんだんだん、本物になっていく感じだと思う」

この姿勢は、60名のスタッフを預かる組織づくりにも直結しています。ただし、最初からうまくいったわけではありません。研修を組んで一人ひとりと向き合っていた時期には、「『何言ってんですか、ポジティブすぎてついていけませんよ』って言われたんです」。陰口を言われて落ち込んだ時期も。それでも——。
「陰口を言ってくれた、そのピンチさんにも感謝したことによって、その方とすごい絆になったりとか」
たどり着いた結論は、驚くほどシンプルでした。
「自分が——自分だけじゃなくて、社長も——なりたい姿をしっかり生きていると、伝染していくんです。教育じゃなくて、なりたい姿を生きる。それが本当の本質かなと」
その証拠は、お客様の声にあります。今、最も多く寄せられるアンケートは「スタッフの皆さんが優しくて、ほっとします」だそうです。もっとも、この「優しさに包まれた空間」は柏木さんの発明ではありません。先代から受け継いだものは何か。そう尋ねると、こんな答えが返ってきます。「人を大切にする事。優しさに包まれた空間。料理はあたたかい物はあたたかいうちに出す」。守るものと、変えるもの。その両方を持っている人でした。

一通の手紙から、地球への手紙へ。老舗旅館の女将が見ている夢
順風満帆に見える13年ですが、深く沈んだ時期があります。若女将から女将になった、その瞬間でした。
「急に、その名前が重くなっちゃったんですよ。女将さんって、年齢を重ねた、かっこいい方がいっぱいいて。私みたいな人が女将になった途端に、『すっごいぺーぺー、全然ダメなやつだ』って」
モヤモヤの正体は「自分を生きてないな」ということでした。そして「歌もちょっと本気でやってみようかな」と考え始めた頃、大松閣の会長から、幹部が居並ぶ場で思いがけない言葉をかけられます。
「『由香君は、旅館のせがれの嫁だからといって、必ずしも女将をやらなきゃいけない理由はない。歌という特技があるから、それをたくさんの人に届けたらいいんじゃないか』って」
幹部たちは目を丸くしていたと言います。けれど柏木さんの中では、別のことが起きていました。「心の中の雲が、サーッと晴れ渡っていったような感じで」。
なぜ、会長はあのタイミングで背中を押してくれたのか。柏木さんがその理由に思い至ったのは、取材の前日だったそうです。
きっかけは、少し前の出来事でした。事務所で義理の父である会長に大きな声で叱られ、怒られ慣れていない柏木さんは深く動揺します。謝罪した後、勢いのまま「辞めさせてください」と口にしてしまいました。本意ではありません。そして、その翌日が父の日だったのです。
地元の酒屋で最高級の酒を選び、感謝の手紙を添えて渡しました。一度は受け取ってもらえません。ところが2日後、LINEもメールも使わない義父から、携帯にショートメールが届きます。「『お酒ありがとう。あんなに美味しいお酒は、生まれて初めて』って」。その数日後の幹部ミーティングで、あの言葉が出たのです。
「渡したことを、忘れてたんですよね。見返りを求めてもいないし、ただ素直に、父の日だから感謝を伝えようとやったことだったから。忘れるぐらいの感謝だと、これだけ人生が動いてくるのかなって、後付けで気づきます」
その「夢」は、コロナ禍に生まれました。創業以来初めて休業したゴールデンウィーク、子どもと大自然で遊び、地球への感謝が溢れてきたのだそうです。「地球に手紙を書きたい、と思っちゃったんですよ」。手紙は歌詞になり、「地球への手紙」という一曲に。今は35歳以上で諦めた夢に再挑戦する人のためのコンテストに出て、この歌を世界で歌おうとしています。
「チャレンジなんて絶対できない、自由がない立場だと思われている女将が、世界中で歌っている。それって、結構、皆さんに勇気を与えるかなと」
応 援 の お 願 い
柏木さんは今、
「トップアーティストコンテスト2026」に挑戦しています
35歳以上で、かつて諦めた夢にもう一度挑む人のためのコンテストです。予選は投票とYouTube再生回数でファイナリストが決まり、決勝大会は2026年11月13日(金)。記事の中で生まれた「地球への手紙」を、柏木さんは世界で歌おうとしています。その第一歩を、あなたの1票が後押しできます。
歌唱動画もこちらからご覧いただけます
投票は3ステップ(1分ほどで完了します)
- 上のボタンから、柏木さんのページを開く
- ページ下の緑のボタン「投票はこちら」をタップ
- 公式LINEが開くので、「No.1〜No.100」→「No.87 唄う女将 柏木由香」を選んで投票する
投票には公式LINEの友だち追加が必要です。集計が終わる9月末までLINEをブロックすると、票が無効になりますのでご注意ください。投票受付は2026年9月25日23時59分までです。
宿の未来も具体的です。3年後にはペットと泊まれる宿を企画中。ビジョンは「幾世代からも選ばれる故郷の宿。お客様も、働く人も、業者さんも、地域も、みんなが幸せになる宿」。そして——「大松閣を、たくさんの人が夢を語り、夢を叶える宿にしたい」。
取材の終盤、柏木さんはふと、自分の人生を貫く一本の糸に気づきました。クレームというラブレター。義父への手紙。そして、地球への手紙。
「確かに、要所要所で、手紙が。人生を変えたいなら、手紙かもしれない」
新緑を背に、少し驚いたように、そう言葉にしました。

コントリより
印象に残るのは、「忘れるぐらいの感謝」という言葉です。
感謝が大事だと語る経営者はたくさんいます。けれど柏木さんは、見返りを求めないどころか、渡したこと自体を忘れている。だからこそ、返ってきたときに本気で驚ける。前日の気づきを語りながら目を丸くしていた、あの表情が忘れられません。
ピンチにも、苦難にも、違和感にも「さん」を付けて迎え入れる。人を動かそうとするのをやめて、なりたい姿を生きる。どれも、旅館業に限った話ではないはずです。
名栗の山あいで、土曜の夜に歌う女将がいます。ぜひ一度、会いに行ってみてください。
そしていま、柏木さんは「地球への手紙」を携えて、コンテストの真っ最中です。よろしければNo.87「唄う女将」柏木由香さんのページから、1票で背中を押してあげてください。

あなたの会社にも、
まだ言葉にしていない物語があります。
コントリは「ご縁でつながる」経営者インタビューメディアです。売上や規模でランク付けはしません。なぜこの事業を選んだのか、どんな失敗を越えてきたのか——数字の裏にある“人”を、プロの聞き手が引き出し、5,000字の記事に仕立てます。
- 取材費・掲載費は一切かかりません(応募フォームは5分で完了)
- お願いするのは事前ヒアリングと取材の60〜90分だけ。準備は不要です
- 完成した記事は採用サイト・SNS・営業資料に自由にお使いいただけます
プロフィール
名栗温泉・大松閣
女将
柏木 由香(かしわぎ ゆか)
1974年3月19日、東京都大田区生まれ。池袋ミュージカル学院で学び、『屋根の上のヴァイオリン弾き』などに出演するミュージカル女優・シンガーソングライターとして活動。代表曲に「ありがとうママ」。東日本大震災後は被災地で数百回にわたり歌を届ける。歌の仕事で結ばれた縁から埼玉県飯能市・名栗温泉「大松閣」へ嫁ぎ、仲居としての現場修業を経て若女将に。13年を経た2024年4月1日、女将へ就任する。週に一度、土曜のラウンジコンサートで自ら歌う「歌う女将」として、0歳から100歳までのお客様を迎える。「素敵な若女将の集い 虹会」会長。自作曲「地球への手紙」を携え、現在はトップアーティストコンテストに挑戦中。趣味は登山とアーシング、特技は唄う事と「ピンチを感謝に変える事」。座右の銘は「人生はミュージカル」。
ギャラリー



















会社概要
| 会社名 | 名栗温泉・大松閣(運営:有限会社名栗温泉) |
| 創業 | 大正3年(1914年) |
| 資本金 | 800万円 |
| 本社所在地 | 〒357-0112 埼玉県飯能市大字下名栗917 |
| 従業員数 | 60名 |
| 代表者 | 代表取締役社長 柏木 宏泰/女将 柏木 由香 |
| 客室数 | 全19室(冷鉱泉の露天風呂付大浴場2つ・貸切風呂3つ) |
| 事業内容 | ①温泉旅館「名栗温泉・大松閣」の経営 ②季節の会席料理の提供(直営食事処「山の茶屋」含む) ③音楽活動を活かした「歌うおもてなし」(ラウンジコンサート、記念コンサート等の企画・出演) |
| コーポレートサイト | https://www.taishoukaku.com/ |

