事業承継した経営者14人に聞いた|継いだ直後に起きたことと先代の共通点

事業承継した経営者14人に聞いた|継いだ直後に起きたことと先代の共通点

事業承継の情報は、制度と手続きの解説に偏りがちです。承継税制の要件、株式の移転方法、M&Aの進め方——どれも必要な知識ですが、実際に継いだ経営者が知りたいのは、その先にあることではないでしょうか。継いだ翌日から、何が起きるのか。

コントリはこれまでに118社の経営者を取材してきました。そのうち14社が、会社を継いだ当事者です。2代目から5代目まで、業種も規模も地域も異なりますが、承継の前後に何が起きたかを、一人ずつ本人の言葉で記録しています。

その14社分を並べて読み直したところ、「継ぐ」と決まった瞬間は驚くほどバラバラなのに、継いだ直後にぶつかる壁は共通していました。そして、比較的うまく運んだ承継には、後継者側ではなく先代側に共通点がありました。実名の証言とともに整理します。

この記事の元になった、承継した14社

最初に、何をもとに書いているかを明示します。母集団の性格がわからない記事は、読者が自分の状況に当てはめられないためです。

14社の内訳

項目内容
対象コントリが取材した経営者118社のうち、本人が事業を承継した14社
取材時期2023年6月〜2026年7月
代数2代目から5代目まで(最も長いのは創業1951年の北星鉛筆で5代目)
業種金属加工、建設機械、物流、不動産、和菓子製造、文具製造、自動車整備、寝具、テント製造ほか
血縁関係13社が親族内承継、1社が親族外承継
承継時の年齢記載のあるもので24歳〜41歳

いわゆる大企業の承継ではありません。従業員数十名規模の中小企業が中心で、多くが地方に本社を置いています。日本の事業承継の大多数が属する層だとご理解ください。

「制度の話」がほとんど出てこなかった

14本を読み直して意外だったのは、承継税制や株式評価の話がほとんど語られなかったことです。触れていたのは1社のみでした。

代わりに全員が長く語ったのは、先代との関係、社員との関係、そして自分自身の覚悟の置き所でした。制度が重要でないという意味ではありません。ただ、当事者にとっての承継の実感は、制度の外側にあるということです。

「継ぐ」と決まった瞬間は、驚くほどバラバラだった

計画的に引き継がれた例は、14社の中では少数でした。多くは、偶発的な出来事や、勢い、あるいは家族の事情によって決まっています。

口論の勢いで決まった、24歳の承継

創業100年の老舗和菓子店株式会社菓匠禄兵衛・居川信彦氏の承継は、お盆の夜の口論から始まりました。父親に言われて作った干菓子が、差し出した瞬間に崩れたのです。

「『なんやこれは?俺がちゃんと教えたじゃないか』と怒鳴られて、作ったお菓子を全部壊されました」——売り言葉に買い言葉の末、父親から「お前がこの店をやれ」と言われ、居川氏は咄嗟に「やったるわ」と言い返した

株式会社菓匠禄兵衛 4代目・居川信彦氏

翌日から父親は店に姿を見せなくなりました。レシピも帳簿の付け方も何ひとつ教わらないまま、年商1,300万円・従業員ゼロの店を24歳で一人で守ることになったのです。

「継ぎたい」と言ったら、父に断られた

逆の例もあります。関東近郊の食品輸送を担う株式会社日東物流・菅原拓也氏は、大学3年で父に承継を相談し、一度きっぱりと断られています

「経営者というのはお前が思っているような楽な仕事ではない。相談する相手もいないし、安心してゆっくり眠ることもできない、そういうことをお前にやらせたくない」

株式会社日東物流 先代(菅原拓也氏の父)

何度も話し合った末、「物流業界で3年働き、その後日東物流に来る」という条件で父はようやく首を縦に振りました。断ることも、承継の一形態だという例です。

血のつながらない先代から継いだ

14社で唯一の親族外承継が、茨城県つくば市の株式会社磯田オート・登坂耕也氏です。社名の「磯田」と代表の姓「登坂」が一致しないのは、そのためです。

28歳で「継ぎたい」と申し出たとき、周囲の反応は冷ややかでした。「あんな会社を継いだって、どうせ潰れるだけだから」と散々言われたといいます。決定打になったのは、他社への出向を終えて戻ると決まったときに先代がかけた言葉でした。

「君はいろいろ動けて、仕事もできるようになった。たくさんの選択肢はあると思う。君の人生だから、君が生きたいような選択をしなさい」

株式会社磯田オート 先代・磯田洋氏

登坂氏には好条件のスカウトが複数届いており、先代はそれを察したうえでこう告げています。登坂氏の受け止めは明確でした。「私がこの会社を継げば、この人には家賃収入がずっと入る。継続してくれた方が得なはずなのに、私の人生を優先してくれた」。引き止めなかったことが、決意させたのです。登坂氏は先代を「血のつながっていない父親」と呼び、社名を変えずに残しています。

その他に語られた、決定の瞬間

株式会社東京中央建物(不動産)

幹部会議で、父に事前相談せず「自分が社長になります」と宣言

緊急事態宣言のさなか、幹部一人ひとりが会社への意見を述べる場で三田正明氏が口にした。父は「その言葉を待っていた」という表情で受け止めたが、次期社長と目されていた古参役員もおり、反応は複雑だったという。

株式会社ダイマツウ(生産設備)

社会人4年目、父が病気で倒れ、家族会議で決まった

3人兄弟の末っ子。長兄は他社の支店長、次兄は飲食店経営で、「継ぐとしたら自分しかいない」という自然な流れだったと平松氏は振り返る。

北星鉛筆株式会社(文具製造・5代目)

「もうそろそろ、いい年だから交代するか」と言われ、普通に受けた

杉谷氏は「何かに固執したり逆に葛藤したりということもなく、やれと言われたので、では、という感じでした」と語る。令和への改元と重なり、先代は「天皇も退位したし、俺も退位するか」と冗談を言ったという。

植木鋼材株式会社(鋼材加工・3代目)

継ぐ気はなかった。離婚し実家に戻り、夫が継いだ後に自ら代表へ

3人姉妹の長女。父は婿を取って継がせたかったが本人は「ずっと逃げ回っていた」。教員を志して叶わず幼稚園教諭に。離婚を機に入社し経理を担当、再婚相手が社長を務めた後、「父が目指した会社を継ぐ」と決めて自ら代表になった。

あなたの承継の話も、記録に残しませんか
コントリは経営者お一人ずつを訪問し、5,000字以上の記事にして公開しています。本記事で引用した14社も、すべてこの取材から生まれました。
経営者インタビューに応募する
取材費用・掲載費用は無料(地方の場合、交通費・宿泊費の実費のみご負担いただきます)/業種・規模は問いません

承継直後、多くが同じ壁にぶつかっている

決まり方はバラバラでも、継いだ直後に起きたことは驚くほど似ていました。大きく3つに整理できます。

壁① 何も教わっていない

前述の菓匠禄兵衛が典型です。レシピも帳簿もわからないまま店に立った結果、何が起きたか。

「お客さんから『味が変わった』『まずくなった』と言われて、史上最低売上を記録しました」

株式会社菓匠禄兵衛 4代目・居川信彦氏

承継の準備期間が短いほど、この壁は高くなります。逆に、後述する橘モータースのように承継前の8年間を実質的な経営期間として使えた例では、この壁はほとんど発生していません。

壁② 社員に受け入れられない

複数の経営者が、就任直後の社員との距離について語っています。

株式会社ダイマツウ・平松氏は東京大学を出てコンサルティング会社を経て入社しており、当時の心境をこう振り返ります。「『こんな町工場ではダメだ!オレが変えてやる!』という気持ちでいました」。社員からは「東大卒の生意気なやつが来た」と思われていただろう、と本人が認めています。

植木鋼材株式会社の3代目は、父の会社を守るつもりで代表になったにもかかわらず、社員との関係がうまくいかない日々が続いたと語ります。「私の想いとしては、植木鋼材を父が目指した会社を伸ばそうと思って代表になったのに、なかなかうまくいかない」。先代への忠誠心が、そのまま社員に伝わるわけではないという現実です。

札幌の北日本重機株式会社・丸山雄司氏の場合は、社内ではなく顧客から突きつけられました。得意先を一軒ずつ回るなかで、玄関先でこう言われています。

「北日本重機さんって、殿様商売でいいよね」

北日本重機の得意先が、3代目・丸山雄司氏に告げた言葉

壁③ 先代とぶつかる

日東物流の菅原氏は、入社後に業界の慣習を変えようとして父と衝突しました。休みなく働くのが当たり前、事故の損失を社員が一部負担する——そうした慣習に対し、「おかしいものはおかしい」と退かなかったのです。

「ここまで関係性が悪くなるのか、と正直思いました」

株式会社日東物流 2代目・菅原拓也氏

菅原氏は、父の側の事情も理解したうえで語っています。「激動の昭和の時代に一人で会社を立ち上げ軌道に乗せてきた父ですから、綺麗事を言っていては会社が続かないことは身に染みていたでしょうし、大学を出たばかりで現場を良く知らない私に正論を振りかざされ、頭に来たと思います」。どちらかが間違っているのではなく、立ってきた時代が違うという構図です。

うまくいった承継には、先代側に共通点があった

ここが14本を並べて最も強く見えた点です。承継が比較的なめらかに運んだ例では、後継者の資質より先に、先代の振る舞いに共通の型がありました。

共通点① 選択肢を残す

磯田オートの先代が「君の人生だから、君が生きたいような選択をしなさい」と告げた例がこれにあたります。引き止めなかったからこそ、登坂氏は「この人が守ってきた会社を継ぎたい」と強く思った。選ばせることが、覚悟を生んでいます。

共通点② 継いだ後、干渉しない

茨城県常陸太田市で創業70年を数える株式会社橘モータースは、令和7年5月に4代目へ承継しました。橘徹氏は「社長になって何が変わったかっていうと、あんまり変わってないんです」と語ります。帰郷後の8年間、社長ではないまま実質的な意思決定権を持っていたからです。

この設計には理由がありました。

「父は、祖父にやりたいことをやらせてもらえなかった。そういう経験があるから、自分の子供には自由にやらせてやりたい。そう思って、帰ってきた時からあんまり干渉してこなかったんです」

株式会社橘モータース 4代目・橘徹氏

北星鉛筆の5代目も同じことを語っています。先代は現在も会長として在籍していますが、「基本的には思った通りにやれという感じ」。本人はこう評価します。「任せる勇気というのは必要だと思いますし、そこは先代の素晴らしい力だと感じています」。

なお北星鉛筆の先代は、承継のコツを冗談交じりにこう語ったそうです。「あんまり後継者の頭をよく育てないことが重要」——出来すぎると他の道に行ってしまうから、と。あわせて徹底していたのが、家で仕事の愚痴を言わないことでした。「子供の頃についたイメージは、案外強く残りますからね」。

共通点③ 先代を反面教師にすると、組織が揺らぐ

逆の型もありました。株式会社東京中央建物・三田正明氏は、社長就任後に若手の離職とベテランとの溝に直面します。中小企業同友会のセミナーで投げかけられた問いが転機になりました。

「あなたは、先代に感謝していますか?」——三田社長はその問いに、言葉が出ませんでした。

中小企業同友会のセミナーで、三田正明氏が受けた問い

父の経営スタイルを反面教師とし、あえて真逆を進もうとしていた。その姿勢こそが組織の芯を曖昧にし、ベテラン社員との信頼を損なっていた——三田氏はそう気づいたと語ります。「会社の原点をきちんと理解してこそ、未来は描ける」。過去の否定ではなく、敬意をもって受け継ぐという転換でした。

株と権力を、どう設計したか

承継で必ず問題になるのが、株式と権限の配分です。14社の中に、通常とは逆の設計をした企業がありました。

社長が株を持たないという選択

北日本重機は、男三兄弟が全員代表取締役という体制をとっています。長男の丸山雄司氏が社長、三男が専務、次男が常務。そして社長である丸山氏は、自社の株式を保有していません。株式は事業承継税制を活用し、営業統括の三男がすべて引き継いでいます。

「自分が全部、株も地位も持ってしまったら、それはそれで面白くないと思うんですよ」

北日本重機株式会社 3代目・丸山雄司氏

丸山氏自身が「解雇される可能性がある」立場だと語ります。それでも、この緊張感があるから「より必要とされるように働かないといけない」と考えている。さらに約1年前、社長・専務・常務が並列に位置づけられる組織図へ変更しました。現場の相談が弟たちを飛び越えて自分に来る弊害を解消するためです。父からは「そんな組織図なんて見たことない」と言われながら、押し通したといいます。

継いだ側が、次の承継をどう準備しているか

栃木県真岡市の株式会社第一テントは、社長就任後まもなく父が他界し、本業に加えて父が手がけた事業の後始末も背負いました。「事業を立ち上げる時には、夢と希望を持っているので物事は進むけれども、事業を辞める時にはそれがないのでなかなか進められない」。この時期が最も辛かったと語ります。

だからこそ、次の承継には別の準備をしています。息子はすでに入社済み。当初は「こいつじゃだめかな」と思ったそうですが、こう続けます。「思い返すと、私自身も父親から『こいつじゃダメかもしれない』と思われていたのだと思います」。自分が変わったきっかけは社外の場だった——青年会議所で先輩から機会をもらい、期待に応えたいと思うようになった。だから息子にも社外の団体に参加させている、という設計です。

継いだ会社に、武器がないと気づいたとき

山形の株式会社弘栄ドリームワークス・船橋吾一氏は、日立から家業の工事会社に移った人物です。リーマンショックで銀行や取引先が離れたとき、前職との決定的な違いに気づきました。

「日立には『しろくまくん』というエアコンがありました。(中略)でも工事会社には、そういうブランドが全くないんです。営業に行っても『もう間に合ってます』の一言で終わり」

株式会社弘栄ドリームワークス 船橋吾一氏

2012年、41歳で社長に就任した船橋氏は社員に2つ約束します。「我々が生きる道を作ること」「潰れない会社を作ること」。その答えが配管探査ロボットの開発でした。「経済学部の人間がロボットを作るって言い出したんですから、役員からは『できるわけないだろ』って言われました」。継いだ会社に選ばれる理由がないと気づくことも、承継の一部だという例です。

まとめ:承継の成否は、継ぐ前に決まっている部分が大きい

14社を並べて見えたことを整理します。

  • 決まり方は制御できない。 口論、病気、家族の事情——計画的に進んだ例は少数でした
  • 継いだ直後の壁は共通している。 教わっていない/社員に受け入れられない/先代とぶつかる、の3つ
  • 差がつくのは先代の振る舞い。 選択肢を残す、継いだ後は干渉しない。この2つがある例は、承継後の混乱が明らかに小さい
  • 先代を否定すると組織が揺らぐ。 反面教師にした結果、組織の芯が曖昧になった例がありました

もし今、承継を控えた先代の立場にいるなら、準備すべきは株式の移転方法だけではありません。選ばせること、そして継いだ後に手を出さないこと——14人の証言が指しているのは、そこでした。

この記事の限界

14社は無作為抽出ではなく、コントリの取材に応じた企業です。承継に失敗して廃業・売却した企業を含みません。したがって「この型なら成功する」ことを示すデータではなく、「続いている14社ではこう語られた」という記述にとどまります。分類も編集部の判断によるものです。

編集部より

取材時にはそれぞれ独立した一社の物語として書いてきました。並べて読み直して初めて、「先代がどう振る舞ったか」という軸が浮かび上がりました。個別の記事では見えなかったものです。

本記事で引用した14社を含む全インタビューは、経営者インタビュー一覧からお読みいただけます。創業のきっかけを118社分集計した記事は経営者118人に聞いた起業のきっかけにまとめています。

経営者インタビュー、掲載企業を募集しています
まだ言葉にしていない想いを、5,000字以上の記事にしてお届けします。事前に30分のオンライン打ち合わせを行い、内容をすり合わせたうえで取材に伺います。
無料でインタビューに応募する
運営:コントリ株式会社(東京都中央区銀座1-12-4 N&E BLD. 7階/代表取締役 飯塚昭博)

よくある質問(FAQ)

14社はどう選んだのですか

選抜はしていません。コントリが取材した経営者118社を通読し、本人が事業を承継した当事者である14社を抽出しました。業種や規模での絞り込みは行っていません。

承継税制や株式評価の話は出てこないのですか

14社の取材で制度に触れていたのは1社のみでした。本記事は制度解説ではなく、当事者が語った内容の記録です。税制や株式評価については、中小企業庁や中小機構の公式情報、および税理士等の専門家にご確認ください。

親族外承継の事例はありますか

14社中1社が親族外承継です。株式会社磯田オートの登坂耕也氏が、血縁関係のない先代から会社を引き継ぎ、社名もそのまま残しています。詳細は該当記事をご覧ください。

先代の立場で、いま準備できることは何ですか

14社の証言から繰り返し現れたのは2点です。第一に、後継者に選択肢を残すこと。引き止めずに選ばせた例で、後継者の覚悟が強まっています。第二に、継いだ後に干渉しないこと。承継前から実質的な意思決定権を渡していた例では、就任後の混乱がほとんど起きていません。

承継直後に社員の反発を受けたら、どうすればよいですか

本記事は解決策を保証するものではありませんが、14社の中では「先代を否定する姿勢」が社員との溝を深めた例が確認できました。逆に、先代の価値観を理解し直したことで組織が落ち着いた例もあります。少なくとも、改革を急ぐ前に会社の原点を把握することが、複数の経営者から語られています。

記事中の企業に問い合わせできますか

各社名からリンクしているインタビュー記事に、会社概要と公式サイトを掲載しています。なお本記事の引用は各社の掲載記事からのものであり、あらためて取材を行ったものではありません。

飯塚昭博

この記事の著者

飯塚 昭博

コントリ株式会社 代表取締役

青山学院大学卒業後、自動車会社にて年間180億円規模の設備調達を担当。中小企業経営者の想いに触れる中でその価値を伝えることに使命を感じ、2023年独立。経営者インタビューメディア「コントリ」を運営し、100社以上の経営者を取材。本記事は、代表自身が同席した取材を含む14社の承継記録をもとに、編集部が横断して整理した。

関連記事一覧