
ドリフト日本一から崖っぷちの家業再建へ。23歳で頂点に立った男が、売上20倍の”逆転劇”で見つけた本当の勝ち方
「勝つとは、守るべき人の未来を守ることです」——。
群馬県を拠点に自動車販売・整備・カスタムを幅広く手がける株式会社ENXIAの代表取締役、乾雅詞氏はそう力強く言い切ります。23歳でドリフト競技の日本一を獲得し、その後トヨタディーラーで600人中のS評価をキープし続けた乾氏が、コロナをきっかけに実家の乾自動車へ飛び込んだとき、目の前にあったのは「あと1年で終わる」という崖っぷちの現実でした。年商2,000万円台だった会社を3年間で3.3億円規模へと成長させた軌跡の裏には、孤独な改革者としての苦闘と、人間関係の崩壊と再構築というリアルな物語がありました。「自分のために勝つ」から「守るために勝つ」へ——乾氏の言葉には、多くの経営者が深く共鳴し、背中を押される何かが宿っています。

車の家系に生まれながら、車に興味がなかった少年
群馬県で生まれ育った乾氏は、自動車整備工場を営む父のもと、文字通り「車と共に生きてきた」環境で育ちました。しかし、幼少期の乾氏にとって、車はさほど特別な存在ではありませんでした。
父はラリーやジムカーナを楽しむレーシングドライバーで、新潟のサーキットなどへ家族を連れて行くことも日常のことでした。弟はトミカが大好きだったといいますが、4人兄弟の長男である乾氏は、不思議とその情熱とは距離を置いていました。幼少期のことを振り返り、乾氏は少し笑いながらこう話します。
「3歳のころから、朝起きたらサーキットにいる、なんてことが普通でした。それだけ車に囲まれた環境だったんですが、正直なところ、当時は自分から興味を持つことはなかったんです」
小学校では野球、中学・高校ではバレーボールと一般的なスポーツに熱中し、高校では機械科を選択しました。
車への本当の目覚めは、意外にも自分で免許を取得してから訪れます。ハンドルを握り、自分の意思で走り出したとき、それまでとは全く違う感覚があったといいます。
「自分で運転できるようになって、ガラッと変わりました。山道を走ったり、父の横でジムカーナをやったりするうちに、気づいたら『もっと上手くなりたい』という気持ちが止まらなくなっていたんです」
「与えられた環境に染まる」のではなく、自らの体験を通じて情熱を発見していく。そのプロセスが、後の乾氏の経営哲学にも深く刻まれていくことになります。
ドリフト日本一と死にかけた経験――23歳で覚醒した「やればできる」感覚
免許取得で火がついた乾氏の情熱は、やがてドリフトという競技へと向かいます。毎週必ず練習に行くと決め、専門学校から片道30キロ・1時間20分かけて通い、3店舗をはしごして使い古しのタイヤを集め、山へ練習に向かうという日々が続きました。お金がなければ知恵を絞る。やると決めたら、手段は後から生み出す——その姿勢が、乾氏の原点といえるかもしれません。その当時を振り返り、乾氏は力を込めてこう語ります。
「お金もないし、環境も整っていない。それでも『やる』と決めたら、必要なものは後から自分で揃えていけばいい。ドリフトを通じて学んだ中で、これが一番大きかったと思います」
40〜50代のベテランが多く集まるカテゴリの中で、2014年、23歳の乾氏は日本一の座を手にしました。美しさで採点が決まる、フィギュアスケートのような競技で、北海道から九州まで各地のポイントシリーズを勝ち上がってきた強者たちを制した瞬間でした。ドリフト天国という雑誌の表紙も飾ることになります。
一方で、この時期に乾氏はもう一つの大きな体験をします。無謀な運転が引き起こした大事故。2週間の集中治療室(ICU)での入院を余儀なくされ、医師から「言語障害か半身不随は確定です」と告げられるほどの重傷でした。しかし、奇跡的な回復を遂げた乾氏は、その体験を経てある気づきを得たといいます。目を細めながら、静かに話してくれました。
「事故のこと、日本一のこと、いろんな経験を経て、自分がいかに周りの人に支えてもらってきたかが、じわじわとわかってきました。そして『努力すれば本当に報われるんだ』『自分にはまだできることがある』という感覚が、初めて持てるようになったんです」
ドリフトの頂点と、死の淵からの生還。この二つの体験が、乾氏の内側に「努力は必ず報われる」という揺るぎない確信を植えつけることになります。この確信こそが、後に崖っぷちの家業へ飛び込む勇気の根っこになっていったのです。
ディーラーで600人中S評価。”整備と営業の二刀流”で磨いた職人技
専門学校卒業後、20歳で群馬トヨペット(トヨタディーラー)に就職した乾氏は、整備士として10年間を過ごします。しかし「整備士」という肩書きに収まらないユニークなスタイルが、そこでの乾氏の真骨頂でした。当時の働き方を、乾氏はこともなげに話します。
「作業着を着たまま、お客様との商談もやっていました。オプション選びも、中古車の査定も全部自分でこなして、全部決まったら営業担当に『あとは契約書を書いてもらうだけです』と引き継ぐ。そういうスタイルが自然と出来上がっていったんです」
15〜30分刻みで組まれた整備工程の合間に商談をこなし、納車の段取りから下取りの書類まで全て対応する。気づけば乾氏は、整備士でありながら、営業の仕事も一手に担う存在になっていました。その成果は数字にも表れ、600人の社員の中でS評価(全社で3〜4名のみ)をキープし続けます。トヨタ検定1級と自動車検査員の資格も最短で取得しました。誇らしさよりも、当然のこととして受け止めているような口調で、乾氏は続けます。
「整備の資格も誰よりも早く取りましたし、仕事の速さや正確さでも評価していただいていました。整備士という職種でありながら、会社全体の人事評価でSをもらい続けるというのは、普通はなかなかないことだと思います」
ただ、この「何でもできる」という強みが、後に乾氏の経営において最大の壁にもなります。「自分がやった方が早い」「自分に任せれば間違いない」という職人的感覚は、事業拡大の足かせになるという逆説を、乾氏はやがて痛感することになるのです。

コロナが引いた引き金――「あと1年で終わる」崖っぷちの家業を知った夜
10年間のディーラー勤務を経て、乾氏の転機はコロナ禍に訪れます。外出自粛の中で自己啓発の情報と向き合ううちに、「このままで本当にいいのか」という問いが静かに、しかし確実に芽生えていきました。当時の葛藤を、乾氏はこう振り返ります。
「このままあと10年、15年頑張ってディーラーの中でトップになったとしても、組織の枠の中では結局、自分のやりたいことはできないんだと気づいてしまったんです。たとえば整備中にお客様の車で気になるところを見つけても、次の工程が迫っているから伝えられない。せっかく来てくださったのに、もっと喜んでもらえることがあるのに、それができない。だったら自分でやるしかないと思いました」
転職を決意した乾氏は、辞める半年前から「給料と同じ額を副業で稼いでから辞める」という条件を自分に課しました。退職のタイミングになって初めて、父とお酒を飲みながら「乾自動車って今どんな状況なの?」と聞いてみたのは、自然な流れでした。
返ってきた答えは、想像をはるかに超えた厳しい現実でした。表情を引き締めながら、乾氏は当時をこう語ります。
「父から話を聞いて、正直ぞっとしました。従業員は父と母と整備士の3人だけで、毎月の人件費と水道・電気・保険といった固定費を払ったら、もうほとんど何も残らない状態だったんです」
先代から受け継いだ土地があるため建物の費用はかかっていないものの、自動車産業の先細りと顧客の高齢化が、じわじわと経営を追い詰めていました。若い世代は高崎市内へ流出し、残るお客様の免許返納も増えていく一方。何もしなければ、あと1年で店を閉じることになる——乾氏はそう直感しました。
しかし、乾氏は引き返しませんでした。危機の全貌を把握したその夜から、乾氏の頭の中では既に戦略が動き始めていました。
「自分が入ったときに最初に伸ばせる柱は何かと考えたとき、『カスタム』と『SNS』だと決めました。車好きの若い人たちをお客様として取り込みながら、SNSで全国に店の存在を知ってもらう。衰退していたお客様層を若返らせながら、認知も同時に広げていく。その二つを軸にしようと」
危機を直視し、戦略を描き、飛び込む。その決断力が、乾氏を単なる二代目経営者ではなく、改革者へと押し上げることになります。
孤独な改革者――家族・社員との軋轢とボロボロになりながら1億8千万を達成した1年目
「3年で10億」という目標を掲げ、乾氏は4人目のメンバーとして乾自動車に加わります。年商2,000〜2,300万円規模の会社を、まず1億円へ——その目標に向け、乾氏は異常ともいえる熱量で動き始めました。カスタム需要の開拓、SNSによる認知拡大、サービスラインナップの拡充。眠れない夜が続きました。
しかし、30年間同じやり方でやってきた3人のメンバーに変化を求め続けることは、想像以上の軋轢を生みます。当時の自分を振り返るとき、乾氏の表情には苦さと反省がにじみます。
「今思えば、言い方がひどかったと思います。『そのやり方をしてきたから衰退したんだ』『全部自分に任せてくれればうまくいく』——息子という立場だったからこそ、言ってはいけないことまで口に出してしまっていました。父や母との関係も険悪になって、下の兄弟4人からも『お兄ちゃんはどうかしている』と言われるくらいで。周りに誰もいない、本当に孤独な時期でしたね」
「乾さんに見てもらいたいから来た」と言うお客様が多かったディーラー時代の自信と、家業を必ず立て直すという使命感。それらが混ざり合い、乾氏の言葉と行動は次第に独善的な方向へと向かっていったのかもしれません。
しかし乾氏は、「ここでやると決めたから後戻りしない」という一念で踏みとどまりました。寝ずに働いた1年目の結果は、年商1億8,000万円という驚くべき数字でした。年商2,000万円台だった会社が、わずか1年で約9倍。数字だけ見れば、完全な成功です。
しかしその代償は、心身のボロボロな状態でした。疲弊しきった当時の状態を、乾氏は静かな口調で話します。
「ある時期から、自分が自分の体から少し浮いているような、ぼんやりとした感覚が続くようになりました。亡霊みたいな、と言えば伝わるでしょうか。バランス感覚がおかしくなって、1〜2週間ほど満足に動けない状態になりました。数字は上がった。でも人間関係はボロボロ。このままではいけないと、さすがに気づきました」
数字は追えた。しかし人間関係は崩壊寸前だった。その事実が、乾氏に次の転換を迫ることになります。
「致命的な習慣」との決別――経営理念の確立と組織文化の転換
転機は、2024年6月に参加した「アチーブメント」という研修でした。そこで乾氏は、自分の言動の中にあった「致命的な習慣」——人間関係を壊す思考や行動のパターン——に気づかされます。研修を終えた乾氏は、ほっとしたような、それでいて引き締まった表情でこう語ります。
「自分がやってきた方向性そのものは、間違っていなかったとわかりました。でも、人の動かし方が根本的にずれていた。研修はその答え合わせと修正の場になりました。『なぜうまくいかなかったのか』がはっきりわかって、ようやく前に進める感覚になりましたね」
研修初日、乾氏は寝ずに会社の経営理念を考え抜き、理念・ビジョン・戦略からなる組織の構造を完成させます。そして翌日、現場に戻るとすぐにそれをスタッフと共有しました。さらに、スタッフ一人ひとりにも個人の目標ピラミッドを設定し、これまでとは全く異なるアプローチへと舵を切っていきます。
月1回の店舗ミーティング、アファメーション(自己肯定の宣言)、個人の理想の世界観を写真にラミネートして飾る取り組みなど、承認の文化を丁寧に育てていった結果、組織の雰囲気は少しずつ、しかし確実に変わっていきました。その変化の核心について、乾氏はこう説明します。
「それまでは『数字を上げるためにどう動くか』ばかりを考えていました。でもそれを変えて、『スタッフ一人ひとりがこの会社で自分の夢を実現できるようにする』ことを先に考えるようにしたんです。数字はその結果としてついてくる。その順番を入れ替えたことが、一番大きな変化だったと思います」
その変化は数字にも表れています。1年目1.8億、2年目2.5億、そして3年目には年商3.3億を達成。2026年現在、4億を必達目標に掲げています。2年目に法人化し「株式会社ENXIA」を設立したことも、会社としての信用力と組織としての基盤を整える大きな一歩になりました。
コントリでは、想いある経営者のインタビューを無料で掲載しています。あなたの会社の話も、聞かせてください。
年商3.3億、そして群馬を変える「イニシャルDプロジェクト」という壮大な夢
乾氏が描くビジョンは、車屋の枠をはるかに超えています。5年後に売上20億、15年後には100億企業を目指す中で、乾氏の頭の中にはすでに「群馬県に車のテーマパークを作る」という具体的な夢があります。
そして、その夢は既に形になりつつあります。「イニシャルDプロジェクト」——人気アニメ「イニシャルD」の舞台となった群馬を活かし、インバウンド向けに劇中登場車をレンタカーとして提供したり、伊香保温泉街で展示したり、ふるさと納税の返礼品として活用する構想です。県から5,000万円の予算も確保し、伊香保観光協会やセガとも連携が進んでいます。なぜこれほどのスケールを追うのか——その問いに、乾氏は迷いなく答えます。
「大きな数字を目指しているのは、数字が欲しいからじゃないんです。お客様が帰り際に『ありがとう』と言ってくださる、あの瞬間の価値をもっと多くの人に届けたい。そのためにお店を増やす、エリアを広げる。売上はその結果としてついてくるものだと思っています」
また、後継者不在で廃業を余儀なくされる車屋さんをM&Aで引き受け、乾自動車ブランドで存続させることで、お客様も従業員も守りながら事業を広げていく構想も持っています。地域の車屋を守ることが、地域を守ることにつながるという信念からです。
会社のロゴには、そんな乾氏の哲学が凝縮されています。「X」は人と人とのご縁の交わり。Win-Winのパートナーシップへの思いが込められています。そして時計のマークについて、乾氏は真剣な眼差しで話します。
「お客様がうちに来てくださる時間って、その方の人生の中ではほんの一瞬なんです。でもその一瞬のために、わざわざ時間を使って来てくださっている。だからこそ、来てよかったと思っていただけるような時間にしたい。そういう気持ちをロゴに込めました」

父は表向きには直接言わないものの、周りの人には「息子が来てくれてからうちが良くなった」と話してくれているといいます。その言葉が、乾氏にとって何よりの原動力になっています。目を細めながら、乾氏は静かに、しかし力強く言葉を結びます。
「どんなに会社が大きくなっても、自分が成功できているのは父と母がいたからだと、ずっとそう思い続けていたいんです。いつか『お父さん、お母さんのおかげでここまで来られました』と胸を張って言える日のために、絶対に成功すると、お二人の前で宣言しています」
コントリからのメッセージ
「勝つとは、守るべき人の未来を守ること」——乾雅詞氏のこの言葉は、ドリフト日本一という頂点と、死の淵からの生還、そして崖っぷちの家業を再建する苦闘の中で培われた、血の通った哲学です。単なる成功論ではなく、孤独と挫折と家族との軋轢を経てたどり着いた言葉だからこそ、深く胸に響きます。
自分の技術への自信を手放し、職人から経営者へと思考を転換したこと。家族や社員との関係が壊れかけても、信念を持って改革を続けたこと。そして、人を動かすために自分自身が変わる勇気を持ったこと。乾氏の3年間は、変革を迷っているすべての経営者に「自分もまだやれる」という再燃感を届けてくれます。
地方の小さな車屋が、年商3.3億規模へ成長し、今や群馬県を変えるプロジェクトの中心にいる。その軌跡は、場所や規模ではなく、「誰のために、何のために戦うか」という問いに真剣に向き合い続けた結果です。乾氏の熱量に、ぜひ直接触れてみてください。
あなたの会社にも、
まだ言葉にしていない物語があります。
コントリは「ご縁でつながる」経営者インタビューメディアです。売上や規模でランク付けはしません。なぜこの事業を選んだのか、どんな失敗を越えてきたのか——数字の裏にある“人”を、プロの聞き手が引き出し、5,000字の記事に仕立てます。
- 取材費・掲載費は一切かかりません(応募フォームは5分で完了)
- お願いするのは事前ヒアリングと取材の60〜90分だけ。準備は不要です
- 完成した記事は採用サイト・SNS・営業資料に自由にお使いいただけます
プロフィール
株式会社ENXIA
代表取締役
乾 雅詞(いぬい まさし)
1963年創業の乾自動車整備工場(群馬県高崎市中里見町)を祖業とする三代目経営者。23歳でドリフト競技の日本一を獲得後、群馬トヨペットに10年間勤務。2022年に家業へ入社し、カスタム需要の開拓とSNS戦略で年商を約9倍に伸ばす。2023年に法人化し「株式会社ENXIA(エンシア)」を設立。現在は従業員9名、年商3.3億円規模へと成長。Instagramフォロワーは1万人を超え、全国規模での顧客獲得を実現している。









会社概要
| 会社名 | 株式会社ENXIA |
| 代表者 | 乾 雅詞(いぬい まさし) |
| 設立 | 2023年(法人化)※祖業の乾自動車整備工場は1963年創業 |
| 本社所在地 | 群馬県高崎市中里見町367-1 |
| 従業員数 | 9名 |
| 事業内容 | 新車・中古車の販売買取/車検・定期点検/一般整備・カスタム・用品取付/デントリペア/鈑金・塗装/コーティング/自動車保険/レンタカー |
| 公式サイト | https://inui-jidousya.com/ |
| @seibi_gunma |

