経営者インタビュー

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株式会社平沢商会 代表取締役社長 平澤宏光氏インタビュー記事アイキャッチ

「20年当たり前だった黒字が、2期で大きく落ち込んだ」——65年企業の四代目が赤字の底で見つけた、道徳と経済の両輪

「赤字の時には、やっぱり『すべて寝言じゃねえか』と思いました」——。

穏やかな口調で、しかし一切ごまかさずにそう振り返るのは、株式会社平沢商会の四代目社長・平澤宏光氏です。1961年設立、従業員90名。創業から65年続く自動車部品事業を土台に、多摩地区6店舗のauショップ、シニア向けスマホスクールなどを展開しています。就任から5年、そのうち2期は赤字でした。

この記事では、20年以上安定して続いた黒字が崩れた局面で平澤氏が何を選び、何を社員に伝えたのか。四代目がたどり着いた「道徳と経済の両輪」という経営哲学に迫ります。

「仲がいいのがスタンダード」だった家と、深夜のコンビニで覚えた身の処し方

本社の応接室で取材に応じる株式会社平沢商会の平澤宏光社長

「大事にしていることは、家族と社員が笑顔であること。これが一番大事だなというのに、最近改めて気づきまして」

3人きょうだいの末っ子で、上に姉が2人。両親の仲は際立っていたと言います。「子供から見ても、ちょっとバカップルっぽいというか」。家に教育方針らしいものはなく、何かを強制されたことも、怒られたこともほとんどない。あったのはシンプルな原則だけでした。家族といるときは家族で仲良く。1人で何かをやるときは、自分のことは自分で決めなさい。

「仲がいいのがスタンダードで、人と人は仲良くなるもの。仲良くない状態がちょっとおかしい、という感覚を持っていて」

会社は初代が祖父、二代目が叔父。父は三男坊で専務を務め、叔父の子どもは三姉妹。平澤氏は親族の会話を聞きながら、将来、経営に関わる可能性があるとぼんやりイメージしていました。進学先は中央大学の経営学科。祖母が来ても仕事の話ばかりという家で、生活と仕事が地続きである感覚は、この頃には身についていました。

一方で、経営者としての原型がつくられたのは講義室ではなく、コンビニのバックヤードでした。高校1年でサッカー部を辞め、クラスの仲間と一斉にアルバイトへ。セブン-イレブンで大学4年まで働き、深夜シフトでは雇われ店長のような立場になります。その深夜には、フリーターの先輩たちがいる、平澤氏の言葉を借りれば「ダークな世界」がありました。昼間から来たばかりの大学生は、そこで叩かれます。少し苦笑いしながら、当時の思考を明かしてくれました。

「なんでかわからないですけど、『自分が辞めるのはおかしい』と思って。『倒すか、同居するか』みたいな。でも力はないから、まず気に入られようと」

先輩好みの仕事の仕方を覚え、自分から距離を詰めていく。やがて仲良くなり、倒す必要そのものがなくなりました。この経験は、今も行動様式として残っています。

「『あ、この人とうまくいかなくなりそう』と思ったら、逆にまず寄っていくようになるのが習慣になった。そうすると相手の良いところが見えて、こっちのことも相手にわかってもらえて・・・結構役立ったなと」

20代半ば、70代の常連客が自分を「先生」と呼んだ日。売る仕事の外側にあった価値

身振りを交えて語る株式会社平沢商会の平澤宏光社長

大学卒業後、平澤氏は自社のauショップに店員として立ちます。そして20代半ばで店長になった頃、いまも事業の芯になっている出来事に出会いました。

常連のシニアのお客様がいました。当時70代ほど、地方の大学の学長も務めた教育関係者です。一般社員のうちは操作を案内する時間が取れていましたが、店長になり店が繁盛するにつれ待たせてしまうようになります。平澤氏が選んだのは、自分の休日を使うことでした。お茶を飲みながらの操作案内。そこで、忘れられない呼ばれ方をします。

「普段は『平澤さん』って呼んでくれる、素敵な方なんですけど。教えたりする時は『先生』って呼んでくれて。相手の方がガチな先生なのに」

目を細めながら、平澤氏はそう教えてくれました。20代半ばの自分が、70代の教育者から必要とされている。素直に嬉しかったと言います。やがてその方はメールを使えるようになり、変わったのは本人だけではありませんでした。

「周りの方がその先生に連絡を取る時に、メールができないと電話するしかない。それがメールだと、コミュニケーションの量が本当に増えて。『本当に便利だね』と、しみじみ」

こんな言葉ももらいました。困っている人がたくさんいるから、教え方がうまいあなたはこの教えることをビジネスにしたり、本を書いたほうがいい——。この体験が、平澤氏の仕事の定義を書き換えます。

「ものを売るだけじゃなくて、『使えるようになってもらう』価値を届けることに、この仕事もすごく意味があるんじゃないかと。自分自身がすごく嬉しかったんですね」

時代がスマホに移り、役員として新規事業を担う立場になったとき、真っ先に手を挙げたのがシニア向けスマホスクールでした。原体験は、ちゃんと事業になったのです。

銀行の手のひら返し、20人の退職。就任2年目から始まった2期連続の赤字

社長室のデスクで取材に応じる平澤宏光社長

四代目社長に就任したのは5年前。数字の上では穏やかなスタートでした。平澤氏の入社から約20年、平沢商会の利益は安定しており、しっかり稼げており、上にも下にも大きくは動かない会社だったのです。

それが、就任1年目に利益が数千万円減り。「あれ?」と思ったときには、地面はもう傾いていました。2年目も赤字が膨らみ、3年目には、さらに大きな赤字に転落。背景には、携帯ショップの代理店ビジネスそのものの地殻変動がありました。

そして銀行の態度が変わります。少し声のトーンを落として、平澤氏は続けます。

「もう手のひら返しで。社長も変わったばっかりだし、『まあ、そうだよな、俺も逆の立場だったらそうだと思うけど』と。やっぱりお金を貸してくれない」

「晴れの日に傘を貸し、雨が降ったら取り上げる」という言葉を、身をもって知りました。ただしそのようななかでも数行は最後まで紳士的に向き合ってくれた金融機関があったそうです。「雨の日の友みたいな。苦しい時に、感謝した」。

もっとこたえたのは、人でした。2年のあいだに、およそ20人が会社を去ります。若手が中心で、幹部も数名。経費を抑えるために社員旅行も止めたり、いろいろ縮小していたので、それが不安に拍車をかけました。

「人が辞めていくと、みんなも『大丈夫か』みたいになってくるので」

20年間現場のリーダーとして走り、直近まで役員を務めてきた自負がありました。それでも、と平澤氏は言います。「一瞬で会社って傾くんだ、と」。

「本当にやりたくなかった」統廃合や価格転嫁の決断——2年かけて、ようやく正面から受け止めた

窓際で穏やかに語る平澤宏光社長

会社を残すために、平澤氏は最後まで避けていた手段に手をかけます。店舗の統廃合と価格転嫁でした。

「本当にやりたくなかったんです。どうしても葛藤があって」

それでも、天秤の反対側には会社の存続と社員の給与がありました。2店舗を統合し、事務所も簡素な物件に移します。一部価格転嫁をし、結果、4年目で黒字化に転じ、直近の5年目(前期)も経常利益こそ届いていないものの、当時の水準にだいぶ近づきました。しかし平澤氏の自己評価は、決して甘くありません。

「よく言えば2年我慢したんですけど、悪く言うと、もっと早く手を打つべきだった。私は楽観主義者なので、『まだなんとかなるんじゃないかな』と思いながら」

先々代や先代なら、もっと早く動いていたはずだ——。とはいえ、外部環境の激変を他責にした形跡はまったくありません。この点を尋ねると、即座に答えが返ってきました。

「そこはもう、本当になかったですよね。逆境の時に成長するとか、大成功する人たちもみんな必ずそういう時があるというのは、知識としてあった。だから『これか、これ来たな』と」

ただし、頭で理解することと、腹で引き受けることは別物でした。

「頭ではわかっていたんですよ。やっぱり身動きが取れなくなっていた。真正面から受け止めるには、多分2年かかったんです。もういよいよダメだというところまで、ちょっと逃げていたというか、決断できなかったですね」

逃げていた、と四代目は言います。その言葉を選ぶまでに、2年という時間が必要でした。

数字は全部オープンに、月1回30分の動画を撮る。90人へ事実と思いを届ける仕組み

先代の肖像を背に社長室で語る平澤宏光社長

平澤氏には、もともと数字への強い親近感がありました。祖父は戦時中に経理を担い、戦後に自動車部品で起業した人物。二代目の叔父は「重要な数字を毎月手書きで表にまとめて経営する」ことを大事にしていました。三代目は税理士さんですから月次決算の仕組みも整えてくれていて、細かく数字を捉えて経営する文化がありました。だからこそ、赤字の底でも数字から目を逸らしませんでした。

「数字って中途半端に見ると追われるんですけど、とことん見ると、ただの数字なので」

そして、多くの経営者が最も迷う判断を下します。数字を、社員に全部公表したのです。

「『これ、あと2年、1年半でキャッシュがこうなる可能性があるよ』と。幹部には『銀行がここで貸してくれなくなったら、ここで止まるかな』みたいなことを言って」

その理由を、平澤氏はひと言で説明してくれました。「見えなくなると怖くなるから、みんなでちゃんと見ようぜ、と」。

同時に始めたのが、月1回・30分の社内向け動画配信です。最初の5分は数字の事実確認。そこから自分の思いを語り、社内の良い事例を紹介する。90名の社員は拠点ごとにバラバラに働いており、放っておけば情報は届きません。以前は各拠点を回っていましたが、効率を考えて動画に切り替えました。企業理念を構成する6つの言葉も、なぜその言葉を選んだのか一つずつ解説しています。そして撮影を重ねるうちに、思わぬ副産物が生まれます。

「下手なんですって。何回も撮り直したりして。今思うと、アファメーション的な。何度も五感を使って、自分の伝えたいメッセージが、自分の中に結構染み込んだので」

社員に届けるつもりの言葉が、いちばん深く届いた先は自分自身だった——。管理職を現場に戻し、社員との食事の機会も頻繁に持ちました。結果として、90名は残りました。

「『中身はよくわからないけど、全部オープンで話しているし、隠し事がなくて大丈夫と言っているから、大丈夫なんだろうな』みたいなのは、多分あったと思うんです」

一方で、赤字が長引くことの怖さも学びました。同時多発的に赤字が出ると、人は慣れてしまうのです。「負け癖というか、これが当たり前になっちゃって。流される怖さみたいなのは、ちょっと感じて」。

「すべて寝言じゃねえか」。赤字の底で、掲げたばかりの理念に問われたこと

平沢商会の企業理念「もっといい毎日を。みんなを笑顔に。」のパネル

企業理念を掲げたのは、赤字が終わりかけた頃でした。掲げた本人が、当時を正直に振り返ります。

「やっぱり、それどころじゃなかったし。こんなことを言っても、経済が回っていなければ意味がないなというのもあったので」

平澤氏が以前から好きだった言葉があります。二宮尊徳の「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」。知識としては、ずっと持っていました。しかし赤字の渦中で、その言葉は自分に牙を剥きます。

「赤字の時には、やっぱり『すべて寝言じゃねえか』と。何かあっても、赤字じゃ人は辞めていくし」

理念を語る資格は、利益が出ていて初めて生まれる。逆に、利益だけを追えばそれは犯罪に近づく。だから両輪で回すしかない——。二宮尊徳の言葉は、このとき初めて平澤氏自身の言葉になりました。

「今、黒字になったことで、落ち着いてそちらに回そうということができる。安定して利益が出るありがたみを、昔は感じなかったですね。それが当たり前だと思っていたので」

かつては「予算ありき」でした。今は「会社って何なんだろう」という問いから考えるようになったと言います。この経験から引き出した学びを、こう言い切りました。「経験していないものを、偉そうに人に言っちゃダメだなと」。

過去最高の売上と利益。先々代から受け取った宿題と、成長を楽しむ会社へ

叔父が遺した手帳に書かれた言葉

2年の赤字に耐えられたのは、自分の力ではないと平澤氏は言います。

「先々代からのプレゼントで。それだけの内部留保があり、縮小しても十分やっていけるだけの規模に。先輩方がやってくれていたので」

叔父が亡くなったのは4年前。最後にデスクのメモ書きに遺したものがあります。人生には、でこぼこがある——そんな言葉でした。「まさに、赤字はその経験をさせてくれたような気がして」。そう語ったあと、平澤氏は少し笑いました。「生きてたら、めっちゃ赤字で怒られたと思います」。

その叔父からは、宿題も受け取っています。次の世代にバトンを渡すときは、経常利益も売上高も過去最高の規模に——。「自分の代ではここまでいかなかったからやってくれ」と託された数字です。

「それだけは達成した上で次につなぎたい。多分、次にバトンを受け取った人も、自分と同じような経験をする時間軸があると安心なので」

その宿題に向かうための「ものさし」も明快です。一過性の流行で儲ける話には乗らない。生活に密着し、これからますます必要とされるか。自社の強みである「人の力」が生きるか。既存事業との相乗効果があるか。65年前に自動車部品を選び、40年前に自動車電話から携帯電話へ移った判断も、同じものさしの上にありました。もう一つ、後から気づいた軸があります。「浮気しない、と。長く付き合える人であろう、と」。

シニア向けスマホ書籍を手にする平澤宏光社長

現在の事業は、自動車部品、多摩地区6店舗のauショップ、法人向け携帯電話営業、そしてシニア向けスマホスクール。11月には子ども向けプログラミング教室も吉祥寺で始まります。YouTubeチャンネル「吉祥寺スマホスクール」は広告費ゼロで登録者約19万人、視聴者の8割以上が60歳以上です。スクールの校長を務める入社28年目の社員は、シニア向けのスマホ×AI入門書『なんでも聞ける!65歳からのスマホAIさん超入門』を書き上げ、Amazonのモバイル部門でベストセラー1位を獲得しました。教室は老人ホームへの出張も始まり、地域コミュニティとの連携も視野に入れています。

「できれば70代のうちに、スマホをパートナーにしてもらって。そういう場を作るというのは、これからやりたいですね」

最後に、四代目のビジョンを尋ねました。まっすぐ前を見つめて、平澤氏はこう答えました。

「人の成長を一緒に楽しむことができる会社を作りたいんです。社員も笑顔でいてくれれば嬉しいんですけど、赤字を経験したりして、『ただ笑っているだけではダメ』なので。キーワードはやっぱり成長じゃないかなと」

誰かに貢献して楽しい。誰かの成長を楽しんで、また貢献する。そのループで経済を回す。ボランティアなら休日でもできるけれど、日本に広げるには経済が回るモデルでなければ意味がない——理念と数字の両輪は、ビジョンの語り口にも貫かれていました。

コントリからのメッセージ

印象に残るのは、「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」という言葉を、知識としてではなく傷とともに語る姿でした。理念を掲げた直後に「すべて寝言じゃねえか」と突きつけられた経営者は、そう多くありません。

平澤氏の誠実さは、「数字を全部オープンにした」という一点に凝縮されています。悪い数字ほど隠したくなるのが人情ですが、その逆を選んだからこそ90名が残りました。決断が2年遅れたという自己評価を、取材の場で少しも取り繕わなかったこと。この率直さこそ、四代目が赤字から持ち帰った最大の財産だと感じました。

「まだ途中だと思いますけど」と平澤氏は言います。先々代から受け取った宿題も、シニアが取り残されない社会をつくるという構想も、道半ばです。成長を一緒に楽しむ会社が武蔵野からどこまで広がっていくのか、コントリはこれからも追い続けたいと思います。

プロフィール

株式会社平沢商会
代表取締役社長(四代目)
平澤 宏光(ひらさわ ひろみつ)

1980年、東京都練馬区生まれ。3人きょうだいの末っ子長男。高校1年から大学卒業までコンビニエンスストアで働き、深夜シフトの責任者も務める。中央大学卒業後、家業である平沢商会のauショップに入社。20代半ばで店長を務めた際、常連の70代の顧客に休日を使って操作を教えた経験から「使えるようになってもらう価値」に目覚め、のちに吉祥寺のシニア向けスマホスクールを立ち上げる。役員を経て、5年前に四代目社長へ就任。就任2年目からの2期連続赤字を、経営の合理化、社員への全数字開示で乗り越える。現在は従業員90名を率い、自動車部品・auショップ6店舗・法人営業・スマホスクールを展開。座右の銘は「他人と過去は変えられない、自分と未来は変えられる」。

ギャラリー

会社概要

会社名株式会社平沢商会
設立1961年7月4日
資本金3,000万円
本社所在地〒180-0013 東京都武蔵野市西久保3-16-10
代表者代表取締役社長 平澤 宏光
従業員数90名
事業内容①auショップの運営(多摩地区6店舗・KDDI代理店)②携帯電話の法人営業(法人名義・料金最適化・ソリューション営業)③シニア向けスマホスクールの運営(吉祥寺/リアル教室・YouTube)④自動車部品の販売
コーポレートサイトhttps://www.hirasawa-s.co.jp/

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