
経営者の、あの一言。|経営者百景 Vol.1
「なぜ、その決断をしたのですか?」——そう聞かれて、澱みなく答えられる経営者がどれだけいるだろうか。
コントリはこれまで118社以上の経営者に直接話を聞いてきた。その中で気づいたのは、多くの経営判断の起点が、緻密な戦略ではなく、誰かがふと口にした「たった一言」だったということだ。その一言に触れるたびに、私たちは深く心を動かされてきた。
「経営者百景」は、そんな経営者たちの決断の瞬間を、テーマごとに集めて届ける連載企画。第1回のテーマは「あの一言」。4人の経営者を動かした、忘れられない言葉を紹介する。それぞれのインタビュー全文へのリンクも添えた。
決断は、いつも一言から始まる
自分の決断を振り返ったとき、「あれは行き当たりばったりだったのでは」と後ろめたさを感じたことのある経営者は、少なくないはずだ。だが取材を重ねるほど、それこそが経営の実態に近いのだと、私たちは実感するようになった。その一言の背景を知れば知るほど、決して軽い話ではないことも見えてくる。
4人の経営者を動かした、あの一言。
「明日、実印を持ってこい」

ゼネコンで10年働き、専務として父の会社に戻って1年が経ったころ。「継がせてください」と申し出た星武司氏に、父はこう告げただけだった。「じゃあ実印を持ってこい」
説明も、引き継ぎの儀式もない。有無を言わさず実印を押させたその足で、父は伊豆に山を買い、1年かけて自らログハウスを建てて引っ越してしまった。以来、正月に決算書を見せても、目を通そうとすらしなかったという。
39歳のとき、深夜に5時間半燃え続けた社屋の火災に見舞われた星氏のもとへ駆けつけた父は、まず社員や星氏の無事を確かめると、静かにこう言った。「あとは会社をつぶさずに、ご迷惑をかけた方に謝っていけ」人を信じ切るというのは、それだけで覚悟のいることだと、星氏は今も語る。
「君の人生だから、君が決めなさい」

血のつながらない先代から会社を継いだ登坂耕也氏。潰れかけていた小さな整備工場に飛び込み、十数年をかけてその会社を立て直した。継ぐと決めて出向という形で他社に出ていた期間、登坂氏のもとには好条件のスカウトがいくつも届いていた。
出向を終えて戻ると決まったとき、先代はそれを察していたかのように、こう告げた。「たくさんの選択肢はあると思う。君の人生だから、君が生きたいような選択をしなさい」自分が継げば先代には家賃収入が入り続ける——それでも自分の利益より登坂氏の人生を優先してくれたその言葉に、登坂氏は「なんでこの人は、こんなに優しいんだろう」と胸を打たれたという。だからこそ、社名を「磯田オート」のまま、一文字も変えなかった。
「この設備が壊れたら、この事業はやめようと思っている」

三菱電機1社への売上が9割を占める体制を、戸松裕登氏は長年抱えてきた。転機は、取引先のサプライヤーがふと漏らした一言だった。しかもそれは、仕事が減った不況期ではなく、これから仕事が増えていくというタイミングで出てきた言葉だった。
「今までは設備投資をすれば、必ず何年かで元は取れる。だけど、今の日本でやる仕事は5年先のこともわからない。今の仕事は今ある設備で続けるけれども、それだけで次の30年を目指せるわけじゃないんだよ」サプライヤーが語ったその危うさは、そのまま自社の姿でもあった。この気づきが、新規事業「ASNARO」の立ち上げを後押しした。
「あと1年で終わる」

23歳でドリフト競技の日本一に輝いた乾雅詞氏には、その裏でもう一つの体験があった。無謀な運転による大事故で2週間ICUに入院し、医師から「言語障害か半身不随は確定です」とまで告げられたのだ。奇跡的な回復を遂げた乾氏は、この経験から「努力は必ず報われる」という確信を得たという。
コロナ禍をきっかけに実家の自動車販売・整備業へ飛び込んだとき、乾氏が初めて聞かされたのは、経営理念でも成長戦略でもなく「あと1年で終わる」という崖っぷちの現実だった。年商2,000万円台だった会社を、そこからわずか3年で3.3億円規模へと立て直す挑戦が始まった。
あなたにとっての「あの一言」は?
4つとも、緻密な戦略から生まれた決断ではない。誰かがふと放った一言を、当人が正面から受け止め、そこから動き出しただけだ。経営の岐路は、案外そういうものなのかもしれない。だとしたら、自分の決断を「行き当たりばったりだった」と恥じる必要はないのだろう。次回もまた、経営者たちを動かした、忘れられない一言を届けたい。

