経営者インタビュー

全国の経営者に直接取材した、想いと挑戦のストーリーを紹介するインタビュー記事一覧です。創業の背景や苦難の乗り越え方、経営理念など、それぞれの経営者だからこそ語れる言葉をそのままお届けします。

有限会社リアルティ・オカザキ 専務取締役 岡崎清春氏

「僕の前には道はない」車椅子の不動産屋が、住まいに困る人の“最後の砦”であり続ける理由

「できないことがあれば、できるように考えればいいだけです」——。

そう語る岡崎清春氏は、埼玉県蕨市で不動産業を営む有限会社リアルティ・オカザキの専務取締役です。車椅子で暮らしながら、22歳で独立し会社を設立、26歳で宅地建物取引士に合格(7度目の挑戦)。62歳となった今も、売買・賃貸管理・空き家管理を手がけ、生活保護を受ける方や障がいのある方など、他社で断られた人たちの住まい探しを支え続けています。この記事では、蕨の公園で伺った、諦めない人生の中身をお伝えします。

朝から夜まで一日15時間——休みのない専務取締役の日常

取材は、蕨の街角にある公園で行いました。夕方が近づくと蚊が集まり、取材班は全員が刺されながらの取材になりました。それもまた、いい思い出です。

公園で取材に応じる岡崎清春氏

岡崎氏の一日は長く、現場を回り、役所へ申請書類を出しに行き、事務所に戻ればメールの返信と物件情報の掲載に取りかかります。ホームページの更新も、すべて自分で行っているそうです。働く時間は、一日およそ15時間。休みらしい休みはありません。

それほど働いて、辛くはないのか。そう尋ねると、岡崎氏は笑顔で答えてくれました。「辛いと思ったことはありません。楽しんでやっていますから」。お客様から感謝の言葉をいただくことが、何よりのやりがいなのだそうです。

62歳。一般的には定年を迎える年齢ですが、岡崎氏に引退の二文字はありません。「死ぬまで仕事を続けていたい」。そう話す口調に、迷いはありませんでした。

やりたいことは全部やらせてくれた両親——父の背中に見た「義理人情」

岡崎氏は1964年、蕨市に生まれました。生後8ヶ月のときに高熱とけいれんに見舞われ、意識が戻ったときには体が思うように動かなくなっていて、身体にハンディを背負っていたといいます。60年以上前のことです。

幼少期とご両親の思い出を語る岡崎清春氏

ところが、ご両親は「できない」とは決めつけませんでした。いろいろな場所へ連れて行き、さまざまなものを見せ、本人が「やりたい」と言ったことは全部やらせてくれたのです。岡崎氏はしみじみと振り返ります。「それが、今の自分の基礎になっています」。

小学校から高校までの12年間は、お母様が毎日、車で学校へ送迎してくれました。そのお母様は昨年、90歳で亡くなり、取材の翌週には一周忌を迎えるといいます。一方、お父様は飲食店を10店舗以上も経営する豪快な経営者でした。寿司、天ぷら、クラブ。お店には住み込みの従業員も多く、幼い岡崎氏は、その人たちによく遊んでもらったそうです。お父様はその後、お店をすべてたたんでプロゴルファーに転身し、さらに市議会議員も務めたと聞きます。また、蕨障害児(者)を守る会を設立し、長年会長として関わっていたといいます。

お父様の記憶で最も鮮明に残っているのは、困っている人を決して見過ごさない姿でした。自分の懐に余裕がなくても、路上で暮らす人に食べ物や飲み物を渡し、お金まで渡してしまう。当時はまだ未熟だった岡崎氏は、「どうしてそこまでするのだろう」と不思議に思っていたといいます。

お父様が何より大切にしていたのは、義理人情でした。優しさの塊のようだったお父様。その背中を見て育った岡崎氏は、やがてこう考えるようになります。自分はこういう体だけれど、何か人のためにできることがあるはずだ、と。困っている人を見過ごさないお父様の姿と、できない理由ではなくできる方法を探すという両親の育て方。この二つが、のちの岡崎氏の仕事の土台になっていきます。

22歳の独立、7度目の宅建合格——できる方法を考え続ける負けず嫌い

筑波大学附属桐が丘特別支援学校の高等部を卒業した岡崎氏は、大学進学を目指していました。しかし当時は大学側の受け入れ体制が整っておらず、進学を断念し、お父様が経営する不動産会社に入社します。そこで経験を積み、22歳で独立。自ら会社を設立し、代表取締役に就きました。なお、現在の有限会社リアルティ・オカザキは、お父様の会社を引き継いだものではなく、祖父が設立した会社です。

宅建合格までの道のりを振り返る岡崎清春氏

そして26歳のとき、宅地建物取引士の資格を取得しました。7度目の受験での合格です。6回の不合格を経てなお受け続けられた理由を尋ねると、返ってきたのは、次の言葉でした。「できないと決めつけず、できる方法を考えて実行すればいい。子どもの頃からそう思っていました」。

その根っこにあるのは、幼い頃からの負けず嫌いな性格だと、岡崎氏は話します。座右の銘は「僕の前には道はない 僕の後に道はできる」。前例がなければ、自分が最初の一人になればいい。そう言い切る姿には、どんな障壁も「方法を探す対象」としか捉えていない軽やかさがありました。

審査に落ちた人の住まいを探す——生活保護、障がい、競売の危機に向き合う仕事

リアルティ・オカザキは、売買・仲介、賃貸管理、空き家の巡回管理、リフォーム、相続や任意売却の相談まで、住まいにまつわる幅広い相談を受けています。なかでも特徴的なのが、住まい探しに困難を抱える人への対応です。

例えば、障がいのある方が賃貸を借りようとすると、保証会社の審査が通らないことがあります。他の不動産会社で断られた方が、岡崎氏のもとを訪ねてくる。岡崎氏は「断る理由」ではなく「通す方法」を探し、独自のルートで審査を通す道を見つけます。多少費用がかさむ場合もありますが、住む場所が決まることのほうが大切だと考えているからです。

大家さんの説得も、大事な仕事です。生活保護を受ける方に部屋を貸すことに、不安を覚える大家さんは少なくありません。そこで岡崎氏は、家賃の原資となるお金が市役所から支給される仕組みを丁寧に説明します。会社の倒産とは無関係に、入金が続く。むしろ安定している、と。

忘れられないのは、コロナ禍の「住宅ローン救済コロナSOS」の窓口で出会った一人のお客様です。給料が減って住宅ローンを数か月滞納し、競売の危機に直面していました。パニック状態のお客様の話を一つひとつ聞き取り、岡崎氏は任意売却を提案します。競売では市場価格の5割前後にとどまりますが、任意売却なら8割前後での売却が可能です。結果として債務も抑え、分割で返していくことができました。

「家族がバラバラにならずに済んだ。本当に感謝しています」。お客様から届いたその言葉を、岡崎氏は今も大切にしています。「ハンディキャップがある私でも、人の役に立てる。深く感謝した出来事でした」。

空き家の相談から生まれた、「住まいに困る人」とのマッチング構想

岡崎氏が今、強く関心を寄せているのが空き家の問題です。

蕨市内の賃貸物件の外観

ある日、ホームページから一件の相談が入りました。東京に住む方が、親から蕨の家を相続したものの、遠くて手が回らない。まずは管理を頼みたい、という依頼でした。話を重ねるうちに、家は住まないと傷んでいくこと、毎年の維持費も重いことが見えてきます。岡崎氏は二つの選択肢を示しました。リフォームして貸し、2〜3年で投資を回収する方法。もう一つは、売却です。

このやり取りの中で、岡崎氏の頭に一つの構想が浮かびました。住み手のいない空き家と、住まいに困る人。その二つをつなげられないか。生活困窮者の住まいや、グループホーム、障がいのある人が働く就労支援の場所は、まだまだ足りません。空き家をそうした場に生かせば、持ち主も、困っている人も、地域も助かります。

蕨の周辺で空き家を持つ方へ、岡崎氏はこう呼びかけます。「空き家は、人が住まないまま時間がたつほど傷んでしまいます。遠くにお住まいで手が回らない方や、相続した家をどうするか迷っている方は、何も決めていない段階で構いませんので、まずご相談ください。貸すのか、売るのか、一緒に考えます。その家が、住まいに困っている方の受け皿になれたら、持ち主の方にも地域にも、よい形になると考えています」。

「不動産と福祉の両面から地域を支えていきたい」。それが、岡崎氏の描くこれからの姿です。障がい福祉サービス事業の立ち上げを支援するインテグレーション合同会社も、その延長線上にあります。

不動産会社が次々と閉じる街で、なぜ続けられるのか——「1人は1人、2人なら輪になる」

最近、岡崎氏の事務所の近所で、不動産会社が二軒閉じたそうです。「どうして自分のところだけが残っているのか、不思議なくらいです」と、岡崎氏は話します。

仲間との関係を笑顔で語る岡崎清春氏

それでも理由を尋ねると、答えは「人」でした。同じ志で動いてくれる仲間がいること。同業者との信頼関係があること。大手チェーンにはない、地元ならではの親身さがあること。困ったときに「岡崎さんのところなら」と思い出してもらえる関係を、時間をかけて築いてきたのです。

岡崎氏は言います。「1人は、どこまでいっても1人です。でも2人になれば、輪になります」。自分を応援してくれる人は、全体の2〜3割もいれば十分。同じ考えの人が一人いれば、それが二人になり、三人になり、少しずつ広がっていく。その積み重ねが、いまの会社を支えているのだと話します。

1%を信じて続ける——53年の阪神ファンが語る「諦めない」生き方

岡崎氏には、もう一つ、変わらないものがあります。小学生の頃から53年間応援し続けている、阪神タイガースです。

阪神タイガースへの思いを笑顔で語る岡崎清春氏

当時は巨人がめっぽう強い時代でした。そんなとき、周りと同じ側に立たず、あえて阪神を選んだのが岡崎氏です。その後、チームは長い低迷期に入り、何度も最下位を経験します。それでもファンをやめようと思ったことは、一度もなかったといいます。

諦めずに応援し続けたからこそ、いまのチームの強さがある。逆境にあるほうを応援したくなるのは、仕事のスタイルとも重なります。阪神のユニフォームを着ていると、見知らぬ人が話しかけてくれる。「それだけで信頼感が生まれるんですよ」と笑います。

1%でも可能性があるなら、やってみればいい。失敗は数えきれないほどありますが、恐れずに挑み続けるのが岡崎氏の流儀です。取材中、「継続」という言葉が何度も出てきました。特別な才能ではなく、コツコツと続けること。そのシンプルな姿勢が、不動産の仕事にも、人生にも、一本の線のようにつながっています。

自叙伝と講演、そして若者支援——道をつくり続ける62歳の未来図

岡崎氏は今、自らの歩みをまとめた自叙伝の執筆に取り組んでいます。クラウドファンディングでは目標金額に届きませんでしたが、「諦めずに完成を目指します」と、迷いなく話してくれました。

蕨の街を電動車椅子で進む岡崎清春氏の後ろ姿

将来は、講演会などで各地を回り、人とのつながりを広げていきたいとも考えています。これまでに培った知恵を、これから挑戦する若い世代のために使いたい。障がいのある人も、ない人も、楽しみながら出会える場をつくりたい。そんな思いが言葉の端々から伝わってきました。

最後に、この記事を通して誰に届けたいかを尋ねました。岡崎氏の答えは明快でした。困難と向き合っている経営者の方、そして社会的に弱い立場に置かれていると感じている人たち。「障がいがあっても、諦めずにやっていけば、夢は叶えられる。そのことを、みんなで共有できたらうれしいです」。

最初は、小さな輪かもしれません。けれど、その輪が少しずつ広がっていけば、日本中に届く日が来る。岡崎氏はそう信じています。

コントリからのメッセージ

印象に残るのは、岡崎氏が「辛い」という言葉をほとんど口にしなかったことです。毎日15時間働き、障がいと向き合いながらも、その表情はずっと明るいままでした。

会社が次々と閉じていく時代に、車椅子の不動産屋が地域で選ばれ続けているのは、特別な戦略があるからではありません。困っている人を見過ごさなかったお父様の姿を胸に、「できる方法」を探し続けてきた。その積み重ねが、信頼という形になっているのだと感じます。

「僕の前には道はない 僕の後に道はできる」。岡崎氏が切り開いてきた道は、これから住まいに困る人、挑戦に迷う人の足元を、確かに照らしていくはずです。ぜひ一度、蕨の街で岡崎氏に会いに行ってみてください。

プロフィール

有限会社リアルティ・オカザキ
専務取締役
岡崎 清春(おかざき きよはる)

1964年、埼玉県蕨市生まれ。筑波大学附属桐が丘特別支援学校高等部を卒業後、父が経営する不動産会社に入社する。22歳で独立し会社を設立、26歳で7度目の挑戦の末に宅地建物取引士へ合格。2017年にインテグレーション合同会社を設立し、障がい福祉サービス事業の立ち上げ・運営支援にも携わる。現在は専務取締役として、不動産の売買・仲介、賃貸管理、空き家管理を通じ、住まいに困る人に寄り添う。座右の銘は「僕の前には道はない 僕の後に道はできる」。趣味は阪神タイガース観戦、食べ歩き、旅行。

ギャラリー

会社概要

会社名有限会社リアルティ・オカザキ
設立1952年11月28日
資本金500万円
本社所在地埼玉県蕨市南町2丁目16番5号
従業員数5名
事業内容①不動産の売買・仲介 ②賃貸物件の管理・斡旋 ③空き家対策(巡回管理サービス) ④リフォーム・増改築 ⑤相続・任意売却・離婚に伴う資産売却などの相談業務
コーポレートサイトhttps://fudousan-realtyokazaki.com/

関連記事一覧