
業務の“大事なところ”は切らない。エンジニア出身の行政書士・定久美貴さんが描く、人に時間を返すDX
「10年続けている理由を聞いてから、いらない部分だけ切ってあげる。それをしたいんです」——。
そう話すのは、行政書士事務所ユアウィル代表行政書士の定久美貴(さだひさ みき)さんです。岡山県出身。プログラマー、システムエンジニアとして通算15年働いたのち、2023年に行政書士として開業し、2026年1月に独立。同年8月にはシステム開発会社の株式会社Thatも立ち上げました。
文系からプログラマーへ、エンジニアから行政書士へ、そして行政書士からシステム会社へ。「周りにいないことばかり判断してやってきた」という歩みには、一本の線が通っていました。定久さんが相続マルシェを開いてきた東京・目黒の大教寺で、お話を伺いました。
「怖がりようがなかった」文系からプログラマーへ——岡山の客先で覚えた“聞く仕事”

渋谷駅からほど近いのに、境内に入ると街の音がすっと遠のきます。講堂に腰を下ろした定久さんは「私、声が小さいって言われるので」と少し照れながら、マイクの位置を確かめていました。
生まれは岡山県。大学は母親に「県内の国公立なら」と言われ、岡山大学経済学部へ実家から通いました。周りの期待は、銀行員か公務員になり、結婚して近くに家を建てること。ところが就職活動では、どちらも人気が高すぎて手が届きそうにありません。いくつか会社を回るなかで選んだのが、家の近くにあったプログラマーの会社でした。
パソコンには、ほとんど触れたことがなかったといいます。不安はなかったのかと尋ねると、意外な答えが返ってきました。
「仕事の内容のイメージが湧かなさすぎて、怖がりようがなかったんです。何も知らないから、怖がれもしない」
入社後は、定時後に届く不具合の連絡を夜中まで直し、知らないプログラミング言語を一から先輩に教わる日々。パソコン1台を抱えて横浜や東京の客先へ飛ぶこともありました。女性エンジニアがほとんどいなかったため、男性ばかりの出張先のマンスリーマンションには泊まれず、数か月ホテル暮らしを続けたことも。「サバイバルは、もういいかなって感じです」と言います。
転機をくれたのは、大学の先輩でもあった課長でした。「後輩だから」と、お客様との打ち合わせに連れて行ってくれたのです。先輩がパソコンに向かう横で、定久さんはお客様の話を必死に聞きました。
「お客さんが何を変えたくなくて、何を変えなきゃいけないのか。それを聞くのが、だんだん面白くなってきたんです」
担当したのは、自治体が公共工事を発注する入札のシステムでした。職場に置かれた建設業法や行政法の本を、誰も読まないからと自分で読み、「システムのここは法律と違うから、こうしておかないと」と指摘する。この経験が、のちに行政書士という仕事へつながっていきます。
リハビリで始めた絵が、創作仲間と行政書士の資格を連れてきた

順調に見えたキャリアは、交通事故で一度途切れます。運転ができない期間があり、電車で通えるIT系の教員やエンジニアの仕事に移りました。
その頃、友人が「これで右手を動かして、リハビリしたら」とタブレットをくれました。描いた漫画の絵をSNSに投稿するうちに、動画やゲームまで家で作れることに気づき、すっかりのめり込んだといいます。音楽を作る人、漫画家を目指す人、ハンドメイド作家。趣味の世界で、たくさんの仲間ができました。
ところがその仲間たちが、作品をめぐるトラブルや、プロとして活動するときの契約書、確定申告、源泉徴収のことで困っていました。自身も創作をしていた定久さんにとって、それは他人事ではありません。相談に乗り、一緒に悩み、調べるうちに、かつて入札システムの仕事で読んだ行政法を思い出し、行政書士という仕事にたどり着きました。
行政書士の資格は「せっかく勉強したなら取っておこう」という感覚で、独学で何度か挑戦して手にしたものでした。合格発表は2020年1月。関東へ移り、NTTコミュニケーションズ(現ドコモビジネス)で社内システムエンジニアとして働いていた頃です。直後のコロナ禍で勤務がフルリモートになり、片道1時間ほどの通勤がなくなったことが、副業での開業を考えるきっかけになりました。
「資格はハサミや消しゴム」——ナレッジクロスで恥ずかしくなった1年目

いきなり会社を辞めるのは怖い。定久さんは、副業で行政書士をしている人やオンラインの勉強会を探しました。そこで出会ったのが、士業の勉強会「ナレッジクロス」です。
弁護士一本で歩んできた人、会社で労務や総務を担ったのちに社労士になった人。彼らの話を聞いて、定久さんは自分の考えが揺さぶられたといいます。
「私にとって資格は、勉強した結果としての、自分の中のスモールゴールでしかなかったんです。でもあの方たちにとって資格はただの手段で、誰かを助けるため、この会社を良くするために使う、ハサミや消しゴムみたいなものなんですよね」
法律が変われば最新の情報を確かめ、それがお客様にどう響くかを毎日考える。自分だけで対応できないことは他の士業につなぐから、出会いを大切にする。2023年5月に開業していた定久さんは、当時をこう振り返ります。
「『資格が取れたから先生だろう』『開業したら仕事をすればいい』ぐらいの感覚だった自分が、ちょっと恥ずかしくなりました。お金が稼げればどちらでもいいのかもしれない。でも、この人たちと同じ方向を向いていたいと思ったんです」
ナレッジクロスに出会っていなければ、独立する理由もなく「副業でお小遣いを稼げたらいいか、で終わっていた」と定久さんは言います。
予防はお金にならない。相続と著作権を続けるために、先に柱を立てた

開業当初、定久さんが本当にやりたかったのは相続と著作権の仕事でした。相続への思いの根っこにあるのは、パートナーの存在です。「人生を共にするならこの人」と思える人と出会い、もし自分に何かあったとき、その人に遺せるものを少しでも増やしたいと考えるようになりました。
しかし、それだけでは事業として立ち行かないことにも気づきます。
「自分自身が当事者だから、相談が来ると親身になりすぎて仕事にならないんです。それに、予防ってお金にならないんですよ。『それでもいい』とやっているとボランティアになって、ボランティアだと責任感が持てない」
そこで定久さんは、まず事業の柱を立てると決めました。余裕ができて自分がいなくても回るようになったら、やりたいことはライフワークとして続ければいい。一度立ち止まり、資格という手段をどうすれば実益につなげられるかを1年かけて学びました。たどり着いた答えが、15年のエンジニア経験と行政書士の掛け合わせです。周りの士業の先生から、AIの使い方やセキュリティ、集客ツールについて相談されることが多かったのです。
2025年、その方向で動き出すと仕事は一気に増え、会社員、副業のエンジニア、行政書士の三つを抱えてアップアップの日々に。何より、平日に勉強会へ行けないのがつらかったといいます。その年の夏に退職を決め、引き継ぎを終えて12月末に退社。2026年1月、行政書士として独立しました。2年間の副業期間があったので、不安はあまりなかったそうです。
「一緒に住んでいる人のおかげです。なんとかやれました」
相続と著作権は今、ライフワークとして続け、ホームページや紹介を通じて依頼も届くようになりました。
「なんでAIなんですか、これ」——10年続く業務から、いらない部分だけを切る

これだけは手放さない仕事の軸は何か。そう尋ねると、定久さんはしばらく考えてから、言葉を選ぶように答えました。
「お仕事の相手の、大事なものを取り除かない、ということですね。会社には、形骸化している作業もあれば、やっていることに意味がある作業もある。意味がある部分は残して、何を変えたら効率化できるのかを考える。それが一番大事にしていることです」
10年変わらずに同じ作業を続けている会社に、いきなりAIを持ち込んで「効率化しましょう」と言っても届かない。だからまず「10年続けている理由は何ですか」「これは何で始めたんですか」と聞く。そのうえで、残すところは残し、余分になっている作業だけを切ります。士業事務所へのAI導入でも、書類の内容を書き写す「転記」と、間違いを確かめる「チェック」を速くすることで、作業時間を短くした例がたくさんあるといいます。
エンジニア出身だからこそ、AIへの見方は冷静です。
「AIがすごいというより、AIで作れるものがすごいだけで、AIがないと解決できないことって、別にないんです」
ときには「なんでAIなんですか、これ」と、少し意地悪な質問をします。大企業で、お金をかけてかえって仕事を面倒にするシステム導入を見てきたからです。「仕事が増えるなら、入れない方がいい」と、定久さんはきっぱり言い切ります。ここでいう「仕事が増える」とは、AIで作った仕組みの中身がブラックボックスになって、結局は人による確認作業が増えたり、イレギュラーなケースまでAIで対応しようとして、仕様の検討に大幅な時間を取られたりすることです。取材の前日には、定久さんが共著者として参加した書籍『士業と生成AI-どのようにAIを活用し、専門家としての価値を高めるか?』が出版されたばかりでした。
忙しい飲食店なら「10時間かかっている作業を5時間に減らしましょう」とすぐ手を打つ一方、「減った5時間を何に使いますか」は中長期の経営の話として分けて提案します。社長が「全部自分で判断したい」なら、スマホで承認できる仕組みを考える。工夫の仕方は変えても、根っこは変えません。社内申請の改善でMicrosoftの賞を受けたときに心に残ったのも、「業務を分解して改善している」という講評でした。
2026年8月に設立した株式会社Thatの名前にも、その思いが込められています。会社の中の「あれ、やっておいて」を「ざっと」解決する。そこに「That’s it(それだ)」と「IT」を重ねました。ロゴのオレンジと青の丸の間には、一本の線が入っています。

「複雑な業務やいらない手作業を、ざっと切って、ざっとつなげる。デザイナーさんが『きれいな丸にしましたよ。大事なところは残ってますよ』って作ってくださったんです。お気に入りです」
建設業の許認可や入札参加資格の申請からパソコンの設定、補助金までまとめて相談できることから、「とりあえず投げておけば、何とでもしてくれる」と言われたこともあるそうです。
「走るのは得意」——応援する力が、大教寺の相続マルシェと仲間を連れてきた

取材の舞台となった大教寺では、定久さんが相続マルシェを開いてきました。きっかけは、お寺のプロデュースを手がける会社から「このお寺で何をしたらいいか」と相談を受けたことです。「マルシェはどうですか。相続をやってみましょう」と提案し、形にしていきました。
大教寺のほかにも、旭化成ホームズと共同で「足立区相続相談会」を開いています。不動産の相続の相談が多い会で、2026年11月1日には北千住での開催を予定しています。
「走るのは得意なんです。相手が忙しい分、こちらでできることを全部探して『やりました』と出すのが好きで。一回やると、向こうも『もう一回』となってくれる」
尊敬する先輩には、日程を押さえ、オンラインセミナーの箱と舞台を整えて「20分話してください」とお願いすることもあります。「ファン力が強いのかもしれません」と定久さん。ナレッジクロスでも、最初はベテランばかりの中に入ってきた「ど新人」でした。それでも一緒に動くうちに声がかかり、2025年10月には本部の主催メンバーに加わりました。
一緒に仕事をする相手を選ぶ基準も、はっきりしています。
「急に自分の売上の話をしない人ですね。売上がある人ほど、姿勢が低いんですよ。私はあれに憧れていて、ああなりたいんです」
セキュリティやサイバー保険の専門家、経営コンサルティングが得意な人など、自分にないものは周りと手をつないで補う。「足りないものは外から借りればいい。借りて、ちゃんときれいに返す」。その言葉どおり、力を借りては返しながら仕事の輪を広げています。
「返さなきゃ」を「返したい」に。頑張るのが当たり前だった私の、今の働き方

経営の軸がどこから来たのかを探るために、子どもの頃のことも聞きました。定久さんは少し考えてから、静かに言葉を選びながら話してくれました。
「幼心に、いい子にしておかないと、と思っていたんです。それが定着して、頑張るのがデフォルトになっていた時期があったんでしょうね」
それでも、周りの人には恵まれていました。仲の良い友人が「私と一緒の高校に行こうよ」と誘い、塾まで勧めてくれたのです。その友人とは大学までずっと一緒だったといいます。
今も、「なんでこの人は一緒にいてくれるんだろう」と思う人がたくさんいると定久さんは話します。一緒に暮らす人も、「なんでうちに頼んでくれたんですか」と聞きたくなるお客様も。
「それに返さなきゃ……いや、返したい。『返さなきゃ』だったのを、今『返したい』に変えているところなのかもしれません。返さなきゃだと、寝ずにやらなきゃ、急がなきゃって、しんどくなるので」
文系からプログラマーになれたのも、「やればなんとかなる」と思えたから。座右の銘は、上杉鷹山の「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」です。ただ今は、急げない理由を伝えたり、急がなくてよいかを聞いたりもする。その変化について、定久さんは正直な胸の内を明かしてくれました。
「『やりたい』と思えることが、あまりなかった時代が長かったんです。だから今は、そのギャップに苦しんでいるところもあります。でも、こっちに来てから、生き方が楽になったなとも思っているんです」
士業の中で「私の名前が上がるように」——人が関わる時間を守る会社へ

独立1年目の今年、見えた課題もあります。会社員時代は、見つかった課題を解決するのが仕事でした。これからは、課題を見つけるところから始めなければなりません。
「『こういう課題があって』と言われると、すぐ解決策を喋っちゃう癖があるんです。違う違う、そうじゃないんだよな、と思いながら話しています。すごい社長の考えを全部は理解できなくても、推し量ろうとできる人間でありたい。右腕まではいかなくても、机の上にある何か、ぐらいでいられたら」
いま求められているのは、打てば響いてヒントをくれる、でも電話に出てねぎらってくれる「AIのような人間」かもしれない、と定久さんは考えています。人と人との話は対面で、誰がやってもいい作業はデジタルで。その切り分けをぶらさないことが大切だといいます。
2026年1月、行政書士法に「デジタル化への対応に努めること」が加わりました。目標は、士業の仲間がデジタル化やセキュリティで迷ったときに「私の名前が上がるようにしたい」ということ。そのためにレスポンスを早くし、人を採用して育て、社長の右腕になれる人が育つ会社にしたいと考えています。マルシェでの出会いから仲間に加わったスタッフもいます。
「私より優秀な人は、たくさんいると思うんです」
デジタル化もDXも、士業の資格も、あくまで手段。最後までデジタルに置き換わらない場所は、必ず残ります。相続や著作権の現場も、そのひとつです。
「なるべく手間をかけない。そして、手間をかけなきゃいけないところに時間を使えるようにしていきたいんです」
この一言に、定久さんの仕事のすべてが込められているように感じました。
コントリより
「大事なところは残ってますよ」。株式会社Thatのロゴに込められたこの言葉が、定久さんの歩みをそのまま表しているように感じます。
文系からプログラマーへ、エンジニアから行政書士へ。取材前、定久さんは「いろいろ手を出していて、まとまりのない話にならないか」と心配していました。けれど、新人時代に客先で聞いた「何を変えたくなくて、何を変えなきゃいけないのか」という問いは、今もお客様の業務に向き合う姿勢として生きています。人の話を聞き、大事なものを守り、いらない部分だけをそっと切る。その仕事の根っこには、支えてくれた人に「返したい」という温かな思いがありました。
撮影の合間も、愛読書に登場するデザインの話になると、定久さんの話は止まりませんでした。AIやDXに迷ったとき、「なんでAIなんですか」と一緒に立ち止まってくれる人です。ぜひ一度、定久さんに話を聞いてみてください。
プロフィール
行政書士事務所ユアウィル
代表行政書士
定久 美貴(さだひさ みき)
1986年、岡山県生まれ。2009年に岡山大学経済学部を卒業後、岡山の富士通系列の会社でプログラマーとして自治体の入札システム開発などに携わる。交通事故をきっかけにIT専門学校の教員に転じたのち、関東へ移り、NTTコミュニケーションズ(現ドコモビジネス)で社内システムエンジニアとして勤務。IT・SE歴は通算15年。社内申請の改善でMicrosoftの賞を受ける。2023年5月、会社員と兼業で行政書士事務所ユアウィルを開業し、2026年1月に独立。同年8月、システム開発会社の株式会社Thatを設立して取締役COOに就任し、AI・システム開発と補助金支援を一体で手がける。東京都行政書士会足立支部理事(ICT担当)、士業勉強会ナレッジクロス主催メンバー。大教寺での相続マルシェのほか、旭化成ホームズと共同で足立区相続相談会を開いている。共著に『士業と生成AI-どのようにAIを活用し、専門家としての価値を高めるか?』。座右の銘は「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」(上杉鷹山)。趣味はスプラウト栽培と読書。
ギャラリー








会社概要
| 事務所名 | 行政書士事務所ユアウィル |
| 代表 | 代表行政書士 定久 美貴 |
| 開業 | 2023年5月 |
| 所在地 | 東京都足立区東和5-9-2 富澤第三ハウス202 |
| 従業員数 | 3名 |
| 事業内容 | ①社内DX支援と補助金活用(ツール開発から補助金申請、導入後の運用まで伴走) ②許認可申請と経営サポート(建設業許可など) ③クリエイター支援(契約書作成、著作権、内容証明など) ④士業向けDXサポート(AI・ITツールの導入支援、講師・研修) |
| 関連会社 | 株式会社That(システム開発・2026年8月設立/定久は取締役COO) |
| URL | https://urwill.site/ |

