経営者インタビュー

全国の経営者に直接取材した、想いと挑戦のストーリーを紹介するインタビュー記事一覧です。創業の背景や苦難の乗り越え方、経営理念など、それぞれの経営者だからこそ語れる言葉をそのままお届けします。

選んだ道を、正解にする。──コンサルから継いだ地方の設計事務所を、松坂直樹はどう変革したか

「AかBか、どちらが正解かという選択そのものには、意味がないんです。選んだ道を正解にすることも、不正解にすることもできる。だったら、正解にするために努力できるかどうかだ、と」——。

穏やかな口調で、しかし一言ずつ確かめるようにそう語るのは、株式会社コラボハウス代表取締役の松坂直樹氏です。1987年、広島市生まれの39歳。九州大学工学部でものづくりを学び、JFEスチールで「鉄の芸術品」と呼ばれる電磁鋼板を手がけ、アクセンチュアでコンサルタントを務めたのち、愛媛・松山発の設計事務所コラボハウスへ役員として加わり、やがて代表に就きました。いまは東京と愛媛を毎週行き来する二拠点生活を送っています。

異業種から地方の設計事務所を継いだ経営者は、何を変え、何を守り抜いたのか。承継後に訪れた「もう店を閉じるか」という夜から、営業を置かない独自のビジネスモデル、そして「家づくりからまちづくりへ」という壮大なビジョンまで。松坂氏の経営哲学に、じっくりと迫ります。

株式会社コラボハウス 代表取締役 松坂直樹氏(インタビューの様子)

「難しい」と言われるほど燃えてしまう。負けず嫌いという原点

まず驚かされるのは、松坂氏が一貫して「みんなが選ばない選択肢」を選び続けてきたことです。その原点はどこにあるのか。少し照れたように笑いながら、松坂氏は子ども時代を振り返ります。

「もともと僕、数学が苦手なのに理系に行くと言って、親に『アホか』と言われたんですよ」

高校時代、松坂氏が志望した学科は、通っていた学校から年に1人入るか入らないかという難関でした。担任からも「ここは一番難しいからね」と釘を刺される。三者面談で親はすっかり落ち込んでいたといいます。ところが、当の本人はまるで逆でした。

「僕だけテンションが上がっているんです。『そこに自分が入れたら凄くない?!』って」

その根っこにあるものを、松坂氏は「負けず嫌い」という言葉で表現します。試合で負ければ悔しい、やるからには絶対に勝ちたい。厳しいことを言われて落ち込んでも、その後には決まって「覚えてろよ、見返してやる」という気持ちが湧いてくる。

「難しいと言われれば言われるほど、燃えてしまう性分なんでしょうね」

まっすぐ前を見つめて、松坂氏はそう言い切ります。この気質が、のちに人生の大きな岐路で、誰も選ばないほうの道へと彼を押し出していくことになります。

鉄の芸術品からコンサル、そして地方の設計事務所へ。「一番難しい道」を選んだ理由

九州大学の大学院を出た松坂氏が最初に飛び込んだのは、鉄の世界でした。2012年、JFEスチールの西日本製鉄所(倉敷)に配属され、電磁鋼板という製品を5年ほど手がけます。

「6ミリくらいの鉄の板を、0.25ミリから0.3ミリまで薄く伸ばして、その性能をどんどん上げていく仕事です」

電磁鋼板は、モーターや発電所、変電所、電柱の中などに使われ、電気を力に変えるときのエネルギーロスを劇的に抑える素材だと、松坂氏は目を輝かせて説明してくれました。作り込みの技術がきわめて難しく、当時は世界でも一部の企業しか作れなかった。「鉄の芸術品」と呼ばれ、社内でさえその部署は立ち入り禁止で、限られた人しか入れない場所だったといいます。

その後、2017年にアクセンチュアへ移り、コンサルタントとして働きます。最も印象に残っているのは、石油業界を横断してデータを共有するプラットフォームをつくる、という国家的な構想でした。

「ロイヤル・ダッチ・シェル(現シェル)やBPのような巨大企業が世界にある中で、日本は小さい市場を5社、6社で争っている。国から見れば『お前ら、ちょっと仲良くしろ』と。競争領域と協調領域を分けて、協調領域はチームでやろう、というコンセプトでした」

経済産業省が「チームジャパン」と旗を振ったこの国家的なプロジェクトを、松坂氏は「苦労の連続だった」と振り返ります。数多くの会社の利害を一つにまとめることの難しさを、身をもって学んだ経験でした。

そんな折、知人から「経営者を探している会社がある」と紹介されたのが、コラボハウスでした。ちょうど松坂氏は「いつかは会社経営をやってみたい」と次のチャンスを探していた時期。財務に強いコンサルへ移ろうか、VCを受けようかと、段階を踏むことを考えていた矢先に、いきなり会社そのものに飛び込む選択肢が舞い込んできたのです。

「泳ぎ方を覚えてから行くか、とりあえず突っ込んで、溺れないようにもがくか。どっちかだなと思ったんですね」

迷いはあったはずです。しかし松坂氏は、いつものように難しいほうを選びました。「こういう機会は、まずないだろう」と。この決断を支えていたのが、松坂氏が深く共感するというオンデーズ・田中修治社長の考え方でした。選択そのものに意味はない、選んだ道を正解にできるかどうかがすべてだ——冒頭のあの言葉です。

設計の創業者が会社を離れる。崩れかけたバランスを引き受ける決断

もっとも、松坂氏は最初から代表を任されたわけではありませんでした。

「もともと代表になる予定はなくて、取締役の役員入社だったんです。創業者がしばらく続けるという前提で、僕は創業者の考えや想いを仕組み化する役割でした。資料を作って、ルールを決めて、業務に落として、みんなに浸透させる。そういうところが得意だったので」

ところが、入社してみると事態は思わぬ方向へ動きます。コラボハウスには設計を担う創業者と、施工管理を担う創業者の二人がいました。この二人が、松坂氏いわく「本当に真逆」の存在だったといいます。

「設計の創業者は、デザインに強烈なご本人の価値観、世界観を持っている方でした。その世界観に共感して入社した設計士さんがすごく多かった。一方で施工管理の創業者は真逆で、徹底した原価管理や品質チェックを丁寧に積み上げてこられた。過去のトラブルをもとにチェックリストを作成して、同じミスは絶対にしない、と」

そして、設計の創業者が退任することになります。ここで松坂氏は、建築という事業の本質的な難しさに直面しました。

「建築は、設計と施工管理のバランスがすごく大事なんです。設計が新しいデザインにチャレンジすると、施工品質は安定しづらくなる。逆に施工が強くなりすぎると、確実なやり方を重視して、斬新なデザインが生まれづらくなる。どちらが強くてもダメで、お互いを少しずつ高め合う環境が要るんです」

設計の創業者が抜けたあと、施工管理の創業者がそのまま代表になれば、このバランスが崩れてしまう。そのことは、施工管理の創業者自身もよく分かっていました。「ここは俺が引いたほうがいい」——松坂氏はそう振り返ります。話し合いを重ねた末に、設計の創業者が会社を離れ、施工管理の創業者は会長のような立場で会社を支えることになりました。そうして松坂氏が、代表を担うことになったのです。

この構図に、インタビュアーがホンダの本田宗一郎と藤沢武夫——技術者と、それを裏で支える経営管理者の名コンビ——を重ねると、松坂氏は深くうなずきました。

「まさに、いま聞いて本当にそうだなと思いました。技術者と、裏側で厳密に管理する人と」

長く会社を支えてきた設計の創業者が去り、松坂氏は代表として、その難しいバランスを一身に引き受けることになりました。

スタジオが一人になった夜。「もう閉じるか」から蘇らせた二人の奮起

代表交代のあと、会社には嵐が吹き荒れます。松坂氏は当時をこう振り返ります。

「起きてほしくないことは、基本的に全部起きたかな、と思います」

少し声のトーンを落として、松坂氏は続けます。真っ先に起きたのは、退職でした。残ってほしかった核となる人材が、ほとんど辞めてしまった。設計側は創業者への依存が強かったぶん、その痛手は大きく、業務が回らなくなりそうなタイミングもあったといいます。

「あるスタジオは、設計士が3人体制でお客様をお迎えするんですが、そこが最後は1人になってしまった。『もう、ここはお店を閉じなきゃいけないかな、人がいないから』と思ったんです」

コラボハウスでは、店舗のことを「スタジオ」と呼びます。その一つが、たった一人になった。閉店も覚悟した、経営者として最も苦しい局面でした。しかし、ここで物語は反転します。

「残った一人のスタッフが、責任感が強くて、頑張り屋さんだったんです。『僕がやります』と言ってくれて。そこに新卒を1人配属したんですが、この新卒の子も、ものすごくやる気で」

株式会社コラボハウス 代表取締役 松坂直樹氏(インタビューの様子)

この二人が、閉店寸前のスタジオを立て直しました。体制を一から作り上げ、やがて他のスタジオと遜色ない、むしろ他のスタジオ以上の成績を出せるまでになったのです。松坂氏は、噛みしめるようにその奮起を語ります。

「ギリギリのところで、彼らが耐え抜いてくれたんです」

この経験は、松坂氏の哲学と深いところでつながっています。自分がこの会社に入り、成長させると決めた。その選択を不正解にはできない。そして——彼が入ったことで会社を去った人もいれば、残って一緒に頑張ろうと思ってくれた人もいる。

「残って頑張ろうと思ってくれている人たちの選択を、正解にしたいんです」

選んだ道を正解にする、という哲学は、松坂氏自身の選択だけでなく、彼を信じて残ってくれた社員一人ひとりの選択にまで及んでいました。

営業を置かない、モデルハウスも持たない。「情報のバトンリレー」を断つという設計思想

では、松坂氏は嵐のあとの会社を、どう変革していったのか。彼がまず取り組んだのは、コラボハウスがここまで成長してきた「成功要因」を、徹底的に調べることでした。

「一番大切だったのは、住宅営業を置かずに、設計士が直接お客様と向き合うというビジネスモデルです」

一般的な住宅会社では、営業スタッフがお客様の要望を聞いて契約し、その内容を後ろにいる設計士へ引き継ぎます。松坂氏は、この引き継ぎに潜む落とし穴を「情報のバトンリレー」と表現します。

「バトンリレーの間に、必要な情報が漏れるんです。どんな仕様にするかは図面を見れば分かるかもしれない。でも、お客様がどういう思いでそれを伝えたのか、までは分からない。それを汲み取れないまま進めると、お渡しのときに『そういう意味じゃなかったんだけど』という仕上がりになってしまうことがある」

コラボハウスでは、設計士が初めからお客様と向き合うため、この「思いのこぼれ」が物理的に起こりえない。さらにこのモデルは、地方での採用という難題にも効いていました。住宅営業と設計士を別々に採るのではなく、1人が両方の役割を担うため、人材獲得の面でも強いのです。

もう一つ、松坂氏が「変えない」と決めた強みが、モデルハウスを持たないという選択です。

「総合展示場にモデルハウスを作って見せるのが一般的ですよね。私たちはあれをやっていない。だから固定費も営業人件費も出店コストも抑えられる。その分、価格が上乗せされないので、お客様は同じ費用でいい家が建てられます」

出店も、通常は大きな設備投資が必要なところを、居抜きの店舗に改装費だけを入れてオープンする。投資回収が早いぶん、出店の意思決定もしやすい。そしてコラボハウスは、一つのエリアでシェアを追い続けることをしません。一定のシェアを取ったらそこはキープし、また別のエリアへ——という横展開を繰り返しています。その理由を、松坂氏は業界構造から説き明かします。

「私たちの業界は、寡占があまり進んでいないんです。最大手の一条工務店ですら6%くらいで、何千社という地場の工務店さんがいる。家づくりの好みは本当にさまざまで、私たちのデザイン性で取れるシェアはある程度決まっている。それを超えて増やそうとすると、ターゲットを変えることになって、尖っていた世界観が丸くなってしまう。それは良くない」

だからこそ、世界観を変えずに、新しいエリアで同じシェアを取りにいく。営業を置かないぶん「売る力」が弱いという弱点は、「買いたい人を増やす」マーケティングで補う。松坂氏はここに徹底的に振り切りました。マーケティング歴20年のベテラン、カンヌライオンズの審査員経験者、大手出版社やアパレル企業でマーケティングを牽引してきた人物——そうした一流のプロフェッショナルを次々と迎え、最先端のマーケティングを愛媛に注ぎ込んでいます。

その結果、コラボハウスに問い合わせるのは、Instagram経由でホームページにたどり着いた「家づくりに本気の人」ばかり。QUOカードを配るような集客とは無縁で、社員が疲弊することもありません。だからこそ松坂氏は、社員に繰り返し伝えています。この1組1組が、どれほどありがたい存在なのかを。

「こんな言葉遊びに意味があるのか」と言われても。理念を建て直した理由

変えない強みを見極める一方で、松坂氏が「建て直す」と決めたものもありました。会社の理念です。

コラボハウスには「すべては友人のために」という、社員に最も深く浸透した考え方がありました。目の前のお客様が大切な友人だったらどうするか——それを判断基準に全員が行動する文化です。松坂氏は、これを変えるつもりは毛頭ありませんでした。

「これだけ浸透しているものを変えるには、相当な覚悟が要る。それくらい大事な考え方だなと思ったので、ここはぶらさなかった」

ただ、松坂氏は冷静に「建てつけ」を見つめ直します。「すべては友人のために」は、会社の理念なのか、行動指針なのか。考え抜いた末に、彼はこれを「行動に迷ったときに立ち返る行動指針」と位置づけました。そして気づきます。その上にあるはずの、経営理念やミッション・ビジョン・バリューが存在しない、と。だから松坂氏は、「すべては友人のために」を守りながら、その上段となる経営理念を新たに建て直していったのです。

この試みは、当然のように反発を招きました。

「社内では『こんな言葉遊びに何の意味があるんだ』と、本気で言われました」

それでも松坂氏は、言い続けることをやめませんでした。会社説明会では、新卒にも中途にも必ず理念を語る。共感して入社してくれる社員も、少しずつ増えてきているといいます。理念浸透について、うまくいっている会社は面談などの場で「あなたの貢献は、うちの理念で言うとここだよね」と一つひとつ紐付けている——インタビュアーがそう伝えると、松坂氏は深く納得した表情を見せました。

「言葉で言っているうちは、誰も理解してくれない。会社として何かを始めるとき、『なぜ始めるかというと、ここにつながっているんだ』という形が少しずつ見えたときに、初めてみんなの中で点がつながりだす。その点を作るまでは、言い続けながら耐えるしかないのかな、と思っていました」

人を大切にするこの姿勢は、採用と育成にも貫かれています。職人気質で人材が定着しづらいこの業界で、コラボハウスは新卒に1年間、会社のコストで徹底的に学ばせます。これをクリアしなければ現場デビューはできない。もともと3ヶ月だった研修を、「それでは知識が入りきらない」と延ばし続け、1年になったといいます。会社にとってはコストであり、本人にとっても大変な1年。それでも投資する理由を、松坂氏はこう語ります。

「それによって、お客様に自信を持ってお答えできるようになる。間違ったことを言う確率も減るし、教えてもらえないままいつまでも成長しない、ということがなくなるんです」

求める人材像も明確です。設計にも興味があるけれど他のこともしたい、営業をしてきたけれどお客様の満足まで付き合いたい——1つの強みを持ちながら、その枠を飛び越えようとする「越境する人」。ただ、お客様の懐に入る営業の適性と、細部を詰める設計の適性は真逆で、その両方を担える人材は市場にごくわずかしかいません。だからこそ松坂氏は、スキル以上に「きちんとコミュニケーションが取れるポテンシャルがあるか」を、めちゃくちゃ見ると言います。

INTERVIEW

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家づくりから、まちづくりへ。地方に最先端を注ぐ「Next LOCAL」

松坂氏の視線は、一軒の家の先にある「まち」の未来にまで及んでいます。コラボハウスが掲げるビジョンは、「Next LOCAL, New LIFE」。次の地方の暮らしの在り方を、自分たちの手で変えていく、という思いが込められています。

その実践として、コラボハウスは愛媛大学の建築学コースと提携し、中学校で建築の授業を行うなど、未来の建築家を増やす取り組みを進めています。

「未来の建築家を増やして、彼らとともに、この地方の雇用の受け皿になっていきたいんです。受け皿がなければ、人は出ていってしまう。魅力ある雇用の受け皿に、僕らがなりたい」

松坂氏の中で、この構想は経営の現実とも固く結びついています。人口が減れば、住宅市場も縮小する。両者はリンクしている。だからこそ、「この地域に住みたい」と思う人を増やすことが、市場縮小という問題を解く一つの糸口になる——建築には、地方に人の流れを呼び込む力がある、と松坂氏は信じています。

その原点には、コンサルタント時代から抱いてきた個人的な思いがあります。

「地方には、素晴らしい仕事をされている中小企業がたくさんある。それが知られていなかったり、一部の会社にしかノウハウがたまっていなくて展開されなかったりして、埋もれてしまっている」

東京で当たり前にできることが、地方ではまだ整っていない。ホームページの運用ひとつとっても、そうです。だからこそ、そこに最先端を注ぎ込むことが、自分の役に立てる場所なのだと松坂氏は考えます。自分で創業した会社ではないにしても、この2年間でそれが少しずつ形になり始めていることに、大きな達成感を覚えているといいます。

そして松坂氏は、コラボハウスの本当の価値は、家という「箱」ではないと言います。

「家づくりのプロセスそのものを、体験していただくところが大きく違うんです」

株式会社コラボハウス 代表取締役 松坂直樹氏

オープンスタジオでリラックスし、家が形になっていく過程をワクワクしながら楽しんでもらう。社員には正社員の保育士もいます。それは単に子どもをお預かりするためではありません。

「お子さんは、家づくりの本来の主役なんです。お渡ししたあと、そのお子さんが中心となって育っていくのが家ですから」

だから、子どもにも家づくりのプロセスを楽しんでほしい——その思いで、保育士を正社員として抱えている。ここは松坂氏が入社後、より磨きをかけたい領域だといいます。家づくりのプロセスを磨き、地方に住みたい人を増やし、まちを元気にしていく。自分の会社だけが生き残るのではなく、地域全体の未来をつくる。松坂氏が選んだこの難しい道もまた、彼の手で少しずつ、正解へと変えられようとしています。

コントリからのメッセージ

「選んだ道を、正解にする」。今回のインタビューを通して、いちばん印象に残ったのはこの言葉でした。

データを扱うコンサルタント出身でありながら、松坂氏が守り抜こうとしているのは、「すべては友人のために」という、数字では測れない文化です。一見矛盾するようでいて、その両方が、彼の中では一本の筋でつながっていました。変えるべきもの(組織・仕組み・マーケティング)は覚悟を持って変え、変えてはいけないもの(理念・オープンスタジオ・設計士一貫)は覚悟を持って守る。承継とはバランスを崩さないことだ、という冷静な見極めの根っこに、「残ってくれた人の選択を正解にしたい」という熱があります。

創業者の世代交代のなかで、核となる社員も辞め、スタジオが一人になった夜。それでも耐え抜き、いまは地方の未来まで見据えている——事業承継に挑む方、地方で人と組織に向き合う経営者に、松坂氏の歩みはきっと大きなヒントを与えてくれるはずです。ぜひ一度、その哲学に触れ、話を聞いてみてほしいと思います。

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プロフィール

株式会社コラボハウス
代表取締役
松坂 直樹(まつざか なおき)

1987年、広島県広島市生まれ。九州大学工学部機械工学科で学び、大学院を修了。2012年にJFEスチール西日本製鉄所(倉敷)に配属され、「鉄の芸術品」と呼ばれる電磁鋼板の製造技術に携わる。2017年からアクセンチュアでコンサルタントとして、石油業界横断のデータ共有プラットフォーム構想などに従事。「いつかは会社経営を」という思いを抱く中、知人の紹介で愛媛・松山発の設計事務所コラボハウスと出会い、取締役として参画。創業者の退任を機に代表取締役に就任し、営業を置かない設計士一貫のモデルや理念を守りながら、組織・マーケティングの改革を進める。東京と愛媛の二拠点で暮らし、2児の父。座右の銘は「選んだ道を、正解にする」。

ギャラリー

会社概要

会社名株式会社コラボハウス(コラボハウス一級建築士事務所)
代表取締役松坂 直樹
設立2008年(平成20年)6月2日
資本金9,000万円
拠点数全国15スタジオ(愛媛・香川・徳島・高知・岡山・広島・大阪・秋田)
本社所在地〒791-1105 愛媛県松山市北井門2丁目12-5
事業内容注文住宅・デザイナーズ住宅の設計・施工、店舗の設計・工事およびメンテナンス
対応エリア愛媛・香川・徳島・高知・岡山・広島・大阪・秋田(オープンスタジオを各地に展開)
コーポレートサイトhttps://collabohouse.info/
採用サイトhttps://collabo-recruit.com/company/

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