
「失敗の責任は、任せた自分にある」——北海道クラフトビールの先駆者が貫く”自責”の経営
「失敗したのは現場の人かもしれない。けれど、任せると判断したのは上役です。だから最後に責任を取り切るのは、自分たちなんですよ」——。
穏やかな口調で、しかし一切の迷いなくそう言い切るのは、SOCブルーイング株式会社(北海道江別市)代表取締役の坂口典正氏。クラフトビールという言葉すら一般的でなかった2002年、未知の北海道でビールづくりに飛び込んだ、業界の先駆者です。「ノースアイランドビール」は年間約75キロリットルのビールを醸造して、札幌では直営のビアバーを営んでいます。
この記事では、父の早すぎる死、消えた創業パートナー、そして「冷徹だった」という自身の人格をも溶かした転機を通して、坂口氏がたどり着いた”自責の経営哲学”に迫ります。札幌のビアバーで何時間でも語り合いたくなる、その人柄ごとお届けします。ぜひ最後までご覧ください。
父は44歳で逝った——反面教師が育てた「家庭円満」という原点
坂口氏の経営観は、決して順風満帆ではなかった生い立ちと地続きにあります。
生まれは広島県広島市。祖父は広島で初めてパチンコ店を開いた人物で、業界団体の全国会長まで務め、戦後の焼け野原で娯楽のなかった時代に、飲食グループへと事業を広げていきました。父はその家業を継いだサービス業の人でした。
少し声のトーンを落として、坂口氏は当時を振り返ります。今では理解出来ますが、「母は、僕が小学校3、4年生の頃に、祖父の大病が原因で新興宗教に入信して家を出てしまいました。また、父は高校2年生になったばかりの4月に、44歳で亡くなったんです。肝臓がんでした」。少年期そして多感な時期に両親と離別して、その後は1年半ほど祖母と暮らしました。
それでも、坂口氏の口調は不思議と明るさを失いません。「小・中・高校時代、父は私、そして弟と妹を週末になれば、海や山へ連れ出してくれました。」と目を細めながら教えてくれました。
父亡きあと、中学生だった弟と妹を取り残すまいと、坂口氏は自分の友人とのキャンプにも二人を必ず連れて行きました。「本当は友達だけで行きたいですよ。でも、彼らを置いていけなかった」。結果として妹はそのキャンプ仲間だった坂口氏の同級生と結婚しました。父が遺したキャンプという原風景が、家族の縁をつないだのです。
こうした経験は、坂口氏のなかで一つの強い軸になりました。「一番は反面教師ですね」と、静かに言葉を選びながら続けます。「両親が揃わないことで、子どもはすごく迷惑をするんです。だから、自分の子どもたちには同じ思いをさせない。家庭が円満であることを目指す——それは僕のミッションになりました」。経営者である前に、まず一人の父として何を守るのか。その答えは、痛みを伴う原体験から導かれていました。
ゴルフ場の幹部を捨てて未知の北海道へ——「面白い」が動かした起業

山口県下関市の東亜大学経営学部を卒業した坂口氏は、ゴルフ場を運営するSTT開発株式会社に入社し、約10年間を過ごします。経理や財務、行政との折衝まで担い、幹部にまでなりました。安定したサラリーマン人生です。
独立へ歯車を回したのが、同期だった創業パートナーからの誘いでした。北海道で、お客様自身にビールの醸造を体験してもらう「My ビール」事業を立ち上げないか——。同じビジネスモデルを手がけていたニセコのビール会社を見学に訪れた瞬間、坂口氏の中で何かが弾けます。
当時を思い出して、坂口氏は軽やかに笑います。「お客様が材料である麦芽を砕いて、自分仕込のビールをつくれる。あの頃、ビールは”買うもの”でしたから、想像を超えていたんです。これはすごいアミューズメントになる、ものすごいビジネスチャンスだと”勘違い”した(笑)」。2002年5月、有限会社カナディアンブルワリーを設立し、翌年体験型ビール工房「手づくり麦酒」を開業しました。
しかし、商売はそう甘くありません。創業からほどなくして、誘ってくれたはずの創業パートナーが会社を去り、音信不通になってしまい、代表取締役に就きました。前職の先輩たちからは「だから言わんこっちゃない」「やめろと言ったのに」「早く戻って来い」と言葉を掛けられました。
噛みしめるように、坂口氏は当時の胸中を明かしてくれました。「正直、意地ですよ。あれだけ反対されて、押し切って北海道に来て、ここで帰ってこいと言われて帰るのか、と。頑固なので『ゴルフ場には帰りません』と言い切りました」。それでも坂口氏は、未知の土地で、まだ流行ってもいないクラフトビールに人生を賭け続けました。2009年には工場を江別市へ移し、ブランド名を「ノースアイランドビール」へ。2011年には倫理法人会の大先輩から支援を頂き、株式会社へと組織を変えて、現在に至ります。
「失敗の責任は、任せた自分にある」——あるギフトのミスが教えた”任せきる”経営
現場の最前線に立ち続けてきた坂口氏が、そこから離れる決断をしたのは、倫理法人会で役を担うようになったことがきっかけでした。
「自分が自由に動くためには、誰かに任せるしかない。任せざるを得なくなったんです」と、肩の力を抜いて語ります。けれど、ここで坂口氏が学んだ「任せる」は、生半可なものではありませんでした。
まっすぐ前を見つめて、坂口氏は言葉に力を込めます。「任せるというのは、何か失敗があったときに、その責任を全部取り切るということなんです。失敗したのは現場の人かもしれない。でも、任せると判断したのは上役でしょう。だから最終的な責任は、その上に立つ人間にある」。
その哲学が試されたのが、あるギフト事業での出来事でした。大手流通向けに納めるビールの賞味期限を、担当のスタッフが1年古い表記で出荷してしまったのです。坂口氏が妻の実家でバーベキューに出かけようとしていた最中に一報が入り、卸業者、荷主、お届け先の3者へ何十件も詫びの連絡を入れる、大変な事態になりました。
それでも坂口氏が真っ先にかけた言葉は、叱責ではありませんでした。少し声を落として、当時を振り返ります。「彼女は責任を感じて、顔は真っ青になっていました。でも僕は『ごめんね』と言いました。そういう間違いが起きる仕組みを、会社がつくってしまっていた。個人が悪いんじゃない、自分たちがそういう状況にしていたことが悪かった、と」。
頭ごなしに怒れば、たいていの人は萎縮し、辞めていきます。「この人に頼んでいなかったら、とは思わない。会社のトップが最後に責任を持つ——それがインプットされているから、何が起こっても『大丈夫』と思えるんです」。一見、世間の常識とは逆に見えるこの構えこそ、坂口氏が人を責めずに済む理由でした。
矢印を自分に向ける——他責をやめたら、怒りが消えた

では、坂口氏は決して叱らないのでしょうか。この問いに、坂口氏は穏やかに、しかし確信を持った口調で答えました。
「失敗を責めることはしません。ただ、再発防止はする。時間は戻せないですから、次どうするかを考える。そのとき『気をつけます』は禁句なんです」。気をつけるのではなく、やり方そのものを変える。指示系統を変え、マニュアルをつくり、仕組みを変える——抽象的な反省ではなく、構造を変えることでしか同じ失敗は防げない、というのが坂口氏の持論です。
その根っこにあるのが、「矢印を自分に向ける」という考え方でした。坂口氏は手振りを交えて説明してくれます。「何か起きたとき、矢印が外に向きそうになる。他人のせいにしたくなる。でも、それに気づいたら、矢印をこっちに向け直すんです。最初からできるわけじゃない。訓練ですよ」。22年にわたって倫理法人会で学び続けるなかで、怒りのモードになること自体が減っていったといいます。
坂口氏が好んで引くのが、『万人幸福の栞』の一節「苦難福門」です。嬉しそうにこう続けます。「トラブルが起きるというのは、自分の思っている方向と、本来の向きがずれているよ、と教えてくれているんです。苦難は、本当は来てほしくない。でも、来たときは気付きを与えてくれる有難い存在だと思えたら、いいじゃないですか」。
判断に迷ったときの物差しも、実にシンプルでした。「どっちが美しいか、で選ぶんです」と、少し考えてから坂口氏は言います。「美しくない方には、濁りを感じる。だったら、それは消せばいい。人間だから自分も真っ白ではないけれど、白の濃度を上げていけば、グレーにならずに済む。倫理を学ぶというのは、その白に近づくための方法なんです」。
組織はピラミッドではなく「球体」——個性の塊をまとめる和

坂口氏の組織観は、独特の比喩で語られます。よく言われる「ピラミッド型」でも「逆ピラミッド型」でもない——坂口氏が描くのは「球体」でした。
軽やかに笑いながら、坂口氏は両手で大きな球を描いてみせます。「地球みたいな球があるとして、その中心に社長がいて、みんながその中を自由に飛んでいる感じ。一人ひとりが自分の夢や希望を持っていて、それを叶えるためにこの球体を使えばいい。平面でも、上下でもないんです」。社員はみな個性の塊。だからこそ中心にいる自分は、球が破裂しないよう全体のバランスを取り続けるのだと言います。
その球体を保つ鍵が、「なごみ」でした。坂口氏は言葉を選びながら明かしてくれます。「平和の和ですね。空間にしても人間関係にしても、和を大切にする。自分の我(が)を出すと、トゲトゲになって、その球を崩してしまうこともあるから」。
ただし、それは我慢とは違うと、坂口氏はきっぱり線を引きます。「我慢して調和を取ろうとするのは、昔の僕のやり方。それは逃げなんです。中心にいる人間がビジョンを持たず、妥協して場を保とうとしてはいけない。決して妥協したらダメなんですよ」。実際、北海道倫理法人会で会長を担った3年間、既存の組織の充実と、新たな学びの場を創るという信念の基、毎年一つずつ新しい組織(単会)を立ち上げる挑戦を自らに課しました。「和」を守ることと、「信念」を貫くこと。双方への想いに対して、坂口氏に迷いはありません。
この哲学が最も鮮やかに表れたのが、コロナ禍の決断です。売上が激減するなか、坂口氏は「誰一人、解雇も減給もしない」と決めました。それを支えたのは、座右の銘でもある「誠心誠意」という四文字。「美味しさを伝え続けること自体が、来てくださるお客様への恩返しであり、残っていかなくてはならないという使命感でもある」と、まっすぐな口調で語ります。ノースアイランドビールでは、副工場長の発案でスタートした保護猫支援への寄付を組み込んだ「ボクらと、ネコ」というビールも醸造しており、利益の追求と社会貢献への眼差しが、同じ球体の中で同居していました。
冷徹だった男を溶かした、妻と倫理という二度の転機
ここまで穏やかに哲学を語る坂口氏ですが、意外にも「もともとは、すごく冷徹な人間だった」と打ち明けます。
少し苦笑いしながら、坂口氏は若き日の自分を振り返ります。「父が亡くなったとき、弟や妹に『誰が一番怖いか』と聞いたら『兄貴』と言われるくらい、とんがっていました。18歳くらいまでは、周りは敵だ、というような構え方をしていたんです」。消えた創業パートナーの連絡先を、自分の携帯から消し去っていたのも、その頃のなごりでした。
坂口氏の凍り付いた氷のような心が、二段階で溶けていきます。一度目は、妻との結婚。「彼女はすごく愛のある人で、妻との出逢いに恵まれたことにより、心の氷が解けたんです」と、穏やかな表情で語ります。二度目が、倫理法人会との出逢いでした。「妻に出逢ったことと、倫理法人会に入会出来たこと。この二つの出逢いが私の人生を変えてくれました。今の僕がいるのは、この二つの出逢いによるものです。」
その変化を象徴するのが、消えた創業パートナーとの再会です。倫理研究所が運営する富士高原研究所でのセミナーで「創業パートナーに感謝していますか、貴方が今のお仕事を出来ているのは、その方のお陰ですね、感謝して下さい。」と諭されたとき、坂口氏は当初心の中で「無理です」と思ったといいます。けれど、と坂口氏は続けます。「彼が誘ってくれたから、今こうして北海道でビールを造っている。自分と意見が合わず袂を分かった人かもしれないけれど、きっかけを作ってくれたことはありがたい——そう思えるところまで、心の許容範囲を広げてくれたのが倫理だったんです」。連絡先は怒り心頭で携帯から消していたため、同僚を頼って辿り着き、18年ぶりに再会を果たしました。
いま、坂口氏が「一番楽しい時間は何か」と問われて真っ先に挙げたのは、事業の成功でも役職でもありませんでした。「妻との時間ですね」と、照れたように笑います。宿やレンタカーもすべて私が手配して、6月には妻と伊勢神宮へ参拝に行って来ました。最近は日曜日に予定を入れず「家族の日」と決めているといいます。「苦労を共にして、北海道で大変なときも支え切ってくれた彼女への、感謝なんです」。冷徹だった男が見せる、まぎれもない人の温かさでした。
「地球を大事にしよう!」——先駆者が見据える未来

創業した2002年頃、全国の地ビール会社は約200社でした。それが今や、クラフトビールメーカーは1,000社を超えます。先駆者として、坂口氏はこの盛り上がりをどう見ているのでしょうか。
冷静な口調で、坂口氏は現実を見据えます。「クラフトビールが世の中に受け入れられた証だと思います。ただアメリカでは、新規開業より閉鎖が上回り、ブームが終わって安定期に入ったと言われている。アメリカで起こることは、日本でも起こる可能性が高い。だからこそ、美味しいビールをお客様へ届け続けることに、スタッフと共に邁進するだけです」。
その先に描く事業の未来は、明快です。年間約75キロリットルの醸造量を、約4倍の300キロリットルへ。7年後をめどに、江別市内で新たな工場を稼働させる構想を温めています。輸出も視野に入れ、常温流通を可能にする処理も検討中だといいます。
そして坂口氏は、講話の締めくくりにいつも語る一言を、この取材でも口にしました。まっすぐ前を見つめて言い切ります。「地球を大事にしよう!ということなんです。」経営の最も大きな目的を「地球の安泰」に置く——地球があってこそ社会があり、人が生きられる。その順番で世界を見たとき、今は地球のことを気にしている人が少なすぎる、と坂口氏は静かに憂います。
人が聞けば、ビールの話からなぜ地球の話になるのか、戸惑うかもしれません。それを坂口氏自身もよく分かっています。それでも、穏やかに、しかし確信を持って続けます。「事業経営では、とかくお客様やスタッフに目が向きがちですが、じつはその奥にある、『自社の事業を通して、如何に社会へ貢献出来るか』が大切です。更に、当然のことではありますが、社会は地球上に存在しているので、事業経営が『地球の安泰』に繋がる事が最も重要となります。——そういう人が増えたら、世界は少しずつ平和になっていくと思うんです」。
コントリより
印象に残るのは、「失敗の責任は、任せた自分にある」という、ぶれない一本の軸です。両親と早く離別して、自ら「冷徹だった」と語る人物が、妻と倫理との出会いを経て、人を責めず、矢印を自分に向け、和を大切にする経営者へと変わっていく——その歩みそのものが、一つの長い物語でした。
クラフトビールの先駆者でありながら、坂口氏は決して「自分がすごい」とは言いません。あくまで「倫理の学びのおかげ」「球体のバランスを取るのが自分の役割」と、どこまでも謙虚です。それでいて、周囲の反対を押し切り、未知の北海道へ飛び込み、7年後の4倍構想を描く——真面目さと破天荒さが同居した、その不思議なバランスにこそ、この人の魅力が宿っています。
取材当日、札幌のビアバーで12種類のビールグラスを傾けながら語る坂口氏は、誰よりもノースアイランドビールを楽しんでいました。経営に悩み、人に任せきれず一人で抱えてしまう方にこそ、「大丈夫」と言える自分になる為、坂口氏を変えた倫理法人会の学びに触れてみては如何でしょうか。
プロフィール

SOCブルーイング株式会社
代表取締役
坂口 典正(さかぐち のりまさ)
1968年11月3日、広島県広島市生まれ。東亜大学経営学部を卒業後、ゴルフ場を運営するSTT開発株式会社に約10年間勤務。2002年5月、北海道で体験型ビール工場「手づくり麦酒」を開業するため有限会社カナディアンブルワリーを設立し、2003年9月に代表取締役へ就任。2009年に工場を江別市へ移してブランドを「ノースアイランドビール」へ改称、2011年に株式会社へ組織変更。座右の銘は「誠心誠意」。趣味はアウトドアと旅行、特技は料理、愛読書は『万人幸福の栞』。
ギャラリー









会社概要
| 会社名 | SOCブルーイング株式会社 |
| 設立 | 2002年5月(有限会社カナディアンブルワリーとして設立/2011年に株式会社へ組織変更) |
| 資本金 | 6,300万円 |
| 本社所在地 | 〒067-0031 北海道江別市元町11-5(本社事務所・醸造所) |
| 店舗 | Beer Bar NORTH ISLAND(ビアバー ノースアイランド)/北海道札幌市中央区南2条西4丁目10-1 ラージカントリービル10階 |
| 従業員数 | 18名 |
| 事業内容 | ①クラフトビール「NORTH ISLAND BEER(ノースアイランドビール)」の製造・販売 ②直営ビアバー「Beer Bar NORTH ISLAND」の運営 ③OEM受託醸造 ④ECサイトでの販売 |
| コーポレートサイト | https://northislandbeer.jp/ |
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