
「殿様商売だよね」と言われた3代目。20年かけて社風を変えたのは、従業員の『物心両面の幸せ』実現への強い信念
「北日本重機さんって、殿様商売でいいよね」——。得意先の玄関先で、そう言われたことがあります。
北日本重機株式会社(札幌市厚別区)代表取締役社長・丸山雄司氏は、1954年に祖父が創業し、父が広げた会社を継いだ3代目です。しかし入社直後に見た現実は、理想とはかけ離れていました。挨拶すらできない職場、実態を反映しない日報、寄り添えていない顧客対応——。そこから約20年、丸山氏は何を判断軸に、何を積み重ねて会社を変えてきたのでしょうか。じっくりお話を伺いました。
得意先を一軒ずつ回って気づいた、寄り添えていない現実
北日本重機は、建設機械の整備・車検・販売・買取から、車両のリース・レンタル、部品販売、そして冬の除排雪・土木工事まで、地域のインフラを支える事業を展開しています。従業員数は37名(2025年10月現在)。丸山氏は大学卒業後、コマツ(小松製作所)に入社し約1年半の勤務を経て、20代前半で北日本重機に入社しました。
入社当時、丸山氏は営業担当者に「既存のお客さんをどうフォローしているのか」と尋ねました。しかし、明確な答えは返ってきませんでした。フォローという概念自体が、現場に根づいていなかったのです。
「じゃあ、自分で全部回ってみようと思って」
丸山氏はそう振り返ります。得意先を一軒ずつ訪ね、玄関先でインターホンを押して「北日本重機の丸山です」と名乗る。そうして顔を合わせた先で言われたのが、冒頭の一言でした。
「殿様商売でいいよねって、言われたんです。なんか、寄り添えていない感じを、すごく感じたんですよね」
穏やかな口調でそう振り返る丸山氏ですが、当時はこの一言に強い違和感とモヤモヤを抱えたといいます。祖父がつくった会社であり、父が継承し、リーダーシップをとってきた会社。その先をやるのは自分だ——。そう思ったからこそ、殿様商売を続けるだけの会社であってはいけないと、改善を決意したのです。

挨拶すらできない会社。入社3ヶ月で辞表を出しかけた3代目
丸山氏が入社した当時の北日本重機は、決して褒められた状態ではありませんでした。教育担当としてついたのは、整備士から営業に上がった60代のベテラン常務。車で一緒に移動してもほとんど会話がなく、聞き返しても二度目は答えてくれない——そんな寡黙な人でした。
工場には「いかにサボるか」という空気が強く漂い、作業日報も実態を反映していない状態が常態化していました。社内のベテラン女性社員からは、「うちの会社は、手を挙げてやると言った方が損をする会社だから」とまで言われていたといいます。
「本当にもう幻滅したんですよね。今の現実というか、会社の状況があまりにもひどいと思って」
大学時代、200人規模のイベントサークルを運営した経験や、コマツでの委託研修生として培った人間関係構築力に自信があった丸山氏にとって、挨拶すら交わされない職場は大きなギャップでした。入社からわずか3ヶ月、丸山氏は父に「辞めたい」と伝えます。伝えた直後、悔し涙がこみ上げてきました。
「それまでは全くそういうふうにも思っていなかったんですけど、なんか悔しさみたいなものが、本当に急激に出てきて」
父はその場で何も言わず、引き止めることも否定することもしませんでした。丸山氏はその後の数日間、どう過ごしたのかほとんど覚えていないといいます。悔しさと虚脱感の中で、時間だけがただ過ぎていった——そんな数日間でした。
悔し涙の数日後に出会った、可能思考研修という転機
転機は、思わぬところからやってきました。取引先の自動車販売会社の女性社長から、「なんか元気ないね、悩んでるの?」と声をかけられたのです。「もしそういうふうにモヤモヤしてる気持ちがあるんだったら、いい研修があるから受けてみない」——そう勧められたのが、日創研(日本創造教育研究所)の「可能思考研修」でした。
「自分自身もどう解決していいのか分からなかったから、とりあえず行ってみますって言って」
わらにもすがる思いで参加した研修は、丸山氏の思考をがらりと変えました。
「一日の研修を受けただけで、なんか、あ、自分はやらなきゃいけないんだ、やるんだ、みたいな。そういう感覚になったんですよ」
そこから丸山氏は、まず自分自身の行動から変え始めます。挨拶をする、工場を清掃する、ヘルメットをかぶって安全意識を高める——。地味で当たり前のようですが、それまでの北日本重機にはなかった実践でした。
盛和塾の9年間——判断軸のすべては、ここで学んだ
日創研の研修をきっかけに後継者としての自覚が一層高まったのは確かですが、丸山氏の経営観をより深く形づくったのが、30歳から9年間通った「盛和塾」でした。稲盛和夫氏の経営哲学(京セラフィロソフィー)を学ぶ札幌の社中で、月1回の勉強会に加え、より学びを深める分科会もありました。
「自分の経営の判断軸っていうのは、本当に盛和塾で学んだことしかなくて」
丸山氏はそう言い切ります。盛和塾では「経営の原点12ヶ条」や「六つの精進」をはじめ、「経営は強い意志で決まる」「誰にも負けない努力をする」「善行、利他業を積む」といった言葉を、繰り返し血肉化していきました。その代表例が、毎月発行されていた全156冊の機関誌(1冊約150ページ)を毎週1冊読み、感想文を週末の深夜0時までに提出し続ける「機関誌マラソン」という企画です。毎月厳格なルールで、6人グループのリーダーとして参加し3年かけて完走しました。多忙な業務の合間を縫い、帰宅前に会社に残って読み進めるなど、睡眠時間を削ってでも走り抜いたといいます。
稲盛氏の老衰に伴い、盛和塾は解散しました。地元の盛和塾札幌では、存続すべきか、解散すべきか、意見が二分するなかで、結果として後継の会はできたものの丸山氏はその会には参加せずに学びの実践を選びます。
「稲盛さんは、自らの経験を元に中小企業の経営者に経営哲学を教えてくださいました。盛和塾解散後、別の方がその教えを引き継いでいく会ができたら、少しずつ考えが変わっていってしまうのではないかと感じました。自分としては解散後は学びの実践あるのみ!という考えでした」
存続を望んだ塾生から「なぜ残らないんだ」と問われたこともありましたが、丸山氏はその考えを譲りませんでした。今は特定のメンターを持たず、日めくりカレンダーなど、大切にしている言葉を目に入る場所に置くことで、学びを更新し続けています。
「孤独感というのは、今は全くないですね」
穏やかにそう語る丸山氏の表情には、9年間で染み込んだ判断軸への静かな自信がにじんでいました。「人として正しいことを判断基準にする」——盛和塾で学んだこの一言が、以後の丸山氏のあらゆる決断の土台になっていきます。

面談・社内イベント・会議・プロジェクト活動。20年がかりの地道な改革
日創研と盛和塾で得た軸をもとに、丸山氏は具体的な仕組みづくりに着手します。柱になったのは、大きく4つの取り組みでした。
1つ目は、全従業員との個人面談です。社長就任の少し前から、年2回・1人45分から2時間、休憩もほとんど取らずに朝から晩までぶっ続けで行いました。最初の数年は、不平不満を聞くだけの時間だったといいます。
「最初はもう本当に、従業員からは愚痴や不平不満しか出てこなくて。それが2、3年経った時には、どうしたいのかっていう話ができるようになって、5、6年経つと、前向きに会社をどうしていくかっていう話ができるようになった」
2つ目は、会社費用負担の社員日帰りバス旅行です。最初の企画では、上川方面の庭園と一流シェフのフレンチレストランを組み合わせるなど、「行きたくなる」内容を丸山氏自らが練り上げました。参加率は最初は5割程度でしたが、7月と10月の年2回、魅力的な企画を自ら考え毎年やり続けていったことで9割近くまで向上したといいます。その他にも忘年会や新入社員歓迎会、工場内でのBBQなどを定期的に開催することによって従業員同士の絆を深めていきました。
3つ目は、それまでになかった部門ごとの会議の導入です。工場の現場からは「会議する時間があるなら直接請求に結びつく業務をした方がいい」という声もありましたが、丸山氏は「決めるべきこと、話し合うべきことがある」と押し通しました。
4つ目は、整備士の能力評価基準の作成や生成AIの普及促進、営業力強化といったプロジェクト活動を主導してきたことです。1つの課題に対して従業員同士が意見を出し合い、協力しながら成果を出すことの喜びを感じる機会となりました。評価制度も一から作り直し、役割を担えば手当がつく仕組みにすることで、従業員が手を挙げやすい環境を整えました。
「理由はやっぱり、働きやすい会社にするため。より前向きに働ける、そういう組織づくりをするためかなと思いますね」
これらの取り組みが実を結ぶまでには、長い時間がかかりました。5年ほどで従業員の表情や話し方に変化の兆しが見え始め、本当の意味で「協力者」と呼べる存在が現れ始めたのは、15年から20年という歳月をかけてのことでした。かつて盛和塾の仲間からは「攻撃的だ」と見られていた丸山氏も、2、3年前に久しぶりに再会した際、「丸山さん、なんか丸くなったね」と言われたといいます。

社長就任と離婚が重なった年——「明るく前向きに」の裏側
順調に進み始めた組織改革の裏側で、丸山氏自身は私生活で大きな試練を迎えていました。丸山氏が代表取締役社長に就任したのは、2019年2月のことです。実はこの時期、丸山氏にとって大きな出来事が起こります。10年あまり続いた結婚生活の終わりです。
盛和塾での学びや取引先とのつきあいを優先し、家庭や子どもの行事にほとんど出られなかったこと。感謝の気持ちをうまく言葉にできなかったこと。丸山氏はその一つひとつを、今、静かに振り返ります。
「あの時、ちゃんと伝えておけばよかったなという。その伝え方が、やっぱり下手くそだったから」
離婚と社長就任がほぼ同時期に重なり、当時は「抜け殻」のような状態だったと打ち明けます。自律神経の不調も経験し、食事も喉を通らない日が続きました。子どもたちはまだ幼かったこともあり、思いをうまく伝えることができなかったこともあったそうです。それでも、身近で働いていた社員には、私生活の辛さに気づかれることはありませんでした。
「仕事優先、会社優先っていう考えでしたね。自分自身がいかに厳しい状態だったとしても、従業員には心配かけるようなことはしてはいけない」
常に明るく前向きに——。盛和塾で学んだこの言葉を、丸山氏は苦しい時期ほど強く実践してきました。
「今を大切にできれば、過去のあの時、しんどかった時間も、必要なピースだったんだなと思えるようになった」
仕事も家庭も、簡単に割り切れるものではない——その人間らしさこそが、丸山氏の言葉に重みを与えています。
あえて株を持たない社長。三兄弟経営が選んだ権力分散という設計
北日本重機は、丸山氏を含む男三人兄弟が全員代表取締役という、珍しい体制をとっています。長男の丸山氏が社長、三男の拓人氏が専務(営業統括・自社株式を保有)、次男の大吾氏が常務(グループ会社の社長を兼務)です。
約1年前、丸山氏はこの組織図をさらに大きく変えました。三代表体制になってからも、組織図の上では「社長の下に専務・常務」という縦の階層構造が残っていましたが、これを社長・専務・常務が並列に位置づけられる組織へと改めたのです。現場からの相談が直属の上司を飛び越えて社長である自分に来てしまい、間に立つ弟たちの面目がつぶれてしまう——そんな弊害を解消するための変更でした。
「自分が上にいることによって、弊害になるっていうふうに思うところがあったので。まずは自分が上にいないってなったら、そういうことがうまくいくんじゃないかなと」
父からは「そんな組織図なんて見たことない」「前例があるのか」と言われましたが、丸山氏は「ないんだけど、やってみたいんです」と押し通しました。
さらに特徴的なのが、株式の持ち方です。丸山氏は社長でありながら、自社の株式を保有していません。株式は事業承継税制を活用し、営業統括として現場を牽引する三男の拓人氏がすべて引き継いでいます。
「自分が全部、株も地位も持ってしまったら、それはそれで面白くないと思うんですよ」
そう言い切る丸山氏の言葉には、権力を独占しないことへの明確な意図があります。実際、権力としては専務が株式を持ち、丸山氏自身は「解雇される可能性がある」立場でもあるといいます。それでも、このバランス感覚があるからこそ、「より必要とされるように働かないといけない」という緊張感が保てているのです。
三兄弟、考え方が一致しないこともあると言います。「良い会社にしたいという思いは一緒なので、それぞれ方法が違っても、良い方向にいくはず」——丸山氏はそう受け止めています。代表就任後、月に1回「三兄弟でスーパー銭湯に集まり、風呂で2時間ほど語り合ってから食事をする」という機会を設けてきたのも、「集まる機会をつくることがすれ違いをなくすことにつながる」という考えからです。
次のリーダーを育てる——一人で抱えないための仕組みづくり
面談・社内イベント・会議・プロジェクト活動という4つの取り組みの先に、丸山氏が見据えているのは、次のリーダーを育てることです。
「自分だけしか理念を発信できなかったら、会社が持続していかない。でも、自分と同じ考えを持った人たちがちゃんと成長して、リーダーシップをとれるような人が増えてくれれば、会社の可能性はどんどん広がっていく」
社長就任後、最も苦しい決断だったのは何かという問いに、丸山氏は少し声のトーンを落として答えました。
「退職者が出る時ですよね。特に今まで北日本重機を支えてくれた自分より先輩の人たちが」
会社の発信する考え方に共感できるかどうかを、残ってもらうかどうかの基準にしていると丸山氏は話します。厳しい判断であっても、そこには従業員一人ひとりと向き合ってきた20年の蓄積がありました。
今、北日本重機は生成AIの活用にも力を入れています。2025年7月にはDX推進課を新設するなど、丸山氏自身も新しい技術に強い関心を持ち続けています。入社3ヶ月で辞表を出しかけてから約20年。一人で駆け抜けてきた改革は今、次の世代へと引き継がれようとしています。
コントリからのメッセージ
得意先から浴びせられた手厳しい一言から始まった丸山雄司氏の20年は、決して華やかな成功譚ではありません。挨拶すらできない職場に幻滅し、悔し涙を流しながらも、常に明るく前向きに従業員の前に立ち続けた、地道な実践の積み重ねでした。
印象的だったのは、丸山氏が「自分が全部持ってしまったら、それはそれで面白くない」と、権力を分散させる組織設計をあえて選んでいたことです。そしてその根っこには、「常に明るく前向きに」「人として正しいことを判断基準にする」という、盛和塾で9年かけて自分の言葉にした哲学がありました。経営哲学とは、遠くの教科書に書かれた言葉ではなく、20年という時間をかけて実践し続け、ようやく自分の言葉になるものなのだと、丸山氏の歩みは教えてくれます。ぜひ一度、丸山氏に話を聞いてみてほしいと思います。
プロフィール
北日本重機株式会社
代表取締役社長
丸山 雄司(まるやま ゆうじ)
大学進学時、父から「人間関係を勉強してこい」と言われたことをきっかけに、大学時代は約200人規模のイベントサークルの運営を経験する。卒業後はコマツ(小松製作所)へ入社し約1年半勤務したのち、家業である北日本重機に入社。入社直後は社内の現実に幻滅し退職を申し出るが、取引先からの勧めで日創研の可能思考研修を受講したことを転機に、挨拶・清掃・安全意識の徹底から改革を始める。30歳で盛和塾に入塾し、稲盛和夫の経営哲学を9年間学ぶ。個人面談・社内イベント・会議・プロジェクト活動などを経て約20年かけて社風を変えていった。2019年2月に代表取締役社長へ就任。男三人兄弟全員が代表取締役を務める体制のもと、あえて自社株式を持たない設計で経営のバランスを保つ。座右の銘は「誰にも負けない努力をする」。趣味はボーリング、ゴルフ。好きな犬はシェルティ。好きな食べ物はアップルパイ。
ギャラリー






会社概要
| 会社名 | 北日本重機株式会社 |
| 設立 | 1954年6月(2024年に創業70周年) |
| 資本金 | 6,500万円 |
| 本社所在地 | 〒004-0069 北海道札幌市厚別区厚別町山本1063番地418 |
| 拠点 | 江別工場(江別市工栄町25番地6)/土木事務所(北広島市西の里364番地43、株式会社ケンウン内) |
| 従業員数 | 37名(2025年10月現在) |
| 事業内容 | ①建設機械の整備・車検・特定自主検査・販売・買取 ②建設機械、除雪車両リース・レンタル ③部品販売 ④土木工事・除排雪業務 ⑤不動産賃貸 |
| コーポレートサイト | https://kitanihonjyuki.co.jp/ |

