経営者百景

コントリ内の連載企画。100人いれば100の経営がある――複数の経営者のリアルを、テーマごとに束ねて届けるコーナー。

経営者の、あの一言。|経営者百景 Vol.2

経営の岐路になるのは、いつも大きな決断とは限らない。誰かの一言や、偶然見つかった一枚の紙切れが、その後の何十年をかたち作ることがある。

「経営者百景」は、コントリが118社以上の経営者に直接取材してきた中から、そんな決断の瞬間だけをテーマごとに集めて届ける連載企画。第2回のテーマも、引き続き「あの一言」——ただし今回は、声だけでなく、紙に遺された言葉にも触れる。3人の経営者の実話を、それぞれのインタビュー全文へのリンクとともに紹介する。

決断は、声だけでなく紙にも遺る

承継や独立の理由を尋ねられたとき、立派な経営計画を語る経営者は多い。だが実際にその内側を覗いてみると、たった一つの言葉や、たった一枚の紙が、静かに背中を押していたことが少なくない。

3人の経営者を動かした、あの一言。

「経営者というのは、お前が思っているような楽な仕事ではない」

株式会社日東物流 菅原拓也氏
株式会社日東物流 菅原拓也氏

大学3年生のとき、将来を考えて父の会社を継ぎたいと申し出た菅原拓也氏に、父は真っ先にこう言った。「経営者というのはお前が思っているような楽な仕事ではない。相談する相手もいないし、安心してゆっくり眠ることもできない、そういうことをお前にやらせたくない」。

携帯電話を手放さず、家族旅行中でも何かあれば24時間駆けつける父の姿を見てきた菅原氏には、その言葉の重みがよく分かった。それでも食い下がり、他業種で3年働いてから来ると約束して、ようやく父は首を縦に振った。入社後に待っていたのは、休みなく働くのが当たり前という、想像以上に厳しい現実だったという。

続きを読む:株式会社日東物流 菅原拓也氏インタビュー →

「息子がまもなく継ぎます」

近江化成工業株式会社 小林清氏
近江化成工業株式会社 小林清氏

小林清氏がオリンパスを辞めて転職活動をしていたころ、実家で働いていたのは70代後半の父と母、そして従業員1人だけだった。ちょうど新幹線のシートを製造する大きな案件が9割方まとまった時、取引先の監査担当者が父にこう尋ねた。「今後、どのように継続されるのでしょうか」。

嘘のつけない性格だった父は、その場で一世一代の嘘をついた。「息子がまもなく継ぎます」。まだ継ぐと決めていなかった小林氏が、何十年ぶりかに父と膝を突き合わせて話したとき、父はこう漏らした。「新幹線を走らせて、それを孫に見せるんだ」。70歳を超え、地位もお金もない父が、その瞬間だけはとてもかっこよく見えたという。半年後、正式受注の知らせを受け、小林氏は継ぐことを決めた。

続きを読む:近江化成工業株式会社 小林清氏インタビュー →

チラシの裏に遺された、父のレシピ

株式会社串カツ田中ホールディングス 坂本壽男氏
株式会社串カツ田中ホールディングス 坂本壽男氏(インタビューで、創業メンバー・田中氏の物語を語った)

株式会社串カツ田中ホールディングス代表・坂本壽男氏が語るのは、自分自身の話ではなく、創業メンバーである会長の貫氏と、当時アルバイト1号だった田中氏の物語だ。大阪でバーを営み、その後デザイナーズレストランで東京進出を果たした2人は、2008年のリーマンショックで接待需要を失い、経営が行き詰まっていた。会社を畳む覚悟を決め、田中氏が家の荷物を整理していたそのとき、幼い頃から大切にしまっていた箱の中から、一枚のチラシが出てきた。

裏には、若くして亡くなった田中氏の父が遺した串カツのレシピが、手書きで記されていた。半信半疑で作ってみると、驚くほどおいしかった。残っていた資金はおよそ300万円。「これでやってみよう」と、飲食店としての一等地とは言えない世田谷の一角に、1号店を開いた。それが、行列のできる串カツ田中の始まりだった。

続きを読む:株式会社串カツ田中ホールディングス 坂本壽男氏インタビュー →

あなたにとっての「あの一言」は?

声で届いたものも、紙に遺されたものも、当人が受け止めて初めて意味を持つ。経営の岐路は、案外そうやって静かにやってくる。次回もまた、経営者たちを動かした、忘れられない言葉を届けたい。

関連記事一覧