経営者インタビュー

全国の経営者に直接取材した、想いと挑戦のストーリーを紹介するインタビュー記事一覧です。創業の背景や苦難の乗り越え方、経営理念など、それぞれの経営者だからこそ語れる言葉をそのままお届けします。

  • HOME
  • 記事
  • 経営者インタビュー
  • 「一人からでも始まらなきゃ、何もできない」——ジョイ・コス佐藤益夫会長が半世紀追い続けた“エネルギーのかからない家”
株式会社ジョイ・コス 代表取締役会長 佐藤益夫氏 インタビュー記事アイキャッチ

「一人からでも始まらなきゃ、何もできない」——ジョイ・コス佐藤益夫会長が半世紀追い続けた“エネルギーのかからない家”

「本当に、世のため人のためね。そういう仕事をしてるっていう感覚にはなれるよね」——。

喘息に苦しむ子どもを持つお母さんの言葉を振り返りながら、しみじみとそう語ったのは、株式会社ジョイ・コスの代表取締役会長、佐藤益夫氏です。建材販売会社の営業として22年、パネル化工法の普及に10年。1999年、50歳で同社を設立し、「気密・断熱・換気」を一体化した独自の住宅システムを、岩手県花巻市から全国の地場工務店へ届けてきました。3時間を超える取材で78歳の開発者が語ってくれたのは、貧しさの中で知った働く意味、答えられなかった一つの質問、そして「一人でやるな」と声をかけてくれた仲間たちのこと。一つの問いを半世紀手放さなかった歩みをお届けします。

「涙出るほど貧しかった」——新聞とヤクルトを配った少年と、母の教え

1948年、岩手県北の二戸市に生まれた佐藤会長。幼い頃の暮らしを尋ねると、答えは一言でした。

「貧乏。本当に貧乏。涙出るほど貧乏」

周りも、みんな貧しい家が多かったといいます。

父親は稼ぎが少なく、母親が陰で泣いている姿を見て育ちました。5人きょうだいの家計を助けるため、小学5年生から新聞配達を始めます。さらに、ヤクルトが売り出された頃には、中学生からヤクルトの配達も担いました。自分でお客さんを見つけ、飲んだ分の請求書を書き、集金に回る。払えないと言うお宅の方には「払えなかったら飲むな」と言ったこともあったといいます。

「中学でもう商売やってんな、俺」

生きるための考え方の基本は、この頃に身についたといいます。

高校では野球部に所属し、配達を終えてから朝練へ向かう毎日。大学に行くには甲子園出場しか手段がないと、年に3日しか休みのない練習に打ち込みましたが、3年生の夏は初戦で敗れ、淡い夢と消えました。佐藤会長は、そう笑って振り返ります。

卒業して家を出るとき、母親からは「迷惑かけたな」と声をかけられました。それから2年ほどたち、会社勤めの仕事に行き詰まった佐藤会長が出張帰りに実家へ立ち寄ると、母親は「ご飯を食べたらすぐ出ていけ」と言ったのです。理由を知ったのは、ずっと後のことでした。仕事に迷っているのがわかったから、ここで情けをかけたら、あんたはダメになる。母親はそう考えていたのです。

「今でも感謝するよね。とんでもない、ありがたいおふくろだったなと思う」

その言葉には、母親への深い敬意がにじんでいました。

「アルバイトより安いじゃん」——初任給1万8500円で知った、何のために働くか

インタビューに答える佐藤益夫会長

高校を卒業して入った建築材料の販売会社。最初の給料は1万8500円でした。中学から高校時代にかけて、毎朝2時間ほどのヤクルト配達で得ていたアルバイト代は2万4000円。会社では朝から夕方まで、残業までして働いても、学生時代のアルバイト代に届かなかったのです。

「何のために働くかっていう、やっぱ原点がわかるよね。自分の時間を浪費して、潰されてお金に変わるんだったら意味がないと思って」

そして、理由も告げずに転勤を命じられ、「俺、犬猫じゃねえわ」と言い返したこともあったそうです。それでも腐らず、どの支店も扱っていない商品を探して「売れる仕組み」を作り、300人の営業マンの中で常にベスト10に入るまでになります。

しかし、売れば売るほど見えてきたものがありました。大工さんが建築資材の使い方を間違え、家づくりに失敗する姿です。売る側がきちんと教えないから、使う側が間違える。そして、その割を食うのは、家を建てた施主でした。やがて自分の親兄弟が家を建てる年代になり、今度は身内が被害者になっていく。

決定的だったのは、親しくしていた材木店の社長の家でした。建てた当初は暖かかったのに、3年たつと「寒い」と言い出したのです。壁を剥がしてみると、中の断熱材が結露で水を吸ってずり落ち、役割を果たさなくなっていました。北海道ではその頃、カビだらけの家が社会問題になっていました。

「こんなのじゃダメだよ」

佐藤会長の中で、はっきりとした問題意識が芽生えました。

「どっちが上なの?」——答えられなかった一問が、会社を辞める覚悟に変わった

そんなある日、現場で建主さんから一つの質問を受けます。プラスチック系断熱材・スタイロフォームの50ミリ厚と、広く使われていたグラスウールの100ミリ厚。

「どっちが上なの?」

グラスウールは100ミリ厚で断熱材として表示されている。一方、プラスチック系の断熱材は50ミリ。どっちが上かと聞かれて、佐藤会長はプラスチック系と答えました。すると建主さんはカタログをひっくり返し、「ここに書いてある数字はどういうこと?」と尋ねました。熱の伝わりやすさを示す数字でしたが、佐藤会長は説明できず、言葉に詰まってしまいます。

「すいません、勉強不足でした」

頭を下げてその場を離れると、その足でメーカーに電話をかけて質問し、図書館に向かい熱伝導率を調べました。結局、メーカーの担当者もその頃は理屈では答えられず、最後は取引のあった換気メーカーの営業マンから説明を受け、計算の仕方を教わって、ようやく答えにたどり着きます。

実はその建主さんの正体は、当時の建設省の課長でした。5か所の建材店に同じ質問をして、答えを持って戻ってきたのは佐藤会長だけだったのです。

「また同じことを聞かれたら、同じ思いをするから。ここで答えを出しておきたかった」

この出来事をきっかけに、佐藤会長は「この会社を辞めよう。もっと勉強したい」と腹を決めます。その後、昇格試験があり、合格率5%といわれた支社長試験に一発で合格しましたが、翌日には辞表を出しました。同族会社のため、昇格しても先が見えていたからです。

「俺、支社長になりたくて勤めてるんじゃないからって。ここで学んだことを使わせてもらいたい。決して敵になることはしないから」

辞表を出すとき、佐藤会長はそう心に誓ったといいます。

「経営者の人格を超えて企業は大きくならない」——10年で年間3000棟、急成長の先に見たもの

身ぶりを交えて語る佐藤益夫会長

建材販売会社にいた頃から、佐藤会長は「断熱材は水を吸ったらダメだ」という結論に至っていました。水を吸わない断熱材を探す中でたどり着いたのが、北海道で断熱材をパネルにしているパネル化工法住宅会社です。「売らせてほしい」と頼み込むと、その社長の答えは「お前らに売るために作ってるんじゃない」。自分の会社が同じ失敗をしていたから作ったのだ、と。動機がまったく同じだと知って意気投合し、2人は手を組みました。青森に工場をつくったものの、1年目に火事に見舞われます。責任を感じた佐藤会長は、22年勤めた建材販売会社を離れ、40歳からそのパネル化工法住宅会社に加わりました。

ジョイ・コスの断熱パネル

背中を押したのは、オイルショックの記憶でした。学生の頃、母親が石油ストーブに灯油を入れながら「高くてなあ」とこぼしていた姿が、今も忘れられないといいます。

「いっつもお客さんの目の前で喋る時って、その情景が映るわけよ」

加えて、地球温暖化の兆しもはっきり見え始めていました。エネルギーのかからない家を広めたい。そう話すと、周りからはこう笑われたそうです。

「佐藤さん一人二人がそんなことやって、地球が冷えるわけねえじゃん」

佐藤会長は、こう言い返しました。

「一人からでも始まんなかったら何もできないって言ったの。自分はどこまでやれるかわかんないけど、やらないよりはやった方がいいだろうって」

5年の約束で加わった会社は、10年で年間3000棟、売上180億円規模にまで急成長しました。しかし会社が大きくなるにつれ、中心にいた人たちが変わっていく姿も目の当たりにします。

「やっぱり経営者の人格を超えて企業って大きくなんないよね」

このままでは自分もダメになる。50歳を迎える頃、佐藤会長はパネル化工法住宅会社を離れる決断をしました。

「一人でやるな」——仲間に止められて選んだ、地場工務店と歩む道

次は自分で工務店をやろう。そう決めて、土地も買い、準備を整えていました。いよいよ始めようというとき、仲間から待ったがかかります。

「一人でやったってせいぜい50棟だと。もう一回このパネル工法を全国に広げろって。手伝うからって何人かが言い出したわけよ。それが今のお客様であり社員なんです」

「佐藤さんが辞めるなら、俺も辞める」。そう言ってついてきた仲間の中には、現在の菅原社長もいます。前の会社のお客さんたちも「俺も手伝う」と集まってきました。それでも佐藤会長は、前の会社のお客様には、こちらから一切手を出さないと決めていました。

「お互いいいものをやるんだからってね」

50歳からの起業には、期限を決めて臨みました。70歳まで、およそ20年。そこまでに形にし、後を任せる人も育てる。そうして1999年6月、株式会社ジョイ・コスが誕生しました。自社では家を建てる仕事はせず、地場の工務店を「認定工務店」として組織し、システムを届ける。地元の気候や暮らしを知り尽くした工務店こそが、その土地の住宅文化を担うべきだという考えからです。

住まいは、その土地の気候や風土を見事に表現するもの。それぞれの地域に馴染み、溶け込むように存在感を保っているのが「その土地の住宅」だと、佐藤会長は考えています。

「鹿児島から稚内まで同じ形、造りをしていたら、それは住宅文化じゃない。そこで生まれ、そこで育った人が、そこで芽を出した木を使い、気候風土に合った建物を建てるのが本当の住宅文化だと私は思います」

住まいは時代によって少しずつ形を変え、生活様式に合ったものへと変化していきます。「温暖化とコロナは、どんな住宅文化の変化を我々に提起してくれるのか」。佐藤会長は今も、その問いを考え続けています。

木々と花に囲まれたジョイ・コス本社事務所(岩手県花巻市)

「最後は機械で測る」——見えなくなる場所の性能を約束する

家づくりの考え方を語る佐藤益夫会長

ジョイ・コスの家づくりの考え方は、驚くほどシンプルです。

「断熱材は濡れちゃダメっていう感覚なの。で、誰でも速くて簡単、確実に施工できるものって」

特殊な道具は使わず、大工さんの腕に左右されにくい仕組みにする。それでも人がつくる以上、出来・不出来は出ます。だから最後は、機械で家の隙間を測る。この気密測定に合格しなければ認めない、というルールを設けました。家の隙間の大きさを示すC値(相当隙間面積)が、床面積1平方メートルあたり0.1平方センチを下回った職人をたたえる「ゼロワン表彰」は、職人さんの誇りになっています。

ジョイ・コスの断熱パネル生産工場

換気の考え方も徹底しています。国が定めた換気の基準について、その根拠を国に問い合わせ、スウェーデンの専門書で裏付けを取りました。家族が2人なら2人分、子どもが生まれたら増やし、人数が減れば減らす。住む人に合わせて換気の量を変えることは、省エネ住宅の基本の一つです。

「学問ない分だけいいんだわ。囚われなくていいんだもん」

建築の専門家ではないからこそ、「なぜ」と問い続けられたのです。

この仕組みを、工務店の人たちはこう評します。「ジョイコスは俺たちを守ってくれる」。見えなくなる部分の性能は保証されているから、見える部分で自分たちの感性を存分に発揮できる。地域ごとに家の形は違っても、中に入ったときの暖かさや涼しさは変わりません。

工場で身ぶりを交えて説明する佐藤益夫会長

取材の場では、青森のお客様のK様が20年にわたって記録してきた電気料金と消費電力のデータも見せていただきました。消費電力量はほとんど変わらないのに、電気代は20年間で当初の年間10万円から40万円へと4倍に上がっている。家の性能が20年たっても落ちていない証しです。「ウェブに載っているんですか」と尋ねると、佐藤会長は「載せてないな」とあっさり答えました。

一番うれしかった出来事を尋ねると、佐藤会長は最初のお客様の話をしてくれました。喘息とアトピーに悩む子どもを持つ家族です。住み始めて1年ほどたった頃、お母さんが子どもの手を引いて「良くなった」と報告に来てくれたのです。「治った」とは言えない、改善したという事実だけ。佐藤会長はそう言葉を選びますが、そのお母さんから言われた一言は、今も胸に残っています。

「あんた、喘息の子ども持ってみなって言われたもん。本当に、世のため人のためね。そういう仕事をしてるっていう感覚にはなれるよね」

「25年も前にやってるの」——時代が追いつき、次は関東へ

ホワイトボードで省エネ基準の流れを説明する佐藤益夫会長

ジョイ・コスが生まれたのは、国が初めて本格的な省エネ基準を打ち出した頃でした。ところが基準はすぐに努力義務へと後退します。それでも、やり方は変えませんでした。

「こんなにいいものを持ってるっていうのをわかってても、認めてくれないんだもん」

それから四半世紀。2025年4月、ようやく国の省エネ基準が本格的に動き出しました。

「二十五年も前にやってるの。今かよって思うけど」

座右の銘は「花は咲くまで待つ!」。その言葉どおり、時代のほうが佐藤会長に追いついてきたのです。

これからの目標を、佐藤会長はヒアリングシートにこう記しています。

「今後関東方面で、省エネ住宅は〝ジョイコスが一番〟という評価を目標にしたい。特に、換気システムの考え方を徹底して広めたい!!」

関東ではこれまで、「岩手ほど寒くない」と言われ続けてきました。けれど佐藤会長は、「東京ほど寒くない、暑くないって俺は言うよ」と言い返してきました。夏の暑さにも、家の性能は同じように効くからです。

気がかりなのは、家を買う人たちの現状です。完成した建売住宅を10分、15分見学しただけで何千万円の契約を決め、3年後にカビ臭さに気づく。そのときには、売った担当者はもういない。一方で、誠実な地元の工務店には、発信するための経営資源が足りません。

「少なくともうちは、物件だけでも残してあげたい」

だからこそ、建主さんには自分が建てる家を工場や現場で実際に見て、触れてほしい。そんな地道な一歩を、関東でも積み重ねていくつもりです。

家を建てる人に、佐藤会長が伝え続けている教訓があります。

「住宅は坪数は削れても性能は削るな!坪数は後で足せても性能は足せない!!」

窓についても同じです。「窓は壁の一部。窓はケチるな!」。どんなに性能の良い家でも、窓は壁(断熱材)の半分の性能しかないからです。

工場見学で断熱パネルに触れる見学者
INTERVIEW

コントリでは、想いある経営者のインタビューを無料で掲載しています。あなたの会社の話も、聞かせてください。

掲載を申し込む(5分) →

「最高のタマ(人材)だと思うしかない」——任せ、休ませ、託していく組織の流儀

インタビューの様子

ジョイ・コスの従業員は12人。社員について尋ねると、佐藤会長は野球にたとえて話してくれました。

「右見たって左見たって、何年経ったって12人から変わらねえんだもん。あれが悪い、これが悪いって言ってるけど、それしかいないんだから、最高のタマ(人材)だと思うしかない」

小さな会社では、足りない人をすぐに入れ替えることはできません。だからこそ、今いる12人を最高の選手だと信じて起用する。代打が三振しても、その選手を選んだのは監督自身。「負けた時は褒めればいいんだしね」と佐藤会長は言います。不満を言う前に、選んだ自分が責任を持つ。それが、社員を信じて任せきる佐藤会長の覚悟です。足りない力は、一級建築士の佐々木部長のように縁あって加わった専門家に任せ、社員には必要な資格を会社の経費で取ってもらう。そうして一人ひとりに役割を渡してきました。

休暇に対する考え方も独特です。有給休暇を取るときは、理由を書いてもらう。「沖縄に行く」でも、「ハワイに行く」でもいい。

「自分がそうだったの」

若い頃に勤めた会社では、有給休暇があっても休めませんでした。休むために仮病を使い、日焼けしたまま出社してすぐにばれたこともあったと笑います。「うちのおばあさん、5回ぐらい死んでるよ」。だからこそ、「嘘を言ってまで休むことはない」と決めたのです。前の会社で工場を任されていた頃には、兼業農家のご子息が多い花巻で、田植えと稲刈りの時期に社員を堂々と休ませ、それだけで社員の顔が明るくなったといいます。

事業承継も、同じように準備してきました。25周年の記念の場で、壇上から「明日から菅原が社長」と突然発表。ただし、それまでに「やらせようと思ったら、あんたしかいない」と伝え、会議での代弁を少しずつ任せてきました。「何もできないのはわかるよ。手伝うから」。帰ってくると「うまいじゃん」と声をかける。そうやって、自信を育ててきたのです。

古いしきたりや考え方が残る業界に、新しい考え方の商品で新風を吹き込む。それがジョイ・コスの仕事です。菅原社長に託した決め手を尋ねると、佐藤会長はこう答えてくれました。

「目に見えて成果の上がらない仕事に根気強く、実直に誠意を持って取り組んでいる姿を見てきて、この人に任せてみようと判断しました」

経営者は孤独だ、と佐藤会長は言います。100万円が足りない月があっても、家族には話せない。そんなときは、ストレス発散のために会社の敷地にある3000坪の林に入り、休日にひとりで木を切り、キノコや山菜を採るのだそうです。

林の中に建つジョイ・コス本社と周辺の田園風景(岩手県花巻市)

ある人から言われて、忘れられない言葉があるといいます。

「事業に正義がなくてどうするんだって言った人がいるの。ドキッとする言葉だった」

家を建てれば、何千万円もの35年ローンがついてくる。だからこそ、根拠のない「大丈夫」で家を売ってはいけない。その覚悟が、佐藤会長の家づくりを支えています。

コントリからのメッセージ

資料を手に笑顔で話す佐藤益夫会長

今回のインタビューで何より心に残ったのは、「一人からでも始まらなきゃ、何もできない」という言葉です。

灯油代に悩む母親の姿、答えられなかった一つの質問、喘息の子どもを持つお母さんの一言。佐藤会長の話は、どれも誰かの困りごとから始まっていました。笑われても、認められなくても、「気密・断熱・換気」だけを四半世紀以上やり続けた先で、時代のほうが追いついてきたのです。

筆者は新卒で入社したホンダで、「なぜ」を何度も繰り返して本質に迫る「なぜなぜ分析」をたたき込まれました。佐藤会長の家づくりには、まさにその姿勢が貫かれています。波に乗れる人は、波が来るずっと前から準備を続けてきた人なのだと、あらためて教えていただきました。

住宅の性能に本気で向き合いたい工務店の方、そして自分の信じる理想をどう貫くかに悩む経営者の方には、ぜひ一度、佐藤会長の話を聞いてみてほしいと思います。

経営者インタビュー 掲載募集 取材費・掲載費 0円

あなたの会社にも、
まだ言葉にしていない物語があります。

コントリは「ご縁でつながる」経営者インタビューメディアです。売上や規模でランク付けはしません。なぜこの事業を選んだのか、どんな失敗を越えてきたのか——数字の裏にある“人”を、プロの聞き手が引き出し、5,000字の記事に仕立てます。

  • ✓ 取材費・掲載費は一切かかりません(応募フォームは5分で完了)
  • ✓ お願いするのは事前ヒアリングと取材の60〜90分だけ。準備は不要です
  • ✓ 完成した記事は採用サイト・SNS・営業資料に自由にお使いいただけます
無料でインタビューに応募する →

これまでに100社以上を掲載。記事は公開前に必ずご確認いただけます。

プロフィール

株式会社ジョイ・コス 代表取締役会長 佐藤益夫氏

株式会社ジョイ・コス
代表取締役会長
佐藤 益夫(さとう ますお)

1948年、岩手県二戸市生まれ。小学生の頃から新聞やヤクルトの配達で家計を支え、高校時代は野球に打ち込む。岩手県立福岡高校普通科を卒業後、建築材料販売会社の営業として22年勤め、300人の営業マンの中で常に上位の成績を残す。欠陥住宅の問題を目の当たりにし、北海道発のパネル化工法住宅会社で普及に10年携わる。1999年6月、50歳で株式会社ジョイ・コスを設立。「気密・断熱・換気」を一体化した「ジョイ・コス住宅システム」を開発し、全国の地場工務店を認定工務店として組織化する。25周年を機に社長職を譲り、現在は代表取締役会長。座右の銘は「躯体を制するは、部位を制する」「花は咲くまで待つ!」。趣味は登山(一歩一歩でも歩いていれば、必ず頂上に着くから)とゴルフ(同じ環境でも、スコアが良くなるのも悪くなるのも自分のプレー次第。その点が仕事の取り組み方に通じるから)で、ゴルフ漫画「お〜い!トンボ」を「ゴルフの師匠」と慕う。

ギャラリー

会社概要

会社名株式会社ジョイ・コス
代表者代表取締役会長 佐藤 益夫
設立1999年6月
資本金2,900万円
本社所在地〒025-0324 岩手県花巻市小瀬川第13地割141番
従業員数12人
事業内容①「気密・断熱・換気」を一体化した独自住宅システム「ジョイ・コス住宅システム」の開発・製造
②断熱パネル(炭化コルク×硬質ウレタンフォームの複合パネル)+窓+換気システムの一体供給
③全国の地場工務店を「認定工務店」として組織化し、システムを卸すBtoB事業
コーポレートサイトhttps://joykos.jp/

写真の一部は、株式会社ジョイ・コスよりご提供いただきました。

[no_toc]

関連記事一覧