コラム

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井深大の経営哲学|中小企業経営者が今日から実践できる10の教え

井深大の経営哲学|中小企業経営者が今日から実践できる10の教え

「社員がもっと力を出せるはずなのに、どこかで止まっている」——そんなもどかしさを感じたことはないでしょうか。

井深大の答えは、製品より先に「働く場」を設計することでした。

1946年の設立趣意書は、会社設立の目的の第一に「自由闊達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設」を掲げています。規模より中身を選ぶ。難しい課題をあえて選ぶ。完成状態を具体的な形で示す。そして次の世代に投資を続ける。この4つが、井深哲学の柱です。

本稿では、設立趣意書が定義した働く場、トランジスタ導入の決断、理科教育と幼児開発への関与を順に見ていきます。そのうえで、中小企業経営者が今日から実践できる10の行動を紹介します。根拠は辞典・社史の整理・ソニー教育財団の資料です。社員が力を発揮できる会社づくりの一つの軸として、お役立ていただけると嬉しく思います。

井深大とはどんな経営者か。技術者の「理想工場」を構想したソニー創業者

井深大は、1945年に東京通信研究所を開き、翌1946年に東京通信工業を設立した技術者出身の経営者です。1958年にソニーへ社名を変えたのが、この会社です。1950年に社長、1971年に会長となり、1992年には文化勲章を受章しました(出典:コトバンク)。製品より先に「技術者がどんな状態で働くか」を文書で定義した点が、井深の独自性です。

年出来事出典
1908年4月11日、栃木県日光に生まれるコトバンク
1945年東京通信研究所を開くコトバンク/THE SHASHI
1946年東京通信工業を設立。設立趣意書を示すTHE SHASHI
1950年東京通信工業の社長に就任コトバンク
1952年初訪米。トランジスタの特許交渉に入るTHE SHASHI
1955年8月、トランジスタラジオ「TR-55」を発売THE SHASHI
1957年ポケッタブルラジオを市販THE SHASHI
1958年社名をソニー株式会社に変更コトバンク
1959年小学校への理科教育振興資金の贈呈を始めるソニー教育財団
1971年ソニー会長に就任コトバンク
1972年教育財団の設立とともに初代理事長に就任ソニー教育財団
1992年文化勲章を受章コトバンク
1997年12月19日に死去コトバンク

筆者がこの年表を眺めて目を引かれるのは、1959年という年です。トランジスタラジオで会社が伸び始めた時期に、井深は小学校の理科教育への資金贈呈を始めていました。まずは、焼け跡からの創業を見ていきましょう。

東京通信研究所から東京通信工業へ。焼け跡からの創業

コトバンクに収録された辞典によれば、井深大は1908年4月11日、栃木県日光の生まれです(出典:コトバンク「井深大」2026年10月確認)。終戦の1945年、井深は東京通信研究所を開きます。翌1946年には、これを母体に東京通信工業を設立しました。

社史を整理したTHE SHASHIによれば、同社は1949年に磁気テープと録音機の試作に成功しています。1950年には高周波バイアス法の特許を取得しています(出典:THE SHASHI「ソニー 創業期」2026年10月確認)。テープレコーダーの市場に入ったのも、この時期です。創業期から、自分たちの技術で新しい製品分野を開く道を選んでいたのです。

この創業期を、のちに市場づくりの面から支えたのが盛田昭夫です。盛田が担った役割は、盛田昭夫の経営哲学で詳しく紹介しています。本稿では、技術と働く場を設計した井深の側に絞って見ていきます。

社長・会長として過ごした歩みと、教育への関与

辞典の記載では、井深は1950年に社長、1971年に会長に就いています。1958年には社名をソニーへ変更しました。1992年には、文化勲章を受章しています。

経営の第一線と並行して、井深は教育にも長く関わりました。ソニー教育財団の沿革によれば、1959年に学校への理科教育助成を始めています。1972年には財団の初代理事長となりました(出典:ソニー教育財団「沿革」2026年10月確認)。経営者としての歩みと教育への関与は、別々の話ではありません。どちらも人が力を発揮できる条件をつくるという、一本の線の上にあるものです。

井深の歩みを、創業から教育への関与まで一枚の時間軸で見てみましょう。

井深大の生涯 主要な出来事技術経営と次世代への投資が並行して進んだ歩み
1908年栃木県日光に生まれる
1945年東京通信研究所を開く
1946年東京通信工業を設立。設立趣意書を示す
1950年東京通信工業の社長に就任
1952年初訪米。トランジスタの特許交渉に入る
1955年トランジスタラジオTR-55を発売
1957年ポケッタブルラジオを市販
1959年小学校への理科教育振興資金の贈呈を始める
1972年教育財団の初代理事長に就任
1992年文化勲章を受章
※出典:コトバンク「井深大」、THE SHASHI「ソニー 創業期」、ソニー教育財団「沿革」2026年10月確認
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「自由闊達ニシテ愉快ナル理想工場」―設立趣意書が定義した働く場

1946年の設立趣意書は、会社設立の目的の第一に「自由闊達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設」を掲げました。技術者が技能を最大限に発揮できる場をつくる、という宣言です。何を作るかより先に、誰がどんな状態で働くかを定義した文書だと言えます。

設立の目的の第一に「技術者が力を発揮できる場」を置いた意味

設立趣意書とは、会社を設立する目的と経営の方針を文章にまとめたものです。たとえば「何のためにこの会社をつくるのか」を、社員や出資者に示す一枚の宣言書と考えてください。趣意書の内容は、2009年にギズモード・ジャパンが紹介しました(出典:ギズモード・ジャパン「ソニー設立趣意書」紹介記事、2026年10月確認)。

注目したいのは、目的の筆頭が製品や売上ではなかった点です。焼け跡からの創業で、資金も設備も十分ではない時期でした。その時期に、井深はまず技術者が愉快に働ける場を会社の目的に置いています。製品は、その場から生まれる結果だという順序です。

中小企業の経営者の方からも、「良い人が採れない」「採っても力を出し切れていない」というお困りごとをよく伺います。採用の工夫の前に、入社した人がどんな条件で働くのかを言葉にしているか。趣意書の順序が経営者に投げかけているのは、その問いではないでしょうか。

設立趣意書の構造を、目的と経営方針に分けて整理しました。

設立趣意書の構造製品より先に「働く場」を定義した順序
目的の第一技術者が技能を最大限に発揮できる自由闊達で愉快な理想工場の建設
経営方針規模の拡大を追わず、内容の充実を重んじる
結果としての製品と事業働く場と方針から生まれるもの
中小企業への置き換え ・働く条件を先に言葉にする ・品質の物差しを一つ決める ・製品とサービスはその結果として育てる
※出典:ギズモード・ジャパン「ソニー設立趣意書」紹介記事 2009年、THE SHASHI「ソニー 創業期」。中小企業への置き換えは編集部による提案

「自由」と「放任」を分けるもの。目的と基準を共有した裁量

「自由闊達」という言葉は、何をしてもよいという意味に誤解されがちです。しかし趣意書は、目的と経営方針を同じ文書で示しています。目的と品質の基準を共有したうえでの裁量と読むのが、実務的な理解です。

身近な例で考えてみます。営業担当に「好きにやっていい」とだけ伝えると、何を基準に判断すればよいのかが分かりません。一方で「この顧客層に、この品質で届ける。方法は任せる」と伝えれば、担当者は工夫を始められます。前者は放任、後者は自由です。

コントリ編集部も、ライターに取材を依頼するとき、この違いを意識しています。素材の揃え方、確認の回数、相談先を先に決めておく。そのうえで、構成や切り口は書き手に任せる運用です。決めごとを増やすほど不自由になるわけではない、という実感を持っています。

二つの違いを、経営者の伝え方の場面で比べてみましょう。

放任と「自由闊達」の違い目的と基準を共有した裁量としての自由
放任×好きにやっていいとだけ伝える×判断の基準がない×結果を後から評価する
自由闊達○目的と品質の基準を共有する○方法は担当者に任せる○相談先と確認の回数を先に決める
営業担当への伝え方の例この顧客層に、この品質で届ける。方法は任せる。迷ったら週1回の打ち合わせで相談する。
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「規模の大を追わず」―難しい課題を選ぶ技術経営

設立趣意書の経営方針は、規模の拡大を追わず、内容の充実を重んじる趣旨を述べています。1952年の初訪米で、井深はトランジスタの特許ライセンス交渉に入りました。導入の理由として挙げたのは、テープレコーダーより難度が高いことだったとされます。

経営方針に書かれた「内容の充実」という物差し

ギズモード・ジャパンの紹介記事は、趣意書の経営方針を「規模の大を追わず」という表記で伝えています。売上や社員数の大きさではなく、仕事の中身で会社を測るという宣言です。創業直後の小さな会社が、自らこの物差しを文書に書いた。そこに意味を見いだせます。

中小企業に置き換えると、規模拡大より優先する品質の指標を一つ決めることに当たります。たとえば「納品後の手直し依頼の件数」や「紹介で来た顧客の割合」です。売上の数字と並べて、この指標を毎月見る。それだけで、会社が何を大事にしているかが社員に伝わるはずです。

ただし、規模を追わないことは、成長をあきらめることではありません。何を先に置くかの順序の話です。内容の充実を先に置いた結果として規模がついてくる、という順序を井深は文書に残しました。

トランジスタ導入の動機は「難しいから」だった

THE SHASHIによれば、井深は1952年2月に初めて渡米しました。ウェスタン・エレクトリック社がトランジスタの特許をライセンスすると知り、交渉に入っています。テープレコーダーは技術として奥が深くないと感じていた一方、トランジスタは相当に難しそうだと考えたとされます。難しいことを、導入の理由にしたわけです。

ここで学べるのは、易しい仕事で規模を追うより、難しい仕事で中身を積むという選び方です。他社が手間を嫌う領域こそ、引き受けた会社を守る参入の壁です。いったん身につけた技術は、容易には真似されません。

もっとも、中小企業が難しい案件に挑むには準備が要ります。引き受ける前に、学習にかける期間と、許容できる赤字の上限を決めておく。この二つを先に決めておけば、挑戦は賭けではなく計画に変わるでしょう。

挑戦する案件の選び方を、難易度と自社にとっての価値の2軸で整理しました。

挑戦案件を選ぶ2軸マトリックス難易度と自社にとっての価値で整理する
縦:自社にとっての価値(上が高い)/横:難易度(右が高い)
易しく価値が高い標準化して回す。社内の誰でも担える手順にする
難しく価値が高い学習期間と許容損失を決めて挑む。トランジスタ導入はこの位置
易しく価値が低い件数を減らし、時間を空ける
難しく価値が低い見送る。引き受ける理由を説明できない案件
※トランジスタ導入の位置づけはTHE SHASHI「ソニー 創業期」の記述に基づく編集部の整理

【エピソード】1952年の初訪米から、ポケットに入るラジオまで

1952年2月の初訪米ののち、1954年1月末に政府の技術導入許可が下りました。1955年8月には、トランジスタラジオ「TR-55」が発売されます。1957年には、ポケットに入る大きさを目標にしたポケッタブルラジオを市販しています(出典:THE SHASHI)。完成状態を具体的な形で示した目標設定の実例です。

特許交渉から技術導入許可、TR-55発売までの3年半

THE SHASHIの整理では、技術導入の政府許可は1954年1月末に下りました。当時の通商産業省は、当初この導入に反対していたと記されています。許可を待つあいだも、交渉と準備は止まりませんでした。

そして1955年8月、日本初のトランジスタラジオ「TR-55」が発売されます。初訪米から数えて約3年半です。規制や反対があっても、その理由を確かめ、準備を進めて道を開く。難しい課題を選ぶとは、こうした時間を引き受けることでもありました。

中小企業でも、許認可や取引先の慎重な判断で、新しい事業が止まる場面は珍しくありません。反対の理由を調べ、必要な書類と実績を先に積んでおく。井深の3年半は、そうした準備の時間として読むことができます。

初訪米からポケッタブルラジオまでの流れを、ステップで追ってみましょう。

初訪米からポケッタブルラジオまで交渉開始から製品化まで約3年半
STEP 11952年2月 初訪米トランジスタの特許ライセンス交渉に入る
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STEP 21954年1月末 技術導入の許可当初は通商産業省が反対していたとされる
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STEP 31955年8月 TR-55を発売日本初のトランジスタラジオ
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STEP 41957年 ポケッタブルラジオポケットに入る大きさを目標に部品から作らせた
※出典:THE SHASHI「ソニー 創業期」2026年10月確認

「ポケットに入る大きさ」という目標が部品から変えた

1957年のポケッタブルラジオでは、ポケットに入る大きさが目標に置かれました。THE SHASHIによれば、ミツミ電機とフォスター電機に小型部品を新たに作らせています。専用の6ボルト電池も用意させたと記されています。

この話で注目したいのは、目標の示し方です。「小さくする」ではなく「ポケットに入る」。誰が見ても達成したかどうかが分かる完成状態を示しています。だからこそ、社外の部品メーカーも何をどこまで小さくすればよいかが分かったのです。

目標が抽象的なまま協力会社に伝わる。中小企業の現場でよく見かける光景です。「良い記事」ではなく「読者が3分で要点をつかめる記事」。「早めに納品」ではなく「金曜の正午までに初稿」。完成状態を測れる形で示すと、社員も協力会社も工夫を始めやすくなります。

「子どもに理科を好きになってもらいたい」―次世代への投資を続けた経営者

ソニー教育財団の資料によれば、井深は科学技術振興のため、子どもたちにもっと理科を好きになってもらいたいと考えました。1959年に小学校への理科教育振興資金の贈呈を始め、1972年に財団の初代理事長に就いています(出典:ソニー教育財団)。本業の利益を、成果が出るまで長い時間がかかる人づくりに振り向けた経営者です。

1959年に始めた理科教育振興資金と財団の設立

理科教育助成の出発点は、財団の公開資料が伝えています(出典:ソニー教育財団「井深大から学校の先生への言葉」2026年10月確認)。子どもに理科を好きになってほしいという願いが、贈呈の動機でした。1959年といえば、トランジスタラジオで会社が伸び始めた時期です。

1972年には財団が設立され、井深は初代理事長となりました。単発の寄付で終わらせず、続ける仕組みに置き換えたわけです。創業者の熱意だけに頼ると、その人が忙しくなった時点で活動は止まりがちです。財団という形にしたことで、活動は創業者の手を離れても続く形になりました。

幼児開発協会との統合に見る、学びの入り口への関心

辞典の記載では、井深は幼児開発協会の理事長も務めています。財団の沿革によれば、財団は2001年にこの幼児開発協会と統合しました。小学校の理科から、さらに手前の幼児期へ。学びの入り口に向けた関心が、組織の形として残ったと読めます。

なお、幼児開発協会の設立年は、辞典によって1968年とも1969年とも記載が分かれます。また、幼児教育に関する井深の著作の主張について、本稿では一次資料で確認していないため取り上げていません。ここで扱うのは、理科教育助成と財団・協会の沿革という確認できる事実だけです。

中小企業に置き換えると、地域の学校や学生に向けた学びの場を、小さく続けることでしょう。職場見学を年に一度受け入れる。学生向けに仕事の話をする機会を設ける。成果が見えるのは数年後ですが、採用広報や地域とのご縁として返ってくる活動です。

井深の教育への関与を、時間の流れに沿って整理しました。

次世代への投資の広がり単発の寄付から、続ける仕組みへ
1959年理科教育振興資金の贈呈を開始子どもに理科を好きになってもらいたいという願いから
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1972年教育財団を設立井深が初代理事長に就任
▼
2001年幼児開発協会と統合学びの入り口である幼児期へ活動が広がる
中小企業での小さな実践例職場見学の受け入れ、学生向けの仕事の話、若手社員の学びの時間を年に一度から始める。
※出典:ソニー教育財団「沿革」「井深大から学校の先生への言葉」2026年10月確認

【行動10選】中小企業経営者が井深哲学を今日から実践する方法

「研究開発部門を持つ大企業の話で、うちには関係ない」と感じる経営者の方も多くいらっしゃいます。しかし井深大の経営哲学は、規模を問わず使えるものです。社員数名の会社でも、目的の言語化、働く条件の設計、挑戦案件の選び方、次世代への小さな投資として行動に落とし込めます。

ここでは、今日から着手できる10の実践に絞って紹介します。

井深哲学を実践する行動10選中小企業経営者が今日から着手できるチェックリスト
力を発揮できる場をつくる
01自社の設立の目的を3行で書き直す
02社員が最も力を発揮できた仕事の条件を聞き取る
03その条件を妨げる社内手続きを一つ減らす
難しい課題を選び、完成状態を示す
04規模拡大より優先する品質指標を一つ決める
05難しいが価値の高い案件の候補を挙げる
06挑戦案件の学習期間と許容損失を先に決める
07完成状態を見本や数値で示す
次の世代と知見に投資する
08外部の協力先に目標の背景を説明する
09若手や学生向けの学びの場を一つ設ける
10半年後に挑戦案件から得た知見を記録する
※行動10選は井深の考え方を中小企業向けに読み替えた編集部の提案

力を発揮できる場をつくる3つの実践

1つ目は、自社の「設立の目的」を3行で書き直すことです。創業時の想いを、今の社員に伝わる言葉に置き換えます。2つ目は、社員が最も力を発揮できた仕事の条件を聞き取ること。「あの案件はなぜうまくいったのか」を、本人の言葉で集めます。

3つ目は、その条件を妨げている社内手続きを一つ減らすことです。承認の回数が多すぎる、相談先が決まっていない、といった障害が見つかるはずです。一つ減らすだけでも、働く場は変わり始めます。

難しい課題を選び、完成状態を示す4つの実践

4つ目は、規模拡大より優先する品質指標を一つ決めることです。5つ目は、難しいが価値の高い案件の候補を挙げること。先ほどの2×2の図で、右上に入る案件を探します。

6つ目は、挑戦案件の学習期間と許容損失を先に決めることです。期間と金額の上限があれば、途中で迷っても判断に戻れます。7つ目は、完成状態を見本や数値で示すこと。「ポケットに入る」のように、達成したかどうかが誰にでも分かる表現を選んでみてください。

次の世代と知見に投資する3つの実践

8つ目は、外部の協力先に目標の背景を説明することです。部品メーカーが「ポケットに入る」を理解して動いたように、理由が伝わると協力の質も変わるものです。9つ目は、若手や学生向けの学びの場を一つ設けること。10個目は、半年後に挑戦案件から得た技術や知見を記録することです。

10の実践すべてを一度に始める必要はありません。最初の30日は、次の流れで進めると判断までが一巡します。第1週に目的文の書き直しと社員の聞き取り。第2週に品質指標と挑戦案件の設計。第3週に一案件で試し、第4週に負荷・品質・学びを振り返って継続を判断します。

どれから始めるか迷ったら、1つ目と2つ目の組み合わせが目安です。目的を書き、社員の声を聞く。この二つは費用がかからず、残り8つの行動の土台にもなります。

井深大をもっと学ぶなら。読む順序と関連する経営者

井深哲学に触れる最初の一歩は、設立趣意書そのものを読むことです。次にソニー教育財団の沿革と「学校の先生への言葉」を読むと、晩年まで続いた次世代への関心が見えてきます。市場づくりを担った盛田昭夫と並べて読めば、技術と市場の両輪で会社をつくった構造が立体的に理解できます。

まず設立趣意書、次に財団の資料を読む

最初に読みたいのは、設立趣意書の紹介記事と、創業期を整理したTHE SHASHIのページです。目的と経営方針の言葉に、井深の考えの骨格が表れています。続いて、ソニー教育財団の沿革と「井深大から学校の先生への言葉」に進みます。経歴の確認には、コトバンクの辞典項目が役立ちます。

なお、ソニー公式サイトの趣意書・社史ページの原文と、自伝などの書籍本文は、本稿の執筆時点で確認できていません。そのため、書籍の内容評価やページ指定は行っていません。原文に当たりたい方は、ソニー公式サイトの該当ページを確かめてください。

読む順序を、3段階のロードマップにまとめました。

井深大の経営哲学を学ぶ読む順序3段階で理解を深めるロードマップ
Phase A目的と経営方針を知る設立趣意書の紹介記事とTHE SHASHI「ソニー 創業期」
▼
Phase B次世代への関心を知るソニー教育財団の沿革と「井深大から学校の先生への言葉」
▼
Phase C技術者の経営の特徴をつかむ盛田昭夫・本田宗一郎の経営哲学と並べて読む

盛田昭夫・本田宗一郎と比べると見えてくる「技術者の経営」

井深と盛田昭夫は、技術と市場の役割を分け合いました。盛田が「新しい価値は体験で伝える」と市場の側から考えたのに対し、井深は働く場と技術の側から会社を設計しています。二人の考え方は、並べて読むと互いを補い合う関係だと分かります。

本田宗一郎の経営哲学とも比べてみましょう。本田は技術者として藤沢武夫に経営の多くを委ねました。井深もまた技術者でしたが、設立趣意書という形で、働く場の設計を自ら言葉にしています。技術者が経営の言葉を持った例として読むと、違いが見えてきます。

松下幸之助の経営哲学が人づくりを事業の前に置いたことも、井深の教育投資と響き合う考え方です。もっとも、本稿で見たのは成功事例の側だけです。技術志向の経営が、後年の事業にどう影響したかという批判的な検討は、本稿では扱っていません。

ここまでの要点を振り返ります。井深大の経営哲学は、働く場を先に設計すること、規模より中身を選ぶことでした。さらに、完成状態を具体的に示すこと、次の世代に投資を続けること。どれも、自社の目的を3行で書き直すところから始められます。

編集部として印象に残ったのは、1959年という年でした。トランジスタラジオで会社が伸び始めたまさにその時期に、井深は小学校の理科教育に資金を贈り始めています。目の前の事業が忙しいときほど、数年先の人づくりは後回しになりがちです。経営者の方々が自分の言葉で「何のための会社か」を語るとき、井深の趣意書は一つの手本になると考えています。「経営者の経営哲学研究」コーナーでは、今後もこうした一次資料に基づく研究を続けていきます。

よくある質問

井深大の経営哲学を一言で表すと何ですか

設立趣意書が掲げた「自由闊達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設」に集約されます。製品より先に、技術者が力を発揮できる働く場を定義しました。規模より中身を重んじ、難しい課題をあえて選ぶ。晩年まで続いた理科教育への投資も、同じ発想から読み解けます。

設立趣意書とはどのような文書ですか

1946年の東京通信工業の設立にあたり、会社設立の目的と経営方針を記した文書です。目的の第一に、技術者が技能を最大限に発揮できる理想工場の建設を掲げました。経営方針では、規模の拡大より内容の充実を重んじる趣旨を述べています。本稿は二次資料の紹介に基づいて要旨を扱っています。

井深大と盛田昭夫はどのような役割分担でしたか

井深大が技術開発と働く場の設計を、盛田昭夫が市場づくりと海外展開を主に担いました。本稿は井深の経営哲学に絞っており、盛田の発言は井深の言葉として扱っていません。盛田の考え方は、別稿の盛田昭夫の経営哲学で紹介しています。

社員数名規模の中小企業でも井深大の経営哲学を実践できますか

実践できます。設立の目的を3行で書き直す。社員が力を発揮できた仕事の条件を聞き取る。挑戦案件の学習期間と許容損失を先に決める。研究開発部門がなくても、取り入れられる要素は少なくありません。

井深大は教育にどのように関わりましたか

ソニー教育財団の資料によれば、1959年に小学校への理科教育振興資金の贈呈を始めました。1972年には財団の初代理事長に就任。財団は2001年に、井深が理事長を務めた幼児開発協会と統合しました。子どもに理科を好きになってほしいという願いが出発点だったとされます。

飯塚昭博

この記事の著者

飯塚 昭博

Akihiro Iitsuka

コントリ株式会社 代表取締役

青山学院大学卒業後、自動車会社にて年間180億円規模の設備調達を担当。中小企業経営者の想いに触れる中でその価値を伝えることに使命を感じ、2023年独立。経営者インタビューメディア「コントリ」を運営し、経営者の方々への取材を重ねている。SEO・AI活用・発信設計を通じて中小企業の「伝わる発信」を支援している。

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